11年ほど前のことだ。京都からお客様が来訪され、希少なクルマの整備を承った。國友さん、
ありがとうございました。
メールのやり取りから来場に繋がり、
直接お目にかかる事が出来た。
とてもきれいなff1は、
ほぼノーマルで保存状態も良い。
実車を見たのは久しぶりだ。
子供の頃、
伝説の黄色いff-1スポーツは憧れだった。
子供の頃に数度見た事があるだけで、
免許を取ってから1度も出会った事は無かった。
正直に言うと、
今でも黄色のff-1スポーツが死ぬほど欲しい。
数々の神話を持つ2ドアセダンに対して、
國友さんの愛機はスーパーツーリングだ。
この頃の不文律は2ドアセダンのツインキャブがsportで、
4ドアセダンのツインキャブがsupertouringだった。
SUBARUが作ったスポーツセダンだから、
当然排気系はシングルキャブとは異なり、
左右のサイドシルを通る等長エキゾーストだ。
なので平成時代の排気音を、
「偽りのSUBARUサウンド」と呼ぶ。
スポーツエンジンは圧縮比を高めるために、
シリンダーヘッドそのものが違っていて、
Ⓢと刻印が入っていた。
クーペがまだ作れない時代だったので、
2ドアセダンに甘んじたが、
あの時代はそれが結構人気だった。
でも実用性は圧倒的に4ドアが良い。
欲しいのは4ドアセダンで、
しかもスーパーツーリングが欲しかった。
今なら絶対に2ドアのsportしか買わないけど、
その剛性の差に気が付いたのは最近だ。
インプレッサクーペを軽んじた過去を恥じる。
とにかく、
子供の頃から、
sportやSuperTouringに、
心の底から憧れていた。
スバル1000は、
昭和40年10月に発表され、
翌年の5月から販売が始まった。
発売から4年後にff-1に生まれ変わり、
1300Gでシリーズを終えた。
このクルマも二代目インプレッサの様に、
シリーズ中で何度も大きく顔が変わった。
その中で一番丹精で好ましいのがff-1だ。
でも、
生産台数は少なかった。
ちょうど何もかもが端境期で、
開発チームは苦労したはずだ。
排気量を100ccアップして、
FFが一番だと意識づけるために、
与えた名前がそれだった。
強烈なインパクトは、
まず名前から発せられる。
次にスタイルだ。
面白いほど、
当時のデザインチームの苦労が解る。
良いクルマが売れず、
無理やりトレンドに合わせる必要があったからだ。
1000からマイナーチェンジしたff-1と、
誕生したばかりの空冷のR-2と、
望桜荘にある「ババーン」サンバーには、
はっきりとしたデザインフィロソフィーが宿っていた。
それは今の「ボールダー」どころではない、
実に洗練された「造形言語」だった。
ところが、
そのデザインポリシーが、
ズタズタに破壊されていく。
振り返ると実に痛々しい。
まずff-1は1300Gへと、
たったの1年半ビッグマイナーチェンジした。
その顔は性能向上に反して、
とてつもなくグロテスクな顔になった。
その一年後にはエンジンを水冷化されたR-2が、
やはり醜悪なフロントマスクに変貌し、
極めつけは過去最大の不細工路線の端緒となった、
「すとろんぐサンバー」へと続いた。
こうしてまるで坂を転げ落ちるように、
初代REXの顔、
初代レオーネの不細工なスタイル、
全く品性を感じない強力サンバーと、
スバルデザインの黒歴史が幕を開けたのだった。
スバル=カッコ悪いという方程式は、
エンジン性能を4WDでカバーする必然性と掛け合わされ、
四輪駆動車至上主義という、
まるで社会主義体制のような、
スバル独自の企業文化を創り上げたのだった。
ff-1の持つ、
このそっけないケツを見て欲しい。
スバル1000のオリジナリティを活かしながら、
なんともいえぬ香りを漂わせている。
それに対して1300Gのケツは、
モッチリと重い。
較べるとやはりシンプルなff-1にそそられる。
この時代には、
ルーフをレザートップにしたクルマが、
最高級の証だった。
1969年の10月に、
ff-1のスーパーツーリングが追加発表された時、
そのイメージリーダーはホワイトボディに、
紺色のレザートップを纏っていた。
最高の贅沢だから、
東濃地方で買った人は皆無だった。
それと同じ仕様のプレジデントを見て、
あの頃の憧れが瞼の裏に蘇った。
國友さんは、
1300G用に作った、
B-factionオリジナルスポーツマフラーを、
ff-1に装着するため来訪された。
かなり加工を要するが、
上手く國友さんの愛機に装着する事が出来た。
北原課長の職人技で、
1300Gの取付方法と見比べながら、
現場加工して装着した。
1000や1300Gのスポーツエンジンと、
ff-1のスポーツエンジンは、
内容がかなり異なる。
一番大きな違いは、
日立製のソレックスツインキャブを搭載する事だ。
ソレックスとかウエーバーっていうブランドは、
今のブレンボやレカロみたいなものだった。
インストルメントパネルもかなり趣が違う。
実質的にスバル1000をキャリーオーバーし、
1300Gのようなコクピット性は無いものの、
三眼メーターのデザインや、
メーターナセルをレザーで巻いて、
そこにステッチを施す等、
加飾する技の冴えが凄い。
今でも充分通用する出来栄えだ。
むしろこのセンスの良さを、
もっと現在のデザインチームに学んで欲しいと思うほどだ。
極め付けの仕上げをSTIに与えたい。
先輩達はお洒落なスポーツ魂を持っていた。
1300G用のスポーツマフラーを、
まさかff-1に装着するなど考えもしなかったが、
結果的にSUBARUの保管する、
憧れの黄色いff-1スポーツにも付ける事になった。
お役に立てて嬉しかった。
あれはやり甲斐のあるプロジェクトだった。
黄色いff-1は、
当時のスバルのフラッグシップだった。
やはりSUBARUにはセダンが似合うね。
2009年3月24日22時58分の記事を更新