ドイツで旨い飯屋に入ると、硬いけどとてつもなく味の良いパンが出る。噛み締めれば噛み締めるほど旨味が口中に広がる。
そんなパンを歩いて数分の店で買うことが出来る。サンドイッチを買うつもりで行ったら、旨そうなバケットが並んでいた。硬いので三等分にするよう頼み、切れ目も入れてもらった。
3つに分けたのを一日一個食べた。最後に残った一個を、オーブントースターで30秒ほど温め、切れ目に練乳を沢山注ぎ込んだ。
何とも懐かしい味だ。練乳と良く合うし、鼻腔の奥に少年の頃の想い出が蘇る。
甘くて芳ばしい。
突然電話が掛かってきた。
受けた総務の羽柴が、
「社長、日東精工の四方さんと仰る方から電話が入ってます」と伝えてきた。
中津川にも「日東」と名の付く大手企業がある。
はて何だろう?
受話器を取ると、
さらに思わぬ事実を知った。
その相手はアメリカから電話を掛けているらしい。
なぜ日東の社員がアメリカから電話を掛けて来たのか。
かなり夜も更けているはずだ。
話をよくよく聞くと、
隣りにこのオトコが居た。
マイアミの友人ジェフだ。
米国仕様のレガシィを輸入する時に、
力を貸してくれた。
今もかけがえのない友人だ。
会って間もなく、
クルマの仕事から不動産の仕事に軸足を移した。
父親譲りなのか、
彼のバイタリティは凄い。
ジェフはレストランで偶然隣り合わせた四方さんから、
「SUBARU」と聞いて、
すぐに中津スバルを連想したようだ。
四方さんに良く話を聞くと、
「日東精工」は技術的にかなり優れた会社だった。
ネジに関わることに、
天下一品の技術を持つようだ。
それに、
邑楽郡大泉町に北関東事業所を設けている。
それだけでも、
スバルと深い関わりがある事を感じる。
それにしても、
四方さんも驚いただろう。
見たことも無いアメリカ人から、
スバルと言っただけで、
「この番号に電話を掛けろ」と強要されえた。
いくら「このオトコを知っている」と言われても、
迷惑な話だったに違いない。
「四方さん、どうもすみませんでした」
でも久しぶりにジェフの元気な声を聞けて、
とても嬉しかった。
この時も鼻腔の奥に、
練乳を付けたバケットのような香ばしい香りが広がった。
ジェフの隣でバイクに乗っている青年は、
息子のジェルミーだ。
前に会った時は、
まだ歩けるようになったばかりだった。
時の経つのは早いなぁ。
ジェフもスバルが好きだ。
だからいつも気に掛けてくれている。
日本人に強い親近感を持つ。
そんな縁で、
また面白い出会いになった。
SIAの生産能力増強が順調に進み、
関連する企業のスタッフが頻繁に米国を訪れるのだろう。
東亜工業も米国で新たな生産設備を立ち上げる。
それも岐阜県と縁の深いところだ。
SGPには東亜工業の技術が欠かせない。
だから飯塚社長も頻繁に米国を往復している。
ようやくお目に掛かれた。
でも僅か1時間ほどしか時間が無かった。
昼前後の予定だから、
恐らく昼飯も食べる時間が無いはずだ。
そう考えると、
中津川の郷土食は実に具合が良い。
話ながら食べやすい。
これを五平餅と言う。
じつに奥が深い食べ物だ。
団子状だが団子では無い。
ご飯を炊いて、
丸く握る。
それを串に刺して焼き上げる。
米と言っても、
餅米では無くうるち米を使う。
香ばしいタレは、
一度食べたら病み付きになる。
すり鉢に味噌や砂糖や、
その家に伝わる秘伝の材料を入れ、
ゴリゴリと丁寧に擂る。
クルミや落花生を混ぜて、
更にゴリゴリ擂る。
これらコシのある味が、
旨さの秘訣だ。
新しいスバルのシャシーは、
発表前から美味しそうだ。
スケルトンを見ただけで、
涎が出るほど堪らなくなる。
