「蕎麦が美味いに決まっているであろう目的地」に到着した。二日連続で蕎麦が昼飯だ。実に贅沢な日々を送っている。
注文を取りに来た女将は「ここのおすすめは天ぷらです」と言った。
とても親切な一言だが、
油モノは食後に眠気を誘う。
蕎麦だけで我慢する代わりに、
大盛りを注文した。
すると見事なプラットフォームが現れた。
年季の入ったせいろだ。
蕎麦の味を本気で楽しむなら「もり」に限る。
元は十割蕎麦をせいろに盛ったまま蒸したらしい。
せいろはまさしくプラットフォームだ。
そんな食べ方をしたことは無いので、
「ざる」と「もり」の差は、
器の違いと海苔の有無だと思っていた。
確かにしっかりした味だが、
2000円でおつりが164円だ。
女将の言う通りだった。
この店で食べるなら天ぷらも添えた方がまだ納得できる。
中津川では勝ち目が無いだろう。
なぜか。
せいろというプラットフォームは立派だが、
料理としてのプラットフォームで負けている。
二つ前のブログで小林さんと食べたプラットフォームは、
二人分で税込み2800円だ。
ご覧のようにせいろでは無く、
膳がプラットフォームだ。
せいろは二段だが質と量の双方で大満足できる。
とろろにはウズラの卵と青海苔が入り、
野沢菜漬けとおしぼりも含めプラットフォームが成り立っている。
だからプラットフォームって大切なんだ。
ドライブの相棒はこいつだ。
最近仕入れたばかりの黒いB4で思いっきり走った。走行距離は300㎞以上だった。
思ったより燃費も良かったし、走りそのものも楽しかった。
このモデルからB4はビッグセダンになった。基本的な構造を見直し、クレードルでエンジンを支えるので静かだ。
その前のB4より大味だが、スポーティに攻めることも出来る。2.5リットルエンジンはリニアトロニックと相性が良い。
だからSI-DRIVEのS#モードを使うと、バリオカムの威力を再び体感できる。
帰りに中津シェライッフェに寄り道し、峠の下りを気持ちよく走っていると、真っ赤なアルファが後方に現れた。
かなり腕の良いドライバーだったので、ランデブーが楽しかった。
このB4は走行距離が比較的少なく、色もクールなブラックだ。掘り出し物を狙って落とした。
最近オークションで良く見る傾向は、走行距離が少ないと競争相手が多く、小売相場より高い価格に跳ね上がる。
映像端末で手軽に競る事が可能な、プラットフォームが出来上がったからだ。中古車を巡る環境は大きく変わった。時代の差を実感している。だがプロとしての知見をまだまだ発揮できる。
事故車と聞くと競りの勢いが下がる。決して事故車を好んで選ぶわけでは無いが、会場によっては事故車判定があいまいな事がある。
別の基準で見たら修復歴とは言えない場合もあるし、なぜこれが修復歴にならないのかと思うこともある。
また人間誰でも見落とすこともあるので、現物を良く見ることが大切だ。
良い仕入れとは何か?常に自問自答している。リヤボディ周りに大きな修復があったと書かれていた。クルマを見ると綺麗だ。
長年スバルに触れていなと解らない「ツボ」もある。その当たりを見ると欲しくてゾクゾクしてきた。
クルマの下に潜れるような場所ではなかったので、肉眼で裏側を確認できないが、この「欲しい」と思うことが大切なポイントだ。
思い切って連れ帰り、徹底的に分解掃除した上で安全制を高める整備を施した。
中津スバルの強さはここからだ。
まずバラバラに分解して清掃するシステムが出来上がっている。予防整備の自社基準が構築され社内で完結するシステムが出来上がっている。徹底的な走行テストで問題を取り除くシステムが出来上がっている。
これが中津スバルの中古車商品化プラットフォームNTPだ。(笑)
なかなか格好も良いし、室内も綺麗だ。評価だけを見て感じた内容と全く違うB4だった。このクルマが全て安全だと証明するために300kmほど走った。
おおよそ300㎞のテストドライブで、
高速道路からワインディングまで縦横無尽に楽しんだ。
