奈良県の香芝市に、
大和紅乃屋という名代がある事を初めて知った。

とにかくズッシリ重かった。
大好物の予感がした。
暇なユトリが居るらしく、
関係のないネタをあざとく刷り込む。
なかなか芸が細かい。
ご苦労様。
戴いた袋の中にはステキなミニカーも入っていた。
かつてSVXが誕生した時、
長期在庫をメーカーで定期的に管理し、
期限が切れると、
その都度焼き直しては販売した。
今では絶対に出来ない事だが、
完成検査が切れると、
もう一度検査を取り直して保管し、
根気よく売れるのを待った。
だって、
そうしないと大変じゃないか。
400万円もするクルマが、
SUBARUのカープールにザクザク眠っていた。
完成検査がどのように行われ、
何を意味するのか、
当時から経営者が全てを掌握していたとは言えない。
なぜか。
毎日経営者が製作所に詰めている訳ではないからだ。
職務を分掌し、
それぞれの組織のトップに権限をゆだね、
その上で最終的な責任を負うのが経営者だ。
じゃないとカラダが持たないよね。
但し優秀な経営者は「匂い」を嗅ぎ分ける。
好景気の匂いは嗅ぎ分けられたが、
迫りくる危機の匂いまで嗅ぎ分けられなかった。
足元では感じなくても、
この時代は正に好景気の絶頂にある。
まあ、
これがご時世だ。
あまりヒステリックに騒ぎ立てるもんじゃない。

SVXは本当に良いクルマだ。
混じりけの無い天然のSUBARUだが、
これを周知させる胎盤がかつてのスバルに無かった。
その結果、
大量の不良在庫を出し、
失敗作の烙印を押された。
このクルマと、
最近売れるようになったスバルに数々の類似点がある。
燃料タンクやガラス処理、
サブフレームやスタビライザーの関係を見た時、
混ざり気のない無添加のスバルはやっぱり良いなと思う。
混ざり気のない天然もの、
あるいは体に良い無添加の食品は、
ある意味で売り手にとって都合が悪い。

戴いたよもぎ風の大福餅は大きくて味も良い。
添加物を一切使っていない事は、
一口食べたらすぐわかる。
一日持てば良い方で、
翌日になると硬くなるし季節によっては痛む。
それで添加剤が必要になる。
あるいはがんじがらめのレギュレーションが必要で、
だんだんと本物の味が薄れていく。
昭和のお菓子が美味しかったのは、
味が濃いからだ。
昔はおにぎりも傷みやすかった。
素手で握らざるを得なかった。
暑い日はすぐ糸を引き傷んでしまう。
だが、
掌の常在菌も良い働きをするので、
母親の握ったおにぎりは格別に旨かった。
滅菌減菌消臭除菌抗菌など、
最近の菌類は全て悪者だけど、
果たしてそうなのか。
素手で握ると何故美味いのか、
その真意まで探る者はいない。
素手で握るのが気にならないのは、
1950年代生まれの老害が、
老化現象で匂いに鈍感になったからってか?(笑)
それは少し違う。
若い世代も気の毒だから、
ここで文句を言うのは自由だ。
・・・・が、
本当の味や匂いの無いモノばかりを食べ、
美味いモノを知らないだけじゃないのか。
SUBARUのユトリはクルマの真価を知らない。
なぜか。
美味いクルマを喰った事が無いからだ。
その上で、
このご時世に翻弄されるから大変だ。
何もかもレギュレーション通りにガッチンガッチンで、
ロボットが無菌室で大量生産する様な食い物が、
美味いモノだと勘違いを始める。
クルマも同じで、
クオリティや信頼性の向上が、
国の定めるレギュレーションとリンクするとは限らない。
SUBARUの現場で叩き上げられた職人が、
職人の伝統で伝える事も沢山ある。
それが「味」になる。
その事をユトリはどうも良く理解できないらしい。
真のSUBARU車の味を、
今のSUBARU国内販売に居るユトリ達は絶対に知らない。
じゃなければ、
「走るクルマ」を作るのを例え止めろと言われても、
執念で作って売ろうとするはずだ。
だって・・・・、
「308馬力に43kg・mもあれば、
もうこんなもんで十分だ」と思っているだろう。
違うか???
もしそうじゃないと言い張るなら、
WRXの年代別出力特性とトルク当たり重量の変遷を、
横軸のグラフに書いて提出しなさい。
こういう執念の無い仕事が、
ユトリと言われる所以なんだ。
それに対してSUBARUの経営は、
昔に比べとてもスマートになった。
ブランドステートメントも株価も著しく上昇し、
それ自体は凄く素晴らしい事だった。
その上で変遷を探ろう。
例えば経営者と職人は、
根本的に違う側面を持つ。
だが、
職人の気持ちがわかる経営者も居れば、
経営に徹する経営者も居る。
近年の経営陣の変遷を見ると、
仕事に対するスタンスがかなり変わった。
これは良いとか悪いとかを、
総じて論じている訳では無い。
経営に徹すると、
売れるクルマは作れるが、
本当に美味しいクルマは生まれにくい。
逆に言うと職人気質の経営者だと、
美味しいクルマを創るけど、
会社を不幸な方向に導く事がある。
だから、
あまりにも「作りたいモノ」に傾注する事も危険だ。
あくまでもバランスの良さを考えて優れたクルマを創るが、
時々わざとそのバランスを崩す。
その崩したところが、
お母さんが素手で握ったおにぎりの様に、
何かとっても美味しいんだよな。
そこがスバルの持ち味だったが、
弱ったね。
ただでさえ何かとやりにくいのに、
ご時世が更に難しくしている。
まあ、
これだけは言っておこう。
ユトリと言われてカッとなる奴は、
何かその身に覚えがある。
老害と言われてムキになる奴も同じだ。
何かその身に覚えがある。
鬱陶しいのでそのような書き込みを削除したが、
老害と言われても何とも思わない。
人間にとって、
「いつ生まれ何歳なのか」は大した価値を持たない。
好奇心を持ち続ける事が大切で、
それと若さが比例すると思うからだ。
溢れ出る好奇心を持ち、
執念で生きる姿が好きだね。
だからユトリも老害も、
何年に生まれたのか、
何歳なのかが定義じゃない。
心に信念や執念の無い奴がユトリだ。
実は無責任なくせに責任感を振り回す奴が老害だ。
ここでは、
これが定義だから覚えておこう。

