新年度になり、
工房の慌ただしさも一段落するかと思いきや、
今日も朝から全開だ。
月初のミーティングの後、
早速お預かりしているR2のリフレッシュメンテナンスが始まった。
このクルマがデビューした2003年当時は、
竹中社長が引っ張るFDR-1が風を切るように推進されていた。
実は「量」から「質」への転換はこの時から始まった。
それは2010年にありたい姿を、
「存在感と魅力ある企業」に定めて推し進められていた。
R2とR1は全く別のクルマで、
発売されたのはR2の方が先だったが、
R1の開発が先に始まっていた。
ヒエラルキーを感じさせない商品体系の構築に取り組み、
新たなミニカーを世の中に提供した。
実に贅沢な時代で、
レガシィは軽量化を徹底的に極め走りのために高い剛性を実現し、
安全のために高い強度を追い求めた。
マルチマテリアルを極め、
100kgの軽量化を実現しカーオブザイヤーを間違いなく取ると思われていた、
あのプリウスさえ撃沈させた。
その新環状力骨構造ボディを軽自動車にも与え、
颯爽とデビューを飾ったのがR2だ。
続いてデビューしたR1は、
ホイールベースを縮め、
レガシィを追い越すほどのマルチマテリアル化が施された。
新たなミニカーとは、
このシャシーを使ったリッターカーでは無いのかと想像した。
あの当時、
レガシィのシャシーと、
インプレッサとフォレスターのシャシーは別だった。
レガシィのリヤサスは金の掛かるマルチリンクだった。
その他は走りは良いがスペース効率に劣るストラットで、
軽乗用車もホイールベースの異なる二つのシャシーを用意した。
それに加えサンバーのフルフレームシャシーも持っていた。
大きな誤算は、
軽自動車に過大な投資をしたことだった。
リッターカーの開発にはエンジンが必要だが、
シャシーはそれほど苦労しなくてもすむ。
R1のシャシーを前後に拡幅すると、
レックスからジャスティを作った時のように簡単にリッターカーが出来る。
スバルはそのような経験に長けていた。
何しろ社長だった竹中さんが最初に手がけたクルマはレックス5だ。
手軽にフロアを拡幅し、
新規格車を作った。
しかも軽自動車のレックスから、
リッターカーのジャスティも作った。
そして550から660に、
規格拡大された時も、
ほぼ同じ手法で乗り切った。
いわゆる小手投げのような得意技だ。
アルトとイグニスを見ると、
レックスとジャスティが並んでいるように見える。
それほど先見性のあったクルマだが、
どちらもライバルに比べ大ヒットした訳では無かった。
急遽ステラを開発し、
軽自動車市場で寄り切られそうな所を、
何とか俵に足を残して踏ん張った。
だが無茶なラインナップには限界が見えていた。
要するに、
スバルには元々プラットフォームなどと言う概念が無かった。
今朝開いた新年度のミーティングで、
SGPの話題を出すと大宮から大変良い質問が出た。
「社長、SGPが出ると言うことは、
今後レガシィからレヴォーグ、フォレスターまで全て同じプラットフォームのクルマになるんですか」
と言う内容だった。
要するに彼はホイールベースも、トレッドもほぼ同じになり、
エンジンや駆動方式、
それに異なる形状のボディを組み合わせるようになるのかと心配していた。
「そんな心配をすることは無い」と彼に言った。
なぜならば、それはニッサン自動車などが進める「モジュール化」のことだ。
スバルのような小さなメーカーは、
彼等ほどモジュール化をしなくても成り立つ。
SGPは効率を高めるために開発されているが、
それ以上にシャシー剛性向上が目的だ。
スバルファンミーティングの最も重要なプログラムを紹介しよう。
スバルDNAセミナーだ。
完全事前登録制で限られた人しか入ることが出来ない。
高速体験やバスツアーよりコアな話を聞きたい人しか来ないプログラムだ。
この施設にまさか外部の人間を入れてくれるとは思っても居なかった。
超極秘の開発車両を置き、
全員で評価したりする場所がセミナールームになっていた。
DNAフォーラムとカテゴライズされ、
座学形式のDNAプレゼンテーションと、
パネルディスカッション形式のDNAセミナーが2度ずつ交互に開かれた。
セミナーは12時15分から始まった。
執行役員で、
スバル技術本部 副本部長の大拔さんが開会を宣言した。
どんな様子だったのか、
まず会場を動画で紹介しよう。
覧戴きたい。
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