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鎮守の森

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無性に肉が食べたくなった。

すると妻がステーキを焼いて帰りを待っていた。

上は赤身で下がサーロインだと言う。
ワサビか大根おろしか・・・。

どちらで食べても美味かった。

輸入した子牛を日本で育成したとかなんとか妻は言うが、
そんな面倒なことするんだろうか。

まあ、
あまりよく知らない世界なので、
安心できる店で売っていて、
美味しく食べれれれば良しとしよう。

今日も忙しく過ごした。
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夕焼けが綺麗だったので望桜荘の山桜を写真に収めた。
東に向かって写すと別の姿を魅せる。
この道は高崎に繋がり江戸へと向かう中山道だ。
手前を流れるのは六地蔵川。

この場所を本拠地としたのは昭和41年だ。

移る前は六地蔵川の下流にある借家で暮らしていた。
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左上が創業着後で右上がここに移った直後だ。
左下は初代社長で祖父の隆次郎。

その右側がサービス工場も兼ねた、
借家に移った当時だ。

二歳年下の妹と並んで映っているが、
見た通り彼女は豪胆だ。
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方や好き嫌いが多く、
食が細いのでやせ細っている兄は、
いつまでたっても弟と間違えられた。
歩いて10数分の場所なので、
久し振りに訪れてみた。

川沿いを歩いていくと神社が見え始める。
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六地蔵川が右から左へと流れている。

この光景は50年以上経った今もほとんど変わらない。

立派な鎮守の森があり、
昔から巨木が立ち並んでいた。

この森の向こう側にある農業試験場が、
まもなく工事でリニアモーターカーの車両基地になる。

六地蔵川の水が昔と同じように流れている。

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ウグイやモロコが溢れるばかりに泳いでいた。
ひれが赤い魚を獲るとちょっと嬉しかった覚えがある。


たもを持って水に入ると、
蜘蛛の子を散らすように逃げる。

そこで「ウケビン」という小道具を使うと、
仕掛けて数時間で入りきらないほど魚が獲れた。

それを甘辛く煮て食べたのだが、
内臓が入っているので美味しくない。

小骨も気になり嫌いだったが、
今ちゃんと下処理して調理したら、
物凄く美味しいだろうな。

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雰囲気は変わらないが、
何から何まで立派になった。

手水などいつも枯れた状態だし、
屋根など無かったように記憶しているが、
今では立派に機能している。

池もイモリがうじゃうじゃいて面白い場所だった。
今ではイモリなんてめったに見ない。

階段を上ると御拝殿がある。
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ここで子供たちは夏になると肝試しをやった。

入園前の小さな時に、
まさに餌食になって、
今でもあの時の様子がフラッシュバックする。

小便を漏らすほど驚いたことと、
驚かされて泣いている自分に腹が立った。

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それが御拝殿の右側にある倉庫だった。

馬の銅像の奥は社務所になったが、
その頃は閂がかかるような倉庫だった。

確か肝試しに連れてこられ、
その扉を叩くように言われた。

嫌だと言うと、
どうしても叩けと言う。

仕方がないのでそっと触った途端、
バン!と扉が開いて光が躍り出てきた。

あれには驚いた。

未だにお化け屋敷が苦手なのは、
完全にそれがトラウマになっているからに違いない。


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社務所の上方を見て驚いた。
空が見えてしまってる。

ここはうっそうとした森の中で、
空など見えなかったはずなのに。

合祀の対象にならず、
古代から生き残った神社だったのに、
何がおかしくなったのか。

数年前に訪れた時、
社務所に神主が居て驚いた。

この神社に常駐する神主など見た事が無かったからだ。

それから手水舎が綺麗になったり、
池に噴水が出来たり環境が良くなった。
駐車場も最近になって更に拡張された。

ところがいつの間にか無人になった。

昔からお稲荷さんもあった。
そこは薄暗く一度も近寄った事はない。

その左側には高い樹がいっぱい立っていた。

なのに空が見える。

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階段も鳥居も狛犬も昔のままだ。

これほど綺麗に手入れされておらず、
終戦後の混乱を乗り切った様子がありありとしていた。

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何と御朱印が置いてある。
常駐する神主がいない事を詫びてあった。

