夏祭りで集まったアンケートだ。次のイベントに向けて分析を始めた。
さて、親友を紹介したい。
相原正文君だ。
祖母同士が友人。父親同士も友人で幼なじみ。
彼とは高校入学で再会し、それ以来親しく付き合っている。見たとおりのスポーツマンだ。サッカーが得意で、大学時代もサッカー部に所属。
友人の中では最も運動神経に優れている。卒業と同時に教師の道を歩み、今年から校長先生として更に才能を発揮している。
奥さんの恭子さんとも、相原君を通じて知り合った。彼女とも大学時代からの付き合いなので、気心も知れた関係だ。久しぶりに夫婦揃って遊びに来てくれたので、同乗試乗をサービスした。相原君の愛機はBL5のGTなので、
当然S4が次の愛車候補だ。
ドライバー交代の前に、旋回性能がどれぐらい凄いのか、実際に走らせて説明したところ、奥さんを悲劇が襲った(笑)。
大きなコーナーの手前で、進入角度をしっかり整え、そのままピュンと進入したら、後席から「ウッソー!」と大声が聞こえた。
何かと思ってルームミラーを確認したら、彼女が水平方向にぶっ飛びながら、「ゴツン」とドアに頭をぶつけた。
シートベルトを締めたのか、走る前に確認した。なのに、人の言うことを全く聞いていない。今度はしっかり締めたので、相原君に運転を代わった。校長先生に良く似合う、パールホワイトのS4だ。
アンケートに夫婦揃って愉快な回答があった。
右のアンケートがハンドルを握った相原君。左の来場アンケートが恭子さんからだ。
正直なところ、二人とも自動車の運転は「おっくう」だという。
二人とも抜群の運動神経を誇っていた。まだまだ運転スキルも伸びる。もったいないと思うが、日本の自動車環境ではやむを得ないだろう。何事もそうだが、興味が無ければ次のステップも登らない。
逆に高校時代に運動音痴で、「けあがり」さえできず、もう少しで落第する所だった。
音楽も死ぬほど嫌いで、人前で唄うなんて考えられなかった。
美術など何が良いのか解らず、絵の具の匂いを嗅ぐのも嫌だった。
そんな人間が全く逆の事をしている。人生とは摩訶不思議だ。
ヒトは死ぬまで勉強するという、宿命を背負ったイキモノなのだ。
50歳を境目に水泳が好きになり、最近は1000m泳いだタイムを、健康のバロメーターにしている。苛酷な夏のイベントに、健康管理を欠かせない。13日の夜に1000mを泳ぐと、
タイムは28分36秒71だった。
その頃、日本中を震撼させる残虐な事件が起きた。犯人が逮捕されて良かったが、後味の悪い事件だ。最近のお年寄りには、
寝屋川で起きた事件がどのように映っているのだろうか。
物心が付いたばかりの頃、
おばあちゃんの口癖は、
「暗くなると、こうとりが来るよ」だった。
「こうとり」とは「人さらい」のことだ。
まだ中津川の駅前通りを、
牛車が時々通ることもあった。
まさに終戦後と、
高度成長期の過渡期だった。
その頃「吉展ちゃん誘拐事件」が起きた。
「こうとり」と聞くと、
無性に夜が怖かった。
特に「死んだらどうなるか」と思えば思うほど、
暗い闇に飲み込まれそうになり、
怖くて眠れない時もあった。
子供は早く寝るに限る。
成長ホルモンがたっぷり出てスクスク育つ。
本来ヒトは昼行性のイキモノだ。
夜徘徊して良い事など一つも無い。
だから怖い思いをさせるのも、
大切な手かもしれない。
最初の怖い思いが「死に直結」とは、
余りに酷すぎる。
子供を諫めたり、
励ましたりする大切な役割を、
祖父母が担っていた。
最近の世の中で、
「祖父母」と言われる人を見ると、
その役割を知らないのではないかと思う事がある。
やらなくてはいけない事を疎かにして、
やらなくて良いことを深く考えずにしてしまう。