そのSGPを五平餅に例えると、
タレに混ぜたクルミや落花生の役割を担うのが、
ホットプレス加工材だ。
「要」なのだ。
SGPは異例のスケジュールで進んでいる。
米国と日本でほぼ同時に立ち上がるのだ。
スバルを大きく方向転換させる、
重要な中核技術だ。
SGPを一目見て、
ホットプレス加工材が絶対に欠かせないと思った。
飯塚社長のおじいさんは、
中島飛行機の技術者だった。
生粋の技術者として更に力を発揮し、
東亜工業を創業した。
だからこの会社は凄い技術を持っている。
日本のモノ造りには、
ゼロから産み出す力がある。
ホットプレス加工材は、
東亜無くして生まれない。
前回もこの愛機と共に来訪された。
社員が皆S207の登場にビックリしたらしい。
いよいよ1万キロを超え、
かなり本性を現してきた。
S207の本性を引き出すには、
本格的なサーキットが一番だ。
お土産を沢山有り難うございました。
打ち合わせでFISCOにも寄られたそうだ。
まるでレーシングサウンドが聞こえるような、
情熱的なサブレだった。
東亜の誇る生産設備を、
いつかきっと見せてもらおう。
このように春爛漫だと、
日本各地からお客さまが来場される。
埼玉から小暮さんがいらっしゃっって、
愛機のGDAにエンジンオイルを交換された。
相変わらず奇麗なサウンドを奏でていた。
ステキなお土産を有り難うございました。
通風も収まったので、
早速戴きます。
岐阜市から大変珍しいレガシィを、
リフレッシュメンテナンスでお預かりした。
佐藤さんの持ち込まれた愛機は、
「S」のルーツだった。
新品に交換できる部品を、
可能な限り取り寄せ、
一斉に取り替えた。
既に入手不可能な部品はもあるので、
注意深く作業を進めねばならない。
このEJ20はヘッドをゴールドに塗られ、
特別なオーラを放っている。
ゴールド塗装は、
STIが特別に何かを施した証だ。
入念に分解し、
疲労した部品を交換した。
そして丁寧な手作業で組み直す。
その効果は大きい。
誰がどのようにネジ一本まで締め付けるかで、
20万キロ以上走ったクルマには、
限りなく大きな差が生じる。
もしフロアの主要部分が腐食していたら、
もう手を掛ける余地は無い。
ところが、
RAのシャシーは見事な状態を維持していた。
担当した杉本も、
絶対にやり甲斐があったはずだ。
滅多に見ることが出来ない、
貴重なRAに触れたことは、
武者震いするほど良い経験になった。
まるで似たクルマ同士が呼び合うように、
工房の中が特別なターボ車で満タンになった。
手前からS402でRAが続き、
もう一台黒いS401が居る。
全てSTIのコンプリートだ。
S401は両方とも車検で、
他に予防点検のS201と、
納車待ちのS203も居た。
いつも思うが、
中津川の魅力は澄んだ空気と美しい水だ。
なかなか個性ある街並みも美しいし、
食文化にも特徴がある。
この大好きな郷土に、
どんどん遠方からお客様に来てもらいたい。
遠くからいらっしゃっても、
想像以上に楽しめる意外性のある街だ。
荒井さんにも喜んで戴けた。
R2のリフレッシュメンテナンスが終わり、
新車の時に近い性能が蘇った。
主の元に帰ったR2が嬉しそうにしている。
皆さんにお目に掛かれて、
とても嬉しかった。
ステキなお土産を有り難うございました。
この和菓子の詰め合わせは、
そんじょそこらの物じゃ無かった。
このお菓子を食べて、
改めて「中津川の菓子は近江の影響を強く受けた」と感じた。
中仙道で繋がっているから当たり前だが、
京で磨かれた伝統の技が、
近江商人と一緒に伝わってきた。
中津川の鮎菓子も定番商品だが、