昔はこの両側の壁に、
長い髪の毛を束ねたものが何本か吊るされ、
何か願を掛けていたことが伺われた。

気持ち悪いのに、
ここは悪ガキどもにとって格好の場所だった。

それは賽銭を盗んで買い食いをするという罰当たりな行為だ。

賽銭だけは盗んだことはない。

絶対にロクな事が無いからだ。

いくらその当時のガキ大将から、
「あげるよ」と言われても受け取らなかった(つもりだ)。

彼等は山分けして、
その足で駄菓子屋に行ってフーセンガムなどを買い込んだ。

ついて行って見ていたので、
一つか二つもらって食べたかもしれない。

直ぐに罰が当たった。
悪事がばれてガキ大将たちは大目玉を食らった。

それでも本殿の中に入るような真似は絶対にしなかった。
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勿論火遊びも絶対にしない。
皆そう言う所はしっかりしていて、
絶対にやってはいけない事を知っていた。

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本殿を降りて六地蔵川のところまで戻ると、
懐かしい建物が見え始めた。
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正面に見える中央西線の踏切は、
ここに越してきた当初まだ単線だった。

正面に恵那山の尾根が続き、
右が名古屋方面だ。
踏切の左に見える古い家が最初のサービス工場と言う訳だ。

参道を挟んだ踏切脇の場所に、
新車が展示されていた。
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スーパーグッピーと言う、
愛知機械工業が作る軽トラだった。

何で借りていたのか、
どういう経緯で並べたのか知らない。

近くに焼き場もあり、
ある日燃えカスがボンネットに積もっていた。

妹と遊んでいて、
それに気が付くと、
何を血迷ったか驚く事をやり始めた。

ついたあだ名は重箱。
何でもよく食べるから、
おせち料理が収まる重箱を例えられた。

気に入らないと何時間でも泣き叫ぶ。

それに家族はあきれ果て、
泣きくたびれ眠るのを皆で待った。

その豪胆な妹は、
ラッカーの入った缶と、
筆を工場から持ち出した。

検査で使う黄色い塗料があちこちに置いてあるし、
当時は簡単な鈑金を向上の中でやるような時代だった。

有機溶剤もラッカーも腐るほどあった。


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この桜の左にあったスーパーグッピーのボンネットに、
いきなりラッカーを塗り始めたのだ。

止める間もなかったので、
見て無かったことにして逃げた。

鬼のような顔をした父親が現れ、
「誰がやった!!!」と怒鳴った時、
妹を指差すしか「なすすべ」が無かった。

かまわない卑怯者だと罵ってくれ。

だって庇いようがない。

妹が首根っこを掴まれて表に連れ出され、
火のついたように鳴く声だけが聞こえてきた。

くわばらくわばら。

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形はあの当時のままだ。
シャッターは無かったが。

線路わきにダイレクトに暮らすダイナミックな一家だった。

列車が通るたびに家が揺れた。
この場所に真っ黒いシェパードが長い鎖でつながれていた。
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父親が買い受けてきた警察犬崩れの大きな犬だった。

尻尾を踏もうが背中に乗ろうがまるで気にしない。

今でも犬を飼うならシェパードしか飼わないと決めている。
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この鉄骨もあの当時からあった覚えがある。
鉄は丈夫く加工しやすい。

ここもあの当時のままで、
壁の色が少し違うあたりに風呂の焚口があった。
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焚き物で沸かすお風呂で、
管理が大変だったと思う。

暮らしも貧しくて大変な時だったが、
不思議と思うくらい苦しい事や辛い事は無かった。

いつも子供たちの声が響き渡り、
この参道には笑顔が溢れていた。

お向かいの家に牛がいて、
丁度正面のサッシのあたりから顔をのぞかせていた。
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家畜と共に暮らす時代の名残だ。

母が「あの牛はあの家の子供だったけど食べてすぐ横になるうちに牛になった」
真面目な顔をして子供を騙すので、
毎日その牛の前に行き、
「可哀そうだね、元に戻れないの」と囁き続けた。

牛には迷惑な話だ。

この家に地域で初めてテレビが据え付けられた。

参道から見える白黒テレビには、
当時流行したブラウン管の前につける樹脂製の拡大レンズが付いていた。

青白いブラウン管から、
妙に歪んで大きくなった画像が飛び出すと、
それを皆で愉しく眺めた。

隣には弘法様が祭ってあった。
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あの頃と全く変わらない。
神社の参道に弘法様や菩薩があるのは、
長い日本の歴史が生んだ神仏習合の良い風習だろう。

