シカゴ オヘア国際空港に無事到着すると、
雨模様の空港でジャベットが待っていた。

このバスドライバーは腰を痛めていて、
満足に荷物の上げ下ろしさえ出来ない。
でも、さも痛そうにゼスチャーする様子が憎めなかった。
彼の運転でいよいよ今回のミッションは始まった。
始めに向かったのはシカゴ美術館だ。
アメリカの建造物には全て余裕があり、
だだっ広いエントランスで少し戸惑う。
見始めると、

正しく理想の世界が絵画にされていた。
蝉のようにオンナが木に貼り付き、
嬉しそうに横たわる自分が居るようだった。
辺り一面に色気が漂う様子に眼が眩んだ。

その近くにはマリオ高野の肖像画が飾られていた。
頭に何か刺さり眼が寄っている所が実にリアルだ。

その横には思わぬ絵画があった。
幼稚園時代に、
描いた絵を見た先生が、
「お宅のお子さんは頭がおかしい」と母に言った。
この絵を見たら、
母が妙に不憫に思えた。
もし優れた指導者に巡り会えていたら、
「かわら版」の原画をここに飾られるほど、
芸術性が育ったかもしれない。
指導者は、
本当に大切だ。

そのまま歩くとシュールリアリズムの世界に迷い込んだ。
更にその先に足を踏み込むと、
明らかに他と違うオーラを発する絵画があった。
「赤い肘掛け椅子」という題名だ。

近くに寄れば寄るほど、
絵の表面から迫力が滲み出る。
ピカソだった。
あまり絵画のことに詳しくないので、
勝手な印象を綴る。
シロートがクルマと絡めて語るので、
緩く捉えて欲しい。
ここにはピカソだけで無く、
色々な名画がウジャウジャ有る。
この部屋にはピカソだけでも何点もあり、
とても見応えがあった。
先の絵画など題名を見なければ、
何が赤いアームチェアーなのか解らない。
ただオンナが狸や狐のように「化けるぞ」と暗示しているようだ。
そこが面白い。
ピカソが1931年に描いた作品だ。
続いてその四年前の作品を見た。

1927年に描かれた「頭」という題名の絵画は、
また違う独特の風合いを放っていた。

色使いと筆遣いと構図が、
全く違う風景を形作る。
次の絵画は更に五年前まで遡る。
1922年に描かれた、
「Still Life」という作品だ。

「静かな」と「LIFE」が、
具体的に何を指すのか解らない。

それになぜかサインも無い。
ただ筆送りに独特なオーラを感じた。
ピカソを極めたわけでは無いので、
もしここで見なければ、
作者が誰か気がつかなかった。
ちょっと暑苦しいこの絵画もピカソの作品だ。
これは最近のマツダデザインに感じる匂いだ。

「母と子」と名付けられた作品は、
「Still Life」の前年に当る1921年に描かれている。
「赤い肘掛け椅子」とは10年の隔たりがある。

そして次に「ダニエルヘンリーの肖像画」を見た。
1910年の秋に描かれた、
ピカソが29歳を迎えた時の作品だ。

ダニエルが誰かは知らないが、
絵から匂うのは暗い世相だ。

ピカソは1881年生まれのエネルギッシュな男だ。
彼らの時代は戦争を幾度も重ねた辛い時代だ。
日本もその頃、
時代の激流の中にあった。
ピカソ誕生から3年後の1884年に、
群馬県で面白い男が産まれた。
富士重工の前身、中島飛行機の創設者「中島知久平」だ。
彼は海軍機関学校を優秀な成績で卒業し、
海軍初の国産開発に関わった。
完成までの功績を認められ、
1914年に造兵監督官に任命されている。
そして官費でフランスに出張し、
日本国が発注した飛行機や発動機の生産を監督した。
フランスで活躍したピカソと、
中島知久平が重なった。
1914年は第一次世界大戦勃発の年だ。
その五年前の1909年、
ピカソはこんな絵も描いた。

「ある女の頭」と題されたこの作品も、
画風が晩年と随分異なる。
何か果てしなく暗い。
フランスで創作活動を続けたピカソは、
相当頑固な男だったようだ。
中島知久平も同じ時代を生きた。
そしてフランスで暗い世相から何かを掴み取り、
帰国後に意を決したのだろう。
中島飛行機は、
フランスから帰国した三年後の1917年に設立された。
更に遡ろう。
ピカソが1906年に描い二枚の裸婦画だ。

まず夏にこの作品を描いた。
器を持つ手が何とも言えない雰囲気を醸し出す。
秋に完成させたポートレートは、
絵の具の使い方に特徴があり、
ピカソの女性に対する拘りを感じた
次の絵は、更に三年ほど前の1903年の暮れから描き始め、翌年完成させた絵画だ。これからは鬼気迫るモノを感じた。
年老いたギター弾きという絵画には、
「飢え」に対する強烈な怨念を意識させられた。

ピカソの絵画には、
強烈な「筋」がある。
ところが、その作風は年ごとに変化する。
スバルの作るクルマにも、
その時代背景に応じて、
クルクル変わる面白さを感じる。
何となく似ている。
これが極めて面白い。
シカゴにある美術館で名画を楽しみ、
腹ごしらえに移った。
昼飯一つとっても研修だ。

