「想像だにしていなかった」
とは言い難い。
「ユニー」と言った方が馴染みが深いが、
この頃は「アピタ」という名前が主流になっていた。それに加え隣の恵那市には、ピアゴという名前のユニー系ショッピングセンターがある。
世は正にカオスだ。
ファミリーマートと言うよりも、ファミマと言った方が馴染みが良い。中津川市内の国道19号線沿いだけで4店舗はあるだろう。どちらの会社も中津川では勢いが良く、随分繁盛している。
逆に衰退していく同業者が目立つので、今月になって発表された統合は意外だった。
ところが全国的な視野で見ると、物事は深刻に進んでいたようだ。
中津川市にユニーが進出したのは昭和46年だった。
当時はまだ「ユニー西川屋」と言う屋号で、まさにパラダイムの始まりだった。
一年ほどで「ほていや」と統合しM&Aの先鞭でもあった。突然生まれた「生活倉庫アピタ」も隣のビルを買収して開設された。当時、中津川で一番栄えていた「新町界隈」は、その頃からパラダイムの激流に飲み込まれていった。
ユニー中津川店は大規模なアピタにシフトアップし、僅か数十メートル先に移動した。
人の流れが大きく変わると同時に、跡地の問題で街を二分化する大問題に発展した。
これが以前にも綴った「図書館問題」だった。いまだに更地のままでモラトリアムの真っ最中だ。
創業者の西川さんが亡くなられたニュースを聞き、
高齢なのに頑張っておられたのだなと、感慨深かった。
そして逝去を待つかの如く、統合が発表された。ユニーという名まで消えてしまうのか。
改めて中津川市のショッピングモールを考察してみた。それは俯瞰すると良く解る。
中津川駅の反対側には開発の余地がまだある。指で指した広大な工場地帯はここから上の方に広がり、しかも公的な資金で導入路まで作られた。
不動産に詳しくないシロートでも解るくらいだから、ここに有る企業も大手デベロッパーと水面下で調整している可能性がある。
アピタの場所も、以前はオーミケンシの中津川工場だった。
市街地に大きな工場を持つ時代から、工業団地を形成する時代にパラダイムシフトした。
跡地の有効利用と効果的な移転は、何がきっかけで始まるのか予想は簡単だ。
常々このブログでも書くように、24時間営業のコンビニは脆弱な基盤の上で栄華を極めている。
平成の合併で大きくなったとは言え、もともと僅か6万人程度の中津川市に、ローソン、セブンイレブン、ファミマ、サークルK、デイリーが、深夜まで煌々と火を灯し24時間営業する様は異常だ。人間は普通のイキモノなので夜行性では無い。
震災で原子力発電には懲りたはずなのに、4年経つともう過去の事故に過ぎないのか。
大きくなることが勝利に繋がる時代から、小さくても光る時代へパラダイムシフトが進んでいる。
平成になった頃なら、「雪達磨の理論」は通用した。
最初に大きくするまでにはエネルギーを必要とするが、一旦大きくなれば「手を添える」だけで勝手に大きくなる。
それが今では「でかくなると壁にぶつかるまで止まれない」という、怖い時代を造り上げた。
自社株の価格維持で四苦八苦する経営者も多い。壁にぶつかることが解っていても、この場所にデベロッパーが群がるのかどうか、そのスリル溢れるドラマを傍観しよう。競争して勝ち続ければ、
当然生き続ける。
次のパラダイムに向かって、企業を育て上げた人物の存在が、如何に大きな意味を持つのかもわかった。
東京に向かう理由は3つあった。まず先月以来話題にしている会議だ。
「S」はこれまで7機種が誕生した。STIが「レヴォーグ」で3シリーズを作るなら、ゲンを担いで「末広がり」から始めるのも面白い。「S308」が誕生したその日こそ、
「真のSTI」に再び生まれ変わるだろう。
午前中から雲行きが怪しくなり、
3月とは思えぬ吹雪になった。
雪がやんだのを見計らい、
中津川を出発したら、
駒ヶ根で雪雲に追いついてしまった。
まるで嵐と競争するような羽目になった。
路面が一時真っ白になるほどだったが、
幸いにも安全に駆け抜け、
無事東京に着いた。
24万キロ走行したが、
手塩に掛けて整備を終え、
その性能は現役の状態に蘇った。
投じた予算は半端な金額では無いが、
一桁違う投資さえすれば、
このクルマは衰える事を知らない。
テストを兼ねて移動した道中も、
本来の走りで手足のように応えてくれた。
STIのコンプリートカーでも特別の意味を持つSは、
エンジン本体に手を入れたクルマだけに付けられる称号だ。
高速領域でも愉しいクルマだが、
普通の道路で思わぬ真価を発揮する。
それはアクセルのツキの良さだ。
減速時にエンジンの回転をあわせる時に、
心の中で思ったとおりの反応を示す。
いわゆる以心伝心だ。
ブレーキを踏みながら、
右足の小指辺りでアクセルペタルに触れるだけで、
数100回転刻みで自在にコントロールできる。
特にこの様な場所にバックでクルマを入れる時に差が出る。

