ポルシェの変遷とBRZ
2012年 12月 18日
久しぶりにシュツッドガルトを訪れた。
色々調べたいことが山積していたからだ。
ベンツ博物館も候補だったが今回はポルシェミュージアムを選んだ。1年半ぶりで2度目になる。
エスカレーターを上ると真っ先に迎えてくれるのがこのTyp64だ。何度見てもゾクゾクする。
他にも偉大な展示物が沢山ある。
ベンツミュージアムでも、最初に置かれたオブジェから強烈なオーラを感じた。
ここも同様で、初めて目にする展示物は何か得体の知れない「気」を放つ。
これはフェルデナンド ポルシェ博士が設計し生産したスポーツカーだ。
たった厚さ1.5mmのアルミニュームで作られている。
1939年にベルリン-ローマ間で繰り広げられるレースのために開発されたマシンだ。
それまで単なる設計会社に過ぎなかったポルシェが、
初めて自らのために威信と誇りを掛けた記念すべきクルマなのかもしれない。
どうも「ポルシェブランド」の原点だと思えてならなかった。
排気量1131ccのエンジンを33psにチューンアップし、
当時では驚異的な時速140キロを可能にしていた。
このマシンの銘板にはエンジン型式が無い。
「4-Zil.Boxer」とあるべきはずだが、あえて書かかれていないように思われた。
とてもミステリアスなその理由も、そこら中にゴロゴロ転がっている。
クルマの謎を解き明かすネタがふんだんに溢れている。だから博物館巡りに搔き立てられるのだ。
メモを片手に様々な展示物を嗅ぎ回る(笑)
目や耳から入った情報を指先から可能な限り出力することで、また新たな発見がある。
スバル好きなら誰だってポルシェの水平対向エンジンにも興味津々だ。
話題がそれるのでその辺りはまたの機会に紹介したい。
ダイムラーの技術者だったポルシェは、退職してからヒトラーに随分可愛がられたらしい。
ドイツの国民車構想「VWヴィートル」の開発にポルシェ博士が関わったことは有名だ。
そのポルシェが単なる設計事務所から、自動車製造会社に蛻変を始めたのが1939年だとすると、
その時スバルの前身である中島飛行機は何をしていたか。
歴史は正直である。海外で世界情勢を俯瞰したら面白い事実が見えた。
その年、既に国内最大の航空機製造会社だった中島飛行機は、
一年間に1177機の航空機を製造した。
陸軍機を673機
海軍機を489機
民間機を15機
更に凄いのは発動機(エンジン)製造会社としての実績だ。
2538基という膨大な数の航空機用エンジンを製造し、
三菱を初めとするその他の航空機メーカーにも供給していた。
創業者「中島知久平」がこの会社を興したのは、
大正6年(西暦1917年)12月10日の事だ。
その17年前、ダイムラーの一技術者だったポルシェは驚くべき発明をしている。
これが人類初の自動車用ハイブリッドシステム、
「ハブモーター ローナ-ポルシェ ハイブリット」だ。
ポルシェが24歳の時に発明したハイブリッドは
2.5PSのインホイールモーター式で時速50キロまで速度を出すことが出来た。
これは西暦1900年に開かれたパリ万博でグランプリを受賞した。
こうした両社の時系列における比較と、
その変遷に興味があった。
スバルが初めて作った本格的なスポーツカーは、ポルシェにも大きな刺激を与えている。
「ボクスターより良いじゃ無いか」と言うコメントも海外から聞こえ始めた。
なにしろスポーツカーただ一本で時代を切り開いてきたポルシェさえ、
SUVや4ドアの乗用車を作らないと生き残れない時代だ。
そこへスバルとトヨタががっちりスクラムを組み、
ボクサーエンジンを搭載した素敵なスポーツカーを安価で供給した。
それが世界中で大喝采を受けているとなれば、
彼等が黙っているはずが無い。
きっと面白いクルマを出してくるだろう。
その背景に何があるのか。
