恵比寿で重要な時間を過ごし、

濃密な夜が訪れた。
日本酒ノミホーと言うのは簡単だが、
揃っているのは並の酒ではない。

赤色酵母が織りなす色と味覚のハーモニー。
そのどれもが時間内なら好き放題に飲める。

名前はふざけているが、
あえて狙ったのだろう。

この味は本物だった。
その質の高さが恵比寿の奥深さを物語る。

乾杯だけ生ビール。
後は徹底的に純米酒を呑み倒した。
へべれけではないが、
終いの方はちょっと記憶が飛んだ部分もある。
くしゃみの連発で目が覚めた。
良い酒は酔い覚めが良い。

関越自動車道に入り上州を目指した。
厳しかった。
顔中かゆい。
どんよりと黄色い空を見るだけでくしゃみが出た。
ただ最近は自己の持つ、
超絶な抗ヒスタミン効果を引き出す技も身につけた。
そのおかげで昔ほど苦しくは無い。
愛機は四代目レガシィワゴンのGTだ。

相変わらず凄い性能だ。
12万キロを超えたA型だが抜群のロバスト性を誇り、
風の中をビュンビュン走る。
高速に乗ってしばらくの間は快調だったが、
暫くすると日本特有の悪いマナーがあちこちで出始める。

追い越し車線を軽自動車が塞ぎ、
3車線もあるのにトラックは第一車線を走ろうとしない。
真ん中は俺の道だと言わんばかりに、
左端があいているのに移動しない。
更に大量の覆面パトカーが導入され、
あちこちで取り締まりがバンバン進められる。
思うに、
まず自動運転を導入すべきはトラックで、
貴重な人材をもっと人しか出来ない事に投入すべきだ。
最も人件費も高騰するので、
今後トラックドライバーと言う職種は無くなるかもしれない。
第一車線を理路整然と自動運転させる方が、
日本の交通情勢に良い影響だけが残る。
思うに、
速度取り締まりなど100%自動化すべきで、
パトカーで追い回すなどと言う野暮な行為をやめるべきだろう。
どう考えても反則金を取るための行為だ。
途中で捕まった白いクラウンが、
パトカーの先導をどう振り切ろうかと、
すきを窺っている場面にも遭遇した。
パトカーの助手席から、
お巡りさんが赤い棒を必死で振る姿を見て、
「可哀そうに。
正義の味方にこんなことをさせるなんて」と、
為政者に腹が立った。
もっと悪い事をしている奴らを、
積極的に取っ捕まえないと日本がダメになる。

群馬はまだあちこちに冬の名残があった。
世界のトシも元気だろうか。

ちょっと顔を出した。
世界のトシは多忙で、
残念ながらお目に掛かれなかったが、
VABのラリー車3台がずらり並んでサービス中で、
世界のトシのファクトリーは絶好調の様だった。
表敬訪問を終え、
直ぐ移動を開始した。
空っ風の上州と言われるだけあり、
どこまでも真っ平らな土地が続く。
世界のトシの本拠地は、
あちこちで物流拠点の開発が進み、
数年前とは様相が一変していた。
それに対して、
太古から変わらぬ風景の場所もある。
最近、
昔よりも立体的に景色が見られるようになった。
目に留まるものがあると、
なるべくクルマを停止させ足で状況を確認する。

地殻変動の顕著な場所には谷が出来る。
災害も多いが豊かな水や土に恵まれると、
そこには歴史が生まれる。
何気ない光景だが、
畑の真ん中にこんもりとした土盛が見合た。
クルマを停めると、
近くには同じような土盛が散在し、
中には果樹を植え土盛を活用している所まである。
その中に一段と際立つ丘があった。

すっかり自然の中に溶け込み、
小高い丘に見えるが、
これは前方後円墳だ。
古墳時代は弥生時代が終わって奈良時代に繋がる、
5世紀前後の時代を指すが、
詳しい事はまだ完全に分かっていない。
最も縄文時代も弥生時代も、
次から次に新事実が発見されているので、
子供の頃に習った考古学と、
最新の考古学の見解にはかなりの差も生じている。
1月に国立科学博物館を訪れ、
弥生時代の生活を見た。

