最終版:カートピアの堕落とスバルXVの深層について語る
2012年 10月 10日
冒頭において、
まず明確にお伝えしたい。
以前のブログでも伝えたように、
1970年代にスバルはスポカジ文化を有していた。
レオーネ4WDで大ヒットしたスキーヤーズスペシャル。
また、今でこそ当たり前のように使われるようになった、
SUVと言う言葉だが、
そもそも日本に存在していなかった。
昔はRV(リクレーショナル ヴィークル)とういうカテゴリーで、
この分野をひとくくりしていた。
SUVと言うカテゴリーはアメリカで生まれた。
それまでの無骨なオフロードヴィークルに対して
ブレイザーやチェロキーなどが次々と誕生した。
それらのライト感覚なクロスカントリーヴィークルのカテゴリーとして、
SUV(スポーツユーティリティヴィークル)が成り立っていた。
スバルはそれらに対してカテゴリーキラーの役割を演じた。
そして米国における目覚ましい成功で、欧州のメーカーまで後に続く事となった。
そして、するりとSUVというカテゴリーそのものを乗っ取ってしまったのである。
この2点を頭に置いて欲しい。
ちょっと長いブログだが、最後にその理由を記すので、
興味のある方はおつきあい頂きたい。
このブログではスバルXVの良さを深層から語りたい・・・と思っていた。
しかし体育の日の朝、とんでもない記事を読み、
誤解を解く必要があると思った。
天下のカートピアがこんなでたらめな提灯記事を掲載してはいけない。
この経緯から説明しよう。
最新のカートピアが届くのを楽しみにしていた。
と言うのも、岐阜スバルは伝統的にこういうモノの配送オペレーションが悪く、
一番東京に近い立地なのに、
岐阜から見ると辺境の地の中津川へは
期日通りに届いたためしがない。
ようやく届いたが、
読む時間を作れなかった。
10月はお祭りのシーズンだ。
地元の御輿が繰り出し、
太鼓の音色とともに地域一帯が何とも華やかになる。
爽やかな秋晴れが続くが、
流石に季節の変化が顕著になり、
朝晩は冷え込みを増す。
自然は敏感だ。
望桜荘の花梨も落葉が激しくなり実が色づいた。
現在、大活躍した望桜荘を社員全員でメンテしている。
秋の空気が満ちてくると、
光の様子が変わるから、
彩りに対して敏感になる。
四季のある日本人ならではの心の豊かさでは無いだろうか。
2年前は苔の育成に着手したばかりで、
まだ殺伐としていたこの場所も↓
土の中まで掃除して
水はけを良くしたので、
すっかり癒やしの空間に変わりつつある。
そうなると気がつくことがある。
良く見ると苔の中でも勢力争いがあり、
カラーコーディネートが悪くなってきた。
そこでこちらのスギゴケだけを増やし
池の周りを爽やかなグリーンで統一したくなった。
これを取って捨てるのではなく
面白いようにスルスルと抜けるので、まず方向を揃えて集める。
そして銀杏の木の回りに敷き詰めて少し保水力を高めようと考えている。
建具にも防腐剤を塗るよう作業を進めているが、
窓のない室内を覗くと、
癒やされる室内空間は、ナチュラルな色合いで仕上がっているのだと
改めて実感した。
実は、この囲炉裏の間の真上に、素敵な空間がある。
保存しようと心に決めたきっかけは、その空間を見たからだ。
この階段を昇り、
振り向くとちょっと不思議な空間がある。
二階に二部屋あるのだが、
その吊り天井の美しさや、
自然な木をその形のまま使った梁などが、
日本人の遺伝子に組み込まれた美的感覚にガンガン共鳴した。
相当荒れ果てて汚れていたが、
度重なる清掃で昔の美しさを蘇らせたので、
壁だけを塗り直す事にした。
その時、偶然下地処理を済ませたばかりの二階に何気なく上がったところ、
この配色のすばらしさに感動した。
それで左官屋さんには申し訳なかったが、
以降の作業を中止してもらった。
白い壁の下塗りと、木肌の艶が何とも良い色合いを出している。
だから、クルマの内装色に人一倍こだわりがある。
汚れが目立ちにくいからブラックインテリアが良いという、
意見の方が多い昨今だが、
そういう「しみったれた」感覚には反旗を翻したい。
先代のインプレッサは、このカラーコーディネートが凄く良かった。
ただし、デビュー直後からクオリティに不満があった。
その陰にR2の存在があったからだ。
以降のクルマ造りに微妙な影響を与えている。
それは次のブログで語りたい。
1時間の環境改善を終え、
デスクに戻った。
肌寒いシーズンになったので、
牛尾さんから頂いて、温存していたショコリキサーを取り出した。
封を切って中を見る。
宅配された牛乳を取り出し
ミニキッチンで暖める。
大さじ二杯材料を入れかき混ぜると
美味しそうな色になった。
うーん、とても美味しい。
実はこれを飲みながら