それを歴史は正直に物語っていた。
BRZを工房に置いてもう一度良く眺めてみた。
美しい。
最初に付き合いを始めたRAから、このトップグレードのSに乗り換え、
両方合わせて既に1万5千キロ以上走り、じっくりと付き合ってきた。
ほとんどのスバルはスタータースイッチを右側に持つ。
このSに乗り始めた頃、
始動させるつもりでトランクをしばしば開けてしまった。
なぜ左側にあるのか、
スポーツカーライフを楽しむうちに解った。
ひとそれぞれに走り出すまでの手順があると思う。
決まった手順を大切にすること。
数多くのクルマに乗る人ほどそれが重要だ。
ちょっとした過ちが誤発進などの事故に直結する。
だから、
自分の手順を軽視せず、時には無意識で何をしているか見直すと良い。
スポーツカーは走行性能を楽しめる代わりに、犠牲も少なからず持つ。
特に二人乗りだと、購入の対象にならないことさえある。
でもBRZは4人乗れるし、乗り降りの時に感じるストレスも比較的少ない。
毎日の脚として使って、トランクの使いやすさに感心した。
中も思った以上に広いし、開け閉めも楽だ。
会社の帰りに立ち寄るスポーツジムで荷物を素早く出し入れできる。
クルマに乗り走り出すまでの手順を紹介しよう。
まずドアを開けたら重要なモノだけ車内に置く。
ボタンを押してポンとトランクを開け、
様々なスポーツギヤを収納する。
この位置にトランクオープナーがあるおかげで、立ったまま楽に行える。
なぜトランクリッドのスイッチや、キーレスオープナーを使わないのかというと、
RA大好き人間しかやらない「オオボケ」をしでかした過去があるからだ。
インプレッサWRXのRAにはトランクオープナーすら装着されていない。
キーでしか開けることが出来ないので、
何かの拍子にトランクの中にキーを置き忘れ、
そのまま閉じると大変やっかいなことになる。
近くにスペアキーがあるとは限らない。
そういうわけで、手に荷物を複数抱えているような時、
絶対にまずドアを開け重要な物を車内に放り込んだら、
次にトランクに入れる物だけを持って解錠する癖を付けた。
そうすればトランク内にキーを置き忘れる可能性が減るからだ。
スパルタンなクルマほど、
そういう意識が働く。
外から先にキーを差し込むこともある。
そして着座したら気持ちをスポーツカーに合わせて切り替える事が大切だ。
必ずドアを閉めたら真っ先にシートベルトを締める。
次にブレーキを踏んでスタータースイッチを押し、
ボクサーエンジンを目覚めさせたら、
MTならギヤをローに入れ(あるいはR)、ATならDレンジにセットする。
そして最後にサイドブレーキを解除する。
この手順を軽視すると、
誤発進させたりするようなケアレスミスを誘発する。
一連の操作を全て左手で流れるように進められる。
しかも、
シフトレバー周辺のクオリティは極めて高く、
スイッチを押したりセレクターを操作する感覚が楽しい。
まるでスポーツギアに触れた時のように気持ちが引き締まり、またある時は燃え上がる。
というわけで、
左側にスタータースイッチを設けた理由を勝手に妄想した。
BRZと3月の終わりから深く付き合い季節の変化を楽しんで来たが、
いよいよ冬のスポーツカーライフを楽しむ準備が必要になった。
それは靴を変える事だ。
最初からこのクルマに通常のスタッドレスタイヤを付けるつもりは全く無く、
「ウインタースポーツタイヤ」の装着を決心していた。
この聞き慣れない言葉を丁寧に説明するためにヨーロッパのタイヤ事情を調べた。
ドイツでは自動車部品メーカーに勤務されている、
Keisuke Inoueさんから協力を得た。
この場を借りて感謝を申し上げたい。
補足修正すべき事項があればご遠慮なくコメントを頂きたい。
コンチネンタルやミシュランにも良い物があるけれど、
BRZにピレリ製のウインタースポーツタイヤを選んだ。
