アルシオーネ6気筒エンジン搭載車の誕生とFS-65計画の神髄
2017年 09月 30日
お友達とドライブに来られた。
好天の走行を楽しまれたようで、
宮下さんにお土産を戴いた。
高遠饅頭を食べると、 あの頃、
このクルマが発売になった時、
チャンスを狙いクリーンヒットを放った。
フジストラテージ65、
その日産が後になって実質的に倒産し、
このあとトヨタ博物館を目指して出発された。
クルマ三昧の暮らしを楽しんでおられる。
宮下さんも岡田さん同様に渋いクルマ選びをされている。
XT-6の開発でフロントヘビーが極限まで進み、
それを一発で解決する秘密兵器が求められた。
それがVTD(バリアブルトルク ディストリビューション)だ。
そのVTDをスポーツワゴンに搭載し、
回頭性を高めスポーツカー並みに仕立てたクルマが、
インプレッサ スポーツワゴンWRXなのだ。
これが発売になった平成5年当時も、
実は何かと厄介なことがたびたび起きた。
日産自動車が座間工場を閉鎖すると発表し、
従業員削減が現実のものとなり始めた。
新党ブームで政治も混乱し、
例の細川政権が誕生した。
国策企業「日産」と業務提携していたスバルは、
その当時日産グループから天下りした河合社長の下、
再建計画がひと段落した頃だ。
次の中期経営計画に着手したが、
具体的な企業としての在り方がはっきりしない時期だった。
いつもありがとうございます。
満開の桜を思い出す。
高遠に花見に行き、
会場で饅頭の早食い競争に出た。
あれは美味しかったが、
とてもカラダにきつかった。(笑)
アルシオーネが誕生して、
6気筒エンジンを搭載した背景にはプラザ合意がある。
中曽根内閣における大蔵大臣は竹下登だった。
アメリカの赤字を減らすため、
円高に誘導するように先進五か国が同意した。
それがプラザ合意だが、
はっきり言って、
そんなことを気にする世相ではなかった。
【車名】
SUBARU アルシオーネ VX(Victorious X)
【駆動方式】
AWD(全輪駆動)
【型式】
E-AX9
【主要諸元】
全長×全幅×全高(mm):4510×1690×1335
ホイールベース(mm):2465
トレッド前/後(mm):1435/1440
最低地上高(㎜):165
車両重量(kg):1300
最小回転半径(m):5.2
乗車定員 4名
【エンジン】
ER27/水平対向6気筒2.7L SOHC12バルブ
内径×行程(mm):92.0×67.0
圧縮比:9.5
最高出力:150PS/5200rpm
最大トルク:21.5kg・m/4000rpm
【燃料供給装置】
EGI
【変速機】
電子制御4速AT
【ステアリングギヤ比】
17.0:1
【燃費】
8.0km/l (10モード)
【標準装備】
アクティブトルクスプリットAWD 205/60R14タイヤ アルミホイール
シングルブレードワイパー リトラクタブルヘッドライト
【税抜車両本体価格】
2.835.000円
ボディカラー:ブリリアントシルバー・メタリック
あらかじめ断わっておく。
このあと動画の中でVR-6と混同して表現しているが、
Rはターボに付けられた符号だ。
アルシオーネに共通するVは勝利を意味するVictoriousだ。
そしてXは永遠の未知数として6気筒を表している。
アルシオーネはギリシャ神話における巨人「アトラス」と、
精女プレイオネの間に生まれた姉妹の一人だ。
全能ゼウスによって鳩になり空に飛び立ち星になった。
初の水平対向6気筒SOHC12バルブエンジン搭載
エレクトロニューマチックサスペンション
電動油圧パワステ
日本初の4速AT電子制御4WDとアンチロックブレーキシステムを統合制御
初めて5穴でPCD100ミリのアルミホイールを装備
当時のブロンズガラスは高級車の必需品だ
スバルは思っても居なかっただろう。
まさか3年半後に再建計画を発表することになろうとは。
6気筒誕生はスバルの悲願だった。
日産自動車と業務提携した条件の中に、
彼等と競合する車種を開発しない条項があった。
無理して開発したOHVの6気筒は、
開発中止の憂き目にあったが、
当時の技術者たちは絶対に諦めなかった。
まず日産の言う通り先にリッターカーと軽自動車に経営資源を集中した。
軽自動車をヨイショして、
ジャスティとドミンゴを開発した。
次にREXをフルモデルチェンジした。
レオーネの改善も進み、
