最終更新版:アウトバックで中津川を探索
2017年 02月 25日
宝石のような苺が届いた。
「浜北地方の特産品は苺です」と、
先日来店された時に仰った。
目の前に実現した。
「あまみつ」の名の通り、
本当に良い香りだ。
社員全員で味わいました。
心より感謝申し上げます。
先週から気温が上がり春の気配が高まった。
うららかな土曜日に、
マリオを誘って中津川の誇る苗木城址に向かった。
中仙道馬籠宿に次いで、
最近中津川市が力を入れて整え始めた場所だ。
リニア開通に向けて何かやらねばと言う気運が高まった。
木曽川を遊覧したり、
中央自動車道の恵那インター以西を走ると良く分かるが、
屏風山山系の花崗岩が露出している。
木曽川右岸には特にその傾向が強く見られる。
この天守閣のあった場所も、
元からある巨大な岩を利用して作られている。
現在は石垣が残っているだけだ。 ところがその石垣も非常にユニークで、
しかし僅か1万石の石高で城を持つなど例外中の例外だったらしい。
解体して一つ残らず借金の返済にあてた。
この場所が最近特にクローズアップされる理由は、
そして背後に立派な鎮守の森があり、
世の中には本当に悪い奴が居る。
スバルが存在する理由も、
戦国時代から安土桃山時代、
そして江戸時代へと度重なる構築が繰り返された痕跡が残っている。
城の姿もユニークで、
国宝級の立派な城とはほど遠い、
地味な木造建築物だったようだ。
遠山の金さんのモデルとも言われる遠山家が治めた苗木藩は、
木曽川北岸一帯を領地とし、
木曽川南岸の中津とは一線を画していた。
即ち川向こうは岩村藩の中津川宿で、
そこに天下の五街道が横たわっていた。
城が現存しない理由もユニークだ。
それに苗木一帯にはお寺が一切無い。
明治を迎えるにあたり、
廃仏毀釈が徹底的に進められたからだ。
何しろ「隠れ仏教徒」が存在したほどで、
蔵の中に仏壇を密かに隠し持つ家もあった。
理由は遠山家が外様では無く、
旗本に近い扱いを受けていたからだ。
徳川の仏教に対し、
大政奉還で天皇の神道に主軸が移る。
それに対して、
余計な疑いをもたれぬよう新政府に対して忠誠の証を立てたのだろう。
もう一つユニークな事実がある。
この城は解体された。
城は燃えて無くなる場合が多い。
戦争で破壊された城もある。
そう言う場合は跡形も無くなるが、
苗木城は明治維新の後で解体された。
この門もその一つで、
大泉寺の所有物だ。
そのあたりの理由を、
今度じっくり聞きたいものだ。
大泉寺の「おっさま」はレヴォーグのオーナーで、
スバルライフを満喫されている。
スバリストの様々な質問にきっと答えてくれるだろう。
川を越えた目の前の宿場町には、
お寺が沢山存在するが、
苗木に入った途端にゼロになる。
木曽川にダムがドンドン造られると、
今度は鉄道が通った。
木曽檜を伐採しても、
筏で流す事が出来なくなり、
福沢桃助が北恵那鉄道を施設した。
その鉄橋が赤い矢印だ。
凄い産業遺産だが放置されている。
もったいないからサイクリングロードに整えて、
色々なヒトに中津川で楽しんでもらいたい。
これは勝手な思いつきだが、
下手な道の駅や、
無理のある観光施設を作るより有意義だと思う。
マグレブの存在だ。
青い矢印のところから飛び出して、
黄色い矢印の方向に向かう。
モグラ状態のマグレブが、
地表に現れ見学できる数少ない場所だ。
橋を渡ると対岸のトンネルに再び突入し、
「こだま型」だけ中津川駅に停車する。
その方向を見ると笠置山が見える。
赤い矢印の場所が中津スバルだ。
ずっと変わらない景色もあれば、
文明の進歩で大きく変わる景色もある。
変わらなければならない事と、
別に変わる必要の無い事がある。
不易と流行の例えのように、
この景色も太古とほとんど変わっていないはずだ。
中津スバルの会議室から笠置山を望む。
真っ直ぐ中央をフォーカスしよう。
レールの先にはJR中央西線「美乃坂本駅」がある。
10年後、
中央の煉瓦色に見える塔のあたりに、
中央新幹線中津川駅が誕生する。
そこから再びズームアウトしよう。
黄色いラインが車両基地への引き込み線だ。
赤い印の位置に車両基地の巨大な施設群が生まれる。
そこには中山間地の農業試験場があり、
それを移転させ建設が始まる予定だ。
このあたりの環境は大きく変わる事だろう。
ところで、
上の写真にある「緑のポイント」に注目して欲しい。
ぐっとフォーカスする。
電柱の陰になっているが、
神社の拝殿が見えるはずだ。
そこには由緒正しい八幡神社が存在する。
参道に生えている巨木は、
どれも満身創痍。
根元の穴から空が見える。
昔からこのあたりは積乱雲の通り道で、
強烈な雷は夏の風物詩だ。
にゅっと突き出た参道の巨木は、
稲光の絶好の獲物だ。
激しい稲光が内部を貫通し、
焦げたまま生き残っている巨木も多い。
数多くの野生生物も暮らしている。