店によって味のばらつきが大きい。
戴いた近江の鮎菓子は、
久しぶりに食べた絶品だった。
どら焼き風のお菓子も
甘さのコントロールが良かった。
強いがイヤミで無い甘さだ。
これを出すには、
相当な苦労を伴うはずだ。
この最中も初めて食べた。
羽二重餅とのハーモニーが、
天下一品だった。
荒井さんに、
この後の予定を聞くと、
「今日は馬篭宿に言ってみようと思う」と仰った。
毎年開かれる、
22Bオーナーズミーティングでも人気がある、
中津川を代表する観光スポットだ。
ゴールデンウイークに、
中津スバルを目指す人に、
ちょっと案内したくなった。
ここでもう一度、
美しい街並みを紹介しておこう。
馬篭は坂にある宿場町だ。
坂の上下に駐車場がある。
どちらも駐車料金を取らないので、
気軽に訪問してほしい。
そして少しでも良いから、
お店でお茶を飲んだり、
買い物をして欲しい。
下から上に登っていくと、
「かっぺ」という喫茶店がある。
オーナーはスバリストだし、
ここのコーヒーや食べ物も美味しい。
窓からの眺めも良いので、
ホットしたひとときを愉しんで欲しい。
馬篭の夕暮れは実に渋い。
平日は人の気配も少なく、
この日はとうとう誰にも会わなかった。
このまま東に真っ直ぐ向かうと、
その先は高崎に繋がる。
そして最終的に江戸に入る。
江戸時代に整えられた五街道は、
今も全国に美しい宿場を残している。
坂の途中の左側に、
島崎藤村の生まれた家がある。
そこは記念館になっているので、
ぜひ見学して欲しい。
お向かいの観光案内所には、
今井さんという女性のスバリストが居る。
聞きたいことがあれば、
彼女に気軽に相談して欲しい。
藤村堂とも言われる記念館のすぐ右隣には、
大黒屋がある。
ここで生まれた「おゆう」さんが、
藤村の初恋の人だと言われている。
初恋は実らず、
おゆうさんは隣村の妻籠にある、
脇本陣に嫁いだ。
おゆうさんの孫に当たる方が、
林文二さんだ。
林さんは妻籠宿の発展に尽力され、
今でも元気に脇本陣のすぐ隣で暮らしておられる。
以前紹介したことがある、
生粋のスバリストだ。
あっという間に陽が落ちた。
登るのを止め、
折り返して坂を下ると、
西の雄大な景色が目に入った。
ここから眺めると、
中仙道の位置関係が良く解る。
荒井さんの住む近江は、
遙かな西の彼方にある。
ここで気がついた。
通りに人の気配が無い割に、
両脇の旅籠だけ、
やけに活気がある。
左右とも同じ名前の旅籠だ。
左が本館で右側が食堂なのだろう。
そこが外国人客でびっしりと埋まっていた。
最近あちこちで中国の爆買いツアーが話題になるが、
馬篭や妻籠に来る中国人は少ない。
中にいる人達は、
欧米からの旅行者のようだ。
日本人も昔に遡れば爆買いツアーをしていた。
なので今の中国人を同じ道を辿るだろう。
日本人も最近はモノを買うより、
「コト」を買うため外国へ行く。
思い出した。
そう言えばSABの脇を歩いて通過する外国人が多い。
なるほど、わかった。
最後は馬篭に宿泊して、
江戸の情緒を楽しんでいたのだ。
矢印のあたりに中津スバルがある。
だから右から左に向かって高速道路が延びている。
明るく輝いている所が、
国道バイパス沿いだろう。
中津川は交通の要衝として古くから栄え、
中仙道よりも前に作られた古道がある。
今は東へ向かうことを「上る」というが、
それを「下る」と行っていた頃の遠い時代だ。
坂を真っ直ぐ下り駐車場に戻った。
そこから東の方向を見ると、
数多くの崩落した傷跡を持つ、
恵那山麓の山肌が特徴的だ。
右端にある手前の山頂には、
「ふれあい牧場」という観光施設も見える。
江戸時代以前には、
