新しい商品がラインナップに加わった。
走行距離の少ないアウトバックで、
なんだか凄く素直なクルマだ。
早速持ち味を確かめてみた。
それほど良いタイヤを履いているわけでも無いのに、
ライントレース性能が極めて良い。
下半身が素直なのだろう。
これはきっとステキなクルマになる。
褒めてあげたくなったので、
ステキな場所に連れて行き記念写真を撮った。
園原では花桃が満開になった。
3月の星空ミーティングでは、
まだ真冬の様相だったが、
今では季節がこんなに変った。
春爛漫を実感しながら会社に戻り、
その日の出来事を振り返った。
「決めつける」と「思い込む」の差を知る一日となった。
当社には何かを「思い込み」、
ただそれを確認するためだけに来る人が居る。
そもそも商談する気も、
モノを買う気も無く、
思い込みの「裏付け」だけを取りに来るのだ。
「決めつける」というのは、
ある程度論理的に調べ、
経験則に溺れず常に新しい解を導き出そうと努力する。
その上で「これが正しい」と信じている。
だからもし自分の考えを否定されても受容性が高い。
「思い込む」人は少しやっかいだ。
盲信しやすいという側面を持つから、
口コミを重視する反面、
ネットの情報などを簡単に盲信する。
盲信しやすい人は、
「決めつける」人に較べ、
あまり論理的に調べたりせず、
経験則に溺れる。
自ら新しい解を導き出そうと努力せず、
人の話に振り回される。
一旦「これが正しい」と信じると、
自分の考えを否定された時に「ムッ」とする。
だから両車を見分けやすい。
盲信しやすい人は、
得てして盲信させるべく狙っている者に引き寄せられる。
日々、
やるべき事は一つだと考えている。
正しい事実を客観的に究明し、
常に新しい解を求めて生きる。
収穫したカラスノエンドウを胡麻和えにした。
妻と娘には苦労を掛けた。
下処理に30分も掛かったそうだ。
「二度と採ってこないで」と釘を刺された。
野菜のエンドウに較べたら確かに硬い。
しかし「箸休め」には最高で、
イベントを手伝いに来た息子と顔を見合わせながら食べた。
これは結構美味しかったぞ。
昨夜の魚料理は真鯛のカルパッチョ。
メインはチーズフォンデュだった。
佐藤さんに戴いたアビィのバケットは、
思った以上に硬いのだが、
ドイツの地中海料理店で食べた味にそっくりだ。
噛めば噛むほど味の出る、
とても美味しいパンだった。
明日は取材を兼ねてマリオがやってくる。
だからインプレッサハウスを開き露天風呂の効能を確かめた。
久しぶりに露天を楽しんだ。
これで安心して迎えられる。
一夜明け出勤して気がついた。
気がついたらブルーベリー畑のアキグミが満開になっていた。
地味な花だが、
その実は実に綺麗で食べると甘酸っぱい。
少年の頃を思い出させる味だ。
太く幹が育ってきた。
昨年辺りから本格的に結実するようになった。
コツコツと大切にして丈夫な木に育てたい。
コツコツ大切に育てたい事業が遂に始まった。
恵那市で女性だけのラリーが開催される。
勝股さんから連絡があり、
「こんにちは。女性ラリーはまだ計画段階で紹介は時期尚早ですね」
と書かれていた。
確かに計画を提案したのは勝股さんで、
ラックの勝田さんと共に計画を進めたらしい。
それが勝股さんの知らぬ間に進展していた。
モータースポーツにしろ、
大きなイベントにしろ、
市議会の承認とか警察の許可も必要だ。
なかなか一筋縄で開催することはできない。
ところがどうだ。
「さすが恵那市だな!」と脱帽せざるを得ない。
恵那を地盤としている古屋大臣は、
国会議員の中で最も正確かつ真剣に、
交通行政や自動車の文化性を前向きに考える人だ。
一度だけ突然お忍びで当社を訪問されたことがあった。
その時お世辞ではなく、
本当にショールームのインプレッサWRXを欲しそうな目で眺めた。
そしてクルマ歴を語られた。
この人物なら日本の交通行政を本気で変えるかもしれないと思った。
それに恵那市長はダートトライアルをやっていた。
だから話しが早いのだろう。
女性ラリー開催について、
恵那市長と基本合意ができて、
あとは関係部署と協議していく。
その中で「井原慶子」という名前が出た。
日本のモータースポーツの中で、
実に見識の高い活動をしている女性らしい。
そういえば!と思い当たるフシがあった。
今年のオートサロンで、
物凄くオーラを出す女性がいて、
誰かも知らずに思わず写真を撮らせていただいた。