それほど、
見ていて逆のことをする人達が多くなった。
人間は歳を重ねると、若い時と逆の方向に向かうのだろうか。
さて出張から帰り、すぐに泳いだ。前回から9日目になる22日の夜、
1000mのタイムは28分24秒48だった。バロメーターは正直に、
ハードな毎日を有意義に過ごしたことを告げた。精神も身体も充実し、12秒ほど短縮した。どうしても不摂生になりがちなので、娘は夜の食事を低カロリー高タンパクに作る。健康維持は何よりも大切で、
絶好調を夜の食事が支えてくれた。
イベントが終ってからも、
各地からお客様が来店された。
東京の小川さんに、ステキなお土産を戴いた。
袋を覗くと珍しい色のA12が見えた。スバル1000のコレクションに奥行きが産まれた。
サブロクの下から美味しそうな箱が出てきた。これは小川さんが子供の頃から食べている御菓子だ。
目黒の洋食屋がそのルーツだという。
目黒と新橋の2店舗だけで、洋菓子一本で勝負している凄いブランドだ。どれも美味しいが、このチョコレートケーキには舌を巻いた。
美味しいお菓子をありがとうございました。
小川さんと入れ替わるように、
愛知県から宮里さんがいらっしゃった。
先月のAプランに続き、Bプランを希望された。
Aプランではステアリング捌きと、ブレーキのタイミングを主に伝える。
Bプランではラインセッティングと、ライントラッキングが主な練習になる。
コーナーのどこを通ってスムーズに走るか、まずそれを頭で計算する。次に描いたイメージ通りにそのラインをクルマでなぞる。
これに必要なのは、それぞれ全く別のスキルだ。
宮里さんにお土産を戴いた。
珍しい抹茶あん入りのわらび餅を、
冷蔵庫で冷やし、
付属の「きな粉」をまぶして食べた。抜群の風味だった。
17日の月曜日、午前中に宮里さんのDEを終え、午後から同じコースでGC8をテストした。間もなく23万kmになる初代WRXを、しっかりしたクルマに整える。
中瀬さんからお預かりして、
もうすぐ1ヶ月近くになる。
今後も可能な限り好調に性能を維持させたい。
今回のテーマは「シフトフィール」だ。
シフトリンケージの一部パーツが、
既に生産を終了して久しい。
従って部品交換以外の方法で、
変速時の手応えを大幅に改善する。
午前中とは打って変わり、
高速道路で渋滞が生じていた。
珍しく恵那山トンネルのかなり手前から、
ノロノロ運転が始った。
トンエルの中をゆっくり走ると、
劣化の状態が良く解った。
通過中のドライバーが、
どうしてもこの作業を見るので、
走行速度が落ちる。
だから自然渋滞が起きていた。
笹子トンネルの事故以来、
恵那山トンネルでは詳細な調査と改善が続いている。
設備もイキモノも時間が経てば老化する。
それをカバーするために一番大切なことは、
何と言っても定期点検に尽きる。
トンネルを出て、
渋滞は一気に無くなり、
そこから本来のGC8を確かめた。
ワインディングに行くと、
相変わらず「舞う」ように走る。
素晴らしい持ち味は健在で、
老化を全く感じさせなかった。
スバルのラインアップで、
同じ味を持つクルマはBRZだけだ。
出発に先立ち、
フォレスターを使うのか、
それともBRZを選ぶのか思案に暮れた。
GC8に乗ったことで、
大いに刺激を受け、
真っ白なピュアスポーツカーを相棒に決めた。
BRZは「舞う」ように走る。既に3台のBRZを乗り継いだが、それぞれに個性があった。そしてどれも気持ち良い走りは格別だった。
最新のBRZは、ピュアスポーツの名に恥じない性能を更に磨いた。そして同時に、GT的な味も色濃くなった。