ようやくカートピアを読む時間が出来た。
ところで、ここで改めて、
先代のXVの良さについて触れたい。
このショコリキサーのようなインテリアカラーが特に気に入っていた。
ところが、新型は基本的にSPORTと大差ない。
外観のデザインがあれほど素晴らしいのに、
室内がこれだと、ワクワク感をスポイルすると思い、
スバルのデザインをとりまとめている戸叶さんに、
つい失礼なことを言ってしまった。
「芋臭い」と。
なぜそういう表現をしたか、
この場ではっきり説明しておこう。
たとえば、ドイツ車特有のどれもこれも黒っぽい内装は、
少しもエレガントではない。
まるでドイツ料理に嫌と言うほど付いてくるポテトのようだ。
NBR近くの名物レストランのステーキ。肉と芋のシンプルな構成(笑)
確かに質実剛健だが素っ気無い。
「これはありきたりでつまらない」と言うことを端的に表現したつもりだ。
先ほどの日本家屋のように、
本来の日本人はナチュラルで柔らかい色を好むはずだ。
が、
ちょっと失礼なことを言ったなと
心の隅に引っかかっていた。
恐らく彼のように超ハイセンスな感覚を持つ人間なら、
そんなことは先刻ご承知に違いない。
じゃあ、なぜ繰り返すかと言うと、
スバルにたいして、内装や灯火器に対する予算をもっと増やし、
彼等の忸怩(じくじ)たる思いを蹴散らさせて欲しいと思うからだ。
そんなこともあり、
カートピア10月号にXVの特集があり、
彼も登場すると聞くと嬉しくなった。
ワクワクしながら届くのを心待ちにしていたが、
読んでみたら、
冒頭の話になった。
特集記事の内容に首をかしげる部分が多い。
それと同時に、
この頃のモータージャーナリストというのは、
こんなに勉強しなくてもやっていける職業なのかとあきれかえった。
このテキストを書いた金子さんという方に、
お会いしたこともなければ、
名前も聞いたことがないので、
突然失礼な言い方をして申し訳ない。
あくまでこれは、
構成したフェロールームの責任で、
彼には罪は無い。
しかしカートピアはスバルの好きな愛読者に対し、
狙いを絞って発行しているモノだから、
こんな書き方では良くないと思う。
おそらく、この特集で顔を出している5人のスバルのスタッフも、
良識があるのなら、
読んでみてぎょっとしただろう。
まるで提灯記事だ。
まず書き出しからしておかしい。
スバルXVは明らかにインプレッサの派生車である。
トレッドが広がろうとも、
前後の灯火器を共用しているクルマを、
全くの新型などと誇大広告してはいけないと思う。
ここではっきり言っておかないと、
図に乗って次のアウトバックでも同じ事をするだろう。
冒頭の書き出しは、
むしろ初代XVに当てはまる言葉だ。
僅かな開発期間であそこまで仕上げた手腕に敬意を表している。
今回のクルマは、初代のコンセプトを
竹内流にアレンジしてフルモデルチェンジしたと思っている。
そういえば、
新旧XVを開発担当したお二人の関係には、
なかなか趣のある背景がある。
先代XVを取りまとめた臺PGMは、次にデビューする新型フォレスターのPGMだ。
従って先代XVに感じた走りの確かさを、
次期フォレスターはそのまま受け継いでいるはずだ。
そして、現行フォレスターをほぼ全て完成するまで導いた竹内PGMは、
幾多の事情からフォレスターを離れ、
並行して進んでいた4代目のインプレッサのPGMになった。
そして5代目インプレッサの開発でもPGMとして手腕を発揮したが、
これはあまり例の無いことだ。
が、
そのおかげでG4もSPORTも久しぶりの大ヒットになった。
その上XVまでデビューに導き、
絶対に間違いの無い「鉄板グルマ」に仕上がっている。
一目見てそのスタイルに惚れる。
格好が良いから買いたくなる。
使ってみるとセンスも良いし、値段も手頃で女性にも好かれる。
これが竹内流成功の法則だ。
さて、
それじゃあ今回の特集記事のどこがでたらめか。
それは「正確な数値」と「バックボーンの検証」だ。
ジャーナリストとして絶対怠ってはいけないのは、
裏取りである。
まず「正確な数値」について。
XVの地上高に対する説明の部分だ。
今回のインプレッサスポーツは確かに最低地上高が145ミリなので、
新型XVの200ミリは55ミリのアップだ。
ここで着眼点を整理しよう。
そもそも先代のXVは車高上げ車が一般で、
標準車高車の方が特殊だ。
一般と定義する理由は販売対象地域のマーケットサイズによる。
嵩上げ車は購買対象の多い中国、ロシア、豪州やそほのかの地域をターゲットにした。
それに対して前モデルの標準車高車は国内とヨーロッパだけを販売の対象にした。
そこで先代の一般的なXVの最低地上高がどれだけあったかというと、
205ミリだ。