実はもう10年もの長きにわたりピレリの冬タイヤと付き合っている。
懇意にしているお客様のベンツに装着して、重量級の後輪駆動車における総合性能も確認した。
ただ残念なことに、現在どの国産メーカーもこの手のタイヤを積極的に開発していない。
ダンロップの社内にも熱心なブログ愛読者が居るので、
念のために申し添えると、
ドイツで借りたレンタカーには、この様な面白いタイヤが装着されていた。
日本とは大きく事情が異なり
「スパイクレススパイクタイヤ」誕生の地では、
遙かにタイヤのバリエーションが多い。
ぜひ参考にして頂きBRZ愛好者の心にグッと刺さる商品開発を進めて欲しい。
ドイツ国内では今年の11月1日からウインターラジアルを装着しないとドライバーに罰金が課せられる。
すでに2010年12月に道路交通法が改正され、「ウィンタータイヤ」という単語も消えた。
現地で学んだタイヤ事情を分析してみよう。
まずのドイツの道路交通法に「冬の天候状況」と記された部分が、
明確に「氷結路、圧雪路、シャーベット状雪路、氷着路、霜着路」と改められた。
その上で、そういう状況下で使用してよいタイヤは「現行のEUガイドラインを満たすM+Sタイヤだけ」と定められた。
ただしM+Sタイヤは現状のEUガイドラインにおいて
「泥と新雪もしくは半融雪での走行性能が通常のタイヤより優れているもの」としか定義されていない。
それでその曖昧さを補正するため、タイヤに「冬期の天候状況に適している」と明確に示す必要が生じた。
それがこのマークだ。
それでEUでこれらの問題を委員会を組織して協議した結果、「雪山マーク(山と雪の結晶のマーク)」を適合するタイヤに標記させる事になった。
従って2017年11月1日以降はこのマークが付いているタイヤしか冬期の道路状況で使用することができない。
(使用中のタイヤなら2017年11月1日までは移行猶予期間なのでM+Sマークだけでも大丈夫なため)
すると法律上、たとえ冬であっても上記の条件が無い場所では夏タイヤの使用が可能とも言える。
しだが気温が下がるとサマータイヤのグリップ力は想像以上に落ちる。
そこでドイツのADAC(日本のJAFに相当)が中心になり、「冬タイヤ」の使用を積極的に推奨している。
冬期は凍結の恐れがあるばかりでなく、夏タイヤのままではゴムが硬化して路面を上手く捉えられない。
新しいインプレッサ等で外気温度が「+3℃以下」になると警報が吹聴するのを聞いたことがあるだろう。
あれは「サマータイヤでは危険だ!」と知らせる働きをしている。
ちなみに日本では、急な降雪の際に夏タイヤのまま走っている車をよく見かける。
この行為はドイツだと、点数1点加算と40ユーロの罰金の「取り締まり対象」になる。
駐車している車は対象外だが、それがもし交通の妨げになったり交通の安全を脅かせば罰金の対象になる。
そして万一事故を引き起こした場合には、更なる罰金が課せられる。
日本でもこのような「警察官の誇り」を尊重した、
積極的な安全を啓蒙させる取り締まりを進めるべきだ。政権交代した為政者に、特にお願いしたい。
現に日本では今のところ全てのタイヤメーカーが「冬タイヤ イコール スタッドレス」の開発しかしていない。
そこに以前から物足りなさを感じている。
今年、秋の感謝ディでピレリのウインタースポーツタイヤを取り上げたが、
お客様の興味はスタッドレスタイヤに集中した。
今もお客様に「冬タイヤ」がスタッドレスだけでは無いことを説明し、
その後で「EUウインター」か「日本的スタッドレス」のどちらが適切かアドバイスしている。
解り易く言うと冬タイヤの中に、日本のようなスタッドレスタイヤとドイツのヴィンターライフェン(ウインタータイヤ)があると思えば良い。
蛇足だがスカンジナビア半島で良く使われるタイヤは、この中間にあたるソフトコンパウンドだ。