これで大宮と梅田も自信を持って売ることが出来るはずだ。
テストを兼ねて、
相馬さんに会いに行った。
偶然入手したインプレッサWRXは、
想像を超える出自だった。
既に紹介したが、
改めて最初に走らせた時を振り返る。
これがその時の様子だ。
もう一度みたい方はこちらをどうぞ。
↓
正直に言うが、
桁外れの潜在能力を感じて恐ろしかった。
だが動力性能に対してブレーキの劣化が酷く、
早急に改善が必要だった。
もう一つ気持ち悪いのが動力伝達系だった。
クラッチの状態があまりにも病的で酷かった。
強化クラッチが入っているのが原因だと想像できたが、
あまりにギクシャクするのでミッションやデフにも問題がありそうな予感がした。
とにかくクラッチ操作があまりにもシビアで、
乗るのが嫌になるほどだった。
どう扱おうか熟慮した結果、
重要なイベントをデッドラインに、
特殊なGC8の形を整えようと決めた。
今回のアルバムが出来上がった。
米国のメディアが取材に来たのは初めてだった。
やりとりも含めると分厚い資料になったが、
これは記念として大切にしたい。
歴史を振り返ると明快なのは、
マリオが一番熱心に取材してくれたという事実だ。
実は毎回もの凄く気を遣う事がある。
それは引っ張り役のクルマだ。
22Bを引っ張るクルマには、
それ以上の背景や可能性や面白さをストーリーに描く必要がある。
好きなように野放しで走らせると、
自分たちの態勢が俯瞰できず、
結果的に遅れたクルマが無理を始める。
正に夢中になる。
先頭を個性的なクルマで引っ張らなかった過去、
いずれの場合も落伍者が出た。
酷い時には覆面パトカーに捕まったメンバーが居たし、
隊列から離れ遠くに迷い込んだメンバーも現れた。
今回も危なかった。
JANの要請でボンネットにカメラを付けるクルマが必要になった。
それに応じて白いWRXのフードにカメラを付けた。
先頭で引っ張れなくなったので、
最後尾に付いた途端、
平均速度が非常識な速さになった。
道に不慣れなドライバーは、
大雨の中で走行姿勢が乱れ始めた。
先頭にスピードダウンを促した頃には、
もう電波の届かない場所まで遠ざかっていた。
これは大きな反省材料となったので、
来年に備えクルマを整える。
またパレードツーリングを楽しもう。
第1回目のミーティングで引っ張り役を担ったのは「1300G Sport」だった。
ペイント補修はしていてもほぼオリジナルで貴重な個体だ。
毎年面白いクルマを選んだが、
今年は時に凄かった。
NTP(中津スバル中古車商品化プラットフォーム)で仕上げられた後、
本来の調子を取り戻しストーリーが後から次々と湧き出てきた。
まずエンジンフィールだ。
この素晴らしさがなぜ生まれたのか。
作動制限の謎だ。
フロントデフとセンターデフ、それに加えリヤデフまで、
丁寧で特別なセッティングが施されている。
ダンパーとスプリングの組み合わせが絶妙だ。
それに全くへたっていない。
古いクルマなのになぜか。
とにかくこれまで歴代のSシリーズより面白い味付けだ。
極めつけはトランスミッションのシフトフィーリングだ。
長年スバルのトランスミッション車に乗ってきて、
初めてナイフでバターを切る感触を味わった。
S402の感触も良いが、
あれとはまるで異なるスペシャルな手触りだ。
こんな怪物に対して、
このオトコが興味を示さぬはずが無い。
フロントデフとセンターデフとリヤデフのコンビネーションは、
クラッチをノーマルに戻して初めて解る感覚だ。
どうやったらこんなに丁寧なセッティングが出来るのだろうか。
中に何が入っているのか解らないが、
効き過ぎず滑りすぎない作動制限が施されている。
とにかく一言で言うと「とても乗り易い」
群馬で開かれた初の国際格式ラリーでゼロカーを勤めた経歴もある。
そこまでは話を聞いていたが、
更に深く知りたくなった。
久しぶりに相馬さんに会い、
誰が何をどのようにしたクルマなのか聞き直した。
心臓は察した通り、