標準車高の155ミリに対して車体側のサスペンションで45ミリと、
タイヤの外径で5ミリ嵩上げされ、
50ミリの余裕のある最低地上高を誇った。
その時、日本仕様の最低地上高は標準モデルと差が無かった。
新型の一般的(海外仕様)なXVは更に凄い。
最低地上高は220ミリになったので、
なんと75ミリも嵩上げされた事になる。
まずここを確実に押さえたい。
国内仕様が200ミリに抑えられたのは残念だが、
そういう複雑さが間違いを招いたのだろう。
次に「バックボーンの検証」だ。
更におかしいと感じたのは、
グランドワゴンを引き合いに出したことだ。
「グランドワゴン」などという珍妙な名前が、
なぜ採用されたのか定かでは無いが、
1995年8月30日に269万7000円で発売され、
僅か2年で姿を消した。
ここにあるのは1994年に発行されたレガシィ専用カタログだ。
見ただけでアメリカンだ。
1995year MODELと言うことは、
1994年、すなわち平成6年に、
米国内で発表されたレガシィが全てこの中に揃っている。
初代レガシィでとてつもなく苦労したスバルも、
2台目レガシィを投入してから少しずつ業績が上向いた。
だが、営業戦略的にはまだダッチロール状態だった。
たとえばこのレガシィ L Wagonは前輪駆動だ。
4輪駆動はまだオプションだった。
次のページを見よう。
トップグレードのレガシィ LSi Sedanだ。
エンジンバリエーションは2.2L 16バルブSOHCとまだまだプアーだった。
すでに日本国内では待望の2.5リットル4カムDOHCが誕生したが、
米国ではまだ導入されていなかった。
ただ、相変わらずUSレガシィはスタイリッシュだった。
このルーフラックとMoonroofの組み合わせはSIAで生産されるレガシィだけの特徴だった。
そして次のページで4WDの優位性が熱く語られる。
4WD至上主義へ突っ走っていく様子が垣間見える。
次のページで目を引く事は安全性についてしっかり語っていることだ。
アイサイトや衝突安全ボディが急ごしらえで無い証明とも言えるだろう。
そして質感も徐々に高くなっていた。
これはトープレザーのインテリア。
インテリアはグレーとトープの2種類。
全部で8色のホディカラーも用意された。
今問題としている、6:4分割のリヤシートも、
右のイラストで良くわかる。
これは左ハンドル車にとって便利なのだ。
さて、普通ならここから諸元表になる。
ところが次のページをめくると、
付け足したように別のクルマが現れた。
大きくアウトバックと記されている。
どうしてこの様な資料があるのか、
不思議に思う人も居るかもしれない。
当時、日本と米国でスバルの商品には差がありすぎた。
そういう部分が面白くて、逆輸入を手がけたので
カタログが手元に揃っていた。
今から18年前にスバル初のSUVが誕生した瞬間だ。
この時、まだグランドワゴンはこの世に無い。
嵩上げ車高でも無ければ、
バンパーもほぼ同じだ。
ところがアウトバックは馬鹿ウケした。
何を隠そう当社も即座に発注した。
標準色のスプルスと呼ばれる独特の緑色も素敵だが、
ボディ下部をホイールアーチに沿ってスレートに塗り分けたセンスが良かった。
元々4WDの踏破力には定評があった。
初代アウトバックはL Wagonをベースにアクティブセイフティグループを標準装備し、
ツートンカラーにしただけのクルマだった。
アクティブセイフティグループというのは、
フルタイムAWDシステムに4輪ディスクブレーキ、ABS、
オートクルーズのオプション装備だ。
ところがツートンカラーにして、
195/60HR15のオールシーズンタイヤを装着しただけで、
雰囲気ががらりと変わった。
シートも専用の上質なクロスにして
1色に絞り込んだだけなのに別のクルマのような印象になった。
前後のカラードスプラッシュボードと
ルーフラックも装備し、カーゴルームに排気ファンやフックに加え、
12Vのアウトプットも用意した。
フォグランプもプロジェクター式なのが功を奏し、
ちょっと専用ホイールと並んで特別感がある。
ここを読むと、
アウトバックはSUVでは無く、むしろその上を行くカテゴリーキラーとしての自信すらうかがえる。
ここまで明確にしたら、
でたらめだ、と言う言葉が決して暴言では無いことが解るだろう。
冒頭のレオーネ スキーヤーズスペシャルは、
市場から発せられる、
度重なるステーションワゴン待望論に対して、
開発部門が決して応えようとしなかった時に、
販売の最前線に居る国内営業部門が思いついたウルトラCだった。
後席が狭くて使いづらいという、
お客様からの改善提案を無視し続け(笑)、
エステートバン(極めて奇妙な名称)に専用のチェック柄のトリコットシートを与え、