それを引っ張り出すと、
中央にいる女性が井原慶子さんだと初めて知った。
こうなると応援する気持ちがますます高まる。
早速JAFと相談し、
来る夏の感謝デイで講習会を開くことにした。
それはB級ライセンスを取得し、
少しでもモータースポーツを身近に感じてもらうためだ。
勿論しっかり準備すれば、
興味ある女性がラリーに参加できる。
のんびり構えていたら、
一気に情勢が変った。
11月19日に正式に開催が決まり、
大会の実質的な運営母体が来訪すると連絡があった。
その様子はまた後のブログで詳しく語りたい。
モータースポーツと言えば、
やはりSUBARUとWRCは切っても切れない間柄だ。
このシーンを思い浮かべるだけで、
胸がキュンとなる。
ただしキュンとなるのは競技中の話で、
WRカーを公道で普通の人が走らせても何の魅力も無い。
とても危険で常識的な人がやるべきでは無い愚行だ。
それを一番知っていたのは、何を隠そうプロドライブ自身だ。
最近ゾンビを蘇らせる人が居るようだが、
魂を喰われるから止めた方が良い。
それだけの金をドブに捨てるようなものだが、
ゾンビに取り憑かれると価値観が狂う。
そのような流れで、
最近価値以上に評価されているのが、
SUBARU インプレッサ STIバージョン 22Bだ。
いくら数少ないとは言え、
新車価格の505万円以上の価値があるかと言えば、
決して無い。
客観的にはそうなのだが、
需要と供給の差が狂った価格をもたらす。
絵画やワインのように、
余った金が流入した。
ばかげた話だ。
22Bが誕生した頃を思い出した。
当時、
プロドライブのテクニカルディレクターだった、
デビッドラップワースは、
22Bを喉から手が出るほど欲しがった。
WRカーのロードゴーイングバージョンが、
限定とはいえ「メーカークオリティ」で発売されることになったからだ。
WRカーを作れる彼らでも、
ロードゴーイングバージョンとなれば話は違う。
安全で快適な移動空間を持つ22Bを、
ある意味「生みの親」が欲しがった。
だから逆行する「怪しい」行為は褒められたものでは無いが、
キチンとしたクルマを蘇らせる事は別だ。
このワンオーナー車を何が何でも元に戻したい。
コネクティングロッドが破断し、
ピストンがブロックに突き刺さる衝撃的な故障だった。
知らない人なら仕事を断るが、
彼とは顧客を超えた親戚並の付き合いだ。
何としても直してあげたい。
遂にエンジンが組み上がり、
車両に搭載する瞬間が来た。
微調整しながら丁寧に組付け、
補器類を装着した。
少し嫌な予感がした。
知らない所で北原課長とオーナーの間だけで、
いくつか知らない作業が進んでいたからだ。
課長の表情が優れないのは、
こっぴどく叱られて消沈しているからだ。
エンジンが壊れたも様子が余りにもおかしく、
何かECUに悪戯を加えている可能性がある。
オーナーに確認すると、
加工したと答えた。
22Bはガラスのように繊細なチューニングが施され、
1台1台魂を込めて出荷されている。
なのに、
まるで邪教に染まった愚か者のように人の意見を聞かず、
触れてはならぬ場所をこじ開ける。
はっきり言うが、
一度触れたら元に戻すのは困難を極める。
オーナーに「外せ」と言ったが、
「思い込んだ」呪縛から簡単に逃れられない。

このようにしたのは誰か。
壊したのだ。
それが解っていても、
外すことについて心に抵抗が残っていた。
邪教とはそう言うものだ。
そもそもオリジナルのECUがあることこそ奇蹟だが、
その価値さえ「思い込んだ」モノには理解出来ぬようだ。
丁寧に説明したが従わないので、
「従わないなら直さない」と結論を言った。
その人のことを思うからだ。
他人なら何も言う必要は無いし、
知ったことじゃない。
大切な人だから嫌われることを平気で言う。
こんなものを貼りやがって。
言い訳がましいにも程がある。
こんな哀れな壊れ方をしても、
まだ「お札」の呪縛の封印が解けない。
モノを大切にするなら、
コツコツ「正しい方向」に育てたい。
10年間それだけ考え続けてきた。
これから先の10年を見据えたのが「インプレッサハウス」だ。
放置された廃墟を守りながら、
こつこつと手を加え、
遂に機が熟した。
SUBARU誕生100年祭は、
まだまだこれからが本番だ。
次々と新しい企画を生むだろう。
楽しみにして欲しい。
この場所を使える資格を持つ人を、
一人でも多く増やしたい。