とにかく、
この牡丹餅を喰ったら、
何となく「その定義」を感じるだろう。
作っている所を見た訳ではないので、
「ここだって現代風に作っている」
と言われるかもしれない。

でも、
触れただけで解る。
とても大量生産には思えないのだ。

この塩梅は簡単に出せない。
ある意味一子相伝の味がした。

本当に美味しい逸品を、
兵庫県尼崎市の浅野さんから戴いた。
数々の「気づき」もお土産と一緒に頂戴しました。
無添加のスバルがどういう味なのか、
これからも堪能して欲しい。

浅野さん、
ありがとうございました。
いつか愛機S203を、
生まれたての状態に蘇らせるお手伝いをしたい。
楽しみにお待ちしています。
ところで、
牡丹餅の事を秋に「おはぎ」と呼ぶらしい。
これは今回調べて初めて知った。
どちらも併用していたので、
どちらかと言うと形や雰囲気で自在に使い分けていた。
浅野さんに戴いた逸品は、
どこから見ても触っても食っても、
まさにボタモチだった。
そのボタモチを用いる諺が、
「棚からボタモチ」だ。
これは良い意味に使う。
従って準備ある所にチャンスありだ。
日頃からコツコツ「執念」で続けると、
いつか思いがけないチャンスが舞い込む。
この牡丹餅を入れる容器は何か。
重箱だよな。
それを突っつくとどうなるか。
重箱の隅を突っつくという諺は、
決してポジティブな諺ではない。
ご時世で混乱したSUBARUは、
外部の有識者なる者を内部に招き入れるしか、
危機回避が出来なくなった。
「株価」や昨今のブランドイメージがそうさせたのだが、
そうすると外部の有識者即ち「弁護士など」は何をするか。
内部に入ったからには、
「重箱の隅」を突っつかざるを得ない。
すると塩梅もへったくれも無くなる。
何グラムの塩を使って化学調味料をどれだけ混ぜたのか。
材料は何を用いて、
どんなレシピがあって誰が指示したのか。
それらを、
自分の責も問われないよう暴き続ける。
これがご時世なんだ。
一言で「不適切行為」とくくると、
とんでもない悪事に聞こえるが、
果たしてそうかな。
経営陣は知らなかったでは済まされないので、
キチンとけじめをつけた。
今後はその金の使い方を注視すべきだね。
1500億円は半端な額じゃない。
どこからどう出された予算か知らないが、
味が悪くなることに使われることだけは防いでほしい。
この一連の出来事は、
オトコとオンナで受け取り方に差があるようだ。
女性は「子宮」に悪く響くことを嫌う傾向がある。
男性と女性は根本的に違うからだ。
そこをオトコはもっと深く理解し、
近くにいる女性達へ冷静に伝えるべきだ。
例えば、
この頃おにぎりを握る時、
何故サランラップでご飯を包むのか。
確かに論理的ではあるが、
女性の掌を軽視し過ぎた行為だ。
本当は素手で握って適切に管理し、
早く食べさせて美味しさを伝える。
確かにラップで包むとリスクは減る。
けれど美味しさも損なっている。
クルマもこうした塩梅が結構大切なのだが、
それを否定する方向に向くのは残念だね。
ああ・・・・、
美味しいクルマにもっと乗りたいね。
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