スタイリッシュなルーフラックを奢った。
そしてその後の上下塗り分けのツートン化に繋がる「サイドストライプ(死語)」をセンス良く身につけた。
このクルマはオリジナルのホイールでは無いが、
当時の人気アイテムだったのがホワイトに塗装された、
「8(エイト)スポークホイール」と、
「アルミ製アンダーガード」に加え、
「フロントガード+シビエのフォグランプ」だった。
こうしたコンセプトがあったから、
米国でも「窮鼠猫を噛む」ような「初代アウトバック」開発が出来たと考えている。
そういうわけで、
少しでもスバルのSUV誕生を知る上で参考になれば嬉しい。
このクルマの大成功を受けて、
1995年のニューヨークオートショウで
本格的なアウトバックが発表され、
その年の8月から日米同時発売される運びとなった。
それが10月号のカートピアで語られている
「日本におけるグランドワゴン」だ。
初代アウトバックの大成功は
フォレスターの誕生にも大きく貢献している。
フェロールームの皆さんには
失礼な表現があったかもしれない。
それは先日、若手社員の皆さんにお会いし、
彼等から素晴らしいモチベーションを感じたので、
「愛のムチ」を与えたと思って欲しい。
今後も楽しい企画を期待している。
まず明確にお伝えしたい。
以前のブログでも伝えたように、
1970年代にスバルはスポカジ文化を有していた。
レオーネ4WDで大ヒットしたスキーヤーズスペシャル。
また、今でこそ当たり前のように使われるようになった、
SUVと言う言葉だが、
そもそも日本に存在していなかった。
昔はRV(リクレーショナル ヴィークル)とういうカテゴリーで、
この分野をひとくくりしていた。
SUVと言うカテゴリーはアメリカで生まれた。
それまでの無骨なオフロードヴィークルに対して
ブレイザーやチェロキーなどが次々と誕生した。
それらのライト感覚なクロスカントリーヴィークルのカテゴリーとして、
SUV(スポーツユーティリティヴィークル)が成り立っていた。
スバルはそれらに対してカテゴリーキラーの役割を演じた。
そして米国における目覚ましい成功で、欧州のメーカーまで後に続く事となった。
そして、するりとSUVというカテゴリーそのものを乗っ取ってしまったのである。
この2点を頭に置いて欲しい。
ちょっと長いブログだが、最後にその理由を記すので、
興味のある方はおつきあい頂きたい。
このブログではスバルXVの良さを深層から語りたい・・・と思っていた。
しかし体育の日の朝、とんでもない記事を読み、
誤解を解く必要があると思った。
天下のカートピアがこんなでたらめな提灯記事を掲載してはいけない。
この経緯から説明しよう。
最新のカートピアが届くのを楽しみにしていた。
と言うのも、岐阜スバルは伝統的にこういうモノの配送オペレーションが悪く、
一番東京に近い立地なのに、
岐阜から見ると辺境の地の中津川へは
期日通りに届いたためしがない。
ようやく届いたが、
読む時間を作れなかった。
10月はお祭りのシーズンだ。
地元の御輿が繰り出し、
太鼓の音色とともに地域一帯が何とも華やかになる。
爽やかな秋晴れが続くが、
流石に季節の変化が顕著になり、
朝晩は冷え込みを増す。
自然は敏感だ。
望桜荘の花梨も落葉が激しくなり実が色づいた。
現在、大活躍した望桜荘を社員全員でメンテしている。
秋の空気が満ちてくると、
光の様子が変わるから、
彩りに対して敏感になる。
四季のある日本人ならではの心の豊かさでは無いだろうか。
2年前は苔の育成に着手したばかりで、
まだ殺伐としていたこの場所も↓
土の中まで掃除して
水はけを良くしたので、
すっかり癒やしの空間に変わりつつある。
そうなると気がつくことがある。
良く見ると苔の中でも勢力争いがあり、
カラーコーディネートが悪くなってきた。
そこでこちらのスギゴケだけを増やし
池の周りを爽やかなグリーンで統一したくなった。
これを取って捨てるのではなく
面白いようにスルスルと抜けるので、まず方向を揃えて集める。
そして銀杏の木の回りに敷き詰めて少し保水力を高めようと考えている。
建具にも防腐剤を塗るよう作業を進めているが、
窓のない室内を覗くと、
癒やされる室内空間は、ナチュラルな色合いで仕上がっているのだと
改めて実感した。
実は、この囲炉裏の間の真上に、素敵な空間がある。
保存しようと心に決めたきっかけは、その空間を見たからだ。
この階段を昇り、
振り向くとちょっと不思議な空間がある。
二階に二部屋あるのだが、
その吊り天井の美しさや、
自然な木をその形のまま使った梁などが、
日本人の遺伝子に組み込まれた美的感覚にガンガン共鳴した。
相当荒れ果てて汚れていたが、
度重なる清掃で昔の美しさを蘇らせたので、