ちょうど日本のスタッドレスとEUウインターの間に相当し「ノルディック」と称されている。
いずれにせよ、ドイツでウインタータイヤの定義が明確になったので、
日本におけるタイヤ選択を含めた「冬の安全運転啓蒙活動」に良い影響を与えるだろう。
冬タイヤにも駆動方式同様に「使い分けの時代」がようやく訪れたわけだから、
カテゴリの内容はこれからも刻々と変化するだろう。
氷上性能だけをターゲットにするなら、禁止されたスパイク>スタッドレス>ノルディック>ウインターの順で効果がある。
ところが冬期のドライ&ウエットにおける走行性能はウインター>ノルディック>スタッドレス>>スパイクだ。
そして気を付けなければいけないのは「現状のM+Sタイヤ」だ。
新しいフォレスターに装着されているデューラーH/LやジオランダーにはM+Sの表示がある。
S=Snowと捉え冬でも使える?と思い込み「凍った路面でもOK?」と誤解させてしまいかねない。
ドイツで試乗したXVディーゼルもジオランダーを履いていた。でもあれはEUガイドライン上の氷上性能を満たしていない。
従ってこれらは「冬タイヤ」では無いと肝に命ずる必要がある。
また付け加えておくと「格安冬タイヤ」が単純に大手メーカーのパターンをコピーしただけのものであり、
きちんと性能が出ていないという事実がドイツにおける法改正を喚起したと思われる。
ちなみにヨーロッパにはオールシーズンタイヤも存在する。
既にそのようなタイヤを日本でお使いなら、M+Sと雪山マークの両方が付いているはずだ。
最新のスバルに乗るスバリストには、こういう選択範囲の広がりも嬉しい。
なぜなら全ての登録車(軽自動車以外)にVDCが標準装備されたからだ。これのおかげで用途に応じて様々な駆動方式とタイヤの組み合わせができる。
最新のインプレッサFWDで雪道を走った楽しさが思い出される。
さて、BRZにピレリのヴィンターライフェン(冬タイヤ)を装着した。
その時の気温は4℃。
早速高速道路でドライバビリティを確かめる。
気温は上昇し7℃になった。
冬タイヤに履き換える気温だと覚えておくと良い。
鉄ホイールとの組み合わせがこれほど楽しいとは思わなかった。
昔は冬タイヤには「てっちんホイール」が合い言葉だった。
今ではアルミホイールの標準化が進み価格も下落して鉄ホイールの影はうすい。
RA用の鉄ホイールに組み付けたピレリの味を確かめながら、
制限速度までスピードを上げる。
約200キロ走行した後の、
右前輪
そして
右後輪
更に
左後輪
独特なパターンが目を引くが、ここで良く見て欲しいのは高速のドライ路面でタイヤがどう変化したか。
タイヤの性能に頼ること無く、性能を出すBRZの素性が如実に表れている。
またスタッドレスタイヤでもこうはいかない。
ピレリを履いて楽しくなった理由はタイヤのコンパウンドや、剛性やパターンによるもので、
高い操縦安定性を発揮しグリップも抜群だ。
しかもスタッドレスにありがちなニュルニュル感が全く無い。
そして同時に鉄ホイールの持つ粘りも実感できた。
アルミの軽さとは異なる良さが出ていた。
こうしてウインタースポーツタイヤをしっかり履いて、
スポーツカーライフを楽しむと、忘れられないあの味が懐かしくなる。
MTの最軽量モデルRA(レコードアテンプト)だ。
するとどうだ、車種変更で行き場を失ったRAが目の前に現れた。
運命の出会いを感じ、もう一度MTで冬のスポーツカーライフを極めることにした。
今度の相棒には可愛い名前を付けた。
「きゅうはち」と呼んでやって欲しい。
これからまず中古のスタッドレスタイヤを履かせ馴らしに行ってくる。
その後で「てっちん」(笑)に交換する予定だ。
来年凍結した女神湖でどんな走りが楽しめるのか、
今からワクワクしている。
色々調べたいことが山積していたからだ。
