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土石流と妻籠宿

もうすぐ六年になる。

正に危機一髪!

土石流を目の辺りにした加藤さんが、
朝一番で来店され、
「5分の差であの土石流に巻き込まれたかもしれなかった」と仰った。
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吹き飛ばされた駐車場に向っていたから。
写真提供:加藤裕次さん
勤務先は土石流の吹き出た上に在る。
正面を右方向に木曽川が流れ、
雲がたなびく上が南木曽岳だ。

これは避難後、
とっさに撮影した画像だ。

土石流が山を駆け下りた時、
加藤さんは国道で停車していた。
正面のMと書かれた建物のすぐ前で、
右を向いて停止していると、
路上を左手からちょろちょろと濁った水が流れてきた。

その時前にもう一台のクルマが居て、
それは流れる水の上を前方に走り去った。

すると落雷より大きな大音響と共に、
目の前を土石流が横切った。

国道は崩壊こそしなかったが、
右手に恐ろしい勢いで土砂や流木が吹き出た。

驚いた加藤さんは、
慌ててギヤをバックに入れ、
方向転換して逃げた。

土石流から5分ほど経過した時に、
写した画像だと言う事だ。

この日は朝からこの場所で、
土嚢を並べたり災害に備えていると、
小回りの利く車が必要になった。

そこで4トンダンプを軽トラに乗り換えるため、
会社に向かう途中で土石流が発生した。
土石流と妻籠宿_f0076731_10525756.jpg
写真提供:加藤裕次さん
この画像は発生から30分後だ。
加藤さんの愛車は無残にも巻き込まれた。

レガシィの駐車場は、
この画像の中央右辺りにあったが、
もう跡形もない。
大きく掻きむしられ、
付近の車もろとも、
一気に押し流された。

この週の日曜から水曜まで、
何か予感したのか、
南木曽周辺に縁があった。

南木曽の妻籠宿と言えば、
中仙道の木曽路を代表する場所でもある。
土石流の三日前、
妻籠宿の枡形を訪れた。
この日もどんよりとした雨模様だった。
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江戸時代に宿場町として栄え、
今でも当時の建物がそのまま残っている。

妻籠宿には祖父の生家が在る。
今でこそ名所となったが、
昔は大変貧しくて不自由な場所だった。

中仙道は明治時代に入り、
その役目を急速に終えた。

それに伴い宿場町も急激に衰えた。

さすがに長い歴史の中で、
宿場として栄えただけのことはあり、
脆弱な地盤なのに、
ここを土石流が襲った事は無い。

そのまま残っているのがその証だ。

古人の知恵による、
災害に強い場所なのだ。

そこが昭和40年代まで、
歴史の中で埋もれていた。

それを景観条例の先駆者となり、
保存活動を推し進めた人が居る。

林文二さんだ。
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多くの人達が行き交い、
逗留する場所に生まれた。

江戸から明治にり、
願っても無い「行政改革」が始まる。
檜の伐採が可能になった。
尾張藩のご禁制として、
厳しく禁じられていたが、
時代が変わり環境が大きく変化した。

林家の脇本陣は、
その思いを一気に迸らせた大作だ。

明治天皇も休憩されたその場所は、
一見の価値がある文化遺産だ。
土石流と妻籠宿_f0076731_12091623.jpg
宿場町は残り家も建て替えたが、
それが意味を成さなくなった。

国鉄が木曽川沿いに鉄道を敷設する計画を決め、
川沿いの「みどの」に南木曽駅が出来ると、
暮らしの中心は「つまご」から「みどの」へ移った。
そこに並行して国道19号線も作られたから、
明治以降の暮らしの中心は完全に「みどの」となり、
逆に「つまご」は廃れていった。