壁だけを塗り直す事にした。
その時、偶然下地処理を済ませたばかりの二階に何気なく上がったところ、
この配色のすばらしさに感動した。
それで左官屋さんには申し訳なかったが、
以降の作業を中止してもらった。
白い壁の下塗りと、木肌の艶が何とも良い色合いを出している。
だから、クルマの内装色に人一倍こだわりがある。
汚れが目立ちにくいからブラックインテリアが良いという、
意見の方が多い昨今だが、
そういう「しみったれた」感覚には反旗を翻したい。
先代のインプレッサは、このカラーコーディネートが凄く良かった。
ただし、デビュー直後からクオリティに不満があった。
その陰にR2の存在があったからだ。
以降のクルマ造りに微妙な影響を与えている。
それは次のブログで語りたい。
1時間の環境改善を終え、
デスクに戻った。
肌寒いシーズンになったので、
牛尾さんから頂いて、温存していたショコリキサーを取り出した。
封を切って中を見る。
宅配された牛乳を取り出し
ミニキッチンで暖める。
大さじ二杯材料を入れかき混ぜると
美味しそうな色になった。
うーん、とても美味しい。
実はこれを飲みながら
ようやくカートピアを読む時間が出来た。
ところで、ここで改めて、
先代のXVの良さについて触れたい。
このショコリキサーのようなインテリアカラーが特に気に入っていた。
ところが、新型は基本的にSPORTと大差ない。
外観のデザインがあれほど素晴らしいのに、
室内がこれだと、ワクワク感をスポイルすると思い、
スバルのデザインをとりまとめている戸叶さんに、
つい失礼なことを言ってしまった。
「芋臭い」と。
なぜそういう表現をしたか、
この場ではっきり説明しておこう。
たとえば、ドイツ車特有のどれもこれも黒っぽい内装は、
少しもエレガントではない。
まるでドイツ料理に嫌と言うほど付いてくるポテトのようだ。
NBR近くの名物レストランのステーキ。肉と芋のシンプルな構成(笑)
確かに質実剛健だが素っ気無い。
「これはありきたりでつまらない」と言うことを端的に表現したつもりだ。
先ほどの日本家屋のように、
本来の日本人はナチュラルで柔らかい色を好むはずだ。
が、
ちょっと失礼なことを言ったなと
心の隅に引っかかっていた。
恐らく彼のように超ハイセンスな感覚を持つ人間なら、
そんなことは先刻ご承知に違いない。
じゃあ、なぜ繰り返すかと言うと、
スバルにたいして、内装や灯火器に対する予算をもっと増やし、
彼等の忸怩(じくじ)たる思いを蹴散らさせて欲しいと思うからだ。
そんなこともあり、
カートピア10月号にXVの特集があり、
彼も登場すると聞くと嬉しくなった。
ワクワクしながら届くのを心待ちにしていたが、
読んでみたら、
冒頭の話になった。
特集記事の内容に首をかしげる部分が多い。
それと同時に、
この頃のモータージャーナリストというのは、
こんなに勉強しなくてもやっていける職業なのかとあきれかえった。
このテキストを書いた金子さんという方に、
お会いしたこともなければ、
名前も聞いたことがないので、
突然失礼な言い方をして申し訳ない。
あくまでこれは、
構成したフェロールームの責任で、
彼には罪は無い。
しかしカートピアはスバルの好きな愛読者に対し、
狙いを絞って発行しているモノだから、
こんな書き方では良くないと思う。
おそらく、この特集で顔を出している5人のスバルのスタッフも、
良識があるのなら、
読んでみてぎょっとしただろう。
まるで提灯記事だ。
まず書き出しからしておかしい。
スバルXVは明らかにインプレッサの派生車である。
トレッドが広がろうとも、
前後の灯火器を共用しているクルマを、
全くの新型などと誇大広告してはいけないと思う。
ここではっきり言っておかないと、
図に乗って次のアウトバックでも同じ事をするだろう。
冒頭の書き出しは、
むしろ初代XVに当てはまる言葉だ。
僅かな開発期間であそこまで仕上げた手腕に敬意を表している。
今回のクルマは、初代のコンセプトを
竹内流にアレンジしてフルモデルチェンジしたと思っている。
そういえば、
新旧XVを開発担当したお二人の関係には、
なかなか趣のある背景がある。
先代XVを取りまとめた臺PGMは、次にデビューする新型フォレスターのPGMだ。
従って先代XVに感じた走りの確かさを、
次期フォレスターはそのまま受け継いでいるはずだ。
そして、現行フォレスターをほぼ全て完成するまで導いた竹内PGMは、
幾多の事情からフォレスターを離れ、
並行して進んでいた4代目のインプレッサのPGMになった。
そして5代目インプレッサの開発でもPGMとして手腕を発揮したが、
これはあまり例の無いことだ。
が、
そのおかげでG4もSPORTも久しぶりの大ヒットになった。