ベンツ博物館も候補だったが今回はポルシェミュージアムを選んだ。1年半ぶりで2度目になる。
エスカレーターを上ると真っ先に迎えてくれるのがこのTyp64だ。何度見てもゾクゾクする。
他にも偉大な展示物が沢山ある。
ベンツミュージアムでも、最初に置かれたオブジェから強烈なオーラを感じた。
ここも同様で、初めて目にする展示物は何か得体の知れない「気」を放つ。
これはフェルデナンド ポルシェ博士が設計し生産したスポーツカーだ。
たった厚さ1.5mmのアルミニュームで作られている。
1939年にベルリン-ローマ間で繰り広げられるレースのために開発されたマシンだ。
それまで単なる設計会社に過ぎなかったポルシェが、
初めて自らのために威信と誇りを掛けた記念すべきクルマなのかもしれない。
どうも「ポルシェブランド」の原点だと思えてならなかった。
排気量1131ccのエンジンを33psにチューンアップし、
当時では驚異的な時速140キロを可能にしていた。
このマシンの銘板にはエンジン型式が無い。
「4-Zil.Boxer」とあるべきはずだが、あえて書かかれていないように思われた。
とてもミステリアスなその理由も、そこら中にゴロゴロ転がっている。
クルマの謎を解き明かすネタがふんだんに溢れている。だから博物館巡りに搔き立てられるのだ。
メモを片手に様々な展示物を嗅ぎ回る(笑)
目や耳から入った情報を指先から可能な限り出力することで、また新たな発見がある。
スバル好きなら誰だってポルシェの水平対向エンジンにも興味津々だ。
話題がそれるのでその辺りはまたの機会に紹介したい。
ダイムラーの技術者だったポルシェは、退職してからヒトラーに随分可愛がられたらしい。
ドイツの国民車構想「VWヴィートル」の開発にポルシェ博士が関わったことは有名だ。
そのポルシェが単なる設計事務所から、自動車製造会社に蛻変を始めたのが1939年だとすると、
その時スバルの前身である中島飛行機は何をしていたか。
歴史は正直である。海外で世界情勢を俯瞰したら面白い事実が見えた。
その年、既に国内最大の航空機製造会社だった中島飛行機は、
一年間に1177機の航空機を製造した。
陸軍機を673機
海軍機を489機
民間機を15機
更に凄いのは発動機(エンジン)製造会社としての実績だ。
2538基という膨大な数の航空機用エンジンを製造し、
三菱を初めとするその他の航空機メーカーにも供給していた。
創業者「中島知久平」がこの会社を興したのは、
大正6年(西暦1917年)12月10日の事だ。
その17年前、ダイムラーの一技術者だったポルシェは驚くべき発明をしている。
これが人類初の自動車用ハイブリッドシステム、
「ハブモーター ローナ-ポルシェ ハイブリット」だ。
ポルシェが24歳の時に発明したハイブリッドは
2.5PSのインホイールモーター式で時速50キロまで速度を出すことが出来た。
これは西暦1900年に開かれたパリ万博でグランプリを受賞した。
こうした両社の時系列における比較と、
その変遷に興味があった。
スバルが初めて作った本格的なスポーツカーは、ポルシェにも大きな刺激を与えている。
「ボクスターより良いじゃ無いか」と言うコメントも海外から聞こえ始めた。
なにしろスポーツカーただ一本で時代を切り開いてきたポルシェさえ、
SUVや4ドアの乗用車を作らないと生き残れない時代だ。
そこへスバルとトヨタががっちりスクラムを組み、
ボクサーエンジンを搭載した素敵なスポーツカーを安価で供給した。
それが世界中で大喝采を受けているとなれば、
彼等が黙っているはずが無い。
きっと面白いクルマを出してくるだろう。
その背景に何があるのか。
それを歴史は正直に物語っていた。
BRZを工房に置いてもう一度良く眺めてみた。
美しい。
最初に付き合いを始めたRAから、このトップグレードのSに乗り換え、
