インプレッサに恋い焦がれる
2013年 11月 30日
メルツェデスは更にその上だ。
とんでもなくエレガントなコンセプトカーをひっさげて、
Tokyoへと乗り込んできた。
東京モーターショーでSTIの唐松社長に再会した。
「社長、この頃敵が多いでしょう」と何やら意味深に囁いた。(笑)
美しい朝靄に包まれた笠置山を見た。
麓に木曽川の上に立ち上る「もや」が見える。
毎年沢山実るが土に還る。
ここを毎朝1時間ほど掃除するようになって、
僅かな時間の積み重ねがどれほど大切か、
いつもハッキリと教えてくれる。
会社の一角に「苔むした」場所が生まれるなど。
桜を愛でる気持ちも日増しに強くなり、
手を掛ければ掛けるほど周りの空気が澄んできた。
桜の向こう側に、
焼きたての美味いパンが買える。
作り手の顔がハッキリ見える美味しいパンだ。
一個で満腹になるほど食べ応えがある。
中津スバルに来たついでに、
パンを買うお客様も増えた。
クルマにも食べ応えのあるモノと、
あっさりしたモノがある。
まず点検整備し、
フロアを剥がして床を洗った。
すっかり乾いたので、
ビルシュタインダンパーと、
顔に少々小じわが目立つけれど、
とてもエレガントな佇まいに蘇った。
自動車評論家に安っぽいと評価された。
改めて見るとBRZに欠けたモノが全て揃っている。
このクルマがデビューした1991年を振り返る。
その頃、毎年立て続けに新型車がデビューした。
レガシィや新規格の軽自動車に続きSVXが生まれ、
インプレッサとVIVIOに繋がる夏の時代だった。
水平対向6気筒エンジンを持つからだ。
特に上げておくべき特徴は、
現在でも通用する質の高い走りだ。
ドシッとした欧州車に近い乗り味は、
スバル全体の印象を激変させた。
頑丈なクルマ造りにも好感が持てる。
SVXは500マイルカーを標榜した。
だからスバルは、
レガシィを成功させたスバルは、
ホンモノのクルマ造りに自信を持った。
レガシィの開発で「辰己仙人」が腕を発揮した。
しなやかに曲がる能力を限りなく追求した。
それが本格的な国際車の開発だ。
SVXを仕立てたことを、
ほとんど知られていない。
土屋元副社長も懐かしい笑顔を見せてくれている。
彼は絶対に失敗の許されない、
「レガシィ初」のフルモデルチェンジを担当した。
その土屋さんの愛弟子が、
BRZを世に送りだした増田商品企画本部長だ。
間違いなく全てのスバルに流れている。
増田さんは良い意味で「狸」だ。
BRZのような難しい開発を、
とぼける事もなかなか上手だが、
それでいて実直かつ温厚だ。
増田さんに、
レヴォーグのインナハンドルを「良くない」と指摘した時、
「ボクは先代レガシィのビッグマイナーを担当しました。だからその言葉は胸にしっかり刺さりました」
と答えられた。
「知っててやってるくせに」と内心で思ったが(笑)、
真面目に受け応える増田さんの姿勢から、
土屋さんに通じる「人徳」を感じた。
スバルはレガシィ開発の舞台をヨーロッパに求めた。
その時ニュルブルクリンクの厳しさも知った。
「緑地獄」は中途半端な気持ちで走る者の命を奪う。
だから、
ドイツ人のインストラクターから正しく学び、
コースを熟知せねばならない。
ニュルブルクリンクも昔より名が轟き渡った。
他の日本車メーカーより遙かに早く、
SVXの開発ではクルマの理想をとことん追求したが、
そうは行かないクルマもあった。
妥協を強いられ、
悲劇的な側面を持つクルマに、
初代インプレッサは、
8年間もモデルチェンジできなかった。
インプレッサの開発は、
プラザ合意による急激な円高や、
あくまでも水平対向エンジンを搭載し、
