偉大な日
2017年 02月 08日


本当に10年なんて早いもので、
振り返るとついこの間のように感じる事が、
もう一昔前と言われる過去の出来事だ。
この先10年経つと、
中津川と東京を僅かな時間で往復できるようになる。
あっと言う間だろう。
だって今年も12分の1があっと言う間に過ぎ去った。
10年前の2006年を振り返ると、
あの年はスバルにとって決して明るい一年ではなかった。
ラリーでは全く勝てないし、
期待のステラも今一つ販売が伸びなかった。
急激な原油高の影響で、
登録車の方もぱったり売れなくなってしまったり、
マイナス要素を探り出せばきりが無かった。
人生を楽しく過ごすには前を向くのが一番だ。
後ろ向きになったり捻くれたりする原因は、
おそらく劣等感によるものだろう。
潜在意識の中に劣等感が大きく横たわると、
拗ねた考え方に支配され、
人に唾を吐きかけるような、
恥ずかしい事をしても平気になってしまう。
哀れな事だ。
2006年のスバルは、
たとえ業績が悪くても、
本業とは関係ないところでは、
何かと元気な姿が目についた。
①マラソンでスバルの奥谷選手が日本人最高の4位に入り世界選手権出場を決めた。
②社会人野球で20年ぶりに日本一になった。
③JDパワーの軽自動車サービス満足度調査で日産と同率首位をとった。
④ロボット大賞をとった。
それらの明るい話題が続き、
極めつけの話題も出た。
ハンカチ王子のお父さんが富士重工の社員だという噂が聞こえ始めたのだ。
その噂は本当で、
当時物流子会社のスバルロジスティックスに勤務されていた。
それから10年。
ハンカチ王子も劣等感にさいなまれていたのかもしれない。
外車をおねだりしたのは残念だな。
ポルシェの良さも十分知りながら、
普段の脚にフォレスターを乗り回す。
そんな人なら、
もっと野球の実力も伸びたかもしれない。
要するに人生には幅が必要だ。
長いか短いかを決めるのは、
何を残したのかに左右される。
決して時間の問題では無い。
ハンカチ王子とライバルとの差が、
卒業と同時に急激に開いてしまったのも、
そんなところに理由があるのだろう。
中津スバルにとって、
2006年はターニングポイントだった。
そこから約8年さかのぼる。
その年にインプレッサWRX STIバージョン「22B」が発売された。
1998年の事だった。

その年の3月23日、
群馬県の矢島工場で目の前を流れていく改造前のコアボディを見送った。
恐らくその時に22Bとの運命的な関係が始まったのだろう。
僅か400台しか生産されなかった22Bなど、
ほとんどの日本人にとって何の意味も持たないクルマだった。
今でも存在を知らない人が多い。
STIにとって500万円の壁を超える大胆な挑戦でもあった。
証券会社の破綻や銀行の統合など、
決して景気は良くなかったので割安な金額に抑えられたこともあり、
あっという間に完売した。
その8年後に思わぬ事が起き始める。
R1/R2の販売計画は予想を大きく下回り、
急遽トールスタイルの軽自動車を開発した。
新年から群馬に招集され、
そのプロトタイプを見た瞬間に「これで終わった」と悟ったのだろう。
後から多くの人に言われた。
物凄い形相をしていたらしい。
一時的に持ち直したがプレオほどの勢いはなかった。
もうこれまでの売り方ではだめだと思った。
当社初のCMを制作しようと思い立った訳も、
振り返ればそこにあるのかもしれない。
ほぼ時を同じくして、
22Bオーナーズミーティングの開催も持ち掛けられた。
そして11月22日に「ベントレーを貸すから乗ってみろ」と、
じっくりと丸一日走り回った。
外車コンプレックスのあるヤツには解らない世界だ。
なぜかって?
本当のクルマ好きでは無いから、
クルマが嫌がって近づいてこない。
つまりコドモだと言う事だ
ベントレーから欧州メーカーにある根の部分と、
スバルに欠ける創業時の魂を痛いほど感じた。
その翌日に22Bオーナーズミーティングが開催され、
CMの録画撮りも同時に進められた。
とにかく振り返ると驚くほど濃い時間を過ごした。
この時を境にして10年間で当社を取り巻く環境が大きく変わった。

