良い旅だった。 吉永さんと約束していた。
「博多で久しぶりにスバルを語り合おう」と。
実に楽しみだった。
博多で開かれたのは、
毎年楽しみにしている重要な会議だ。
宣伝部長に就任された、
小島さんにも再会出来た。
3月18日のイベント以来だ。
カスタマーサービス本部の
お客様相談部と
サービス支援部の部長に就任された、
今野さんにもお目に掛かれた。
皆さんお元気そうで何よりです。
三重スバルの三井社長にもお目に掛かれた。
またぜひSUBARUについて深い話をしましょう。
吉永さんに伝えたかったことは一つだ。
「本当にBRZが真のGTなのか」と言うシンプルな話題だ。
シンプルだが証明することは簡単では無い。
だから「名ばかりのGTグレードでは無い事を体を張って証明する」と約束した。
「ところでどうだったんですか。
黄色いBRZが真のGTだと証明できたんですか」と、
吉永さんが興味深げに水を向けた。
「クルマの事を話すのはこれだけですからね」と、
悪戯っぽく笑ったのも印象的だった。
「はい。真のGTでした」と胸を張ると、
吉永さんも満足そうに頷いた。
彼から二人のキーパーソンを紹介して戴いた。
社長秘書を務める、
井野岡 大さん、
河村 玲子さんだ。
井野岡さんとは既に面識もあり、
親しく話せる間柄だ。
今回紹介して戴いたもう一人の女性は、
秘書課の中でも秘書中の秘書と言われる、
伝説の才女だ。
何しろ彼女は、
歴代の社長をアシストしたエキスパートだ。
吉永社長を水戸黄門に例えれば、
彼等ははまさしく助さんと角さんに相当する。
これからもよろしくお願いします。
SUBARUと言えばクルマ。
これが世界における常識だが、
日本では飛行機も重要な要素の一つだ。
「事実は小説よりも奇なり」
吉永さんと会談した翌日に、
美保基地を偶然通りがかり、
さらに見学まで出来た。
この事実は、
「見えない何か」に導かれたとしか思えない。
航空自衛隊 三保基地
航空自衛隊の活動を支える第三輸送航空隊を中心とする組織。
学舎もある。
自主トレする姿が頼もしい。
整然とした中に、
明るい雰囲気が漂う。
これが航空自衛隊魂なのだろう。
航空自衛隊の小牧基地にもC-130輸送機がある。
良く見ると空中でハッチを開いている。
ちょうど小牧から飛来したCー130が、
物資の投下訓練を繰り返していた。
戻ってきた時には、
ハッチが既に閉まっていた。
広大なエリアに旧滑走路跡地を利用した、
訓練設備がある。
赤い丸で指した所が現在位置だ。
黄色い丸で囲った所に、
パラシュートを付けた支援物資を如何に正確に落とすか、
その技量を磨いている。
彼らは大震災などで孤立した場所に、
支援物資を届ける際に活躍している。
良く見ると、
僅かに滑走路の形跡が残っている。
昔は周囲も含め、
今の三倍以上の面積を誇る基地だったらしい。
現在三保基地には、
戦後わが国で初めて開発された、
C-1輸送機が配備されている。
戦後の環境で設計されているから、
海外を視野に置いていない。
だから航続距離が短いため、
海外に向けて飛ぶことが出来ない。
したがって主力輸送機の役目を、
「ほぼ完璧」と評価される、
米国製C-130戦術輸送機ハーキュリーに、
奪われた格好になっている。
だが美保基地に、
いよいよC-1の後継機である、
国産輸送機C-2の配備が始まった。
生産は川崎重工だが、
SUBARUも主翼を始めかなり重要な部分の開発生産を担っている。
これはあまり知られていないが、
実に優秀で高性能な輸送機だ。
現在の人道的支援や国連平和維持活動など、
海外に物資を運ぶ役割が、
これまでよりも容易にこなせるようになった。
その飛行距離はオーストラリアまでカバー出来るほどで、
速度もマッハ0.8まで出せるから航路を選択しやすい。
出来立ての格納庫は一際大きい。
それと並ぶように、
燃料系統の整備棟が誇らしげに建っていた。
フェンスに隠れて見難いが、
揮発した燃料を逃がすためのダクトが見える。
しかしこの基地の魂は、
もっと他の場所にあった。
それはこの輸送機に他ならない。