その時スポーツワゴンはまだ存在しなかった。
商品企画に携わるメンバーはスッと企画を紛れ込ませた。
エントリーカーとして成功した。
発売からそこまでの道程は険しかった。
ブランニューは一切無かった。
ようやく97年にインプレッサをベースにした初代フォレスターがデビュー。
消費税増税の駆け込み需要もあり大ヒットした。
インプレッサの車台を変更する必要性に迫られなかった。
ラリーの好成績が続いていた。
値段の高いWRXも飛ぶように売れた。
インプレッサはドル箱的な存在になっていった。
グラベルEXやリトナ、
お世辞にも優れた商品企画とは言えなかった。
とにかくラリーに強いイメージは、
素晴らしいが、油断も生じた。
ドル箱とは言え、
インプレッサを8年間も引っ張り、
しわ寄せを産んだ。
社長も田島さんから河合さんに交代し、
スバルは変革の時代に入った。
インプレッサが長期間モデルチェンジ出来なかったのは、
開発費を与えられなかったからだろう。
ようやくフルモデルチェンジの話題が出始めた頃は、
21世紀への期待が高まる時代だった。
GMと資本提携し、
そしてようやく二代目インプレッサがデビューを飾った。
人気のWRX、
そしてスポーツワゴンまで一気に揃えたのだ。
シャシー剛性が大幅に上がり、
基幹性能にコストが掛かっていた。
同じ車台で同時に開発した。
ただし大きな読み違いをした。
あまりにも美しすぎた。
新型車のデザインに物足りなさを感じた。
更にラリーに於ける勝利の積み重ねが、
この時の体験がLEVORGに見えない影響を与えた。
今でもそんなに悪い形だとは思えないが、
当時はヒステリックな反応が渦を巻いた。
重量増加に伴う低速発進のダルさの方が問題に思えた。
22Bに憧れた者は、
新型WRXを見て「けち臭い」と感じた。
スバルに「幅が広くなった」と文句を言う人に、
「そうではないよ」と度々苦言を呈すのは、
この時の辛かった思い出があるからだ。
もっと大胆に造形して欲しかったが、
しかし良く出来ていたクルマで、
その証拠が出てきた。
13年前に作った資料が、
ワープロソフトの更新でゾクゾクと文章に蘇った。
新しいインプレッサの案内だ。
<ニューエイジ インプレッサ試乗会 ご案内>
-本日はご招待したお客様を優先しております-
※受付されましたら試乗申込書の書き込みをお願いします。
B-faction店内にて
受付開始 12時30分
開会 13時00分
特別ゲスト紹介 13時03分
試乗開始 13時20分
試乗終了 14時30分
ビンゴゲーム 14時35分
閉会挨拶 15時00分
<試乗心得>
1後部右側座席に座って新しいインプレッサの乗り心地を確認してください。
2次のドライバーチェンジで助手席に座りコースを覚えてください。
3そしてシートポジション調整しシートベルトを装着たらテストドライブ。
質疑応答が忘れられない。
WRXファンから、「なぜ丸目にしたか」と質問が続出した。
発売直後、
売れるのはスポーツワゴンばかり。
既にヨーロッパでは、
あちらでも評判がいまいちだった。
「どうしてこれほど良いクルマが売れないのか」と不思議に思った。
ところが捨てる神あれば、
拾う神あり。
GMの社員が富士重工のテストコースを度々訪れた。
新たな提携が決まったからだ。
その素晴らしさに舌なめずりしたと言う。
「俺がタバコを吸うのはセックスした後だけだ」と言い、
WRXから降りてすぐタバコに火を点けた者も居たと聞く。
アメリカで、
二代目WRXがヒットした。
今日のアメリカに於けるスバルの人気は、
アウトバックやフォレスターだけで形成されたのでは無い。