稲作文化が定着し随分生活にゆとりが出たらしい。
その結果、
戦争も起きるようになった。

豪族の様な強い集団が誕生すると、
当然強い者が権力を握りそれを形に残す。
これらの石で強固に覆われていたという。
葺石と書いて「ふきいし」と読むらしい。
まるでロックフィルダムの堤体のような、強固な見栄えに仕上げられたのだろう。
古墳時代は二世紀ころから始まり、
七世紀頃まで続いたらしがが、
定かな事は解らない。
ただ1500年前の前方後円墳は、
何が起きていたのかを勇猛に語る。
食物を支配し武力を持ちカリスマ性も有した。
それが巨大な墓というシンボルになった。
激しい風雨にさらされながら、
日本中に残り、
その最大の物はクフ王のピラミッドや、
秦の始皇帝の墓より表面積が大きいと言う。
それだけの権力を持ち、
カリスマ性を後継者に維持させるために作ったのだろう。
物凄く精緻な作りだったことが、
風雨に晒されても形を残したことから嗅ぎ取れる。
登ったらただ事では済まない場所だが、
日本人はその辺りが実に悠長で良い。
どこの古墳も丁寧に手入れされ、
立ち入り自由になっている。
余程高貴な方の古墳を除き、
宗教的な縛りも無くて気持ちが良い。

故人を偲んで見晴らしの良い所に作ったのだろう。
こちらが前方に当たる。
もっと急峻だったのかもしれないが、
あえてこちらから登れるように作ってある気がしないでもない。
祭祀をする場所として、
「前方」が存在したという解釈をここから見ると実感できる。
前方側に移動して後円を眺める。

樹木は後から植えられたのだろうが、
その下に竪穴式の石室が設けられていると推察できる。

ロマンがあるな。
後円部から前方部を見ると、

ここに向かって祭祀が繰り広げられた様子がイメージできる。
デザインには理由がある。
まだ一部地域でしか購入できない、
秀逸な本が発売された。

太田にある蔦屋なら購入できるだろう。
スバリストなら是非購入して、
隅から隅まで熟読して欲しい。
スバルのデザインをここまで系統的にまとめたモノは無い。
これは今後の経典になるほどの、
素晴らしい内容を持つ本だと感じた。
前のブログで、
スバルにはデザインが燻蒸される土壌が乏しいと書いたが、
今後その心配がなくなる可能性さえ秘める。

このデッサンは時折目にする事も有るだろう。
初代インプレッサはスバルの歴史まで変えた名車だ。
が、
実はデッサン以上に謎も多い。
そもそも開発コード55Nは、
素晴らしく格好の良いセダン開発が目的だった。
ところがなぜか降って湧いたようにワゴンの存在が明らかになった。
スポーツワゴンと言う名称はまだ無かった。
当然ながらその概念さえない。
米国を見るとサターンが誕生し、
インプレッサとは全く異なるコンパクトワゴンを提案した。
所が向こうは消えて、
こちらは残った。
カイル マクラクランがキャラクターに選ばれ、
スポーツワゴンと名付けられてから、
スバルの中に太い柱が立った。
経営陣にも極秘裏で、
開発責任者PGMとデザイン部が中心になり、
格好の良いセダンを完成させた後、
スポーツワゴンのデザインをまとめた。
秘密にした理由は域に展開すると、
上層部から予算の都合上却下される可能性があったからだ。
この当時は開発陣に凄く大きな執念があった。
ワゴンに全天候性のスポーツ能力を持たせた結果、
それが後のフォレスターや、
レヴォーグの誕生にも結び付いている。

古墳にも方があるが、
2世紀の古墳と7世紀の古墳ではディティールがかなり異なる。
最近のコの字の意匠は、
夜間になると中途半端で見栄えが悪い。
再三苦言を呈した甲斐があった。
出張から戻ると、
ビッグニュースが舞い込んできた。
ニューヨークオートショーで、
いよいよニューモデルがアンベールする。
VIZIVフューチャーは、
リヤゲートごとランプが持ち上がった。
非現実的だと思っていたが、
アンベールするニューモデルはそこが今までと全く違う。
これは初めての提案だ。
期待して待とうじゃないか。