望桜荘と中仙道
2017年 04月 03日
その良さを充分ご存知さ。
炭火が良い雰囲気を作っていた。
土曜日は余りにも寒く、
ショールームとサービスフロント中心にイベントを開いた。
望桜荘を解放したが、
桜のつぼみも堅くて雨も降っているから、
炭を熾す気にもなれなかった。
日曜日は天候が一変し朝から暖かく、
予定通り囲炉裏に火を入れた。
この赤く燃える炎が心を和ませる。
今度は凄い勢いで花梨の芽吹きが始まった。
中津川駅から本州製紙の中津川工場を繋ぐ貨物専用の引き込み線だ。
本町にある枡形に達する。
このカワドにはLED照明まで付いていた。
久しぶりに歩いてみて、
軒先の個性に合わせ僅かな距離に三つ作られていた。
中津川にはいわれのある旧家が散在し、
そうしたことを分かり易く整備し、
本陣は跡形も無いが、 裏路地から抜け出て中仙道に戻ると、
遠くに見える街灯りが本陣跡地周辺だ。
駄菓子屋を過ぎると、
橋を渡って本町を振り返る。
だから川一本隔てて街のデザインがまるで違う。
腕によりを掛けた逸品を楽しむことが出来る。
この鮪ステーキは滅多に食べられない味だった。
実に良い雰囲気でショートジャーニーは終わった。
それがヒトの進化を表す証だろう。
白梅は散り紅梅も盛りを過ぎた。
今年の梅は咲き方が乱れた。
望桜荘の向こう側を左に行くと京都に繫がる。
右へ向かうと高崎を経て江戸に繫がる。
中津川は宿場町だ。
美乃坂本駅を降りて歩く外人の姿が増えた。
中津川宿を経て、
落合宿から馬籠宿と江戸情緒を楽しむためだ。
望桜荘の周辺も古い街並みが残っていると良いのだが、
それはこれから考えれば良い。
一足先に中津川宿が、
粗末に扱ってきた文化財の重要性に気がついた。
先週の水曜日は、
妻のフリーデーだったので、
ひとりで仕事を終えた後、
久しぶりに夕暮れの中津川を散策した。
昔ここは線路だった。
今は遊歩道で中津川市役所と繫がっている。
背後に桜が間もなく満開になる、
本町公園があり、
そこと直接繫がっている。
ここまでインプレッサハウスから歩いて20分も掛からないくらいだ。
この中仙道を進むと、
これから中津川を楽しむスバリストも多いだろう。
是非紹介しておきたい。
昼間は何気ない見慣れた光景だが、
夕闇が訪れると代表的な枡形は風情のある景色に変る。
正面左側が江戸時代から続く和菓子の老舗「川上屋」だ。
市道の整備が進み昔とは全く違う景色になった。
中津川に来て誰もが驚くことは、
どこへ行ってもしっかり用水路が備わることだ。
特に江戸時代から整えられた用水が、
中仙道沿いにも網の目のように走る。
それを市の予算で整備したのが「カワド」だ。
久しぶりに歩いてみて、
初めて存在を知った。
昔はこれで野菜や茶碗を洗ったが、
上水道が出来たのでほとんど忘れられた。
生活雑排水が混じってドブ臭くなり、
藻がはびこったこともあったが、
今では澄んだ水が蕩々と流れる。
それぞれ江戸最盛期から幕末の秘話を抱えている。
街の魅力を高めている。
今来た枡形を振り返り、
枡形がここに直角に突き当たるので、
左手方向の高崎方面へ向かうと、
右手に庄屋が現れ、
その先に本陣の跡地が残っている。
周辺には面白い路地裏が網の目のように走り、
夏場はどこも軒先を開放し、
住む人の声が良いBGMになる。
本町の一端っこに駄菓子屋がある。
当社のお得意様が守り続ける懐かしい店だ。
昼間は子ども達で賑わう文化遺産だ。
四ツ目川の橋に達する。
昔大水害を起こした曰く付きの場所で、
水に恵まれている代わりに、
異常なほど雨が降ると濁流に襲われる。
ここから先は新町だ。
江戸から明治になり大正昭和と時代が過ぎると、
駅に近い新町が中津川の中心に取って代わった。
これがまた面白い。
新町の栄えたピークは昭和の終わりだ。
平成になりバブルが弾けると街にはシャッターが目立つようになった。
それでも、
一時のことを思うと状況は好転し、
本町と新町、
そして一本隔てた太田町界隈は、
今も中津川の繁華街として栄えている。
そう言う場所にはチェーン店では無い居酒屋が存在し、
期待外れは良くあるが、
一口食べて「おっ!」と思う事は少ない。
ヘビーウエットな路面をコンチネンタルで走った時の美味しさだ。
マグロの赤身特有のぱさつき感は全く無い。
ふわりとした歯触りと、
甘くて香ばしい醤油がステキだ。生きていた。
久しぶりにスナックに行った。
年配の女性が乾き物だけで間を持たせ、
カラオケで盛り上がる古のスタイルだ。
こんな中津川もイイもんだ。
by b-faction
| 2017-04-03 20:54
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