土石流が襲った環境は、
明治になってから整った新しい街だ。

更に林業が衰退し山が荒れ、
間伐材を処分するにもコストと売価が整合せず、
放置せざるを得なかったのかもしれない。

檜一本首一つ、
枝一本腕一本、
この言葉はこの地に残る古くからの言い伝えだ。

檜を切ったら死を意味し、
枝を払うだけでも厳罰に処された。

それだけ日本人は木と密接な関係を築いてきた。
明治から現在に至り、
その関係には大きな変化が生まれた。

人間の大切な財産である木材が、
土砂やでかい岩石と共に、
人々の住む町を襲った。

右手に「いこま屋」の見える最も有名なシーンは、
木の染み込んだ暮らしを表す。

本当に美しい光景だ。
土石流と妻籠宿_f0076731_11351568.jpg
この枡形は、
敵から宿場を守るため、
簡単に攻め込めないように考え出された仕組みだ。

わざと道を狭め、
枡の底のような形にしてあるので枡形と呼ばれる。

宿場に常設された配置だが、
妻籠は少し特殊で、
掘り下ったように見える。
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閉まっているが、
松代屋の右隣が、
祖父の生まれ育った白木屋だ。

ここで生まれ尋常小学校に通い、
そして読み書きそろばんを覚え、
今の恵那市に当たる恵那郡大井町へ丁稚奉公に出た。

隣の松代屋さんは今でも旅籠を営む、
親戚筋の旧家だ。

白木屋が何を生業としていたのか、
祖父から聞いた事は一度も無い。

6日の日曜日、
遂にGC8が走れる状態に戻ると、
何故か急に連れて行きたくなった。

江戸時代に遡る。
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GC8がまるで馬の様に見える。
白木屋の玄関先から空想した。

このインプレッサは、
スクラップになる寸前だった。
蘇らせる事が出来たので、
いずれ22Bの姿に着飾らせる。

ホノボノとした顔が素敵だ。
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この翌日の月曜日から、
GC8で神奈川に出張する予定だった。
ところが北原課長が「まだ早い」と、
その目論見を遮った。

圏央道が中央道と繋がったので、
AT車よりMT車で走りたい。

そこで黒鰤に白羽の矢を当て、
月曜の正午過ぎに中津川を発った。

雨の多い毎日だった。
長野県から山梨県にさしかかると、
諏訪から甲府までの間で、
ヘビーウエットの状況が続いた。
土石流と妻籠宿_f0076731_12005962.jpg
激しい雨が降りクルマも少ない。

高速4WDツアラーの面目躍如だ。
鼻歌交じりで走れるほど、
激しい雨をものともしなかった。

八王子ジャンクションから、
土石流と妻籠宿_f0076731_12021860.jpg
圏央道が繋がり一つの環になって、
東名高速まで直接アクセスできる。

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抜群の走りを見せた黒いB4のブリッツェンは、
目的地をラクラクと往復した。
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延べ走行距離はピッタリ600㎞だ。

驚いたことに無給油で往復できた。
関東圏が一段と近くなった。

燃費もまずまずで、
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激しく攻めたが二桁を記録した。
それにしても暑かった。
朝から気温は真夏並みだ。
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定休日の会社に出勤し、
黒鰤を整備工房に格納した。
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そして見送ったGC8のテストを始めた。
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出張中に整備されたあのWRXが、
誰も居ない工房で待ち受けている。
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乗り換えたら開田高原に向かう。
キッチリ身体測定し能力の回復度を測る。
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この日の木曽方面は最高の天気だった。
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南木曽を超え大桑にさしかかると、
日差しはますます強くなった。
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WRXは実に快調であっという間に開田に到着した。
木曽馬の里で写真を撮影し、
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馬に会って蕎麦を食べた。
ステキな写真も沢山撮った。

ブルーベリーも熟していて、
農作業中の二宮さんも元気だった。

アイスクリームを食べ終えた頃から、
急に雲行きが怪しくなった。
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木曽福島で国道19号線にぶつかる。
この時、
右に行くべきか、
それとも左に行くべきか、
実はかなり迷った。

コイツを高速道路で走らせたい。
その思いから、
遠回りになるけど左を選んだ。
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そう決めて左に進路を取った。
夕方の5時前だった。
徐々に辺りが暗くなり始め、
伊那市で中央自動車道に合流する頃になると、
猛烈な雨が降り始めた。

推定時刻は5時半頃だ。
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この時、
右にある中央アルプスの向こう側で、
土石流災害が発生した。

