もう語る必要も無いだろう。スバル1000のトピックスは、ダブルオフセットジョイント(DOJ)の開発に成功したことだ。
その発明のおかげでFFと言う通称も定着するほど、FWDの乗用車が主流になっていく。
乗用車としての性能だけで無く、
高効率な動力伝達システムと、軽くて高剛性なボディのおかげで、モータースポーツでも活躍し始めた。
まず国産車初のラジアルタイヤを装着した、スバル1000スポーツセダンが、
昭和43年9月に開催された、第10回日本アルペンラリーでクラス優勝、総合第5位という素晴らしい成績を残した。
翌年100ccボアアップしたこのFF-1が発売され、その俊足ぶりは日本中のクルマ好きを唸らせた。
総合第14位という成績を残したが、あくまでもプライベーターの位置付けだった。
続く昭和45年7月に、いよいよ1300Gがデビューすることになる。
ゼロヨンを16.8秒、最高速度170km/hという高性能ぶりを誇った。
この年の9月に開催された、第12回日本アルペンラリーは、スバルの本気度が全然違っていた。
初のワークスチームによるファクトリーアタックで、15日間、2100kmという苛酷なコース設定の中、参加総数102台中、クラスⅡ(1001~1300cc)で1・2・4位を占め、何と総合2位に入賞した。
完走したのは63台、完走率62%という苛酷なレースだった。
この頃からスバルはラリーに於ける並々ならぬ実力を発揮し始めた。
同時にエポックメーキングなクルマを出した。
しかも作ったのは宮城スバルという、東北の1ディーラーに所属した整備技術者だった。
高橋さんは、戦争中に戦車のメンテナンスをした人でも有り、履帯にも深い憧憬を持つ人だった。
スバルがその着眼点に注目した。
さっそく試作車を開発し、東北電力に納入した。
スバルの小型車が初めてリヤデフを持った瞬間だ。
スバル1300Gはレオーネにスイッチし、数々の成功をモータースポーツの場でも重ねる。
忘れられないのが、このAB5型RXだ。
室内のディメンションがスバルとしてのアイデンティティを示している。
こうして次のレオーネにバトンタッチされたスポーツ魂は、いよいよターボとして花が開く。
しかし、その頃はWRCを転戦するなど、夢のまた夢だった。
いよいよ55Nがデビューし、夢が現実になる。
総合優勝を狙えるクルマになったのだ。
以前も伝えたが、このクルマはWRC参戦車のテストベッドだ。
その凄味が解るだろうか。まだ未完成だが、今後を楽しみにして欲しい。動画をご覧戴きたい。