2006年9月20日
その日は快晴だった。

あの頃、
まだ手足の様にFRを操れなかった。
過去において、
他社製品で凄いと尊敬できたのは2車だけだ。
ユーノスロードスター、
それとワゴンR。
この当時、
よくロードスターを下取りした。
シルバーや黒の5速車に、
あまり魅力を感じず、
苦労しながら売り捌いた。
圧倒的にハイセンスだと、
秘かに感心していたのが、
ここに紹介するVスペシャルだった。
それを東京で見つけて、
思い切って連れ帰った。
平成5年型ユーノスロードスター。
見た瞬間にインスピレーションで競り落とした。
本体価格が65,000円で、
運搬などの諸経費が22,000円かかり、
それを北原課長が140,249円かけて整備した。
93525km走っていたが調子は絶好調。
いわゆる通称型式NA6、
ブリティッシュグリーンの、
タンカラー内装だ。
縦置き4気筒DOHCエンジンの、
FRライトウエイトスポーツ。
オープンエアーの爽快感は抜群で、
前後均等の重量バランスが、
気持の良い走りをもたらす。
本格的なスポーツカーだ。
痛んでいた幌を、
本革シートの色に合わせて取り替え、
開田高原に向かって走った。
予防整備を施し、
ビルシュタインに交換するつもりで、
新品のダンパーまで取り寄せたが・・・・。

結局その翌年、
80,000円で売り飛ばした。
オークションにかけると、
思ったほどコールが無かった。
少し景気が上向き、
年間の利益も安定したので、
翌年の2007年2月に損切覚悟で処分した。
売り飛ばした理由は、
ざっくり分けて2つある。
持ってても意味が無いと感じたからだ。
それよりも持つべきスバルが山ほどある。
そう判断した。
良いクルマと残すべき車は違う。
マツダを愛するオーナーの下で、
活躍してもらう方がクルマも幸せだ。
マツダにはオープンカーの文化がある。
この部分だけはトヨタさえ及ばない。
SUBARUにはオープンカーの文化が無い。
そこがとても残念だ。
もう一つの理由は、
オートマチックトランスミッションだ。
フル装備で重い。
その前に乗ったMT車は、
スパルタンで情熱的だったが、
少しそれらと毛色が違って、
魅力が薄れていた。
MTより30kg近く重いと、
やはり少し走らせただけで運動能力の差が解る。
そのマツダがロードスターを復活させた。
ところが、
あの頃のようにトキメク魅力を感じない。
最初のティザーを見た時は、
グッとくるものがあったけれど、
実物を見るとトキメク心は霧散した。
ティザーなんて所詮そんなもんさ・・と、
割り切るだけのことだが、
最近SUBARUでも似たようなことがあった。
新型フォレスターのティザーもグッと来たが、
現物とティザーではあまりにも乖離しすぎている。
だから少し萎えた。
マツダの新型ロードスターを始めて見た時、
逝き過ぎたデザインに冷めた。
もっと具体的に見ると、
フォレスターと同じように、
テールランプの作り込みが不適切だ。
深い思慮でデザインされたとは、
到底思えない灯火器に落胆した。
変らなきゃいけないけど、
変わらずに残すべき事も多い。
売っ払ったのは今から11年前の事だった。
その頃から、
望桜荘の構想が頭に浮かぶ。
準備に日夜明け暮れていた。
世の中は平穏で、
翌年から吹き荒れる嵐の前の静けさだった。
その年の年末に、
レガシィB4で開田高原に向かった。
2007年12月5日

偶然だが、
クルマの背後に開田ファームの田中さんと、
まだ知り合う前の二宮さんが写っていた。
2018年11月28日になり、
風景はどのように変わったか。

ドミンゴの置かれた位置に家が建ち、
二宮さんも居なくなった。
ブルーベリーや皐月が随分大きく育った。
それ以外、
あの時のままの風景が守られている。

反対側の駐車場に、
本田建設の重機が佇む。
本田さんとも知り合う前だった。

今も変わらない光景だ。
昨年東屋が建ち、
更に素敵な環境になった。
温泉の雰囲気が出ている。

やまゆり荘には、
あの当時こんなに凄い露天風呂があった。
真冬には湯気が空中で凍結し、

ダイヤモンドダストが舞った。
今ではそんな贅沢は無理だ。
湯量の減少に悩まされ続け、
挙句の果てに御嶽山の噴火で客足が激減。
閉館は免れたが、
その当時の勢いはない。
2007年12月5日

コナラの樹は病状が悪化の一途を辿っていた。
2018年11月28日

まだ十分ではないが、
明らかに樹勢は回復しつつある。
二宮さんの願いが、
本当に叶う日はまだ遠い。
だが残す努力は続いている。
2007年12月5日

当時最新のスタッドレスタイヤを、
開田高原でテストした。
当時の最新型は、
今見てもさほど古臭く見えない。
10年ひと昔と言うが、
スタッドレスタイヤの進歩はゆっくりだ。
2017年から望桜荘を作り始め、
周りの環境を改善した。
真向かいにある農家風の車庫に、
MGBを鎮座させると、
ロードスターに興味が失せた。
するとその翌年、
驚くほど世界が変わった。
トヨタとアライアンスを組み、
軽自動車生産から撤退し、
FRスポーツカーを作ることになった。
そうなるとは思っても見なかった。
ここで、
ドライブスキルを鍛錬する必要性に目覚めた。
2011年からニュルブルクリンクに通い始め、
緑地獄でタイヤの真実を知った。
こうしてコンチネンタルとの付き合いが始まった。
2018年10月24日
WRXで伊那山脈を駆け抜けた。

そこで最新型のスタッドレスタイヤ、
コンチヴァイキングコンタクト7を試した。
それから一か月と少し。
本当にコイツは凄い。
東京往復の詳細もレポするので、
その時をお楽しみに。
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