毎日自宅の車庫で、
バックしながら得られる喜びを知る人は、
僅か1500人ほどしかいない。
「S」の価値は他とはぜんぜん違うが、
中でもバランス取りされたエンジンを搭載する、
「203」と「204」と「206のカーボンルーフ」は際立っている。
アドリングに近い回転域でも、
とても柔軟にエンジンが反応するから、
運転がとにかく楽だ。
このあたりはカタログモデルが逆立ちしても及ばない領域だ。
STIも気の毒と言えば気の毒だ。
富士重工がこのエンジンを再現できないから、
STIは「S」を捨て、
「tS」しか作ることが出来なくなった。
このS204を、
中平さんに託すことにした。
中津川まで訪れ「このクルマを譲って欲しい」と言われた。

その行動力には感心した。
元々出張にこのクルマで出かける予定だったので、
東京でクルマを渡した。
これほど真のSTIを待ち焦がれている顧客が居る。
「S」の誕生は明らかにパラダイムだった。
STIにとって「新しい扉」を開いたかのような躍動的な未来が見えた。
しかし、

このクルマにもSTIの符丁が付き始めた頃から、
雲行きが怪しくなり、
革命的にSTIが伸びていくことは無くなった。
タイプユーロは凄く面白い。
実用車として一台所有したいクルマだ。
スポーツモードにしなくても、
エンジントルクが気持ち良く出て、
同じ1.5リットルでもインプレッサより乗りやすい。
シャシーの限界も高い。
CVTの変速制御はプレオRMそのものだ。
でも直列4気筒を積んだクルマに、
例えコンセプトであってもSTIと付けた瞬間に、
パラダイムシフトは未完に終わった。
それを証明するかのように、
軸足が狂っていく。

水平対向エンジンを積んだ素晴らしい7シーターだ。
アライアンス車も悪くは無かったが、
自前で造り込んだミニバンには、
やはり凄味がある。

4代目レガシィをベースに開発されたから、
STIが触るのに都合が良かった。
けれども背の高いクルマとSTIに求める「像」はどうしても合致しない。

とにかくエクシーガは良いクルマだ。
トレジアから乗り換えてすぐ同じコースを激走した。
下界で8℃でも、
この日の峠は氷点下だった。
そんなシチュエーションを、
このクルマはモノともせず、
スポーツカーのように駆け抜けた。
低い重心と余裕のある4独サスで、
ヒラリヒラリとワインディングを駆け抜けた。
ロール感も少なく操縦性も良い。
それなのにゴツゴツしたところが一切無い素晴らしいミニバンだ。
スバルの良いところを余すところなく与えた、
素晴らしい多人数乗りだ。
しかし良いクルマと凄いクルマは違う。
良いクルマであるべき多人数乗りは、
SUBARUブランドで磨き続けるべきだ。
STIがこの素材を引っ張り出すと、
パラダイムどころでは無く、
単なる下請けになってしまった。
BRZに触れるべきでは無いと言う持論も変わらない。
SUBARUが一人で造れないクルマに、
STIが得意げに触ってもブランドを高める事には繋がらない。
全く別の発動機を積めば別だが、
そこまでの余裕は今は無い。
BRZは良いクルマだ。
これはSUBARUが毎年血と汗と涙を注いで、
繰り返し繰り返し磨き続けるべき良いクルマだ。
だからSTIが触れるような凄いクルマでは無い。
だが期待している。
S204で東京まで走り、
「消えかけても残る灯火」を感じた。
来たるパラダイムに備え、
彼らが爪を研ぐ姿が朧気ながら見えた。
今、SUBARUで凄いクルマを作るなら、
V系をベースにするしかあり得ない。
S204と別れを惜しみつつ、
ベースになったGDBには無い、
VABのポテンシャルを思い出した。
あのクルマなら素晴らしい「S」が作れるだろう。
SIシャシーの進歩は凄い。
先が見えたから余計に凄い。
何しろまだ最低5年は磨き続けられるだろう。
レガシィのフルモデルチェンジにはまだ歳月が掛かる。
かわら版も間もなく200号を数える。
それを記念して特集号を作るため、
富士重工の本社を訪れた。
火曜日の恵比寿はとても静かだった。
まだまだショールームも浸透しきっていないのか、
訪れる人も少なかった。
こんなに広くなかったが、
密着感のある新宿はとても温かく居心地が良かった。
ふと昔の本拠地が懐かしく思い出された。
しかしお土産は充実した。