両方合わせて既に1万5千キロ以上走り、じっくりと付き合ってきた。
ほとんどのスバルはスタータースイッチを右側に持つ。
このSに乗り始めた頃、
始動させるつもりでトランクをしばしば開けてしまった。
なぜ左側にあるのか、
スポーツカーライフを楽しむうちに解った。
ひとそれぞれに走り出すまでの手順があると思う。
決まった手順を大切にすること。
数多くのクルマに乗る人ほどそれが重要だ。
ちょっとした過ちが誤発進などの事故に直結する。
だから、
自分の手順を軽視せず、時には無意識で何をしているか見直すと良い。
スポーツカーは走行性能を楽しめる代わりに、犠牲も少なからず持つ。
特に二人乗りだと、購入の対象にならないことさえある。
でもBRZは4人乗れるし、乗り降りの時に感じるストレスも比較的少ない。
毎日の脚として使って、トランクの使いやすさに感心した。
中も思った以上に広いし、開け閉めも楽だ。
会社の帰りに立ち寄るスポーツジムで荷物を素早く出し入れできる。
クルマに乗り走り出すまでの手順を紹介しよう。
まずドアを開けたら重要なモノだけ車内に置く。
ボタンを押してポンとトランクを開け、
様々なスポーツギヤを収納する。
この位置にトランクオープナーがあるおかげで、立ったまま楽に行える。
なぜトランクリッドのスイッチや、キーレスオープナーを使わないのかというと、
RA大好き人間しかやらない「オオボケ」をしでかした過去があるからだ。
インプレッサWRXのRAにはトランクオープナーすら装着されていない。
キーでしか開けることが出来ないので、
何かの拍子にトランクの中にキーを置き忘れ、
そのまま閉じると大変やっかいなことになる。
近くにスペアキーがあるとは限らない。
そういうわけで、手に荷物を複数抱えているような時、
絶対にまずドアを開け重要な物を車内に放り込んだら、
次にトランクに入れる物だけを持って解錠する癖を付けた。
そうすればトランク内にキーを置き忘れる可能性が減るからだ。
スパルタンなクルマほど、
そういう意識が働く。
外から先にキーを差し込むこともある。
そして着座したら気持ちをスポーツカーに合わせて切り替える事が大切だ。
必ずドアを閉めたら真っ先にシートベルトを締める。
次にブレーキを踏んでスタータースイッチを押し、
ボクサーエンジンを目覚めさせたら、
MTならギヤをローに入れ(あるいはR)、ATならDレンジにセットする。
そして最後にサイドブレーキを解除する。
この手順を軽視すると、
誤発進させたりするようなケアレスミスを誘発する。
一連の操作を全て左手で流れるように進められる。
しかも、
シフトレバー周辺のクオリティは極めて高く、
スイッチを押したりセレクターを操作する感覚が楽しい。
まるでスポーツギアに触れた時のように気持ちが引き締まり、またある時は燃え上がる。
というわけで、
左側にスタータースイッチを設けた理由を勝手に妄想した。
BRZと3月の終わりから深く付き合い季節の変化を楽しんで来たが、
いよいよ冬のスポーツカーライフを楽しむ準備が必要になった。
それは靴を変える事だ。
最初からこのクルマに通常のスタッドレスタイヤを付けるつもりは全く無く、
「ウインタースポーツタイヤ」の装着を決心していた。
この聞き慣れない言葉を丁寧に説明するためにヨーロッパのタイヤ事情を調べた。
ドイツでは自動車部品メーカーに勤務されている、
Keisuke Inoueさんから協力を得た。
この場を借りて感謝を申し上げたい。
補足修正すべき事項があればご遠慮なくコメントを頂きたい。
コンチネンタルやミシュランにも良い物があるけれど、
BRZにピレリ製のウインタースポーツタイヤを選んだ。
実はもう10年もの長きにわたりピレリの冬タイヤと付き合っている。
懇意にしているお客様のベンツに装着して、重量級の後輪駆動車における総合性能も確認した。
