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改めて軽自動車の歴史を紐解き「悲劇のR-2」と「しぶといレックス」を見直す。

デザートカーキのXVが届いた。
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現物を見たのは初めてだが、
ブラックの内装色とエクステリアの樹脂パーツが奏でる、
お洒落カラーの協奏曲は「スバルエッセンス」を辺り一面に振り撒く。
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それもそのはずで、
この様な意外性のある専用色を、
スバルがSUVに採用したのは決して初めてのことでは無い
平成10年に発表されたランカスターを初めて見た時の印象に良く似ている。
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蓄積した文化の中から次の文化が花開く。

とても素晴らしいことだ。

オレンジにはもっと先輩がいる。
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以前も紹介したが
ザ・ニューレオーネ スイングバック1800 4WDだ。
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オレンジと言うより
この和歌山産のポンカンをむいて
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中身を取り出した時に感じるような瑞々しい色だった。
しかもサンドバギー風の小洒落たフォルムがオレンジと良く合ったし、
他にも明るいブルーがセンス良くまとまっていて人気があった。


XVをさっそくショールームに入れて、
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今日から1月の追い込みをと思ったとたん
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激しい雪が降り始めた。

こうして白銀の世界が広がると、オレンジの存在感が際立つ。
ショールームの外は雪で静まりかえっているが、
内側は活気に溢れている。
毎朝8時から一時間の朝礼で環境整備を続けている。
寒いシーズンは工房の磨き込みを皆の協力を得ながら進めている。
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足下を奇麗にするのはいつでも当たり前の様に出来るが、
工房全体を磨くのは容易ではないので、
シーズンプログラムとして数年間続けている。

視野が全く異なる高いところから工房を見ると、
新たな気づきや、思わぬ発見がある。
意識改革にも良い効果が期待できる。

全員高いところに上れないので、
他の部分の改善も進めている。
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この奥のスペースを有効活用しようと、
北原課長を中心に改善提案があった。

急激にバックオーダーが解消され、
本来なら四月と言われていた車両も全て群馬から届いた。
入荷した部品を取り付ける順番待ちで、
工場の中はごった返している。

だから忙しいが、
納期短縮した理由は年末の選挙以降
一部の車を除いて各社とも急激に売上が落ちたためで、
決して嬉しいことでは無い。

景気の荒波に翻弄されることは、
この業界では宿命と言える。
だからこそ、好調な時ほど次に備え思いを巡らす。
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この奥には名車が静かに眠っている。
さて、
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北原課長の提案は、
この地下の擁壁にワイヤメッシュを取り付けることだった。
この場所は梅雨時など湿っぽくなりやすい。
華やかな場所から澱んだ場所に視点を移すことが重要で、
改善意識を常に頭のどこかに置くことを徹底する。

一週間ほど掛けて丁寧に黒く防錆塗料を塗り、
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壁面に固定する。
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展示している中古のホイールと、
ほとんど使わないアルミの足場板を流用して装着完了。
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以前作ったタイミングベルトの構造見本をついでに飾る。
整備の説明をする時に役立つアイテムだ。
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ぶら下げてあったバンパーを他へ移動し、
壁際を整頓したら部品を取り付ける順に並べる。
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奇麗に部品を展示し、
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ゆっくり時間を掛けながら新型ステラ専用コーナーを作っていく。

設備を増やすためのコストは少ない上、
知恵とチームワークがとても濃くなる、
いわゆる一石二鳥という奴だ。

雪が酷くお客様も少ないので、
次のかわら版のドラフトを作ることにした。
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今回のポイントはこの部分だ。
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「スバルの軽」の歴史を紐解きながら、
様々な軽自動車に触れてきて、
その中で特に印象的だったクルマを紹介してみたくなった。
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誰もが良く知る「文化遺産」を動態保存できる幸せをしみじみと感じる。
ナンバーもあるのでいつでも公道を走れるが、
余程の理由が無ければ絶対に出さない。

