単気筒内燃機のススメ
2019年 01月 31日
ちょっとそっけない場所だ。
もともと大工小屋として建てられた。
だからそっけないのは仕方がない。
これが中山道に似合う景観とは思えない。
けれども特段目立つわけでもないし、
奇異な建物でもないので、
じっくり大切に維持すれば、
そのうち味の良さが増すだろう。
良い味を出すためには、
放置しないことが肝心だ。
よく見るとモルタルが不十分で、
それにしても真黒だ。
戴いた看板を置いていた場所も、 ケルヒャーのエンジン洗浄機は、 かなりのパワーで汚れを吹き飛ばし、 テストピースも綺麗に洗った。 偶々見つけてご主人にお願いした。
建物は無くなったが看板は残した。
修復して再び飾る。
看板をエンジン洗浄機で丹念に洗った。
前半は娘と二人旅で、
大時計と呼ばれる単気筒エンジンだ。
会場でレシーバーを受け取ると、
ただし、
それを聞いたくらいでは、
その数か月後、
ダイムラーの技術者の一人だったフェルディナント・ポルシェは、 内燃機の誕生から僅か14年のことである。 燃費は大切だが、
異常な違和感を覚え妻に写真を撮ってもらった。
すると効果が出始めた。
人間の皮脂には様々な有効成分があり、
「ヤダ、ナニコレ、異常に長い」
明治32年11月1日だ。 祖父の生まれた年は、
祖父の生まれた年に、
世界初の自動車用水平対向エンジンだ。
STIがこれをやりたいらしい。
草が生えている。
妻が気づき綺麗に取り除いた。
前の駐車スペースを綺麗にしたので、
余計に汚れが目立つ。
苔が生えるほど天然だ(笑)
花壇で使っていた、
コンクリートのテストピースも真黒だ。
駐車場を透水舗装した時、
不要になったので保存した。
それ等を移動して、
この場所も綺麗に洗い流した。
構造の簡単な単気筒で、
リコイル式スターターを持つ。
堅牢制も充分だ。
何かに使える日が来る。
立てかけてあった看板は、
昨年ブームを巻き起こした、
フクロウ商店街の外れにあった。
もし壊す時が来たら、
この看板を捨てないで下さいと。
ところが壊す前にご主人が亡くなり、
奥様から「外してください」と連絡を戴いた。
もう7年も前になる。
古き時代にも、
SUBARUの残した功績は深い。
方法を考えているが道程は長い。
これもまず洗わねば。
グンとひもを引っ張ると、
ポンポンポンポンと始動する様子が微笑ましい。
音を聞いて思い出した。
2010年に初めてドイツを訪問した時のことだ。
メルセデスベンツとBMWを舐め回した。
その時に聞いた音に似ている。
この人類初の自動車エンジンの音だ。
会場でレシーバーを受け取ると、
日本語に通訳したガイダンスを聞ける。
ちょっと変な日本語だ。
・・・けど、
同盟国日本を尊重してくれているな。
それを聞いたくらいでは、
当時の複雑な背景を理解できなかった。
だが、
こうしてベンツもダイムラーもマイバッハも、
同じフロアで祀られているところが、
やはりドイツのドイツたる所以だな。
カールベンツは馬小屋で秘かに3輪自動車を開発し、
一足先に特許を取得した。
ゴットリープ・ダイムラーも世界初の自動車を発明している。
後に合併するのだが、
ダイムラーはどちらかというと起業家であり、
実際の開発者はマイバッハだった。
その頃の日本は明治19年、
富国強兵の真っただ中だ。
鎖国政策から尊王攘夷に移行して、
どんどん西洋文明から後れを取った。
その差は致命的で、
明治政府が尊王攘夷派で成立すると、
列強から不平等条約を押し付けられた。
まさに混乱の時代を乗り切り、
日本という国を維持するために、
富国強兵は避けられなかった。
落ちる所まで落ちないと目覚めないからね。
それから一気に日本は変り、
政権を担う尊皇派は文明開化へと道筋を付けた。
要するに先進国の良い所を徹底的に模倣した。
その文化の差がいまだに尾を引き、
日本人の自動車の使い方が幼稚なままなのだ。
日本人が自動車など想像もできない頃、
既にドイツ人はあらゆる移動機関に内蔵可能な、
パワーユニットの開発を終えたのだ。
ダイムラーが生涯を閉じたのは1900年だ。