ただ残念なことに、現在どの国産メーカーもこの手のタイヤを積極的に開発していない。
ダンロップの社内にも熱心なブログ愛読者が居るので、
念のために申し添えると、
ドイツで借りたレンタカーには、この様な面白いタイヤが装着されていた。
日本とは大きく事情が異なり
「スパイクレススパイクタイヤ」誕生の地では、
遙かにタイヤのバリエーションが多い。
ぜひ参考にして頂きBRZ愛好者の心にグッと刺さる商品開発を進めて欲しい。
ドイツ国内では今年の11月1日からウインターラジアルを装着しないとドライバーに罰金が課せられる。
すでに2010年12月に道路交通法が改正され、「ウィンタータイヤ」という単語も消えた。
現地で学んだタイヤ事情を分析してみよう。
まずのドイツの道路交通法に「冬の天候状況」と記された部分が、
明確に「氷結路、圧雪路、シャーベット状雪路、氷着路、霜着路」と改められた。
その上で、そういう状況下で使用してよいタイヤは「現行のEUガイドラインを満たすM+Sタイヤだけ」と定められた。
ただしM+Sタイヤは現状のEUガイドラインにおいて
「泥と新雪もしくは半融雪での走行性能が通常のタイヤより優れているもの」としか定義されていない。
それでその曖昧さを補正するため、タイヤに「冬期の天候状況に適している」と明確に示す必要が生じた。
それがこのマークだ。
それでEUでこれらの問題を委員会を組織して協議した結果、「雪山マーク(山と雪の結晶のマーク)」を適合するタイヤに標記させる事になった。
従って2017年11月1日以降はこのマークが付いているタイヤしか冬期の道路状況で使用することができない。
(使用中のタイヤなら2017年11月1日までは移行猶予期間なのでM+Sマークだけでも大丈夫なため)
すると法律上、たとえ冬であっても上記の条件が無い場所では夏タイヤの使用が可能とも言える。
しだが気温が下がるとサマータイヤのグリップ力は想像以上に落ちる。
そこでドイツのADAC(日本のJAFに相当)が中心になり、「冬タイヤ」の使用を積極的に推奨している。
冬期は凍結の恐れがあるばかりでなく、夏タイヤのままではゴムが硬化して路面を上手く捉えられない。
新しいインプレッサ等で外気温度が「+3℃以下」になると警報が吹聴するのを聞いたことがあるだろう。
あれは「サマータイヤでは危険だ!」と知らせる働きをしている。
ちなみに日本では、急な降雪の際に夏タイヤのまま走っている車をよく見かける。
この行為はドイツだと、点数1点加算と40ユーロの罰金の「取り締まり対象」になる。
駐車している車は対象外だが、それがもし交通の妨げになったり交通の安全を脅かせば罰金の対象になる。
そして万一事故を引き起こした場合には、更なる罰金が課せられる。
日本でもこのような「警察官の誇り」を尊重した、
積極的な安全を啓蒙させる取り締まりを進めるべきだ。政権交代した為政者に、特にお願いしたい。
現に日本では今のところ全てのタイヤメーカーが「冬タイヤ イコール スタッドレス」の開発しかしていない。
そこに以前から物足りなさを感じている。
今年、秋の感謝ディでピレリのウインタースポーツタイヤを取り上げたが、
お客様の興味はスタッドレスタイヤに集中した。
今もお客様に「冬タイヤ」がスタッドレスだけでは無いことを説明し、
その後で「EUウインター」か「日本的スタッドレス」のどちらが適切かアドバイスしている。
解り易く言うと冬タイヤの中に、日本のようなスタッドレスタイヤとドイツのヴィンターライフェン(ウインタータイヤ)があると思えば良い。
蛇足だがスカンジナビア半島で良く使われるタイヤは、この中間にあたるソフトコンパウンドだ。
ちょうど日本のスタッドレスとEUウインターの間に相当し「ノルディック」と称されている。
いずれにせよ、ドイツでウインタータイヤの定義が明確になったので、