インプレッサWRXによって、
三代目の開発は二代目の発売とほぼ同時に始まった。
そのコンセプトは、
当時の欧州における傾向や、
日本でフィットに1.5リットルエンジンが追加されたことから、
状況が読めた。
三代目の開発に途中から竹内さんが携わった。
米国でのWRX人気も鑑みる必要があり、
セダンをラインアップから外せず、
「まあ、こんなもんでしょう」という臭いが漂っていた。
そこが妥協とする由縁だ。
更にセダンとして質感を高め、
日本市場にもアネシスとして投入されたが、
ところが年度改良でスバルの全力を注ぎ込んだ。
ワイドボディのWRX STIが誕生し、
セダンが主役の座を奪還した。
そのまま竹内さんがPGMを担当した。
レガシィより短いスパンでフルモデルチェンジされたのは、
非常に高い完成度を誇った。
G4にアネシスのような妥協を感じない。
そして竹内流の確かさがある。
濃い味はしないが誰にでも受け入れられる。
アイサイトも相乗効果になり、
消費者の購買意欲を搔き立てた。
結果的に新型インプレッサは、
そしてWRXの開発には、
今度のWRXは、
現行の4ドアセダンSTIを踏襲した。
6年前とは全く違う。
アメリカにはアメリカだけの様々な事情がある。
レヴォーグを見た後だと、
新型WRXは少し「けち臭い」。
だが、
これは良いことだ。
なぜなら、
先代インプレッサWRXが、アメリカでデビューした瞬間と、
だからまだ次の何かがある。
WRXのハッチバックは2度と作られないだろう。
レヴォーグというコンサバティブなスポーツツアラーは、
エントリーカーのまき散らす匂いやクオリティーを一切排除し、
安っぽさを感じさせない。
新しいホンモノが生まれた。
WRXにはG4のアイデンティティが残されている。
インプレッサの正当な子孫である事を明確にしたからだ。
レヴォーグとWRXを切り離した。
振り返れば振り返るほど、
インプレッサが必要だ。
STIバージョンが追加された時、
本気の「勝負」が始まるだろう。
中津スバルにとって、
このクルマは顧客のみならず作り手も誘惑する。
それにしてもその先が大切だ。
冒頭でベンツを紹介したが、
ダイムラーはベンツの日本法人を若い社長に委ねた。
彼等はAMGというブランドの凄さを熟知している。
二つのAMGをワールドプレミアした。
痺れるコンセプトカーだ。
妄想で眠れそうにない。
新しいスバルのWRXも、
メルツェデスはそれを証明した。
STIをグレードのように扱わせてはいけない。
グローバルで見た時、
アメリカで量販出来る2ドアを考え出せば、
ドアも屋根もトランクも新しくデザインできる。
それに最高出力350馬力を誇るエンジンを搭載し、
究極のSをデビューさせる。
S104と命名して欲しい。
発想者のアイデンティティだ。
1から3までは欠番で良い。
なぜなら初代レガシィは44B。
二代目インプレッサは44Sだ。
4と言う数字はスバルにとって意味が深い。
新型車などを見ているとインプレッサという車が大切な車だと感じていました。3本の矢というのもうなづけます。インプレッサは、多くの人に知ってもらう機会を作り出しているのですね!
私事ですが、今日職場で後輩から怒鳴られました(笑)。私がやっていたことは、間違っていることではなかったのですが、マニュアル通りということからは外れていました。しかし、私自身、最近軸が定まっていないなと思ったので、すごく良い薬になり目が覚めました。スバリストのあるべき姿とは、そういう存在になることなのかなと、ふと感じました!私事で、申し訳ありません。
これからも、インプレッサという価値をたくさん教えてください!