もったいないからでは無く危険だから。
日本の軽自動車を根本的に変えた名車である事は事実だが、
現在の道路環境でこのクルマを走らせることは危険極まりない。

11年間も生産されチェンジレスチェンジを繰り返したK111(サブロク)は、
日本の大衆をモータリゼーションの中に溶け込ませていった。

広く人々に愛されたサブロクも
末期は哀れだった。

テレビの子供向けヒーロー番組で
真っ黒の艶消しに塗られた悪役のノリモノとして、
まるでゴミのように毎回爆破され痛々しかった。

かっこわるいクルマの代名詞になり、
乗る人も愛情を持たない人が増えていった。
中津川の駅前を
錆止めと称して「コールタール」をべたべたに塗りたくったサブロクが走り回る。
当時も「ニート」は居たのだ。
悪夢のような時代もあった。

そこに颯爽と登場したのがR-2だった。
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物凄い人気だった。
発表と共に注文書が机の上に堆く積まれていた。

当時のマーケットサイズから凄さを比較すれば、
昨年のインプレッサ好調など実は足下にも及ばない

父の元には二人の営業マンがいた。
当時の名古屋スバル多治見営業所から派遣された出向社員だった。
二人とも後に岐阜スバルで所長を務める有能な人材だったから、
物凄い勢いで新車を売りまくった。
当時のショールームの事務スペースには衝立があり、
そこに実績がグラフ表示されていたが「毎月何十台」もの新車を三人で売り続けた。

今でもR-2のことを
過去最高に美しく
その時代に良くマッチした「スバルの軽」だと思っている。

高度経済成長期における「スバル」がどのようなの売れ方をしたのか・・・・、
それはそれは見モノだった。
しかし・・・・・・
この時の教訓が「勝って兜の緒を締めよ」に繋がっている。
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初代社長の隆次郎が招かれた名古屋スバルの新年懇親会。
トレードマークだったベレー帽が懐かしい。

この時代、まだ岐阜スバルは存在しない。
スバルも発売からまだ10年経たず、
一県ごとにディーラーなど無かった。
岐阜市には名古屋スバル岐阜支店が置かれ、
当社は名古屋スバルの特約店だった。

皮肉なことに現在の中部地区は過去に戻りつつある。

急激に伸びるモノの怖さは幼い子供にも強烈な印象を植え付けた。
ある日突然、全く売れなくなった。
トレンドラインから外れたのだ。

キーワードは「コークボトルライン」。

流行の先端を行く「ミニカスキッパー」は鮮烈な印象を植え付けた。
日本中のクルマがそういう傾向に踊らせられた。

その後、再び「スラントノーズ」病が蔓延したが、
それ以上に「コークボトルライン症候群」はインフルエンザに似たすさましい流行病だった。

R-2は1969年8月15日の誕生から3年を満たずして主役の座から引きずり下ろされた。
1972年7月15日の事である。
レックスはその日に誕生した。
スバルの歴史上、R-2は最も短いモデルサイクルだった。
悲劇という理由はそこにある。

くさび形のボディを纏い、
「よしだたくろう」のフォークソングをひっさげてレックスは意気揚々とデビューした。

青春時代にラップするレックスは、
名前も耳障り良く、スタイルも大衆に迎合していた。

しぶとい芸能人のように、
息長くスバルの屋台骨を支えた。

また軽自動車が置かれていた環境も、
レックスを後押しした。

何と2度にわたる規格拡大の恩恵を受けている。
従ってスバルの軽乗用車史上唯一フルモデルチェンジを受けたクルマだ。
そしてまた、その恩恵をことごとく享受しきれなかった。

それでも生き残ったところに「しぶとさ」を感じる。

後輪駆動時代のレックスは、
規格拡大時に苦難を強いられている。
サイズは当時の規格に沿って拡大できたが
エンジンのキャパシティは500ccが精一杯だった。

レックス5と命名され市場投入されたが、
たった一年でレックス550にモデルチェンジした。

このレックス5を愛用したことがあるが、中々面白い車だった。
人生で最初で最後の「ロールオーバー」を経験したからだ。
笑い話で済んだから良いが、
クルマでも蹴躓くのだと、妙に感心した。

まず1回目のフルモデルチェンジで大変身した。
1981年にFFレックスに生まれ変わった。
ビートルがゴルフに変わったように駆動方式が変更され、
スタイルも何となくにていた。

実際、良いクルマだった。
特にセダンよりコンビと名付けられた4ナンバーの商用車が良く出来ていた。
大手新聞社が他社と比較した記事においても非常に良い評価得て
売上を伸ばした。