日本におけるタイヤ選択を含めた「冬の安全運転啓蒙活動」に良い影響を与えるだろう。
冬タイヤにも駆動方式同様に「使い分けの時代」がようやく訪れたわけだから、
カテゴリの内容はこれからも刻々と変化するだろう。
氷上性能だけをターゲットにするなら、禁止されたスパイク>スタッドレス>ノルディック>ウインターの順で効果がある。
ところが冬期のドライ&ウエットにおける走行性能はウインター>ノルディック>スタッドレス>>スパイクだ。
そして気を付けなければいけないのは「現状のM+Sタイヤ」だ。
新しいフォレスターに装着されているデューラーH/LやジオランダーにはM+Sの表示がある。
S=Snowと捉え冬でも使える?と思い込み「凍った路面でもOK?」と誤解させてしまいかねない。
ドイツで試乗したXVディーゼルもジオランダーを履いていた。でもあれはEUガイドライン上の氷上性能を満たしていない。
従ってこれらは「冬タイヤ」では無いと肝に命ずる必要がある。
また付け加えておくと「格安冬タイヤ」が単純に大手メーカーのパターンをコピーしただけのものであり、
きちんと性能が出ていないという事実がドイツにおける法改正を喚起したと思われる。
ちなみにヨーロッパにはオールシーズンタイヤも存在する。
既にそのようなタイヤを日本でお使いなら、M+Sと雪山マークの両方が付いているはずだ。
最新のスバルに乗るスバリストには、こういう選択範囲の広がりも嬉しい。
なぜなら全ての登録車(軽自動車以外)にVDCが標準装備されたからだ。これのおかげで用途に応じて様々な駆動方式とタイヤの組み合わせができる。
最新のインプレッサFWDで雪道を走った楽しさが思い出される。
さて、BRZにピレリのヴィンターライフェン(冬タイヤ)を装着した。
その時の気温は4℃。
早速高速道路でドライバビリティを確かめる。
気温は上昇し7℃になった。
冬タイヤに履き換える気温だと覚えておくと良い。
鉄ホイールとの組み合わせがこれほど楽しいとは思わなかった。
昔は冬タイヤには「てっちんホイール」が合い言葉だった。
今ではアルミホイールの標準化が進み価格も下落して鉄ホイールの影はうすい。
RA用の鉄ホイールに組み付けたピレリの味を確かめながら、
制限速度までスピードを上げる。
約200キロ走行した後の、
右前輪
そして
右後輪
更に
左後輪
独特なパターンが目を引くが、ここで良く見て欲しいのは高速のドライ路面でタイヤがどう変化したか。
タイヤの性能に頼ること無く、性能を出すBRZの素性が如実に表れている。
またスタッドレスタイヤでもこうはいかない。
ピレリを履いて楽しくなった理由はタイヤのコンパウンドや、剛性やパターンによるもので、
高い操縦安定性を発揮しグリップも抜群だ。
しかもスタッドレスにありがちなニュルニュル感が全く無い。
そして同時に鉄ホイールの持つ粘りも実感できた。
アルミの軽さとは異なる良さが出ていた。
こうしてウインタースポーツタイヤをしっかり履いて、
スポーツカーライフを楽しむと、忘れられないあの味が懐かしくなる。
MTの最軽量モデルRA(レコードアテンプト)だ。
するとどうだ、車種変更で行き場を失ったRAが目の前に現れた。
運命の出会いを感じ、もう一度MTで冬のスポーツカーライフを極めることにした。
今度の相棒には可愛い名前を付けた。
「きゅうはち」と呼んでやって欲しい。
これからまず中古のスタッドレスタイヤを履かせ馴らしに行ってくる。
その後で「てっちん」(笑)に交換する予定だ。
来年凍結した女神湖でどんな走りが楽しめるのか、
今からワクワクしている。
by b-faction
| 2012-12-18 17:33
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Comments(1)