それを一番感じさせるのが、高速道路上に於けるリヤサスペンションの動き方だ。
サスペンション取り付け部の剛性アップは、マルチリンクやダブルウイッシュボーン式の弱点と言える、フリクション増加を低減させた。
従って後ろ足がスムーズに良く動き、上下動をストレス無く吸収する。
路面の抑揚に合わせ、車体が持ち上がりストンと落ちる時の、具合が実に滑らかになった。
以前なら、トッコン、トッコンと上下する場面で、最新型はピョンギュッ、ピョンギュッと言うように、踏みしめるようにトレースする。
会社を出るのが遅れたので、少し道を急いだが、疲れを知らずに六本木に到着した。
既に午後10時を過ぎていたが、東京のど真ん中で、良い食事を満喫した。
これは「まこもだけ」を炙り、味噌だけを添えたシンプルな料理だ。カウンターの上に並ぶのは、ほとんどが野菜。
色が悪いな、と思ったら生の枝豆が並んでいた。注文したらその場で茹で始めた。
ちょっと飲みすぎたが、翌日も来ると約束し、その店を後にした。
そして最も重要な翌朝の会議に臨んだ。船井総研はとてつもなく広い分野で研究会を主宰する。その全国大会が毎年夏開かれる。特に今年の会議が重要な理由があった。
自動車分野とまるで縁の無かった船井総研だが、近年は軽自動車の新たなビジネスを開拓し、全国的に大成功を続けて居る。
そもそも創業者の船井幸雄から、自動車の匂いなど全く感じた事が無かった。
むしろクルマなど嫌いだろう。ほとんど興味が無かったと思う。要するにクルマを乗り回す愉しさとは無縁な人だった。
その船井総研で、自動車の強力なビジネスモデルを誕生させた男が居る。それが常務執行役員の中谷貴之だ。彼は上司を何人も飛び越え一気に役員になっただけで無く、中国で展開する船井総研のビジネスも統括する。
その晴れ舞台を応援せずに居られるはずが無い。
しかも彼の講演が大会の封切りだった。さらに驚いたことに、中津川の優良企業が船井財団から表彰されると知った。
早速最前列に走り、お祝いを述べた。
友人の加藤景司さんだ。加藤製作所を中心に、いくつかの企業を束ねる中津川市の伝統的な企業だ。
三菱と古くから取引があり、最近ではMRJの部品製造を担うことになった。中津川市のポテンシャルを感じさせる嬉しい知らせだった。
講演の後、恵比寿に向かった。これほど慌ただしく移動する時は、クルマを絶対に欠かせない。約束通り、午前中にスバルビルへ滑り込んだ。久しぶりに7階から空を見ると、鉛色の風景が広がっていた。スバルビルに来て、昔を思い出した。
父が社長を務めている頃、新宿の本社まで送り届けたことがある。
当時は今より近いドアツードアの位置関係だった。
父がその時何を打ち合わせたのか、今では知る由も無いが、迎えてくれたのは成田部長だった。
多分「飲みましょう」ぐらいの軽い話だろう。
そんなことを思い出しながら、ランチを摂った。
相変わらず恵比寿周辺には活気が溢れていた。
新宿とは全く違う、生活の匂いに溢れている。スバルは良い場所に本拠地を移した。本社で用件を済ませ、東京スバルの小松さんに挨拶し、次の目的地へ向かった。
上野までおおよそ60分掛かるが、デカイ鞄を提げてウロウロするより、BRZで走った方が遙かに速い。平日なら駐車場も空いている。
ここはロダンの彫刻で名高い、
国立西洋美術館だ。
130年以上前に作られたとは思えない、躍動的で張りのある作品だ。
ロダン中心の彫刻展示コーナーを後にし、
順路に従い名画を楽しんだ。
国立西洋美術館に興味を持った理由は二つある。
今春、シカゴを訪れた時、
思わぬ名画に出会った。
ブグロ-の裸婦画を目にした途端、
その柔らかな曲線に酔いしれた。
これこそ心の栄養だろう。