大切にされたモノには、
必ず神が宿り福をもたらす。
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弘法様の前には巨木があり、
良く潜り込んで遊んだ。
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古い樹には神が宿る。
ここには菩薩が祭られていた。

子供の頃には神様がいるくらいにしか感じなかったが、
神や仏にも様々なカテゴリーがある。
それらが寺社仏閣や参道などで融合する様子が日本的で好きだ。

昔は今以上に雷がこの地域を襲った。

だから鎮守の森の巨木には落雷の痕跡が沢山あった。
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参道の古木も中から見上げると黒く焦げていた。
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ここにもぐれたのか。
確かに4歳ぐらいだったからな。
7歳になるまでこの参道で暮らした。
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常夜灯が新たに増えていた。
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個人の寄付で建てられたまだ新しい常夜灯は、
100年ぐらいかかって周りと馴染むのだろう。

いつか望桜荘の前にも常夜灯を置こう。
近くには弘法様があるし、
地域との整合性も高い。

スーパーグッピーを作っていた会社は、
その後に日産自動車の下請けとなった。

国策として自動車産業を日本の基幹産業として育成しようと、
通産省が自動車メーカーを創り出す時代だった。

最後にホンダが滑り込み、
今の日本自動車工業会の基礎が出来た。

その黎明期から怒涛の高度経済成長期へと、
日本の経済界は突き進んだ。

何度か踊り場があり苦しんだが、
それでも自動車産業は骨太であり、
脱落する会社が出る事は無かった。

三度再び踊り場が来て、
それを克服したスバルは選択と集中を続けてきた。

その結果、
捨てるモノも沢山あった。

それでもまだ言いたいのだけれど、
やっぱり捨てて欲しくないな。

今日は二組のお客様が遠方から来訪された。

このブログでなぜ水平対向6気筒エンジンを褒めるのか。
何故失ってはいけないと叫び続けるのか。

その気持ちに共感される人たちが、
松本と伊勢からいらっしゃった。
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珍しいお土産を戴いた。
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長野県産の花梨を使ったシロップだ。
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お湯で薄めて飲むとインフルエンザに対抗できる。
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確かに美味しい。
小松さん、
ありがとうございました。
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レガシィB4の3.0R spec.Bを、
何卒宜しくお願いします。

続いて現れた紙袋には、
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伊勢湾の逸品が封じ込められていた。

マドレーヌなら聞いたことがるけれど、
シェルレーヌとは何ぞや。
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つまり伊勢湾で取れる真珠のパウダーが、
この焼き菓子に練り込まれているらしい。

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実に美味しい洋菓子だ。

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奥田さん、
ありがとうございました。
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レガシィB4 3.0Rspec.Bを宜しくお願いします。

お嬢さんに折り紙を戴いた。
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大事にします。

優れたクルマの良さを知り尽くすと、
その味が忘れられなくなる。

国内のクルマ企画を統括する、
小笠原さんとお目に掛かった。

SUBARU1000で富士重工は、
やっと本当の意味で「クルマ」を作る会社になった。

そして先人たちは、
世界で胸を張るためにマルチシリンダーを練り上げた。

こうした偉業は寺社仏閣で言えばご本尊に相当する。
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小笠原さんは現在マーケティング推進部長を務められているので、
少なくとも聞く耳を持つ数少ないSUBARUの役員である。

昨年はトランスアクスルを採用して、
かなりいけそうなスーパーGTだったが、
なかなか思うように駒が進まなかった。
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これは神輿の様なモノなので、
年に一度の祭りに引っ張り出すなら役に立つ。

ところが魑魅魍魎な駆け引きの世界では、
いくら優秀で魅力的な担ぎ手が居ても結果を引き出せない。
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この二人は最高のレーシングドライバーだ。
SUBARUに一番似合うサーキットの主役と言っても過言ではない。