空のデゴイチとも呼ばれた、
Cー46(通称:天馬)だ。
ここに展示されているC-46は、
用途廃止された最後の機体だと聞いた。
彼らにとって忘れることの出来ない名機だ。C-46のエンジンも大切に保管されている。
米国製の星形9気筒2列の2000馬力級エンジンだ。
これはかつて中島飛行機が開発し生産した「誉」のライバルだ。
元々中島飛行機は発動機生産に情熱を燃やしていた。
機体の開発が一段落した大正13年(1924年)、
彼等は遂にエンジン工場の建設に着手した。
工場完成後、
最初は海軍がライセンスを持つV型400馬力エンジンを生産した。
続いて同様にW型450馬力エンジンの製造に着手し、
昭和4年(1929)までに、
合計で127基を生産した。
それに先立つ大正14年に、
外国製品の丸写しから脱却するために、
中島はイギリスにあったブリストル社に注目した。
理由は空冷新型発動機の持つ、
高いポテンシャルを予見したからだ。
ブリストル社の空冷星型9気筒「ジュピター」の製造権を取得した中島は、
着々と空冷星型エンジンの知見を深めた。
そしてヨーロッパの水冷主流の技術から、
アメリカの空冷による生産性の高さに着目した。
そこで昭和4年(1929)、
ジュピターをベースに、
自主開発の空冷星型9気筒450馬力「寿」の開発に着手した。
この時にお手本としたのが、
このプラット&ホイットニーの
空冷星型単列9気筒エンジン「ワスプ」だった。
「寿」は改良に改良を重ね、
昭和18年までに約7000基が生産された。
「寿」の誕生から2年後の昭和6年(1931)、
さらなる大出力高性能化に着手し、
寿とは別の9気筒「光」を開発した。
しかし、
単列の9気筒では既に限界に達していたので、
NALの開発に繫がっていく。
社内呼称NALは2列式14気筒で、
寿のボア×ストロークを引き継いだ設計だった。
これが850馬力を発揮する陸軍向けの「ハ5」となり、
中島で5550基生産されたほか、
三菱でも1830基生産された記録が残っている。
この発動機は海軍に採用されなかったので、
漢字の名称が与えられなかった。
その海軍から昭和8年(1933)に、
それまでとは全く異なる、
空冷星型2列14気筒エンジンの試作命令が下った。
寿のボアス×トロークは、
146mm×160mmだったが、
これを130mm×150mmと大幅な軽量コンパクト化を実現し、
飛躍的な戦闘力の向上を目指した。
「SUBARUの独創性」はこの時に開花した。
これが後の「栄」であり、
陸軍も「ハ25」と命名して採用し、
総生産台数3万基の傑作発動機となった。
零戦は機体を三菱が開発したが、
もし「栄」が無ければ、
飛ぶことさえ出来なかった。
中島の傑作機「隼」に搭載された心臓でもある。
このシリーズには、
シリンダーを大型化し、
陸上攻撃機に搭載した「護」も存在する。
こちらは約200基ほど生産された記録が残っている。
この「栄」をベースに、
18気筒化を目指したのが「誉」だ。
エンジンの外径を変えずに、
1800馬力を狙った革新的な発動機だ。
昭和16年(1941)、
世界にも類の無い「小型」「軽量」「高出力」な、
「誉」(ハ45)が完成した。
そのライバル的なアメリカの代表作が、
このダブルワスプだ。
「誉」より一足早く1939年に完成した、
プラット&ホイットニー社のR-2800は、
当時1850馬力を発揮したが、
コンパクトさにおいて「誉」と比べものにならない。
「誉」は開戦で物資が乏しく、
その真価を発揮すること無く生涯を閉じた。
だがアメリカに拿捕された「誉」搭載の航空機が、
正しい部品を装着し、
質の高い燃料を与えられた結果、
スペックを10%以上も上回る性能を発揮した。
これはテストしたアメリカ人をたいそう驚かせたそうだ。
SUBARUのオーバースペックな開発能力は、
その頃から醸成されていた。
「6気筒エンジンをBRZに搭載すべき」
この願いはここからも生まれている。
さて、
C-46に戻ろう。
ここにはカットしたプロペラは勿論、