日本にもブグロ-の作品があると知り、
訪問する機会を窺っていた。
紛れもない彼の作品だ。
しかし、
またしても凄い絵画に出会ってしまった。
何とも思わせぶりなタイトルだ。
この眼力に引き込まれ、
絵の前からしばらくの間、
どうしても離れることが出来なかった。
この引き込む力は、
まだ幼いBRZと何となく似ている。
スバルファミリーの中で、
BRZが担う役割はアヒルの子。
「ひまわりだけがゴッホじゃない無い」
この絵はそう語った。
ルノワールもある。
こうして絵画を眺めると、
今でも続く良い風習を感じることができる。
その反面、
僅か100年程度で、
人類がどれほど急激な繁殖を繰り返したのか、
それを改めて実感した。
農村を舞台に繰り広げられる、
絵画の中の世界は極めて自然で優美だ。
反骨精神の塊とも言えるピカソの作品は、
常にユニークな性器ををモチーフに、
ヒトの本性を深くえぐる。
ピカソの絵画は、
キャンバスの上を、
筆が舞うように描かれている。
この面白い絵のタイトルは、
「絵画」だ。
なにか人を舐めてるところもあるが、
良く見るとなんだかとても奥が深い。
この絵の前に、
同じ柄のベストを着た人が集まっていた。
何かの講習なのだろう。
他の絵の前でも同じ光景を見た。
リーダーとおぼしき女性の前に、
6~7人の年配の男女が腰を下ろし、
熱心に絵を見ていた。
「さあ、この絵は何をイメージしてるのでしょうか」
「何に見えますか」
と女性が彼らに問うたが、
誰一人としてそれに応える人は居なかった。
静寂だ。
悪い癖で思わず余計なことを口走った。
「これは縛られた犬が夕日を見ている絵」
皆こちらを見た。
ホーという人も居れば、
無感情な人も居た。
リーダーがあえて聞こえない振りをした所を見ると、
余計なことをしたのに違いない。
なぜ口を挟んだのか振り返ると、
オトナを幼稚園児のように扱い、
絵画の前に集団で座らせる行為が不愉快だったのかもしれない。
さらに付け加えると、
その中に凜としたお年寄りは居なかった。
ヒトに産まれ子供を作りやがて老いていく。
大勢の老人達が絵から何を学ぼうとしていたのか。
それは良く解らなかった。
意欲のある人達である事は間違いないが、
何か忘れているような気もした。
雨がぱらつく残暑の東京を、
BRZで縦横無尽に走り回った。
上野から谷中を抜け、
白山道りへと向かった。
道路は空いていて、
気持ち良く走る事が出来た。
駐車中の宅配トラックを追い抜き、
正面を見るとなだらかな坂からバスが降りてくる。
信号待ちで右側を見ると、
魅力的な商店街が隠れていた。
東京の風景はとてもステキだ。
本郷に着き、
東大の間を駆け抜けた。
そこから馴染みの街が姿を現す。
東京ドームを正面に見て、
右折すればそのまま新宿まで一直線だ。
高島屋は駐車場のアクセスが良く、
店員も親切だ。
久しぶりにセオリーに顔を出した。
そろそろ一着買って、
カジュアルに着こなしたい。
気さくな店員さんと雑談して高島屋を後にした。
駐車場を出て明治通りを南進する。
六本木までは目と鼻の先だ。
こうして丸一日に渡り、
BRZで東京の雑踏を舞うように駆け抜けた。
仕事を終えた後の黒ラベルが旨かった。
つまみにネギを焼いてもらうことにした。
シンプルな料理だが、
ネギの甘みを抜群の火加減で炙り出している。
この味が、
豊潤な無濾過純米酒と見事に調和した。
香り抜群、味したたか、喉越し柔和。
少し飲みすぎて、2日目の会議に遅刻しそうになった。
高輪プリンスホテルのパミールに車を滑り込ませると、会議が始まる寸前だった。
ビジネスの傾向を発表し、意見を出し合う。
ただし軽自動車の話題が多いので、