この馬篭では無く眼下の尾根に、
東へ向かう道が延びていた。
それはそれは険しい山道だった。
峠を越すことさえ命がけだった。
古道の名前は「東山道」。
御坂峠という場所には、
今も遺跡が残り、
古代の人達が祭祀した痕跡を見ることが出来る。
「まがたま」という言葉を聞いた事があるだろうか。
山の中腹にある遺跡には、
多数の勾玉が地中に埋まっている。
山を越す前に命を落とさないよう、
「まがたま」を身代わりにした。
この日の恵那山は雲を被っていた。
遠くから見ても、
実に雄大で美しい山体だ。
中津川は比較的観光資源に恵まれているので、
恵那山まで入っていく人は少ない。
でも山の反対側には、
また別の顔があり、
素敵な場所が沢山ある。
いまは険しい古道に頼らずとも、
恵那山トンネルを突っ切れば、
山の反対側も目と鼻の先だ。
反対側の阿智村には、
どこかしこに恵那山トンエルの「恩恵」が残る。
トンエルを掘ると出てくる土も、
使い方によって大切な資材となる。
工事で造られた道路も、
後々の観光開発に役立つ。
ここからは恵那山トンネルを忘れ、
古代の道「東山道」を使って、
命からがら山越えをしてきた気分に浸って欲しい。
遠くからでもその容貌が目に入る。
カメラマンにとって絶好の題材だろう。
満開の間は21時までライトアップされる。
東山道の脇に素晴らしい桜が凜として立っている。
残念ながら、
今年は開花が早かった。
しかし開田高原のように寒いので、麓の桜が終わった後で美しい花を楽しめる。
万葉の時代も、この景色を眺めたのだろうか。
一つだけ違うのは、中央に僅かに見える巨大建造物だ。
振り返ると神社がある。
由緒ある神社の謂われには、
しっかり「坂本」という文字がある。
現在中津スバルの位置するところが、
この坂本村に相当する。
中津川の名が出ないのは、
市制施行後に生まれた行政区のためだ。
門前を下ると、
いよいよ巨大建造物に目が丸くなる。
恵那山に向かってケーブルが伸び、
毎日山頂に人が登っている。
冬はスキーだが、
今のシーズンからナイトツアーが盛んになる。
この日も平日ながら駐車場には、
夕暮れを待つクルマが並んでいた。
たった2200円で美しい星空が眺められる。
隣接するカフェもナイトツアーの時間帯はオープンし、
プロジェクトマッピングが楽しめるそうだ。
親切そうなスタッフ達が、
来場を心待ちにしている。
天体望遠鏡のビクセンも協賛しているので、
本格的な知識を付けるのにも役立つだろう。
天体観測には、
是非「スバル メローペ」を使って欲しい。
中津スバルで実物を展示しているので、
ぞひみてほしい。
ナイトツアーに参加するスバリストは、
ぜひメローペを持参すると良いだろう。
灯台もと暗しと言うが、
数十分で訪問できる素敵な場所をすっかり忘れていた。
行政区の線引きで、中津川と阿智や飯田をぷっつり切っているが、
スバリストは「一帯」で考える方が楽しいだろう。
山麓駅から下ると、
今真っ盛りの花桃の里がある。
温泉もあるし、
川魚を楽しめる大きな囲炉裏もある。
この場所も空気が旨い。
恒例の鯉のぼりも空を舞っている。
ぜひこの魅力をその目で確かめて欲しい。
小包が届いた。
妻が「あ!あれが届いた!!」と封を解いた。
中には運転が楽しくなる「お守り」が入っていた。妻が何度も色をアレンジし、
拘りに拘りを重ねた作品だ。
ホンモノの石なので、
コストが高く利益は出ない。
けれども、
ステッカー以外のお土産として作った。
思い切って作って良かった。
発売から僅か数時間で、
何人ものお客様が買いに来てくれた。
中津川を訪れた記念に、
是非いかがだろうか。