ここは不易の場所だ。
けれど、
こんな大それた事を、
誰にも知られず密かにやるなんて出来るだろうか。
しかも神様の樹を大胆に切る。
そんな罰当たりな事を、
普通の日本人なら簡単にできるはずが無い。
大阪でも国の資産を、
縁故で強烈に買い叩いたニュースがあった。
このチラシを見て、
何か「きな臭さ」を覚えてしまった。
先祖代々大切にしてきた資産を、
不用意に処分すると「罰」があたる。
チラシをシェアした理由は、
もしこの事件を詳しく知る人が居たら、
経緯を教えて欲しいと思うからだ。
今あるものを大事にして欲しい。
だから安易に壊す行為を許せない。
昔からある技術や資産を大切に温存したからだ。
もともと中島知久平が将来を憂い、
戦闘機を自力開発するよう意を決した事が、
スバル発祥の原点だ。
終戦後、
病に苦しむ知久平は、
会社の将来を自動車に託した。
「不易」を粗末にすると、
きっと「罰」が当たる。
そんな思いでこの一年を過ごしたが、
スバルもようやく重い腰を上げ、
何か素敵なイベントを考えるようだ。
面白い話がいくつも舞い込んできた。
生姜を使うという、
舐められないクルマ、
戦争に関わる話は御法度だ。
それは仕方が無いだろう。
ブランドイメージがぐんぐん上昇しているのに、
あえて危ない話をする必要は無い。
だから民需に関する話題で、
飛行機産業を捉えるなら好ましいはずだ。
でもボーイングがらみじゃつまらない。
スバルは昔、
自衛隊の初等練習機をベースに、
空のスポーツカーを開発した。
戦後も意欲的な飛行機作りを続けた歴史がある。
セスナやパイパー機に目を輝かせた少年時代、
エアロスバルが颯爽と登場した。
これには驚いた。
宣伝や観覧に不向きだったが、
曲芸飛行までやってのける高性能小型機だった。
高翼にしないとビラ配りや遊覧飛行に使えない。
でも高翼だと運動性能はどうしても劣る。
エアロスバルはそれらと根本的に違う飛行機だった。
自衛隊の初等練習機を作った技術を元に、
日本で初めて空のスポーツカーが生まれた。
それをもう一度作ろう。
昭和40年代に、
そんなユニークなことをやってのけた会社だから、
決して出来ないはずが無い。
なぜなら航空自衛隊は、
スバルの作った練習機で今も訓練を続けているからだ。
ところでなぜスバルは小型機から撤退したのか。
当時の航空機事業部はエアロスバルの次に、
双発ビジネス機の「FA300」を開発した。
戦闘機や練習機と違って、
民需の世界では性能最優先で売れるわけでは無い。
高性能なエアロスバルでさえ、
大量に売れたわけでは無く、
結果的に300機まで達しなかった。
単発の次に双発で勝負を掛けた。
だが販売面で失敗に終わった。
大赤字を出して民需の世界から遠のくきっかけになった。
とは言え現在でもその気になれば、
小型機を作る基礎あるはずだ。
また小さな航空機を作ろうじゃ無いか。
リーマンショックで消えてしまったが、
エアタクシー構想もスバルならではの魅力に溢れていた。
その実現のために、
軽量小型機をスタンドアローンで自動着陸させる、
FABOTまで完成させている。
この自信がアイサイトにも関係しているはずだ。
期待したい。
売らなくて良いから、
100周年の目玉にシンプルなエアロスバルIIを創って欲しい。
そして大空の下で曲芸飛行を演じるのだ。
先週マリオを囲む会で、
娘が作った炊き込み御飯を
紹介しよう。
思いも寄らぬレシピだった。
それが思いの外シンプルで美味しかった。
この味の飛行機が見たい。
エアレースを見ていると、
胸が高鳴る。
そう感じるスバリストが多いはずだ。
やっぱりレシプロエンジンが良いな。
ジェットやターボプロップも凄いとは思うが、
炊き込みご飯のように、
レシプロはシンプルだが奥が深い。
世の中が複雑になり、
魑魅魍魎が増殖すると、
自然回帰したくなる。
複雑に練り込んだ味も良いが、
簡単であればあるほど、
美味い食べ物も多い。
このアボガドと卵だけの素敵な料理も美味しかった。
こんなエアクラフトが見たい。
100周年のイベントで
シンプルでかっこいいエアロスバルIIを作って、
スバリスト達に持つ本当の力を見せて欲しい。
彼らは時折脅威的なポテンシャルを発揮する。
それはルーツを飛行機作りに持つからだ。
どうしても6気筒エンジンに拘りたい。
その理由は「舐められないクルマ」を作り続けて欲しいからだ。
それはマルチシリンダーを抱くスポーティーカーだ。
SVXを作った理由は何か。
開発をリードした吉田信彦元専務は、
「舐められないためだ」と明言した。
スバルマガジンは、
100周年を記念しSVX復活の連載を開始した。
微力だが応援する。
SVXのエンジン始動工程は、
1 まずエンジンオイル量を点検した。充分満たしている事を確認済みだ。
2 スパークプラグを交換した。その時ファイバースコープでシリンダー内部を点検し異常の無い事を確認済みだ。