各自好きなモノを選び、
多ければシェアする。
より多くの体験が可能になる。

ミシガン湖畔は、
雨の予報が青空に変わった。
心と体の両方にエネルギーを蓄えた。
シカゴで昼飯を終えインディアナ州に向かった。
ここからの時差は一時間だ。

アメリカの道路は単純だ。
だから方向感覚さえしっかりしていれば、
まず道に迷う事はない。

ひたすら真っ直ぐ走る。
ハイウエイは基本的に東西線と南北線に区分けされ、
それぞれ結びつく場所が発展している。
風力発電の大きな風車が見え始めた。
これ自体は別に珍しくない。

これぐらいの風景ならドイツでも見飽きるほど眺められる。
ところが少し様相が違ってきた。

ギョッとするくらい立ち並んでいる。
しかもそのほとんどが運転を停止し、
ただ立っているだけだ。
何かとんでもない問題でも抱えているのだろうか。
スバルもこの技術には自信があったが、
数年前に全て日立に売却した。
日本では環境問題になる要素が大きく、
スバル単独では難しい事業だった。
予定通り一泊目のホテルに着いた。
ジャベットは、
一個目の荷物を降ろしただけで声を上げた。

でかい図体の割に役に立たない。
しょうが無いので吉村が軽々と降ろした。
よほど彼の方が頼りになる。

でも明るくてガイド好きなジャベットと楽しく過ごせた。
これで彼ともお別れだ。
チェックインがスムーズに行くと良かったが、
予約はなんと翌日からだった。
実にアメリカンな経験を初日から重ねた。
幸いこの日は部屋数に余裕があり、
難無く宿泊できた。
すこし周辺を探索してアメリカに馴染もうと、
皆で集まり歩き回った。
この辺りは治安も良く日本とそれほど変わらないが、
歩いている人は少ない。
完全なクルマ社会だ。

ホテルのすぐ裏がウオルマートだった。
海外研修の楽しみの一つが「部屋飲み」だ。
早速必要な燃料を買い求めた。

何しろビールが安い。
どれが良いかさんざん吟味し、
つまみもしこたま買い込んだ。
夜食用にカップヌードルも買った。
メチャクチャ安い。
スターバックスブランドの飲料もある。

これも安くて美味しそうだ。
買い物が終わりレジに行って驚いた。
一緒に買うなら全員のIDカードを出せという。
この州の決まりで、
IDカードを提出しない客にはアルコールは一切売れないらしい。
禁酒法が定められたほどの場所だから、
アルコールに厳しいのは解るが、
次からが大変だった。
パスポートも国際免許証も通用しないのだ。
アメリカ合衆国政府が発給したモノしか認めない。
何しろ字が読めない人も居るのでかなり厳しい。
ビザなど発給するわけ無く、
酒の購入は諦めた。
早速ホテルに帰り晩餐会だ。

生ビールが旨かった。

ボストン近郊で作られる濁りビールだ。
コイツは体にも良く合うし、
味も良かった。
毎回研修では色々な料理を少しずつ注文する。
そして皆で分け合って食べる。
美味しいなら追加すれば良いし、
食べ慣れないモノをリスク分散できるからだ。
それが良いチームワークも燻蒸する。
バーベキュー一人前と、
ステーキ一人前を頼んだら同じ皿に載ってきた。

これをシェアしたのは梅田だ。
均等に分けながら食べるのが一番楽しい。
既にスターターでシュリンプなどを食べた。
僅かな量だったがサラダもあるので、
メインディッシュはこれだけで充分だった。
もうほぼ満腹になり、
オーダーストップになった。

併設されたバーも良かったが、
閉店だという。
仕方が無い。
レストランに頼みシャンペンを2本部屋に持ち帰った。
黒いラベルを二本注文したが、1本しか無かったそうだ。「代わりに高い方だけど、同じ値段にしといたわよ」とウエイトレスが言った。
MARTINIの方が高いらしい。

ポンと景気よく抜いた。

パーティタイムだ。
馬鹿ほど酒を買わなくて良かったかもしれない。
疲れが溜まっているので、
翌日に酒が残ると大変だった。
酒の代わりにカップヌードルで盛り上がった。

あまりにも安いので心配したが、
これはこれでなかなかいける。

珍しいこともあるので、
大いに盛り上がりパーティは佳境を迎えた。

回し食いしながら感想を述べる。

汁物に植えていたので、
とても美味しかった。

こうして長い一日が終わり、
二日目は米国の生産拠点見学に備えた。
と思ったら、
強者が二人居た。
塩辛い物を食べすぎたせいか、
北原と大宮はビールを飲みたくなり夜の街にさまよい出た。
コンビニにビールは無く、
ホテルに行けと言われたらしい。
言われたホテルに行くと、
「そんなモノは無い」と追い出されたらしい。
何事も勉強なので、
アグレッシブな精神にエールを送った。
けれど本心では、
無事に帰ってきて良かったなぁと翌朝安堵したのでした。
簡単に買えすぎるのも問題だな。
日本はインディアナ州以上にアルコールに寛容だ。
少し見直した方が良いかもしれない。
でも逆に吞めない人も多くなった。
簡単に入手できても、
顧客層は減ってると言うことか。
なかなか世の中は面白い。
スバルのクルマが米国で正当な評価を受け、
人気が沸騰していることがより詳しく解った。
ピカソの絵画に惹きつけられた理由と、
何か似たような感触だ。
この後のブログでいよいよSIAを詳しく紹介したい。
終わり
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