その上XVまでデビューに導き、
絶対に間違いの無い「鉄板グルマ」に仕上がっている。
一目見てそのスタイルに惚れる。
格好が良いから買いたくなる。
使ってみるとセンスも良いし、値段も手頃で女性にも好かれる。
これが竹内流成功の法則だ。
さて、
それじゃあ今回の特集記事のどこがでたらめか。
それは「正確な数値」と「バックボーンの検証」だ。
ジャーナリストとして絶対怠ってはいけないのは、
裏取りである。
まず「正確な数値」について。
XVの地上高に対する説明の部分だ。
今回のインプレッサスポーツは確かに最低地上高が145ミリなので、
新型XVの200ミリは55ミリのアップだ。
ここで着眼点を整理しよう。
そもそも先代のXVは車高上げ車が一般で、
標準車高車の方が特殊だ。
一般と定義する理由は販売対象地域のマーケットサイズによる。
嵩上げ車は購買対象の多い中国、ロシア、豪州やそほのかの地域をターゲットにした。
それに対して前モデルの標準車高車は国内とヨーロッパだけを販売の対象にした。
そこで先代の一般的なXVの最低地上高がどれだけあったかというと、
205ミリだ。
標準車高の155ミリに対して車体側のサスペンションで45ミリと、
タイヤの外径で5ミリ嵩上げされ、
50ミリの余裕のある最低地上高を誇った。
その時、日本仕様の最低地上高は標準モデルと差が無かった。
新型の一般的(海外仕様)なXVは更に凄い。
最低地上高は220ミリになったので、
なんと75ミリも嵩上げされた事になる。
まずここを確実に押さえたい。
国内仕様が200ミリに抑えられたのは残念だが、
そういう複雑さが間違いを招いたのだろう。
次に「バックボーンの検証」だ。
更におかしいと感じたのは、
グランドワゴンを引き合いに出したことだ。
「グランドワゴン」などという珍妙な名前が、
なぜ採用されたのか定かでは無いが、
1995年8月30日に269万7000円で発売され、
僅か2年で姿を消した。
ここにあるのは1994年に発行されたレガシィ専用カタログだ。
見ただけでアメリカンだ。
1995year MODELと言うことは、
1994年、すなわち平成6年に、
米国内で発表されたレガシィが全てこの中に揃っている。
初代レガシィでとてつもなく苦労したスバルも、
2台目レガシィを投入してから少しずつ業績が上向いた。
だが、営業戦略的にはまだダッチロール状態だった。
たとえばこのレガシィ L Wagonは前輪駆動だ。
4輪駆動はまだオプションだった。
次のページを見よう。
トップグレードのレガシィ LSi Sedanだ。
エンジンバリエーションは2.2L 16バルブSOHCとまだまだプアーだった。
すでに日本国内では待望の2.5リットル4カムDOHCが誕生したが、
米国ではまだ導入されていなかった。
ただ、相変わらずUSレガシィはスタイリッシュだった。
このルーフラックとMoonroofの組み合わせはSIAで生産されるレガシィだけの特徴だった。
そして次のページで4WDの優位性が熱く語られる。
4WD至上主義へ突っ走っていく様子が垣間見える。
次のページで目を引く事は安全性についてしっかり語っていることだ。
アイサイトや衝突安全ボディが急ごしらえで無い証明とも言えるだろう。
そして質感も徐々に高くなっていた。
これはトープレザーのインテリア。
インテリアはグレーとトープの2種類。
全部で8色のホディカラーも用意された。
今問題としている、6:4分割のリヤシートも、
右のイラストで良くわかる。
これは左ハンドル車にとって便利なのだ。
さて、普通ならここから諸元表になる。
ところが次のページをめくると、
付け足したように別のクルマが現れた。
大きくアウトバックと記されている。
どうしてこの様な資料があるのか、
不思議に思う人も居るかもしれない。
当時、日本と米国でスバルの商品には差がありすぎた。
そういう部分が面白くて、逆輸入を手がけたので
カタログが手元に揃っていた。
今から18年前にスバル初のSUVが誕生した瞬間だ。
この時、まだグランドワゴンはこの世に無い。
嵩上げ車高でも無ければ、
バンパーもほぼ同じだ。
ところがアウトバックは馬鹿ウケした。
何を隠そう当社も即座に発注した。
標準色のスプルスと呼ばれる独特の緑色も素敵だが、
ボディ下部をホイールアーチに沿ってスレートに塗り分けたセンスが良かった。
元々4WDの踏破力には定評があった。
初代アウトバックはL Wagonをベースにアクティブセイフティグループを標準装備し、
ツートンカラーにしただけのクルマだった。
アクティブセイフティグループというのは、
フルタイムAWDシステムに4輪ディスクブレーキ、ABS、
オートクルーズのオプション装備だ。
ところがツートンカラーにして、
