冬に備え、スタッドレスタイヤのテストフィールドに向かうため、
早起きしてインプレッサハウスから発進した。
ウインターコンパウンドは、摂氏7度以下で機能するよう設計されている。
少なくとも、気温10度以下になる場所に行かねばならない。
このように建造物なら、
コンクリートの打ちっ放しも大好きだ。
壁面の一部にコンクリートに良く着く藻類がはびこったので、高圧洗浄機で洗い落とした。
すると、スッキリと美しくよみがえった。
丁寧に強固なコンクリートを打つと、だんだん自然と調和してくる。喫煙コーナーもコンクリートで打ちっ放しにした、擁壁の前にある。
ここは来訪者にも、
当社の社員にも人気の高い場所だ。
自動販売機を排除して、
とてもスッキリした喫煙コーナー。
煙草を吸わない方でも、
ここで自由にくつろいで戴ける。
ある日床の汚れが気になった。

今年の6月頃から、
特にだんだん黒く汚れてきた。
なぜだろう。
遠くから眺めて分かった。
命が漲っているからだ。
背後にある翌檜が枝を拡げ、
そこから有機物が雨と一緒に落ちるからだ。
汚れているのではなくて、
生命が宿りやすい環境になったのだ。
コンクリートには苔が付くから、
厄介な時もあるが、
味になって表れると思えばよい。
木陰になって爽やかなのは、
翌桧の樹が存在するところに寄る。
ただテントを張っただけじゃ、
この爽やかさは決して生まれない。

それが今年2度襲来した台風で痛めつけられた。
翌檜を支えていたチェーンによって、
階段の手すりが曲がってしまったので、
切り取って新たに付け直した。
あとはペンキを塗るだけになった。
6月に撮った写真と比べてみよう。
テントを増設し、
雨どいを付けた時に記録した。

Before
手前のテントは張り替え前だ。
で、
このテントは最初の台風で全部吹き飛んでしまった。
急いで張り直し、
翌桧の樹とクリアランスを保った。
ところが次の台風が更にこの樹に辛い仕打ちをしたようだ。
チェーンで支えていたにもかかわらず、
台風の力で手すりごと曲げられ、
テントの雨どいを寄りかかりながら壊した。
度重なる被害が出たので、
二股に別れた幹を一本切除した。

After
同時に頭を軽くするように枝を払った。
何とか切らずに残したい。

手前が6月に新設したテントで、
奥が台風の後に張り直したテントだ。
スッキリ整ったので、
苔の生えた床も高圧洗浄機で綺麗に洗った。
そしてお客様の来訪に備えた。
東京から才藤さんが、
12か月法定点検で来訪された。

美味しいお土産を戴き有難うございました。
バターフィナンシェだ。

これを初めて食べたけど、

凄く美味しかった。
4人で食事を兼ねて外出した。
才藤さんの奥さんは妻と同級生なのだ。
簡単に中津川を案内した。
その時の様子を参考にして欲しい。
これから紅葉の季節になる。
中津川に来たら、
ここを訪問する事をお勧めしたい。
才藤さんも凄く喜ばれた。

石を積むと自然に調和する。
この城址が残されて良かった。
訪問するだけで心が和む。

上の看板の横から目を凝らすと、
彼方に天守閣の跡が見える。
前にマリオと訪れたので、
覚えている人も多いはずだ。
景色が美しい。
石を積む技を継承するのはなかなか困難な事だ。

中津川にはこうした史跡が残るので、
子々孫々と「石」の技術が伝承されている。
登って振り返ると、

先ほど登った場所が眼下に見える。
この場所のステキ度が良く分かる。
のんびりお弁当でも食べたくなるシーンだ。
天守閣のあった場所に近ずくと、

色々な名残に目を奪われる。

天守閣は無い。
でも安全な展望台が作られているので、
上まで登る価値は十分にある。
来ると解る。
殿様気分とは何なのかが。

それと同時に、
石垣の素晴らしさに魅了されるだろう。
自然の巨岩を活用して、
その周りに石垣を積み上げる技術は凄い。
中津川に住むと石に拘りを持つので、
石を粗末にできない。
今日も面白い一日だった。
色んな事を偶然知った。
10月17日、
SUBARU航空宇宙カンパニー(宇都宮市)は、
航空機に搭載する小型赤外線センサシステムインテグレーションの研究において、
飛行試験機の初飛行に成功した。
初飛行は10:08に陸上自衛隊・宇都宮飛行場を離陸後、
周辺空域で1時間弱の飛行を行った。
SUBARUは小型航空機や、
無人航空機のシステムインテグレーションで、
40年以上に渡る開発経験を持つ。
それ以前にも凄い航空機を作っていた。
四式戦闘機(よんしきせんとうき)陸軍の戦闘機キ84愛称は疾風(はやて)だ。
この頃うまくアイディアがまとまらず、とても困っている事がある。それはどうしても捨てる事が出来ない資材だ。
かなり前に大谷石で作った塀を解体した。
すぐ下の道路を小学生が毎朝歩くからだ。
中津川は地震に襲われやすい土地なので、
以前から父がその塀が危ないと気に掛けていた。
解体した大谷石を残して置くように頼んでおいたが、
いざ残ると使い道に困る。

地面にきちんと並べておいたが、
間から草が生えてどうしようもなくなった。
要らないから捨てろと皆に言われても、
どうしても捨てる事が出来なかった。
とても惹かれたからだ。

これも自然と調和するはずだ。
捨てずに洗って綺麗にしたら、
次の使い道を考えたい。
今日やっと解った事がある。
この大谷石は、
直感で捨てることが出来なかったのだ。

何と疾風の作られた場所は、
現在の大谷資料館(おおやしりょうかん)だと知った。
そこは栃木県宇都宮市大谷町909にあるので、
機会を作って是非訪れたい。
これは大谷石採石場跡に関する博物館だ。
ここで戦時中に、
極秘裏に疾風が作られた。

photo:M.Takatsu
STIの高津部長が見学に行き、
貴重な写真を撮影されたので、
その中の一枚をお借りした。
宇都宮の史跡にも、
今のスバルの中にも、
中島の遺伝子は大切に残されている。
嬉しいね。
ところで疾風って何か知ってる?
今のSUBARUで言うと、
WRX RA-Rに相当する戦闘機だ。
に千馬力級の、
最もパワフルな星型エンジン「誉」を搭載し、
凄い戦闘能力を誇った。
物資不足で満足な性能を出せなかったが、
世界的に見ても当時の最高レベルの傑作機だ。
あの「誉」を搭載するから、
STIの平川社長も、
「疾風」が飛びっきりのお気に入りなのだ。
ぜひ覚えておいて欲しい。