どうしても現実的になる。
少し話もかみ合わないので、
早めに席を立ち隣の建物に移動した。
看板には魅力的にリニューアルし、
7月10日にオープンしたと書いてあった。
誕生日が同じなら、
きっと良い事が沢山あるに違いない。
さっそくエプソンがプリンスホテルで展開する、
アクアパーク品川に入った。
この水族館を見るのは初めてだ。
2200円払って入場すると、
夏休みでとても賑わっていた。
思わず目を疑った。
遊園地の設備がある。
しかもかなり怖いヤツだ。
こいつを舐めてはいけない。
狭い所でこんな物に乗ったら、
違う理由で小便を漏らすほどの恐怖を味わう。
ほら、思った通りだった。
ほぼ垂直になるので、
誰もが恐怖で絶叫している。
くわばら、くわばら。
海獣のカルーセルも奇妙だった。
胡麻斑アザラシに跨がっても、
余り嬉しくない。
同じカルーセルなら、
ノルドシェライフェの方が良い(笑)
ここまでは笑って済ませる冗談だったが、
ここまで来るとオヤッ?となる。
カフェかよ。
ちゃんとした物を早く見せろといらだってきた。
次のコーナーではクラゲが現れたが、
少しもアカデミックでは無い。
ショービジネスと言えばそれまでだが、
千切れたクラゲのカラダを見て、
何となく活きの悪い寿司ネタを思い出した。
普通なら怒りがこの辺りで爆発する所だが、
ここからの光景が全ての不満をぶっ飛ばした。
長ーいエスカレーターで2階に上ると、
大きなスタジアムが現れた。
沖縄や伊豆の水族館に比べ、
少々こぢんまりしているけれど、
圧倒的な存在感がある。
何しろ全て計算され尽くした造りなのだ。
しかもこのイルカは、
本番になると猛烈な速度で泳ぐ。
今はまさにレッキの最中だ。
本番前のイメージトレーニングのように、
アクリル張りの水槽を気持ちよさそうに泳ぐ。
しつこいほど水が飛ぶから注意しろとアナウンスがある。
相撲でも一番迫力があるのが砂かぶりだ。
奇妙なことに、
一番迫力ある席が最後まで残る。
カッパを持ってないとずぶ濡れになるからだ。
そんなに心配しなくても、
ちょっと濡れるくらいだろう、と案内を無視していたら、
近くにお姉さんがやって来た。
「あのー、間違いなく濡れますのでご用意をお願いします」
と購入を促された。
価格を聞いたら100円だという。
こりゃあ着た方が安心だ。
何しろ被るのは海水だ。
カメラもあるし用心した方が良い。
2頭の腕白そうなイルカが位置に付いた。
後で解ったが、
こいつらは観客に頭を振って水を掛ける役割も担っていた。
くるりと向こうを向くと、
2頭が揃って仰け反る様に水を観客席に放り込む。
天井からカクテルライトに彩られたシャワーが吹き出すと、
いよいよショーが始まった。
2頭のイルカの動きは、
まるでインプレッサWRXだ。
本当に舞うように水槽の中を高速でターンしながら、
空中を飛び回る。
イルカに掴まった人間も、
天井に向かって飛び上がった。
目にも止まらぬスピーディーな展開に息を呑む間もなかった。
すると、
最も大きなハンドウイルカが大ジャンプした。
強烈な水しぶきが3列目まで覆った。
このイルカはアウトバックのイメージだ。
このイルカ達は実に賢い。
そして演技が終わった後も練習を続けた。
それぞれのイルカに、
専任のトレーナーが付く。
水槽の向こう側で男性のトレーナーがイルカに乗った。
「イルカに乗った少年」という歌謡曲があった。「イルカに乗ったオッサン」もなかなか格好良い。
この水族館はここから本領を発揮する。
「ザ スタジアム」と名付けられた大きな水槽で、
ドルフィンパフォーマンスが繰り広げられた。
それが終わると、