翌年の2007年4月にニューヨークを訪れた。
米国でワールドプレミアしたインプレッサを見るためだ。
国内に予定のないセダンを見て、
販売環境の大きな違いに驚いた。
トライベッカを見て米国の求めるサイズも良く理解できた。
スバルが全面的にバックアップしてくれたので、
スバルの世界における評価を詳しく知る事ができた。
年の瀬にフォレスターが発売になると、
蛻変の芽を感じ取った。
余りにもコスパが高かったからだ。
価格を付け間違えたかと思うほど良心的な金額だった。
やはり輸出に強くならないと日本で企業は存続できない。

SABと望桜荘の創設にも着手し、
まずSABを11月5日に完成させた。

そして年をまたぎ2008年の3月22日に望桜荘を完成させた。

現STI商品企画部長の森さんが、
直々に講演を引き受けて下さった。

デビューしたばかりのWRXは、
まさしく希望の星だった。

新型エンジンに加え、
新型のセンターデフも搭載し、
VDCと協調制御する新世代の駆動システムを持っていた。

うっとりするほど魅力的だった。

講演後のサイン会に行列が出来たほど、
この企画はインパクトがあった。
その翌月、
スバルの発表は世間を驚かせた。

記者発表を全く知らぬまま、
機上の人となっていた。

今は無いホバークラフトで移動した。

最初で最後の経験になったが、
隣の男も今ではすっかり蛻変した。

彼は昨年から船井総合研究所の代表取締役社長に就任し、
荒波の中を前途洋々と航海している。

小平勝也さんも当時から頭角を現し、
軽自動車ビジネスを車業界の頂点に引っ張り上げた。
ナベもまだ若々しい。



視察先も様々だった。
この周辺はまだ田んぼや畑しかなかった。

以前の黎明期から、
一気に開花し始めた専門店業態だが、
見れば見るほど魅力が失せていった。
何を見ても感動しない。
そういう時はいつも周辺の状況を取材する。
近所の農家の軒先に入って、
「こんにちは」と声を掛ける。
「この頃景気はどうですか。
面白いお店が近くに出来ましたね」
そう言うと、
この家のご夫婦は目を丸くして、
「休みの日は凄い人だかりだよ」と話してくれた。

この人達がとても驚いていたのが強く印象に残ってる。
それと同時に、
この売り方を見て軽自動車の行く末を悟った。

ニュースが飛び込んできたのは、
この直後だった。
バスで宿泊先へ移動中に携帯電話のベルが鳴った。
電話してきたのは大宮君だった。
スバルが軽自動車から撤退すると聞き、
大ショックを受けていた。
それを聞いても全く動揺しなかった。
やせ我慢では無く、
「それが一番良い」と直感した。
その理由は、
ここまでの過程を振り返れば解るだろう。
従って、
2008年4月9日を、
スバルの歴史に刻むべき「偉大な日」と呼んでいる。

翌々月にエクシーガが発売になり、
待望の多人数ワゴンをラインアップに加えた。
2009年に5代目レガシィが登場した。

このレガシィが国内で苦戦した。
大きくなったのが原因だと言われているが、
エコカー補助金制度が出来て補助金に群がる、
それが理由だろう。
この環境変化に対応しスバルはアイサイトを炸裂させた。
本当にすごい会社だ。
だが震災が襲い掛かり、
スバルだけでなく日本中の自動車会社が苦境に立たされ、
つらい時期をおくった。
だがそれを乗り越え、
2012年のインプレッサとBRZ,
2013年のハイブリッド参入、
2014年のレヴォーグ、WRX、レガシィの連続投入と気を吐いた。
2015年こそ商品の端境期でピンチになるかと思われたが、
商品を練り込むことで飢えをしのぎ、
昨年遂に満を持してSGPを投入した。
するとまた中津スバルの周辺が変わり始める。
まず昨年から環境改善を再開した途端、

ポールスターがやって来た。
これはエピローグだったのだ。

そしてi8がやって来た。
遂にアルピナB7も訪れた。
また何かが胎動を始めた。
じっとしていられない。
心が良い方向にざわつく。

見ているだけで豊かな気持ちになれる。
アースカラーの見事なインテリアだ。
オーナーはウッドパネルが赤すぎたと残念がっていた。
見本も見ずにセレクションしたので、
実際の色が思い描いた色と違っていたそうだ。
怪我の功名だ。
見本を見たら平凡なクルマになっていた。
このウッドパネルには、
大輔にふさわしいパワーを感じる。
B7は高性能なエアサスを搭載している。
指を指しているボタンを押すと、
グッと車体が持ち上がり、
不陸をいとも簡単に乗り越える。