マニュアルとATの双方でフルタイム化も完了した。
そして悲願の経営計画を発表した。
それがFS-65計画だ。
65の意味するのは昭和65年。
世界企業への躍進を目指しドルが150円でも生き残れる体質を作り、
売上高を1兆円に引き上げるという大それた目標だった。
最初は心配された円高ドル安誘導が、
逆に企業の資金調達を世界市場から可能にさせ、
景気が恐ろしいほど良くなった。
結果的にバブル崩壊につながったが、
スバルはその前に崖っぷちに立った。
今考えれば僅かな赤字だが、
バブル崩壊前の赤字は、
経営の権力抗争上、
興銀より日産へ有利に働いた。
ルノーの支配下に置かれた。
そのおかげでスバルは日産と切れたが、
日産は次に三菱を飲み込んだ。
YAZAWAが好きではないので、
あのCMには違和感を覚えたが、
キャラクターだけではなく行為にも疑問が多かった。
出来ない事を出来ると言った。
嘘は良くない。
その結果、
奈落の底が割れた。
自動車メーカーにとって完成検査は何よりも重い。
昔から「完検切れ」と言って長期在庫のクルマが存在したが、
それはそれはデリケートに扱い、
絶対に切れないように売り切った。
今回の出来事は、
一般の自動車会社ならペーパー車検を行ったのと同じで、
その内容によっては陸運支局から指定工場の取り消しを受ける。
発表された内容だと、
事業場が多岐にわたっているので、
組織的な行為だし台数も多いと想定される。
本当に何が起きるのか、
全く分からない時代になった。
そこで一つ言えることがある。
先輩が苦労したことを、
やはりきちんと守る事だ。
日産のように奈落の底に堕ちたくないはずだ。
SUBARUの業績がいくら良いからと言って、
やはり優れた自動車メーカーから見ると、
まだまだその内容は子供並みに小さい。
その子供が一人で大きくなったつもりで、
先輩の苦労を忘れると奈落の底に堕ちる。
6気筒エンジンは悲願だったはずだ。
これはバブルのおかげでとも言える。
その時にスバルは少なくとも、
将来プレミアムカーを作る事の出来る、
「プラント」をアメリカに持つことが出来たし、。
それを拡販できる「ブランド」も手に入れた。
今ではSIAとSTIはスバルに欠かせぬ重要な存在だ。
そして6気筒エンジンも、
ER27からEG33へ、
そしてEZ30からEZ36へと育ち続けた。
水平対向6気筒が生まれた年、
「双羽黒の廃業事件」
が起きた。
これは、
今のスバルに当てはまる。
北尾という稀に見る大器がすい星のごとく現れた。
ところが当時の相撲界には焦りがあった。
じっくり育てず目先ばかり見ていた。
その結果、
キチンとした幕内優勝経験がない子供に、
期待が高いからと急いで横綱にした。
その挙句、
天性の才能がありながら、
それを棒に振ることになった。
惜しまれる廃業だった。
優れた「プラント」を持つスバルが、
なぜかSTIを優れたブランドに育てられない。
なぜそう思うのか。
いつの間にか、
「運転が上手くなるクルマ」を作るようになった。
それは自己満足で客の求めるものではない。
しかも残念なことに、
BMWが持つ最新の「M」に比べたら、
運転が上手くなる性能にも、
大人と子供くらいの差が生じてしまった。
10年前に「S402」でかなり良い線まで追いついたが、
その後は離される一方だ。
何度も6発に挑戦し、
大人のメーカーになりつつあるのに、
それを捨て目先だけに走る姿は、
日産のように奈落の底を割る可能性を秘める。
動力性能開発を疎かにするスバルに、
もしかすると未来は無いのかもしれない。
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ひょっこり
at 2017-10-01 10:44
x
社長おはようございます。
平成5年ですか。あの年は色々と変化がありましたね。
まずは記録的な冷夏、米が不作で「タイ米」を緊急輸入したはいいけどマズいお米でした。
それとJリーグ開幕。一気にブームになり、サッカー嫌いなボクはイイ思いをしなかったことを覚えていますけど、松井秀喜がプロ野球入りしましたね。
この年から日産の裏切りが始まりました。
33スカイラインや14シルビアが3ナンバーとなって肥大化してみんなに失望されてしまったし、それが日産不振の引き金となったと思っています。まあ、他のメーカーもやってましたけどこの2台、アツい思いのユーザーに支えられていることをワカってなかったのでしょう。