それがスーパーGTという神楽の場で、
十分に持ち味を発揮できないのは、
マルチシリンダーを究極まで磨かなかったからだろう。

実はサーキットの競技にはほとんど興味がないので、
スーパーGTに関しては妻より知識が浅い。

勝つためには何でもありでは困るので、
SUBARUが独自のエンジンに拘る姿は素晴らしい。

でも出走するレ-シングカーは完全な張りぼてだ。
生産車と何の関連性も無いマシンで、
年間何戦も戦う事にどれほどの価値があるのか理解できない。
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レースに出続けるなら、
張りぼてでは無くSTIのクルマとして、
最低でもこれぐらいの事をしないと意味がない。

小笠原さんと深い話が出来たので、
少しは聞く耳持ってくれたかもしれない。

マルチシリンダーのスポーツカーを期待したい。

伝統ある八幡神社をもう一度見た。
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木を切ってしまって丸見えだ。
元来こんな風景では無かったが。

切り倒してからでは遅い。
神主が優秀だったのか、
それは解らない。

あるいは氏子(株主)が悪いのか。
目先の損得だけでは企業が燻蒸されない。

企業が選択と集中で生き残りをかける時代から、
いまや少し遠のきつつある。

捨ててしまう前に見直すことはないのか。

ご本尊が泣いている。

まだ間に合う。

Commented by 後藤 啓太 at 2018-01-22 18:55 x
初めまして、いつも楽しく拝読しております。社長のお考えに賛同します。「選択と集中」はSUBARUが生き残り、発展していく上では必要不可欠だったと思うし、今後も時代の流れに合わせて少ない資源で会社を存続させていかなければならないのも分かります。SUBARUだけで考えるならそれでもいいと思っています。コストパフォーマンスに優れた「安心で愉しい」車を作り続ければいい。しかし、STIのクルマはその程度では困ります。動力性能の追求を怠り、軽量化への執念を忘れて、単なる合理化を進めてしまうようではSUBARUブランドの未来は暗いと感じます。自分もSTIのオーナーなのでなおさらそう思うのかもしれませんが、今彼でもSTIにもっと開発費を与えて、STI専用のプラットフォーム、変速機、発動機(これを6気筒エンジンにする!)を持たせて、意地と執念で磨き続けなければ!
SUBARUが「笑顔を作る」会社というならSTIは「ライバルを圧倒するコンペティターを開発する」工房であってほしいです。抽象的な表現にSTIをひとまとめにしないでほしいですね。
Commented by b-faction at 2018-01-22 19:26
後藤 啓太さん、賛同いただき有難うございます。声を強くして訴えていきましょう。
Commented by T2 at 2018-01-24 14:54 x
初めまして。T2と申します。いつも楽しく拝読しています。
モノ作りから企業姿勢、食への拘りから味覚まで、代田社長とかなり一致したところが多く、何となく同志的親近感を覚えています。

かつてはGT30(BHE)乗りであった自分も、至高ともいえる水平対向6気筒が消えてゆくのは残念でなりません。
私が当時購入したのは、GT30の最終ロット。地元ディーラーが抱える、ほんとに最後の一台でした。サンルーフがないことを除けば、本革シート、マッキントッシュオーディオ、ビルシュタインダンパーに215/45R17POTENZA RE010などフル装備。最終型はスポット溶接の数も半端でなかった。リアゲート付近でも、ほぼ20ミリ間隔で打ってあったように記憶しています。

助手席や後席に初めて招かれたほとんどすべての人が、「この車はなんなんですか!?」とその乗り心地に驚嘆の声を上げました。
氷の上を走るような滑らかさ。それでいて無類のスタビリティ。
実際、西〇〇警察署の元署長をお乗せしたとき、「一体この車は!」と絶句した時の表情が忘れられません。
一般の方でさえ、6気筒の凄さに気づくのに、肝心のSUBARUの社員がそのポテンシャルに気がついていなかったのではないでしょうか。社長が依然おっしゃっていたかもしれませんが、日本人の車に対する感性の低さ。自らの体感で物事を評価できない悲しさ。だから他人に評価ばかりを気にして、評論家記事を鵜呑みにする。

