おかしな台風だった。
「目」もなければ「渦」もない。
もっとおかしいのは台風情報だった。
現実と全くリンクしていない台風の位置は何だったのか。
これは明確に論議し、
今後の最優先課題として改善を進めるべきだ。
台風8号が中津川に最接近したのは、
午後6時10分前くらいだった。
しかしその時の台風情報では、
大阪湾のあたりに×印があった。
日銀や政府の出す景気短観も信用できない。
最前線で商いにいそしむものとして、
全く肌に感じない報告が平然と出る。
よほど増税の悪影響を知られたくないのか、
嘘で固めたような景気報道が出る。
今の景気は土砂降りだ。
過去三度に渡り体験した消費税の節目で、
最も悪い反動が出ている。

朝7時から会議を開き、
中盤戦から月末に向けての戦略を練った。
お昼になり、
ワラビもちを取り出した。
隣の王将でラー麺を食べるという誘惑にさいなまれたが、

昼飯はわらび餅だけで、
腹を満たした。
体重がすぐ増えるので、
気を許せない。
フットワークを軽くしておかねば。
南木曽の土石流で流された、
加藤さんのレガシィを看取るためだ。
川の中から取り出してスクラップに出せる状況か、
直接確かめる必要があった。

子供のころから、
川にクルマが流されて、
長年放置されてた姿を見慣れている。
あまり気持ちの良いものではないので、
取り出せるものなら、
早く片付けてしまいたい。
相棒に初代レガシィを選んだ。
「もっとクルマになる」をキャッチフレーズに誕生した、
最もレガシィらしいレガシィだ。

レプリカではあるが、
勲章を纏った姿を手向けにした。
駐車場にBC5を置いて、
流された現場に向かった。

遠くに土石流の現場が見える。
この場所も、
強烈な土石流が発生して誕生した。
それも一度や二度では無い。
対岸の家の2階から見ると、
このせり出した地形はあまりに規模がデカイ。

今では公園として整備されているが、
この下に眠っている魂もあるかもしれない。
ここに印象的な石碑がある。
「悲しめる乙女の像」という。

石碑の書き出しは、
「白い雨が降ると抜ける」とある。
すなわち、
「白く見えるほど激しく雨が降ったら土石流が襲ってくるぞ」
と警告しているのだ。

昭和28年には3人が犠牲になった。
今度の土石流も痛ましい傷跡を残した。
12歳の少年が命を落とすという、
大変悲しい出来事があった。
被害がそれで終わったのは、
過去の戒めが残されているからだろう。
これが「じゃぬけ」と呼ばれる沢だ。名を知らぬ花が、本当に美しく咲き誇っていた。
まだテレビ局の中継車も現地にとどまっている。
報道関係者が居並ぶ木曽川右岸を歩き、
上流にある橋から国道19号線に渡った。
この左方向から右に向って土石流が流れ込んだ。
ここで加藤さんはバックして、右に方向転換し、命からがら対岸へ逃げた。
その気持ちが良く解る。

既に国道の堆積物は、
綺麗に取り除かれていた。
復旧までもう少しだ。
土岐ブルの社員の方から、ご好意でを受けた。
キャリアーのデッキに登り、被害の様子を撮影した。
二晩過ぎたので、
土が落ち着いた色に変わった。
あのおどろおどろしい、まるで大地が下痢をしたような、酷い光景は消え、
挟み込まれたクルマの残骸が見えた。
右方向に青いクルマがある。
ぺしゃんこだ。タイヤを見るとレガシィではなさそうだ。更に目を凝らすと、
ゴールドのホイールが見えた。
あれだ!
事情を話し川に降りる許可をもらった。
「気を付けて降りてくださいね」と、笑顔で見送られた。
ガードレールを乗り越えた。

蔦につかまりながら河原に降りた。
振り返ると、
綺麗な青空が広がっていた。
慎重に足を踏みだした。
なるほど。
だから土の色が変わったのか。
ゆるい花崗岩質に含まれる、とても脆い成分は、空気に触れると白く変わる。
泥から土では無く砂に変る。
履き古したスケッチアのスニーカーで、躊躇いながら先に進む。おかげで、脚を取られずに済んだ。
ニュルのトレーニングで欠かせない、優秀なスニーカーが悪路で役立った。
なるべく石の上を歩き沈まないように進む。
もともと駐車していた場所から、
ここまで100mほどだ。
たったそれだけ流されただけで、
恐ろしいほどのエネルギーがレガシィを破壊した。
バックで駐車していたので、助手席側から土石流がぶつかったはずだ。
もんどりを打つように巻き込まれ、仰向けの状態でエンジンを前に向けた。濁流に呑まれ巨石にぶつかり落ちてきた。
足が埋まりそうだ。
少し遠巻きに進む。

フロアはきれいに残っているが、
左前輪は喪失した。
右の全輪はもぎ取られたストラットと共に残っていた。
強烈な力が掛かっている。
土石流の起こったらしき場所を見ると、
クッキリと爪痕が残っていた。
恵那山系に共通する脆弱さが中津川まで続く。
白い傷跡が見える。
そこが「抜けた」部分だ。
逆さまになった前部は、衝撃を受け補器類が霧散し無残な姿だ。
バンパーやラジエターは跡形も無い。まるで血管が露出したようだ。エンジンコントロールユニットに繋がる、ハーネスなどが引きちぎれている。ATFフィルターが原形をとどめ露出しているから、
このあたりがトランスミッションだ。
奥を凝視すると、砂だらけのボクサーエンジンが見えた。
これが左のフロントドアか。
大きく変形しているが、センターピラーは持ちこたえてる。助手席側に窓枠のスペースが残っている。

凄い強度だ。
さすがレガシィ!
ドアを開けられる状態ではないが、
キャビンはしっかりと守られていた。
ハザードランプのスイッチが、
やけにクッキリと赤く見えた。
グローブボックスも閉じたままで、開けはしなかったが、多分中は綺麗なままだ。車検証もそのまま残っているかもしれない。
センターコンソールリッドも閉じたままだ。車体右側は泥の中にあるため、ホイールの有無は解らない。
左後輪のホイールが金色に輝き、「俺はスバルだ」主張していた。
この巨岩を山から押し出す、
自然の強烈なエネルギーを感じた。

それに対して、
ヒトも負けてはいない。
国道は強靭で土石流に対してビクともしなかった。
さすがに国が作った道路だ。あれだけ破壊力のある攻撃に、ものの見事に耐えた。
国道から見ると、
赤い丸のあたりにレガシィがあった。国道は大丈夫でも、鉄道の復旧までに、まだまだ時間が掛かりそうだ。
被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
ダムも一大事だ。
かなり放流している。

放水で大量の水は逃がせるけれど、
漂着物で大変なことになっている。

流出した木片がどっさりと溜まり、

タイヤなど厄介なゴミも相当な量含まれている。
これからしばらく大変な日が続く。
頑張ってくれたスニーカーは、スリップサインが出る寸前で、最後の役目を終えた。
感謝をこめて処分した。一日も早い復旧を心から願う。