ゆとりあるコンソールパネルには、
ウッドやアルミパーツがフィットし、
穏やかなタンカラーと抜群の雰囲気を醸し出した。
実にクオリティの高いマテリアルが、
匠の技で上品に配されていた。
21インチのタイヤサイズだとは思えない乗り心地だ。

エアサスの技術はスバルが世界に先駆けて開発したが、
売る対象がコドモだったので途中で絶えた。
惜しい事をしたものだ。

運転席のアシストグリップにもウッドが配され、
クオリティの高い仕上げになっている。
各部を手抜きしない姿勢は素晴らしいが、
BMW本体がドアの把手を採用したので、
このクルマのインナハンドルは少しお粗末だ。
ここだけが誠に遺憾だ。
カーボンコアはBMWのお家芸だ。
BMWという自動車メーカーが良い骨格を作るので、



「大輔」こと阿野雅樹さんを紹介しよう。
東京の練馬区にお住いだ。
独自技術を駆使して道路建設に関わる事業を営んでおられる。
彼の会社が存在しないと、
クルマに乗るヒトは非常に困る。
日本の道路に欠かせない存在だと言える。

運転技術も凄いが、
彼の人間力は果てしなく深く大きい。
大輔から地元の銘菓を頂戴した。

郷土史に残る力持ち惣兵衛の名代和菓子の「惣兵衛最中」だ。

小豆を最も大切な素材と考え、
自然食としての和菓子作りを目指している。
東京練馬区有形民族登録文化財の、
歴史と伝統を後世に伝える事が、
この老舗の役目だという。

この老舗と同じ事がスバルにも当てはまる。
動力性能の追求を回避し、
中島の歴史と伝統を後世に残さないなら、
いくら利益を上げたところで存在する価値が薄れてしまう。
これから先の10年に向かうエピローグ・・・・・・、
それを堂々たるアウトバックから感じた。

アウトバックのX-ADVANCEを購入した理由は、
カラーセンスの良さだ。

以前に比べ塗装の質も本当に良くなった。

ぬめり感のあるプラチナムグレーに、
イエローグリーンの差し色は良く映える。

これだけ存在感のあるボディなので、
本来ならば室内にも天然系の配色が欲しい。
しかしカタログモデルでは限界だ。
いくら特別仕様車にしてもインテリアのマテリアルや動力性能に選択幅が狭い。

もしSTIがメーカーとしての機能を持てば、
そんな問題は霧散し自由に質の高いものを世の中へ出せる。
B4のスポルティーバもまもなく届く。
あれほどお買い得なクルマはそう他にないだろう。
ところが顧客の注目を浴びない理由は、
もう一歩のステップを期待しているからに他ならない。
あれほど質感の高いインテリアを持つのに、
動力性能が吊るしのクルマと同じでは寂しい。
だから財布のひもをこじ開ける迄に至らない。
ではこの米国仕様の6気筒搭載車にターボを付けて、
アルピナの8速より上等な9速オートマチックを搭載したらどうなるか。