観客は一気に「ワンダーチューブ」に移動する。
見たことも無い魚に、
見たことも無い角度で接する事が出来て、
いくら見ていても飽きない。
また魚の食性が良く解り勉強になった。
ごった返していたワンダーチューブも徐々に人がまばらになった。
魚は泳いでるのでは無く、水中を舞う。
エイの仲間は、
餌を食べるのでは無くバキュームしながら、
砂だけを吐き出す。
伸ばした唇で器用に砂を吸い込むと、
舞い上がりながら上手に砂だけ吐き出す。
その時に宇宙人が笑うような奇妙な表情を見せる。
眼の先に膜を持つ者も居る。
普段は抵抗を減らすため巻き込んで角のように尖らせているが、
捕食する時に上手に広げ口へ誘導する。
そのためこの魚の口は頭の下では無く先端にある。
多くの子供達が魅せられたように凝視しているのが、水槽に映った姿で解るはずだ。ところが、ふと奇妙な光景に出会った。
狂ったように泣き叫ぶ、乳飲み子を抱えた老婦人の姿だ。
泣き方が尋常では無かった。
子供の泣き方にはいくつかの種類がある。
あれほど泣くのには、
それなりの理由があるはずだ。
痛い、
冷たい、
怖い、等と言った緊急性を伴い、
腹が減ったとか眠いと言った、
甘えた泣き方では無い。
それなのに、
その老婦人はその原因を知ろうとせず、
平気で泣かせる。
娘とおぼしき女性は、
もう一人を背負いベビーカーを側に止め、
うつむいて何かをしている。
水槽の真ん前で人の流れも一切気にしない。
老婦人が子供を抱え水槽に背を向け、
数歩歩んだ時、
泣き叫ぶ理由が解った。
1歳にも満たない子供にとって、
その場所はゴーストタウンに近いのだろう。
特に大きなウミガメが恐ろしいようだ。
老婦人が振り返り、
水槽の方に向かっていくと、
また狂ったように鳴き始めた。
そりゃあ怖いに決まってる。
こんな悪魔みたいなヤツが、
目の前で自分を睨み付ける。
これがトラウマになり、
強烈な好き嫌いが生じていくのだろう。
ムカデや蜂が死ぬほど嫌いなので、
その子の気持ちが良く解った。
毛の生えた動物も居る。
さっさとその場を離れ、
カピバラでも見せる方が良い。
この穏やかなネズミは、
ホノボノしくて気持ちが癒される。
カワウソもなかなか愉快だ
せせこましい動きは、
子供心を刺激するはずだ。
赤ん坊の状況認識力や、
記憶力を軽んじてはいけない。
やらなくても良いことを執拗に続け、
子供目線で気がつくべき事に眼が届かない。
最近の祖父母について、
「風呂の入れ方」もどうかと思う。
そんな出来事があった。
じいさんや婆さんになるのが、
若すぎるせいもあるのだろう。
「やまゆり荘」で見たくないモノを見た。
水族館で泣いた子と同じように、
その子も狂ったかの如く、
泣き叫んでいた。
抱いていたオッサンは、
明らかに親では無い。
歳格好からしたら、
その子が息子では余りに不自然だ。
洗い場で、
仰向けにした赤ん坊を、
せっせとシャンプーしていた。
その子は異常な声で泣き狂っていた。
ただシャンプーが嫌だけで無く、
他に何かを訴えている。
一回ぐらい洗わなくても死にはしない。
なぜそうもムキになって洗うのだろうか。
挙げ句の果て、
さほど年の差を感じないそのオッサンは、
その子を抱えて湯船に入った。
半身浴だが、
赤ん坊は堪ったもんじゃ無い。
爺さんは熱くないだろうが、
まだ歩けないような子供には、
刺激の大きい熱さだろう。
しかも「やまゆり荘」の湯は、
硫黄塩化物も多量に含まれた刺激性の強い湯だ。
硫黄臭く、塩辛くてタンサンも多い。
なぜ泣く子を無理に湯に入れるのか、
端から見ていると不思議だったが、
更に常識を逸脱する行動に出た。
湯から出た泣く赤ん坊を、