その当時にボクは二十歳でしたが毎週末の深夜放映されているカーグラフィックTVで、BTCCが初めて紹介され、そのドッグファイトぶりに釘付けになりましたし、WRCでは脂の乗り切ったユハ・カンクネンの華麗なドライビングに魅せられていました。
平成5年ですか。あの年は色々と変化がありましたね。
まずは記録的な冷夏、米が不作で「タイ米」を緊急輸入したはいいけどマズいお米でした。
それとJリーグ開幕。一気にブームになり、サッカー嫌いなボクはイイ思いをしなかったことを覚えていますけど、松井秀喜がプロ野球入りしましたね。
この年から日産の裏切りが始まりました。
33スカイラインや14シルビアが3ナンバーとなって肥大化してみんなに失望されてしまったし、それが日産不振の引き金となったと思っています。まあ、他のメーカーもやってましたけどこの2台、アツい思いのユーザーに支えられていることをワカってなかったのでしょう。
その当時にボクは二十歳でしたが毎週末の深夜放映されているカーグラフィックTVで、BTCCが初めて紹介され、そのドッグファイトぶりに釘付けになりましたし、WRCでは脂の乗り切ったユハ・カンクネンの華麗なドライビングに魅せられていました。
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b-faction at 2017-10-01 19:40
ひょっこりさん、二十歳だったんですか。僕の時はザ・ニューレオーネがデビューし、期待以上の格好良さでわくわくした思い出があります。
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よっしー
at 2017-10-02 11:28
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BMW中津川の社長のブログはここでつか?
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宮
at 2017-10-02 21:33
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スバルは落ちる所まで落ちたらいい。
そこで何が駄目で何を望まれてるかが分からないならスバルは無くなっても仕方ない。
根っからのファンだけど、今のぬるま湯みたいな車造りはガッカリです。
走らせたら気持ちいい!
そんな車ならスバル以外にも腐る程ある。
まぁ、そんな危機感を募るような事にはならないでしょうけど。
そこで何が駄目で何を望まれてるかが分からないならスバルは無くなっても仕方ない。
根っからのファンだけど、今のぬるま湯みたいな車造りはガッカリです。
走らせたら気持ちいい!
そんな車ならスバル以外にも腐る程ある。
まぁ、そんな危機感を募るような事にはならないでしょうけど。
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宮
at 2017-10-08 08:28
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コンセプトは素晴らしいのに市販車は…
この世間の声をスバル(デザイナー)は考えてほしい。
最近スイスポのマニュアルに試乗しましたが、スバルはこの楽しさをユーザーに提供してもらいたい。
はっきり言ってWRXより楽しいくらいでした。
この世間の声をスバル(デザイナー)は考えてほしい。
最近スイスポのマニュアルに試乗しましたが、スバルはこの楽しさをユーザーに提供してもらいたい。
はっきり言ってWRXより楽しいくらいでした。
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b-faction at 2017-10-09 11:24
> 宮さん
いまさらスイスポと比べてもしょうがないですよ。昔のスバルに乗ってください。SG5の最終型はNAでも飛び抜けて凄いぞ。
いまさらスイスポと比べてもしょうがないですよ。昔のスバルに乗ってください。SG5の最終型はNAでも飛び抜けて凄いぞ。
by b-faction
| 2017-09-30 23:33
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