ホンモノの操縦桿まで残っていた。
その美保基地で、
5月28日に「2017航空際」が開催される。
もし近くに住んでいたら、
絶対に参加したい。
この貴重な催し物にぜひ足を運んで欲しい。
なぜなら、
国産旅客機YS-11の最後の機体も美保で管理されているからだ。
いよいよ用途廃止が決まり、
このイベントで最終飛行が計画されている。
ラストフライトの後、
この機体は名古屋に建設予定の航空博物館で展示される。
絶対に見逃せない。
そこに展示されるもう一つの重要な機体も、
SUBARUと深い関わりがあるからだ。
とにかく凄い歴史的文化財がザクザクと出てくる。
マルヨンもある。
ロッキード製の超音速ジェット戦闘機スターファイターだ。
F-86Dを始めて見た。
初鷹を忘れてはいけない。
SUBARUのビジターセンターにも飾られている。
そして戦後に作られた初等練習機が、
この若鷹(T-3)だ。
見れば解る。
乗りやすいだろうなぁ。
エアロスバルにどことなく似ている。
航空自衛隊最後のレシプロエンジンを搭載した固定翼機だ。
エアロスバルの技術が使われているのだろう。
それに対してパイロットから余り評判の良くない、
F-1も展示されている。
乗りにくいらしい。
戦後に国産初の超音速戦闘機として開発された。
これも全機用途廃止となり、
F-2への転換が図られている。
親切に対応していただきありがとうございました。
案内して戴いた広報の武田さんは、
生粋のスバリストだ。
ブルーのステラは彼のセカンドカーだ。
もう一台は、
サンライトゴールド・オパールのBR9型アウトバックだ。
きっとステキな愛機だろう。
綺麗に手入れされたステラを見て直感した。
航空自衛隊の「ラヴ」も見せて戴いた。
小松製作所が製造する軽装甲機動車で、
専用の渋い国防色に塗られている。
陸上自衛隊の野戦的な迷彩色に較べ、
昴的な「カーキ」感が迸っていた。
担当の和泉さんが目を細めるほど、
可愛い相棒らしい。
試乗したい欲望に駆られたが、
流石に中を見ることは出来なかった。
エアコンも良く効き、
オートマチックトランスミッションのため乗りやすい。
ジープをベースにした軍用車両より、
遙かに性能が高い。
銃弾を跳ね返す装甲性も優れている。
「ロケット砲だとどうなります」
と尋ねたら、
「流石に耐えられません」と答えが返った。
天井に銃座が着いて、
ハッチを開けて軽快出来るようになっているが、
「有事」の際にはそんな危ないことはせず、
RWSが装着されるのだろう。
リモート操作出来る無人砲塔を付けると、
戦闘能力も大幅に高まるはずだ。
山陰地方の人達は皆暖かい。
皆さん本当にありがとうございました。
見送られながら美保基地を後にした。
航空祭に興味のある人も多いだろう。
ご盛会を祈念しチラシを紹介したい。
ステキなタイムスケジュールだ。
スバルのファンミーティングを連想させる内容だ。
そうか、
だから何となく同じ匂いがするんだ。
色々な航空機が近くで見られるなんて羨ましい。
アクセスもこんな感じで分かり易い。
当日は新型XVの発表展示会もある。
航空際が終わったら、
是非その脚で山陰スバルに行って欲しい。
ステキなプレゼントが待っている。
当社でも続々と注文が舞い込んでいる。
第一号は、
レガシィオーナーの田口さんに決まった。
彼の愛機はパールホワイトで、
当社のデモ機はクールグレーカーキだ。
どちらもステキだから、
是非ショールームで確かめて欲しい。
実はクールグレーカーキを購入して、
「ちょっと失敗したかな」と思った。
その理由は、
カタログや写真で見た印象とかけ離れていたからだ。
ところがそれは杞憂に終わった。
なぜなら、
この色は凄く戦闘力を感じる、
ステキな色に見えるからだ。
光の加減で色が変るが、
すれより素晴らしいのは、
「見れば見るほど味が出る」と感じさせる所だ。
これはXVにぴったりの色だ。
贅沢な願いだが、
レガシィB4にこの色を塗ってターボエンジン搭載車か、
6気筒エンジン搭載車を作ると良いだろう。
戦闘力を感じさせる凄いクルマになるだろう。
終わり