そんな事は知るよしも無く、
恵那山トンネルを出る頃には、
嘘のように雨が止んだ。
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中津川インターチェンジを降りると
トリップメーターは250kmを示した。

時刻は6時を少し過ぎていた。
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会社に着いたとたん、
2階の窓からむっちゃんが顔を出した。
心配そうに
「携帯電話を忘れていったでしょ」という。

南木曽が通行止めだと電話を掛けてくれたらしい。
土石流と妻籠宿_f0076731_11301200.jpg
写真提供:加藤裕次さん
土石流の被害は甚大で、
一人の尊い命が失われた。

お客様のレガシィも流された。
木曽川の流域はいくつもの沢が流れ込み、
あちこちに身の毛がよだつほどの、
災害の痕跡が見て取れる。

中津川市でも昭和7年に大災害が起きた。
市内を流れる四ツ目川が氾濫し、
町中が水浸しになった。

昭和41年には南木曽町で、
今回以上の大規模な土砂災害も発生した。
木曽川左右の九つある沢で、
次々と土石流が発生し大きな被害を生んだ。
災害は忘れた頃にやって来る。

そして天災と人災は重なる。

この危機を心して切り抜けよう。

ー2014年7月11日12時11分投稿記事を再構築ー


Commented at 2014-07-09 23:56 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by b-faction at 2014-07-10 00:13
山本さん、ご心配頂き有り難うございました。大変な事になってしまいました。被害が広がらない事を祈るだけです。
Commented by TAKU at 2014-07-10 12:58 x
こんにちは。
土石流の写真をみて絶句しました。被害に遭われた方には何と言葉をかけてよいのか。また、今回の大雨でこれから未来のある若者が犠牲になっているとのことで・・・。
東日本大震災の時もそうでしたが、本当に自然の力というのは時に残酷だなと改めて痛感しています。
これ以上被害が大きくならないといいのですが・・・。
Commented by b-faction at 2014-07-10 15:49
TAKUさん、今も雨が降ってます。これからの台風の動向が心配です。お互い身辺に注意して乗りきりましょう。
Commented by hanako at 2014-07-10 15:57 x
愛車を悲しい姿で目にされたことは、とてもとても
おつらかったと思います。
もしかしたら、加藤さんの身代わりになってくれたのかとも・・・
一日も早く、お体を休め、元気になられることをお祈りします。
Commented by b-faction at 2014-07-10 17:02
hanakoさん、お心遣いありがとうございます。加藤さんもこのメッセージに癒されると思います。大事にされていたBP5でしたので、青い車が見えたぞと聞いて駆けつけられたようです。
Commented by hanako at 2014-07-11 10:52 x
お返事ありがとうございます。
実は、災害では無いのですが、わたしも全損にしたことがあります。
あのときの気持ちは、今も忘れられません。
大事な相棒であればあるほど、痛みは大きいと思います。
加藤さんの心の中そばではBP5が、いつも一緒に走ってくれてます!!元気になってください!
Commented by b-faction at 2014-07-11 12:08
hanakoさん、クルマ好きの気持ちは皆同じですね。加藤さん、明日いらっしゃいますのでお伝えします。ありがとうございます。
Commented by 馬関人 at 2014-07-12 12:38 x
いつも興味深くブログを拝読しております、馬関人(ばかんじん)と申します。
南木曽と聞いてもピンとこなかったのですが、妻籠宿のある町なのですね。
9年前に、紺色のBP5に乗って新婚旅行で訪れた思い出深い場所です。私の住んでいる山口県では考えられない、山の高さ谷の深さが印象的でした。
亡くなられた方のご冥福と被災された方の生活が一日も早く元通りになることを祈っております。
そして、数年後には今度はレヴォーグに乗って家族4人で再び訪問したいと思います。
…まずは、レヴォーグ購入に向けて、がんばります。
Commented by b-faction at 2014-07-12 14:16
馬関人さん、初めまして。平成17年と言えばR1デビューの頃ですね。「木曽路は全て山の中」と言われるように山と関わりの深い地域です。レヴォーグ楽しみですね。こちらに来られた際には是非お立ち寄り下さい。
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by b-faction | 2020-04-19 14:54 | Comments(10)

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