バランスドエンジンだった。
最初に組んだ時は、
当時の故久世社長が作業を手伝ったそうだ。
今ではどんなピストンやカムを組み付けたのかまで覚えていないそうだが、
全てSTIのファクトリーにあったモノを使ったそうだ。
一旦他の人に払い下げられたクルマを、
相馬さんの知人が譲り受けたそうだ。
しばらく経ってその人が手放すことになり、
相馬さんがこのクルマのオーナーになった。
そして手に入れたWRXを再びSTIに持ち込んだそうだ。
訪問したらその時も久世さんが会社に居て、
懐かしい話をされたようだ。
ばらしたエンジンの内部を調べ、
交換の必要な部品を調べ再び丁寧に組み付け今に至っている。
長い距離を走らせるて解ったことは、
差動制限が緩いのだが全てのデフに入っている、という事だ。
「入っています」と彼は明確に言った。
だがどんな部品を組み付けたのかまで覚えていなそうだ。
「元々FF乗りなので、FFに近いセッティングになってると思います」
そう言うと、
次に「サーキットで凄く簡単にドリフトしますよ」と楽しそうに言われた。
初代レガシィのプラットフォームを極限まで磨いた戦闘機を、
更にパイロットが熟成し続けた。
そんな感じのクルマだった。
ダンパーもSTIの製品から絶妙にチョイスしたそうだ。
どのスプリングを付けたのか忘れたそうだが、
ファクトリーにある沢山のスプリングから選んで取り付けたと言われた。
だからもの凄く乗りやすい。
トランクに入っていた四本のストラットも、
このクルマの謎の一つだった。
その答えも明らかになった。
一戦だけジムカーナに参戦した事があり、
その時のために用意したストラットだった。
だからタイヤの当たった場所だけ錆びている。
減衰力はバンバンだから、
もう一台仕上げ中のGC8に活用する事にした。
とにかくこれまでの歴代Sシリーズより面白い味付けだ。
相馬さんと会って話を聞きながら、
このGC8は生きた証なのだと実感した。
今は無き久世さんが、
WRCの黄金期に向け突進していく時の生きた証だ。
それはそのまま相馬さんの生きる証でもある。
だから中津スバルに来たのか。
そんな事を考えながらブログにまとめていると、
見覚えのあるレガシィがやってきた。
相馬さんに会いに行く途中、
このレガシィを高速道路で追い抜いた。
本人は「良く分かりましたね」と言うが、
解らないはずが無い。
追い抜きながら横目でドライバーを見ると、
やはり滋賀の山崎さんだった。
軽く手を振り合図を送ったが解らなかったようなので、
走行車線に入って速度を落とした。
追い越される時に助手席を見たら、
奥さんが座っていた。
でもきっと「おかしなヤツだ」と思ったのだろう。
目を合わせないよう前を見ていた。
その気持ちは分かる。
あとから「きっとあんな変なヤツはあいつしか居ない」と言う事になり、
わざわざ帰る道すがら、
お土産を持って立ち寄って下さった。
沢山の袋にいっぱい美味しいものが入っていた。
専門店のすごさを感じた。
これは日持ちがしない方の逸品だ。
何か解るかな。
これの入っている袋だけ味の説明が無い。
お茶の味がした。
そして山葵に挑戦した。
塩味の面白いかりんとうだ。
バナナは想像通りの味で、
とても美味しかった。
日持ちのする方も美味かった。
そして信州の逸品も美味しかった。
面白い名前の初めて見る林檎だ。
もう一つは黄色い林檎だ。
じっくり味わわせて戴きます。
S207と記念写真を撮った後、
颯爽と愛機にまたがり帰還された。
山崎さんを見送りながら、
眼前のクルマを眺めた。
S207の向こう側に見えるクルマは、
今は無き小森さんの生きた証だ。
彼はSVXをとても大切にしていた。
25周年を目前に控えた今年の2月、
とうとう帰らぬ旅に発った。
ご家族から託されたSVXとR-2を元気なクルマに蘇らせる。
その時に気がついた。
中津スバルそのものがプラットフォームである事に。
環境を大切にして、
これからもヒトとクルマを輝かせよう。