きっとアウトバーンの第三車線を、
時速200キロオーバーで楽々と巡行する・・・・・・・訳にはいかない。
過去に二度異なるアウトバックでアウトバーンを走行したが、
アルピナレベルの高速特性を得られるのは、
時速150キロ以下までだろう。
今のスバルの常識では、
そのあたりまでしか挑戦できない。
理由は簡単で、
フロントフレームの剛性が全く足りず、
振動騒音の両面で太刀打ちできないからだ。
走行安定性も並みの日本車より高いけれど、
アウトバーンの第三車線で通用するほど高くない。
ところがスバルはそこを全面的に見直した。
これから3年後に出てくるクルマは、
今のレベルと全く違う。
だからあえて言いたい。
平川さん、
スバルからスバルテクニカインターナショナルを買い取って下さい。
スバルがSTIをメーカーとして独り立ちさせるなら、
この先の将来は非常に明るい。
そして先行開発でお金をジャンジャン稼いで下さい。
そうすると、スバルにも良い刺激になる。
素のクルマも手抜きができなくなるからだ。
黙っていたら絶対に手を抜く。
誰だってそうだろう。
企業としても過剰な事は避けて当たり前だ。
スバルも優良企業として、
あえてリスクを掴む必要も無い。
だからSTIをカーメーカーとして自立させる。
中島の血統は動力性能に固執することだ。
そのためには器を強固にする必要がある。
それを見事にやってのけた。
あえて言おう。
この先もし適当な改良でも、
SGPさえ使えば驚くほどクルマが豹変する。
でもそれだけでは駄目なんだな。
もしSTIに600馬力のクルマを作らせるならば、
更に練りに練った強烈なSGPを開発しなければならない。
そして次期レガシィやアウトバックには、
もっと方向性の違う「澄んだ」味と、
「ふくよかな」香りのするSGPが必要だ。
上質なインテリアコーディネートで、
アウトバーンを時速230kmでクルージングできるシャシー。
どちらも作るのはSTIの仕事だ。
それが出来て、
初めてSUBARUが堂々とSTI SPORTを自社ラインで生産し、
日本のスバリストにコスパを考え売れば良い。
STIのエッセンスだけ搾り取り、
後は使い捨てるような真似は止めよう。
過去10年を振り返り、
プロローグを感じ取った。
必ずSTIの独り立ちする日がやって来る。
スバルよ、
動力性能追求の封印を解け!
自ずから関わらなくて良い。
その全てをSTIに託すのだ。
彼らをスバル以上の孤高の存在と仰ぎ、
敬意を表して開発費を払うのだ。
積極的に開発投資して、
生産設備も与えて欲しい。
STIの蛻変を心から期待する。

優等生ばかりでは世の中成り立たない。
STIをもっとクールなヒールにしようぜ。
中津スバルもクールなヒールに徹しよう。
これからも「お客様満足度調査」の逆を行く。(笑)
駐車場は解りにくい→わざとです。
来場者のお見送りもお迎えもあまりやらない→わざとです。
受付に誰も居ない→わざとです。
たまに説教して何様のつもりだと思われる→わざとです。
その代わり、
ふらりと見に来るお客様にもきちんと受付して戴ければ全館解放しています。
可能な限り店を開きます。
特定のスバリストに、
徹底的なえこひいきを考えホスピタリティを提供します。
「S」を求めるお客様の、
心のよりどころとなります。
その計画をこれから10年掛けて完成させる。
「インプレッサハウス設立計画」は、
更に加速した。
スバルのルーツ生誕100年を記念し、
いよいよ試験運用が始まる。
楽しみにして欲しい。

ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。

代田社長、こんにちは。
エンジンはFA、FBに刷新、シャーシもSGPになった。
目下スバル唯一のウィークポイントはトランスミッションでしょうか?
私のSJGでは特段不満を感じませんが(前車BPアウトバックの4ATよりは全然良い)、V系に乗られる方は多段ATが欲しいでしょうね。
どのくらいの台数が売れれば新しいトランスミッションを用意できるのかわかりませんが、一般車種=CVT、ハイパワー車・上級車=多段ATのように2種類用意するというのはスバルの規模では難しいのでしょうか?
エンジンはFA、FBに刷新、シャーシもSGPになった。
目下スバル唯一のウィークポイントはトランスミッションでしょうか?
私のSJGでは特段不満を感じませんが(前車BPアウトバックの4ATよりは全然良い)、V系に乗られる方は多段ATが欲しいでしょうね。
どのくらいの台数が売れれば新しいトランスミッションを用意できるのかわかりませんが、一般車種=CVT、ハイパワー車・上級車=多段ATのように2種類用意するというのはスバルの規模では難しいのでしょうか?
0
ひょっこりさん、気に入った逸品はその場で買えるなら買わないとチャンス逃しますね。ミニカーごときと侮れません。そのあとどう口説いたか気になるねぇ(笑)オスは本能的に相性の良いメスを目指します。距離が離れているほど燃えるものです。
jechtさん、独自開発に拘りますから難しいのでしょうね。ミッションは最優先課題だと思います。ですが、各国の法的なハードル(燃費環境等)をクリアするための開発も大変だと思います。