このグローブなど見たことも無かったが、
凄く人気があるそうだ。
さすがに東京は垢抜けている。
そして、
久しぶりに清田部長代理にお目に掛かった。
あらかじめ約束していたので、
すぐに「ようこそ」と迎え入れられ、
打ち合わせが始まった。
とても多忙なのに時間を作って戴き、
心より感謝申し上げます。

とても疲れた様子が滲み出ていたが、
「招かれざる客」との面談にも関わらず、
楽しい話題で盛り上がった。
若干緊張気味ではあったが、
さすがに抜群のエンターティナーだ。
気持ちの切り替えは抜群だった。

「これはブログに載りそうだな」と気付いた瞬間、
素晴らしい表情に切り替わった。
彼はビジネスマンの鑑だ。
それにしても、
前回訪問した際に、
細部まで取材され、
余程懲りたのだろう。
スカイテリアではなく、
対外的な交渉をする場所で打ち合わせた。
機密性の保持は、
最重点課題なのだろう。
今後の戦略をせめぎ合う、
最前線の場所だった。
清田さんと久しぶりに良い時間を過ごせた。
今度は是非、
中津川にゆっくり来て戴きたい。
恵比寿の本社では、
スバルスターズにマリオのことが知れ渡っていた。
弄るどころか、
一気に厳戒態勢が敷かれた。
彼の到着と共に照明まで落とされたので、
そのまま恵比寿の夜に突撃した。
いつも中津川まで足を伸ばしてくれるので、
たまには東京で飲もうと声を掛けた。
最近の傾向をブログで確認してくれていて、
彼の気遣いが嬉しかった。
「社長の体に良いものを食べましょう」
と言ってくれたのだ。
ところが焼酎では物足りず、
日本酒を注文した。
思いのほか日本酒の美味しい店だった。
ぐいぐい杯が進み、
結局二人で一升飲んだ。
体に良いものという割には、
マリオの頼むものは「思いっきり」体に悪い(笑)
だから凄く美味い。

その人のカラダに悪いモノほど旨いんだ。
プリン体が最高級に含まれる、
あんきもの美味しさは異常な程だった。
よほど体が求めていたのだろう。
仲良く3きれずつ食べて、
〆鯖とサーモンを食べた。
サーモンは好きな刺身ではないのだが、
マグロなど他の赤身や白身にめぼしいものがなく、
仕方なく頼んだ。
ところが超絶に美味かった。
脂の乗りも良いし香りが素晴らしい。
ろくなサーモンを食べてなかったのだと実感した。
さばの〆具合も絶妙で、
量も多く素晴らしかった。
そしてイカの丸焼きが出てきた。
このソースがたまらなく美味かった。
クリームが入っているらしく、
柔らかさと香ばしさが見事に溶け合う最高の味だった。
しかもプリン体も豊富だ。
また烏賊の鮮度も良いし、
何しろ柔らかい。
ここで酒を燗からおりがらみに切り替えた。
この味もとても良く、
この店は只者ではないと気がついた。
そして一番自信がありそうな牡蠣の出番だ。
実にクリーミーでこたえられない味だった。