3 燃料ポンプ取り外し点検した。新品の部品は生産打ち切りのため入手不可能だ。点検の結果、燃料ポンプは正常に作動した。
4 燃料タンクを点検した。幸いな事に樹脂製の燃料タンクは内部に何の問題も抱えていなかった。
5 シリンダーの内部に特殊な潤滑剤を注入
6 手動クランキングで回転確認
7 燃料フィルター交換
8 フューエルインジェクター点検
9 バッテリー交換
10 スタータークランキング (始動させない。オイルを循環させる)
11 エンジンオイル&オイルエレメント交換
12 エンジン始動
この工程で作業を進める。
北原課長が全て担当し、
手触りや匂いまで含め、
これまでの経験の全てを活かす。
こうして精緻な作業を進め、
一歩ずつ復活を目指す。
もう一つの100周年記念、
それをSTIに期待しよう。
6気筒エンジンを搭載した、
素晴らしい限定車が生まれる事を願う。
これも100周年を側面支援する活動の一環だ。
もう一つ面白い情報が届いた。
中津川近辺で、
スバルが主催する星空観望会が開かれる。
ブログでは秘密にしておきたい、
思いっきり素晴らしい場所だったが、
この機会に明らかにしよう。
そこを紹介するためにアウトバックを借りた。
XVも軽量コンパクトで頼もしいが、
アウトバックはよりタフでスポーティーだ。
シンボルの恵那山を目指すなら、
フラッグシップSUVで乗り込みたい。
標高2191mの大きな山だ。
船を伏せたように見える「日本百名山」の一つだ。
この下を恵那山トンネルが貫通している。
しかし実際には少し外れた位置を抜けている。
その位置が赤い矢印だ。
長大トンネルには通風口が必要だ。
それを作るために道路が整備された。
あまり知られていないが、
中津川でも日本一の星空が手に入る。
しかもロープウエイに乗る必要は無く、
愛車で直接終着点までたどり着ける。
正にスバリストにとって垂涎の楽しみだ。
実は来月スバルは面白いミーティングを開く。
それに是非参加して欲しい。
スバルに乗っている人なら、
ゴンドラに無料で乗る事が出来る。
この場所も昨年紹介した。
なので覚えている読者も多いはずだ。
スバルが考えたイベントは質素でとても良い。
参加者も限定していない。
この地元で開かれる催しに胸が踊った。
インプレッサハウスに滞在を希望する人が、
もしお酒をたしなむなら、
呑んで語り合うのも良い。
もしたしなまないなら、
星空に酔うのも良い。
中津川に来る楽しみがまた増える。
満天の星を見た後に入る、
インプレッサハウスの露天風呂も最高だ。
なぜかって。
自分の居た山頂を風呂から眺める事が出来るからだ。
詳細は次のブログをお楽しみに。
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by
ごー
at 2017-02-23 16:46
x
綺麗な景色ですね。普通の人は山に目が行くと思いますが、私は河岸段丘に目が行ってしまいます。
一度、お店に伺いたいものです。
一度、お店に伺いたいものです。
0
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by
b-faction at 2017-02-23 19:40
ごーさん、ありがとうございます。じっくり紹介しますね。
Commented
at 2017-02-23 21:06
x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented
by
b-faction at 2017-02-24 07:05
今はYA-5さん、おはようございます。マグレブの変動磁場は200ガウス生じるので磁気シールドは必須ですね。確かに苗木城から見えないかもしれません。中津川の引き込み線には設置されないようです。
Commented
by
moguri
at 2017-02-24 20:24
x
いつも興味深く拝読しています。
エアロスバルⅡとは、EZエンジンを積むことを意味しているのでしょうか。
以前もそのような記事を書かれていたように記憶しています。
もしそうなれば、筆舌に尽くし難い感動がありますね。
エアロスバルⅡとは、EZエンジンを積むことを意味しているのでしょうか。
以前もそのような記事を書かれていたように記憶しています。
もしそうなれば、筆舌に尽くし難い感動がありますね。
Commented
by
b-faction at 2017-02-24 21:54
moguriさん、こんばんは。エンジンに拘っていません。格好の良い低翼機を見せて欲しいですね。
by b-faction
| 2017-02-25 20:49
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Comments(6)