その勢いで5年後の1986年にフルモデルチェンジしたが、
2代目のFFレックスは失敗作に終わった。
この頃は自動車に物品税が掛けられていたので、
どこのメーカーも4ナンバー全盛だった。
その火付け役が「スズキ アルト」だった。
スズキのロビーストぶりは当時から見事だった。

それに比べスバルはことごとく失敗を積み重ねる

極めつけはほぼ手中に収めたと思っていた、
「ジェット練習機」の受注を、
川崎重工にあっさり奪われたことだった。

クルマでもボーンヘッドは続いた。
最初の規格拡大時に「550化」で後れを取った経験が全く生きず、
1989年に取り返しの付かない面舵を切った。

当時、ECVT投入の大幅な遅れや、
思わぬ新型レックスの不評に明らかに焦っていた。

その挙げ句、
バブル真っ盛りの日本で550ccエンジンを4気筒化したのだ。
6月10日、KG/KN系からKH/KP系にビッグマイナーチェンジ。

その発動機はクローバー4と名付けられた、
究極の「作り手の自己満足」だった。

当時「オヤブン」と慕われた小関典幸さんの言葉を回顧する。
「我々実験部隊は、スバルが3気筒エンジンでは無く、4気筒エンジンで軽自動車を開発すると決まった時に、
皆小躍りするように喜び合った」と語られた。

純粋な職人の発想と、
厳しい価格競争に晒される商品作りの「視点のズレ」がここにある。

戦闘機で性能を極めるメーカーと、
オートバイや3輪車で低価格を競うメーカーでは立ち位置が異なるのだ。

スバル自身は主流になると思った4気筒だったが、
乗ってすぐ解るほど低速トルクが足りなかった。
また、その翌年に2度目の軽自動車規格拡大がある事も読み切れていなかった。
大失敗だった。

実は、面白いことに「2度目の悲劇」も愛用した。
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失敗作の中でも特に稀少な車だ。
トルク不足をスーパーチャージャーで補い、
5速マニュアルで俊敏に操れた。
しかしザクザク売れるはずが無い。

キャンバス製のオープントップで、
開放感は抜群だがボディ剛性が低く、
サスペンションも固められているので非常に落ち着きの無いクルマだったが、
イエローが久しぶりに復活してとても愉快なクルマだった。

これを手放したのは惜しかったと今でも思う。
このクルマを体験した人はほとんど居ないだろう。
翌年、各社一斉にエンジンを660ccにアップする。
平成2年2月26日にレックス660もデビューした。

このようにレックスは時代の波を上手く乗り越えながら、
20年もの長きにわたり主役を勤め、
VIVIOにバトンタッチした。
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この2つの軽自動車「R-2」と「REX]を思い出せば出すほど、
現在の状況を冷静に分析することが出来る。
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スバルにおける、
「トラッドな軽自動車」としてプレオプラスの存在価値が良く解る。

「プレオ」という名代は「レックス」のように「しぶとい芸能人」として、
スバルの軽自動車ブランドを維持していくのだ。
幸いなことに「フルモデルチェンジ」を実現できたから、
後はいつ「プラス」を気付かれぬよう「そっと」外すかだ(笑)。

ステラもフルモデルチェンジ出来た上に、
ウルトラCを使って更に価値を高めた。

クルマの名前というモノは一度途切れたらお終いだ。
それは各社の挑戦で見事なまでに実証された。
フルモデルチェンジと違い
リバイバルでは、新しく生まれたのに「鮮度」を感じさせない。

トヨタがリボーンに拘る理由はそこにある。
しぶとく生きる芸能人と、「クラウン」は非常に良く整合する。
「たけし」がそこに居るだけで「しっくり」くる。

かぶり物をした「たけし」とピンク色のステージ衣装を着た「クラウン」に、
心からお見事とエールを送る理由がわかってもらえただろうか。

これがわからない業界人は、
もう車のビジネスからリタイヤした方が良いだろう。
「昔の名前で出ています」と、
「しぶとく生き残るたけし」では価値が全く異なる。

次はこいつの番だ。
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しっかり売れるようにこれから先も可愛がろう。
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by b-faction | 2013-01-27 11:28 | Comments(0)

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