おシメも付けずに床に直接放置した。
公衆浴場の床がどれくらい雑菌だらけなのか、
この爺は知らないらしい。
しかも泣く子にとって、
次に想定すべき事は、
排便だ。
その時、
オッサンは子供を放置したまま、
ドライヤーで頭を乾かしていた。
子供が心配で見ていたら、
案の定、
泣き叫びながら排泄を始めた。
オッサンに注意を促すと、
うろたえトイレを往復し、
トイレットペーパーでかえってまき散らし始めた。
見かねて、
「すぐに服を着て受付に行き、理由を話して下さい」
そうアドバイスしたら、
素直に聞いて、
初めて父親らしき青年に、
「受付に行ってくるから見てろ」と声を掛けた。
雑なのか丁寧なのか、
良く解らない親子関係だ。
コミカルで済めば良いが、
余計な病気を拾ったり、
誤って死なせたり、
良くない行為に繋がることもある。
やらなくてはいけない事を放棄し、
やらなくても良い通説に支配される。
アクアパークで、
魚だけでなく、
最近の奇妙な親子関係を興味深く観察したら、
過去の体験が系統的に結びついた。
アクアパークを出て、
東京を後にした。
品川から三田に向かい、
東京タワーの良く見える場所で左折した。
そこから高速道路に舞い上がった。
ほぼ2日間に渡り、
都会の雑踏を楽しく走り回ったが、
首都高速に乗ると、まさにBRZは「水を得た魚」となる。
なぜクルマが好きなのか。
魚は水中で舞うことが出来る。
人も水中で舞うことが出来るが、
魚のようには舞えない。
魚が陸に上がれば、
身動きできないように、
人も水中では少し不自由だ。
ワンダーチューブに入った飼育係を見て、
イルカの姿が重なった。
アクアラングを付けて、
潜水している人と、
海中最速の哺乳類「イルカ」を逆にすると良く解る。
強烈な速度で泳ぐイルカも、
陸に上がれば身動き取れない。
ところがどうだ。
陸で人は自由に動き回れる。
その上、
良いクルマを手に入れれば、
全ての哺乳類の中で、
最も優れた運動能力を身に付けることができる。
首都高速ほどテクニカルコースの多い場所は他に無い。
BRZはその場所で最も手足のように扱える、秀逸なクルマだ。
リヤサスの動きが良くなって、乗り心地とクルマを自由自在に操る能力の向上が、手に取るように解った。 出張から戻ると、山口県から世良さんがDEを体験するために来場された。
FRスポーツを手足のように扱うために、
はるばる遠方から訪れて下さった。
この夏は東の横綱「青森」に対して、
西の横綱は「山口」だ。
今やらなくてはいけない事を、
その手中に収めてもらえただろうか。
美味しいお土産をありがとうございました。
日持ちしないお菓子はやはり美味だ。
BRZで舞うような走りの糸口を掴めば、次のBプランでコーストラッキングが解る。
その直後に兵庫県西宮市から、土井さんがいらっしゃった。フォレスターでAプランを体験され、次はBプランに挑戦したいと語られた。
きっとやらなくても良いことと、今やらねばならぬ事を、正確に掴んでもらえたに違いない。
お土産にゴーフレットを戴いた。
子供の頃、大判しか無くて、二枚のウエハーズを奇麗に割って、中に挟まれたクリームを舐めるのが楽しかった。
大好物をありがとうございました。
土井さんと入れ替わるように、高知県から西村さんがいらっしゃった。
海洋深層水を利用した水菓子は、
アクアパークで楽しく過ごした時間を彷彿させた。
滅多に食べることの出来ない、貴重な味だった。
山葡萄のゼリーは、ジャムを固めて形にしたような、
儚くてまろやかな味だ。
絶妙なお土産をありがとうございました。出張から帰り慌ただしい日が続いたけれど、とても充実した真夏の日々だった。
おわり