代田社長、回答ありがとうございました。
自社開発に拘らなければ、例えばアイシン製AT等を搭載できる可能性があるのでしょうか?
スバルのトランスミッションはAWDトランスファーと一体化している為、他社製を搭載するのは困難と聞いたことがありますが、他社製だとその分スペースが犠牲になったりするのでしょうかね。
自社開発に拘らなければ、例えばアイシン製AT等を搭載できる可能性があるのでしょうか?
スバルのトランスミッションはAWDトランスファーと一体化している為、他社製を搭載するのは困難と聞いたことがありますが、他社製だとその分スペースが犠牲になったりするのでしょうかね。
jechtさん、こんにちは。アイシンに頼むか頼まないかを別にします。世界でもトップクラスの技術集団がSUBARUの頼みを断るとはとうてい思えません。アルピナのミッションはZFのようです。聞く所によるとアイシンの9速はそれ以上の仕上がりらしいですね。

kuraさん、こんばんは。コメントありがとうございます。ヒールを目指しますね。(笑)

お久しぶりです。社長さんはいつも面白い事を書かれるので愉快です。私もSTiの独立は是非とも実現して欲しいと願います。日本のメーカーで欧州のスポーツカーと本気の勝負が出来る車を作って欲しいと願います。アウトバーンをstiの車がたくさん走り抜ける姿見てみたいじゃありませんか。それよりも先に中津スバルのお店をじっくり見せてもらいです。私の思う通りの素晴らしいお店であると確信しています。なかなか休みがなく立ち寄れていないのが悔しいですが国に帰る前に社長さんとお話したいです。私のspec Bと書かれたレガシィについても色々ご教授願いたいですしね。

ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
アンディ、こんばんは。ぜひ遊びに来てね。待ってます。
ひょっこりさん、相性はとても大事です。理屈では解明できませんね。オープンでやりとりしようぜ。

よろしくおねがいします(笑)
そういえば以前、社長のブログのバックナンバーではボクが結婚した当日と娘が生まれたその日付分であったんですよ。ビックリしました。
本文とはまるでかけ離れたボクのコメントでしたが、そんな出来事を経て今の家庭を築き上げる第一歩が11年前になるんですよね、時が経つのは早いです。
そういえば以前、社長のブログのバックナンバーではボクが結婚した当日と娘が生まれたその日付分であったんですよ。ビックリしました。
本文とはまるでかけ離れたボクのコメントでしたが、そんな出来事を経て今の家庭を築き上げる第一歩が11年前になるんですよね、時が経つのは早いです。

10年あっという間ですね。私のこの頃はBG5からいつBP5へと乗り換えようかと思案していました(結局F型にしました)。
未使用者がビジネスとして成り立つと【登録台数】って何なんだろうと思ってしまいます。
あと、ステラねぇ・・・スバルがこんな作り方していいのって思いましたよ。
未使用者がビジネスとして成り立つと【登録台数】って何なんだろうと思ってしまいます。
あと、ステラねぇ・・・スバルがこんな作り方していいのって思いましたよ。
ひょっこりさん、今年は特に早いかも。予感がします。
ごー さん、10年で大いに変わる事と、全く変わらない事があります。どちらも楽しみですね。
未使用車のビジネスはピークを過ぎました。
未使用車のビジネスはピークを過ぎました。

スバルテクニカインターナショナル株式会社の株式をいくらか御社が取得されては如何でしょう。
もちろん非上場会社ですから、100%株主である富士重工業株式会社と直接交渉になるのだと思いますが。
でも、社長ならば何か伝手がありそうですし、それなりの議決権を持てば独立メーカーに一歩近づけるのではないでしょうか。
実際に成立するとは思えないですが、交渉を通じてスバルの気持ちを少しは動かせるかもしれませんよ?
もちろん非上場会社ですから、100%株主である富士重工業株式会社と直接交渉になるのだと思いますが。
でも、社長ならば何か伝手がありそうですし、それなりの議決権を持てば独立メーカーに一歩近づけるのではないでしょうか。
実際に成立するとは思えないですが、交渉を通じてスバルの気持ちを少しは動かせるかもしれませんよ?
株主さん、こんにちは。賛同する人が居たらの話ですね。
by b-faction
| 2017-02-08 18:49
|
Comments(18)