おおらかさとマニュアルのバランスとタイミングが大切ですね。軸をブレずにもの作りをするとなると、細かすぎるといけませんね!私もバランスを大切にしようと思います。マニュアルに則りイエスマンになるのが楽なので、そのようになる人が最近身の回りで多いのが残念です。
インプレッサやレヴォーグのお話、楽しみにしておきますね!いつも本当に楽しく拝見させて頂いております。ありがとうございます。
ここ最近、社長のブログを読んでいて思い出したことがあります。
車に乗りはじめたころ、
パソコンでとある人物の(誰だか覚えてませんが)代車で借りた車がSVXで、余りに乗り味が良かったのでそのまま乗り換えてしまったそうです。
今の私には、残念ながら近隣にSVXを乗れるところや保有してる人がいないのでその乗り味を体感できないのは残念です。
今までスバルの車は父親の2代目レガシィツーリングワゴン(ブライトン)とサンバーディアス、あと自分のGG2のみです。
中津スバルの丸目インプレッサの試乗会みたいなのが近くであったら良いのにと思いますよ。
2代目インプレッサの誕生には、以前から開発の苦労から3度のフェイスリフトなど苦労話などは良く聞き及んでおりました。
まぁ、個人的には以前から丸目インプレッサは結構好きだったんですけどね。
確かに当時は丸目に避難豪語?だった気はしましたが……
インプレッサはエントリーモデルからカリッカリッのスポーツモデルまで全体にしっかり作り込んであってしっかりした車だと聞き及んでおります。
それが更に本物を目指したLEVORGにどのように反映しているのか、また今後のインプレッサにどう影響するのか楽しみです。
度々乱文にて失礼しました。
モノには順序があるのでしょうが、時には情熱が順序を吹き飛ばすことだってありますね。SVXを作っておいて良かったと思いますよ。あの幅の車を世の中に出した執念は凄い。それが解るからボクは捨てられない。これから先、古いクルマには高い税金を掛け燃費の悪いクルマにも高税率を掛けるようですが、自動車産業で食べている国が本当にそんなことで良いのかな。小型車のサイズを決めたのは締め出しが根底にあります。その悪影響、正に両刃の剣ですねぇ。レヴォーグはやっと凌駕しました。
社長のブログにコメントを書きたくて慌てて登録したとき、思わず目についた乱数を打ち込んだら……
あら、不思議ハルドルネームになってしまったしだいです(涙)
そのうち変える方法を模索するか、登録しなおします。
きっと打ち込みがお手数だとは思いますがご勘弁ください(深くm(__)m)
さて私事なのですが、家の父は実は免許を取ったのが50歳です。
それまで、家庭の事情やらなんやらで自動車免許を取れずにいたそうです。
私が社会人になり、やっと余裕ができたので念願の免許をとった父です。
ですが私が幼少の頃より車は好きだったらしく家にはCGの本がやまのようにあり、一人でモーターショーには良く出掛けていました。また、写真好きの父でしたからモーターショーの写真を良く見せられましたよ♪
もし、私が子供の頃から車があったらきっとSVXや、レオーネなんかが家にあったのかなって思います。
自動車税の事は非常に同感します。古い車を弾圧しなかったら家の父は多分レガシィにいまだに乗っていたのではないかな?
いわゆるエコカーに乗っている人を優遇税制ばかりして、大事に同じ車に乗り続ける人を悪人扱いみたいで、なんかなっとく行きません、車の販売戦略になったり景気のために金を使わせるメリットがあったのは確かですが。古い車に乗り続けるのもエコですよね?こんな話きっといくつもあったと思いますが。
まぁ、このような意見は言い出したらいたちごっこなんでやめときますが(笑)
父は多分レガシィに乗っていたかったんじゃないかと思います。
私が買ってきたGG2にしきりに食いついていましたから(笑)
サンバーはあれはあれで良い車だと思いますけどね!
ですから家の父はいつかはLEVORG!
きっと内心思っていることでしょう。
大きくなった4代目レガシィには…………みたいでしたから(--;)
毎回内容がまとまらないコメント失礼しました。
是非お薦めします。早ければ早いほど良いですよ。
経験者として語らせて頂きました。