その日の夜、まるで一日を象徴するかのような料理が現れた。
牡蠣のアヒージョは大好物の一つだ。
出来の良さを左右するのは、
やはり牡蠣の質だ。
新鮮なのは言うまでも無いが、
どんな海で誰によって育てられたのかで、
大幅に味が異なる。
やはり濃い日には濃い料理が食べたくなる。
妻の作った逸品は、
最高の味だった。
そしてその味を例えるなら、
水平対向4気筒DOHCターボエンジン搭載車だ。
その中でも特に、
このクルマが思い浮かぶ。
GC系のWRXとは異なる、
「グンッ」と底から力強い、
GDBならではの味だ。
これは社員研修の時に、
ABCマートで偶然見つけた。
このミニカーも、
早速インプレッサハウスの中に飾った。
8ドル99セントだから、
1000円程度で売っていた事になる。
割安感があった。
コメットマークを纏ったGDBは究極の域に達し、
ソルベルグをチャンピオンの座に導いた。
面白いお土産を戴いた。
岡崎市にオカザえもんという、
一風変ったキャラクターが居るらしい。
それをマスコットにした、
美味しそうなどら焼きだ。
岡崎市から西本さんが、
友人二人を伴って来訪された。
現役のアマチュアラリードライバーで、
愛機はGDBだ。
バリバリの戦闘マシンに乗って、
中津スバルに来訪された。
二代目WRXのSTIは今でも高い人気を誇る。
その理由はやはり何と言っても戦闘力に尽きる。
初代から二代目にバトンタッチするために、
かなりの紆余曲折があったと先のブログで書いた。
この時にインプレッサは初めて三車型に分かれた。
インプレッサの初代には、
面白い逸話がある。
開発担当者がワゴンを内緒で企画し、
どさくさに紛れて役員の決裁を獲ったのだ。
それよりも二代目にはもっと凄い逸話がある。
どさくさに紛れてどころか、
誰もやりたがらず、
尻尾を巻いていた。
或いは「火中の栗」という表現も相応しいだろう。
なぜ触れたがらなかったか。
それは誰もが失敗を恐れ、
「我に」と手を上げる事を躊躇した。
それほど難しい開発だった。
素のナローセダンと、
素のスポーツワゴンを用意し、
それぞれにWRXを設定する必要があった。
初代で途中から追加されたスポーツワゴンWRXは、
売れ行きが良く二代目でも当然開発された。
初代のSTIバージョンは、
モデル末期ににも関わらず、
出しても出しても売れ続けた。
そして富士重工に思いもよらぬ高収益を与えた。
そのドル箱にラリーレプリカの22Bが誕生すると、
彼ら自身が驚くほど驚異的な人気を見せた。
富士重工始まって以来の高額車にも関わらず、
あっという間に売り切れた。
そうなると、
フルモデルチェンジしたのに、
STIが素のボディでは余りにも訴求性が弱い。
だからWRCも視野に入れ、
WRX用に専用のワイドボディが開発された。
ナローボディのセダンとワゴンには、
4WDと2WDの両方があり、
4WDにはそれぞれターボも用意された。
スポーツワゴンは2WDの売れ行きも良く、
軽くて俊敏なクルマを作る必然性が生じた。
しかし、
WRCで勝つためには強靱なミッションとボディが必要で、
安全性能も大きく問われる時代になっていた。
それらを高い実現で融合し、
戦闘能力を落とさず、
世界を相手に戦って勝てる力を身につけたのが二代目インプレッサだ。
この開発は誰にでも出来るものじゃ無い。
その証拠に、
二代目は一人のPGMによってまとめられたが、
最新のインプレッサ系は、
4人がかりで作り上げた。
まずベースのインプレッサを竹内さんがまとめた。
既にWRX系はその前から切り離されていたが、
その全体を増田さんが指揮を執り、
セダン系を高津PGM、
ワゴンを熊谷PGMと割り振った。
こうして出来上がったのが「レヴォーグ」と「S4&STI」なのだ。
水戸黄門に助さんと格さんが居て総力を発揮するように、
SUBARUも失敗を許されぬ開発に、
「三頭立ての馬車」を当てた。
さて話を二代目フォレスターに戻す。
このクルマの開発時は、
戦闘能力オリエンテッドな雰囲気が、
SUBARUの開発チームの中に溢れていた。
当然だろう。
丸ごとインプレッサがベースで、
開発コンセプトはほぼ引き継がれていた。
だから、
二代目インプレッサのスポーツワゴンが、
正当派異端系の名の下に、
徐々に1.5リットル主軸となった時、
思わぬ隠し技を見せつけた。
それはワゴンのWRXに見切りを付け、
フォレスターにSTIを設定した事だ。
あの当時はまだ、
6速マニュアルを簡単に搭載出来る構造だった。
戦闘力オリエンテッドだった証明だろう。
歴史は物語る。
話題提供に苦労するどころか、
話すことがありすぎて困るくらいだ。
三代目インプレッサの開発秘話が、
これまた面白い。
そこから今のフォレスターへ、
ゾクゾクするようなストーリーがあるけれど、
直接聞きたい人だけのためにとっておく事にする。
知り得た情報を損得抜きで開放すると、
質の高い「解る」人達は必ず何かで返してくれる。
これを「鏡の理論」という。
どんな世界でも「正確」な情報は只では無い。
お金をもらうことは少しも不純ではない。
逆に価値のある情報を、
只で見聞きして当たり前だと思う方が不純だろう。
最近ネットで調べても解らないような、
専門的で困ったことがあると、
すぐ電話を掛けてくる人が居る。
先日も「そういうことはお客様相談室にお願いします」と言ったら、
「売ってる癖に知らねいのかよ」と啖呵を切った人が居た。
まあ「物商売」なので許容しているが、
自分の都合だけで簡単に電話されても困る。
そう言う人に限って、
ネット以外でお金を使う事に対して、
直ぐに「高い」と抵抗があるのだ。
昨日は丁寧な訪問を受けた。
珍しいお土産をありがとうございました。
このブログでBH系6気筒エンジンの記事を見て、
購入を決断されたそうだ。
可児市から加藤さんがいらっしゃった。
愛機のエンジンはピカピカだった。
僭越ながら、
オーナーからご希望があったので、
発動機のカバーにサインを入れた。
とても喜んで戴けたので、
素直に心から嬉しかった。
良い個体が残り少なくなる中で、
ステキなレガシィに巡り会われた。
末永く可愛がって欲しい。
良いモノを正確に伝えるのがセールスの仕事だ。
更にその背景や、
誕生までのストーリー、
そして味の違いまで、
包括的に説明することを天命だと思っている。
さて、
いよいよ22Bの心臓であるEJ22が完成した。
全世界に400台しか無いクルマの心臓を、
徹底的にリフレッシュした。
春の風が吹くと同時に、
眠っていたクルマが目覚める時が来た。
まさに春の嵐のようなエンジンだ。
出力よりもトルク特性を重視し、
キャパシティを増やした。
その結果、
歴代のインプレッサの中で希有なサウンドを奏でる。
これはもはやスバリストにとってヘリテイジだろう。
このままでは資産運用目的や、
投機対象にもなりかねない。
一部の中古車販売業者が、
おもしろおかしく触れるべきものでも無い。
このクルマを本当に愛する人が、
適正に維持するためなら力を貸す。
また忙しくなりそうだ。
終わり