これを書き出すと長くなるので止めますが、もし6気筒を存続させるのであれば、やはりここはBRZ同様TOYOTA様との協業でしょうか。
6気筒をミッドシップ搭載2シーター。そうかつてのMR2の再来です。名付けてMR6! CMは6に因んで6つ子である『おそ松さん』にしましょうか(笑)。至高のスペシャリティカーという位置づけでしか6気筒を残す手段はないように思えます。
Commented by b-faction at 2018-01-24 18:54
T2さん、初めまして。GT30を残しています。いずれ復活させたい一台だと思っていました。
トヨタは既に見抜いていますのでそのセグメントのパートナーにBMWを選んでいます。トヨタもBMWの底が見抜けず相当苦労したようですが実を結びつつありますね。SUBARUは本当に6発を放棄すると決めたようですが良いんでしょうか。そう思う毎日ですがお客様がついてくる商品化が出来ないから仕方ありませんね。次は茨の道が待ってると思います。
Commented by T2 at 2018-01-24 19:29 x
早速にレスありがとうございます。
6気筒の凄さ、素晴らしさは”飼って”みたものでないとわかりません。未だに正当な評価が得られないのは、ある意味日本人の未熟さ、幼稚さと思っています。
例:数値的比較に拘泥し、真に官能的評価ができない。
※官能的評価とは、数値に換算して評価できることではない。魂=スピリットに訴えかけることができるかである。馬力やトルクの数値比較は、馬〇でもできる。
残念ながら、今の日本の「おこちゃまたち」には求めようとしても、求められないのかもしれません。

さて、社長のところも、やはりシェパードを飼っていたのですね。
私もそうですが、犬を飼うならシェパードと決めていますし、二十数年前まで飼っていました。〇〇の警察犬訓練所から譲り受けた子犬でした。その賢さ、凛々しさ、忠実さは、他の犬種では得られないような満足感を与えてくれました。
社長が標榜する「車=家畜」論のとおり、車もそうあらねばならぬと思っています。GT30は、まさにそうでした。

キーをひねった瞬間に、シュンと立ち上がるエンジン。ルルルと心臓の鼓動を感じさせるようなアイドリング。
シェパードの子が散歩に行くと悟ったときに、耳をピンと立て、
尻尾をフリフリするのとまさに同じでした。

いまの飼い犬は10年を超えたBP5ですが、いい犬なんですが、やはりシェパードではない。当世、分かりやすい(扱いやすい)ちびたかわいい犬が多すぎる。
バイエルンの狼に匹敵できるのは、シェパードかドーベルマンしかいない。
男の野生を満足させてくれる車。かつてはスカイラインもそうだったし、1300Gもレオーネもそうだった。マーケットして難しいことは、百も承知ですが、さて。
Commented by b-faction at 2018-01-24 21:21
T2さん、今はBPを御乗りなんですね。シェパードの様なスバルはやはりSVXですね!新車に期待なんかしないで飼うならSVXの良い個体にしたらどうですか。維持するためには動物並みの配慮が必要ですが。当社ならまだ十分サポートできます。
Commented by T2 at 2018-01-25 21:08 x
こりゃ、なんとSVXを勧められてしまいましたね。ピンポイント、ストライクゾーンにまっしぐらです。

SVXが出た当時のキャッチコピー。
Five hundred miles a day

当時若手のリーダーとして社内で頭角を現しつつあった小生ですが、後輩どもを集めて定期的に勉強会、学習会を開催していました。皆の頭をリラックスさせる意味で、このキャッチコピーを日本語に訳すとしたら? という命題を与えました。
多くは「一日に500マイル」という直訳的日本語訳。まあ、そうでしょう。でも、それでは車の性能をイメージ化する訳ではないんですよね。

私はこのように訳しました。「500マイルは遠くない」
この車なら500マイルを苦も無く走り切れる。グランツーリスモの本領を表した訳と、今でも少し自慢に思っています。
あの頃の日本車で、東京から本州の最西端、山口県あたりまでストレスなく走れる車は、SVX以外なかったかもしれません。

10年超えたとはいえ、BP5の走行距離はまだわずか55000km。EJ20の本領はこれからと思えば、もう少し飼いならしてゆこうと思っています。
でも、予想外の黒字が出れば、あるいは利益調整のために一台社用車として買っちゃおうということもあるかもしれません(^^♪。
Commented by b-faction at 2018-01-26 11:39
T2さん、クルマを飼うと言う事ですから番犬代わりに経費で落としましょう。
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by b-faction | 2018-01-21 22:38 | Comments(8)

毎日の活動やスバルについてご紹介します


by b-faction