195/60HR15のオールシーズンタイヤを装着しただけで、
雰囲気ががらりと変わった。
シートも専用の上質なクロスにして
1色に絞り込んだだけなのに別のクルマのような印象になった。
前後のカラードスプラッシュボードと
ルーフラックも装備し、カーゴルームに排気ファンやフックに加え、
12Vのアウトプットも用意した。
フォグランプもプロジェクター式なのが功を奏し、
ちょっと専用ホイールと並んで特別感がある。
ここを読むと、
アウトバックはSUVでは無く、むしろその上を行くカテゴリーキラーとしての自信すらうかがえる。
ここまで明確にしたら、
でたらめだ、と言う言葉が決して暴言では無いことが解るだろう。
冒頭のレオーネ スキーヤーズスペシャルは、
市場から発せられる、
度重なるステーションワゴン待望論に対して、
開発部門が決して応えようとしなかった時に、
販売の最前線に居る国内営業部門が思いついたウルトラCだった。
後席が狭くて使いづらいという、
お客様からの改善提案を無視し続け(笑)、
エステートバン(極めて奇妙な名称)に専用のチェック柄のトリコットシートを与え、
スタイリッシュなルーフラックを奢った。
そしてその後の上下塗り分けのツートン化に繋がる「サイドストライプ(死語)」をセンス良く身につけた。
このクルマはオリジナルのホイールでは無いが、
当時の人気アイテムだったのがホワイトに塗装された、
「8(エイト)スポークホイール」と、
「アルミ製アンダーガード」に加え、
「フロントガード+シビエのフォグランプ」だった。
こうしたコンセプトがあったから、
米国でも「窮鼠猫を噛む」ような「初代アウトバック」開発が出来たと考えている。
そういうわけで、
少しでもスバルのSUV誕生を知る上で参考になれば嬉しい。
このクルマの大成功を受けて、
1995年のニューヨークオートショウで
本格的なアウトバックが発表され、
その年の8月から日米同時発売される運びとなった。
それが10月号のカートピアで語られている
「日本におけるグランドワゴン」だ。
初代アウトバックの大成功は
フォレスターの誕生にも大きく貢献している。
フェロールームの皆さんには
失礼な表現があったかもしれない。
それは先日、若手社員の皆さんにお会いし、
彼等から素晴らしいモチベーションを感じたので、
「愛のムチ」を与えたと思って欲しい。
今後も楽しい企画を期待している。
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韮崎のaki
at 2012-10-10 22:57
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レオーネ、懐かしいです。
子供のころ、リアシートをフラットにして、布団敷いて下道で志賀高原スキーに出かけたワクワク、子煩悩な親父と、どんな雪道も走破したデュアルレンジ4WDのレオーネに感謝です。
ちなみに、我が家ではレオーネのことを、「ヨンダブ」という愛称?で呼んでました。
まさにスバル車は我が家のLEGACYです。
子供のころ、リアシートをフラットにして、布団敷いて下道で志賀高原スキーに出かけたワクワク、子煩悩な親父と、どんな雪道も走破したデュアルレンジ4WDのレオーネに感謝です。
ちなみに、我が家ではレオーネのことを、「ヨンダブ」という愛称?で呼んでました。
まさにスバル車は我が家のLEGACYです。
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b-faction at 2012-10-11 06:55
韮崎のaki さん、おはようございます。懐かしいですね、「ヨンダブ」はレオーネの別称でしたね。このシリーズの最終型に出来たRXは
欲しくてもまだ自分の実力では買えないあこがれのクルマでした。
欲しくてもまだ自分の実力では買えないあこがれのクルマでした。
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福島
at 2012-10-13 11:13
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私もレオーネにインパクトが残っています。
小学校低学年の頃、体育の先生が乗っていた人気アイテムフル装備の車体にいつも「かっこいいなぁ~」とジロジロ見ていた記憶があります。
その先生もレオーネのイメージが被ってすごく「かっこいいな」と思ってました。
その印象が残っていたのか自分が車を買うときにBG5のオプションでフロントガード(風パイプ)+大型フォグランプ付きのバンパーを選んだぐらいです。