プリン体に耐性が強そうな、
この店のお兄ちゃんと意気投合した。
「また来るね」と挨拶して外へ出た。
相当食べたので腹も出た。
当然、プリン体もかなりの量を溜め込んだ。
このときはまだ絶好調だった。
そしてカラオケで盛り上がった。
どちらかが謳っているときに時間のお知らせがある。
2度延長したことは覚えていたが、
あとは絶唱に絶唱を重ね、
気付いたら真夜中だった。
そして禁断の〆に手を出してしまった。
おじいさんが二人で営業しているラーメン屋だった。
片方のおじいさんはまるでロボットのように動いていた。
深夜なので電池が切れかけていたのかもしれない。
目は開いているが、
聞いても答えがなかったり、
まったく違うことを答えたり本当に面白し店だった。
ホテルに帰り眠ったまでは良かったが、
翌朝ヤバイことになった。
親指が信号を出していたからだ。
体調は抜群なのに、
左足の親指がざわついている。
大爆発の一歩手前だ。
恐る恐る着替えて電車に乗り、
次の目的地に向かった。
何とか丸の内まで辿り着けた。
八重洲口にはまた新たなビルが出現し工事が進められていた。
東京はバブル期のように景気が良く、
新しい建物がアチコチで作られている。
これ以上悪化して、
発作が始まると困るので、
大量に水分を取り、
朝から何も食べずに過ごした。
だからこの弁当を見たときは、
震えるほどうれしかった。
中を開くと、
相変わらず健康に配慮した作りが素晴らしい。
野菜の煮物には、プリン体の心配は無い。
鮭と卵焼きのバランスが最高だ。
エビだけが要注意だが、
小さいのが一匹で大した量では無い。

そして炊き込みご飯が旨かった。
量も味も抜群だし自然の素材が生きていた。

体に優しいお弁当のおかげで、
左足の親指は一旦おとなしくなった。
くわばらくわばら。
しばらくの間、おとなしくすることにしよう。
急に毒気が抜けたのだろう。
話す内容もおとなしかったらしい。
隣りに居た参加者に、
「今日は随分おとなしかったですよ」と褒められてしまった(笑)
予定が全て滞り無く終わり、
久しぶりに新幹線に乗った。
月に二回ある関東出張に、
もう5年間ぐらいクルマだけを使っている。
そのほうが愉しいからだ。
その間に長い間工事中だった東京駅が、
全て綺麗に蘇った。
外からはいつも見ていたが、
入ったのは竣工後初めてだ。
丸の内から八重洲に向かうコンコースで、
その変貌振りには目を見張った。
こんなに様子が変わると、
感心するというより、
JR東日本がかなりお役所仕事で怠慢だったと気がついた。
やる気になれば稼げるし、
利用客も便利になるのに、
面倒だからやらなかっただけだったのではなかろうか。
これで煽りを食うのは大丸だろう。
もうあそこまでお土産や弁当を買いに行く必要がなくなった。
このチャーハンは見た習慣に食欲の固まりを絞り出してくれた。
それにどう対抗して変身しているのか、
次に上京する日が楽しみだ。
恵比寿でも感じたが、
東京では「日本酒復権」も素晴らしい勢いで進んでいた。

日本人らしく、
日本酒を美味しくたしなめる環境が整いつつある。
次は大丸百貨店を覗いてみよう。
絶対に面白い戦いが繰り広げられているに違いない。
新幹線の乗り場近くで、
お土産の壮絶な戦いが始まっていた。
ただし実力勝負より話題性だ。

テレビに出たことが何よりも武器らしい。
それは当然だ。
テレビで食べて比較されたのなら、
美味しいに決まっている、
と普通の人なら思う。
もらった人も話題性があるから喜ぶ。

しかしその反面で、
本当に美味しいモノが消えていた。
この土産売り場はリニューアルされ広くなった。
ところが安くて美味しいフロマージュを売る店を探しても、
遂に見つからなかった。
大量輸送もパラダイムシフトだ。
JRとNEXCOが業務提携した。
保護された公社的側面から脱するのに長い時間を必要としたが、
これからは単なる輸送事業や道路事業の枠を超え、
消費活動に関わる重要な役割を担うだろう。
これらを鑑みると、
自動車業界にも大きなパラダイムシフトが訪れて当然だ。
その時、
何を顧客は「SUBARU」に求めるのか。
その答えはそれほど難しいものでは無い。
安全で楽しく際立つ「良い」クルマをSUBARUが提供する。
STIが度肝を抜くような「凄い」クルマを提案する。
このリンクにある過去のブログから、
嗅ぎ取って欲しい。
軸足は振れてはいないはずだ。
まだ見ぬBRZに思いを馳せながら、
伝説を信じ「凄いクルマ」を願う人を諭していた。
当時はtSの黎明期だったが、
当初から本質的に「凄いクルマ」とは思えず、
「良いクルマ」の延長線上にある製品だった。
STIは「tS」のような中途半端な製品では無く、
「凄さ」に一点集中したクルマを作るべきだろう。
そのアンバランスさが、
スバル全体の魅力を更に高めると思っている。