いつの間にか「刷り込み」されていた気がしますが、すごく良い「刷り込み」です。今までも、これからもスバル好きですから。
未来のスバリストの為にこれからも「かっこいい」車に期待しています。
小学校低学年の頃、体育の先生が乗っていた人気アイテムフル装備の車体にいつも「かっこいいなぁ~」とジロジロ見ていた記憶があります。
その先生もレオーネのイメージが被ってすごく「かっこいいな」と思ってました。
その印象が残っていたのか自分が車を買うときにBG5のオプションでフロントガード(風パイプ)+大型フォグランプ付きのバンパーを選んだぐらいです。
いつの間にか「刷り込み」されていた気がしますが、すごく良い「刷り込み」です。今までも、これからもスバル好きですから。
未来のスバリストの為にこれからも「かっこいい」車に期待しています。
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b-faction at 2012-10-13 14:40
福島さん、こんにちは。この頃のスバルもかっこいいんですが、飽きない味があるところもたまらなく良いですね。たとえばデビューした時の評価が良くなかった二代目と三代目のインプレッサの顔を見て下さい。丸めの魚眼レンズは今もう一度復活させたいくらいの味があります。またにやっと笑った三代目のグリルはビームスのロゴマークと相性ばっちりです。ところで、9月の開田行きは大丈夫でしたか。国道19号線が長時間の通行止めで心配しました。
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福島
at 2012-10-14 01:19
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社長様 ご心配ありがとうございます。
9月の開田行きは道中になかなか色々な事がありましたよ~
東名阪では集中豪雨で高速が川になっていたりして…とどめは19号線でした。中津川で下りたのですが、電光掲示板に「通行止」の文字が…。迷ったのですが、逃げ道がないので諦めて再度高速に戻って権兵衛峠から開田に入りました。
予定が遅れましたが、一緒に行った全員が満足して無事帰れました。
9月の開田行きは道中になかなか色々な事がありましたよ~
東名阪では集中豪雨で高速が川になっていたりして…とどめは19号線でした。中津川で下りたのですが、電光掲示板に「通行止」の文字が…。迷ったのですが、逃げ道がないので諦めて再度高速に戻って権兵衛峠から開田に入りました。
予定が遅れましたが、一緒に行った全員が満足して無事帰れました。
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b-faction
at 2012-10-14 06:35
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それは良かった。あの日は午後3時頃まで通れなかったようです。あっという間に1月経ちましたね
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福島
at 2012-10-14 23:55
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社長様
後で事故の状況を確認してみたら早朝からずっと通行止めだったみたいですね。開田に着いたのが遅くなったので人出のピークは過ぎていたのでしょうが、心なしか人が少ないように感じました。
わずか一ヶ月ですがあの夏の喧騒が懐かしく感じる位に山は表情を変えているんでしょうね。
山の澄んだ空気感を味わいに一人ででもふらっと行きたいぐらいですが、中々そうはいかないので、また「収穫祭」(?)に行ければお邪魔致します。
後で事故の状況を確認してみたら早朝からずっと通行止めだったみたいですね。開田に着いたのが遅くなったので人出のピークは過ぎていたのでしょうが、心なしか人が少ないように感じました。
わずか一ヶ月ですがあの夏の喧騒が懐かしく感じる位に山は表情を変えているんでしょうね。
山の澄んだ空気感を味わいに一人ででもふらっと行きたいぐらいですが、中々そうはいかないので、また「収穫祭」(?)に行ければお邪魔致します。
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b-faction at 2012-10-15 06:37
by b-faction
| 2012-10-10 16:55
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