その年のパリ万博で、
ユニークな動力装置が展示された。
人類初のハイブリットシステムを具現化したのだ。
決してこのシステムが、
現在の日本に於いて革新的な訳ではない。
物事を余計なほど複雑にする。
シンプルな内燃機こそ、
本当に望まれる次世代ユニットかもしれない。
「おい!ジジイ!!」
背後に回った娘がいきなり髪の毛を掴んだ。
タロウの写真を直ぐに消せ!と怒る。
誰かがチクったな。
見てるところで消さないと、
大事な髪の毛をむしり取るぞ、と恫喝した。
それはえらいこっちゃ。
直ぐ消したと画面を見せたら怒りが収まったので、
ちょっと頭皮を観察してくれと頼んだ。
「えー、キモい!」
なに抜かす。
「えーんがちょ!!」
と訳の分からぬことを言う。
頼むから見てくれ、
表皮に異常はないか。
「汚い!何か手に着く」
お前が毟るからだろう。
そんなやり取りの後、
写真を撮ってもらった。
実はシャンプーに深い疑念を持ち、
二年前の海外研修以来使っていない。
その頃、
毎日のようにキーボードに抜け毛が落ちた。
記録を振り返ると、
2004年の11月23日に行き着いた。
赤く斑点が見える。
それが時にはかさぶたのようになる。
毎日シャンプーして、
時には2度洗う事もあったが常に皮脂が浮くようで不快だった。
それ以降、
定期的に撮影したが常に頭皮に赤い斑点がある。
スキューバダイビングしてから、
シャンプーを使わず水洗いして乾かした。
その時はシャンプーが無いから仕方がなかった。
ところが、
南国の温い水で丁寧に洗うと、
そのまま乾かしただけで清々しかった。
このブログの読者からも、
洗髪は水だけで良いとアドバイスされた。
なので、
それ以降シャンプーを使わず毎日お湯だけで洗い続けた。
人間の皮脂には様々な有効成分があり、
取り過ぎてはいけないと解って来た。
とにかく毛のコシがしっかりした。
もう勿論赤い斑点など皆無だ。
文明の利器が全て良いとは言えないと、
身を持って体験した。
シャンプー使うと頭皮は疲れるのかな。
考え方を変えお湯で丁寧に洗う。
以前はブラッシングなどほとんどしなかった。
毛質が柔らかく、
直ぐぺったんこになる。
後になって分かったのだが、
頻繁に界面活性剤で皮脂を取るので、
恐らく頭皮が過剰に皮脂を分泌していたのだ。
ブラッシングも重要だ。
リンスしなくてもサラサラなのは、
本来の自主回復力が働くからだろう。
・・・等と考えていたら、
娘がヒトの顔をまじまじと見て、
「じっとしていて」と言った。
いきなり眉毛を掴み、
ブチッと引き抜かれた。
髪の毛なら激怒するが、
眉毛を抜かれてビックリした。
そして自覚した。
いよいよジジイと言われても仕方ないなぁ。
創業者の祖父にも、
長い眉毛が所々に生えていた。
朧気にしか知らなかった誕生日を、
ある事がきっかけで知った。
古物営業法が改正され、
古物許可証の更新手続きが必要になった。
大切な手帳を取り出して見せると、
警察官も「歴史を感じる」と驚いた。
そう言えば祖父も同じ猪歳生まれだった。
還暦で内孫が出来たと言う事か。
19世紀も終わりに近い1899年だ。
日本に於けるトピックは、
東京大阪間に電話が開通したことだろう。
それに比べドイツでは、
既にその頃からクルマを女性が運転していた。
祖父が生まれた翌年に、
ダイムラーがこの世を去る。
そしてもっと興味深いのは、
カールベンツが発明したエンジンだ。
それこそが、
裏側にはパテントが刻印されている。
流石だね。
SUBARUも内燃機の本質を極め、
もっと凄いものを出して欲しい。
ハイブリッドって、
SUBARUが言うほど凄いのかな。
そうしないと売れるクルマは作れず、
燃費規制も克服できない。
と思ってるだけで、
スカルプシャンプー使えば、
禿の予防が出来ると妄信してるのと、
実はよく似てたりしないかな。
実のところ、
SUBARUの開発本部はどうなんだろう。
内燃機関にまだまだ期待してるかもしれない。
でもトレンドがこっちだからね。
こんなクルマを作ってくれても、
全然ドキドキしないんだ。
最近のSUBARUには需要を創造する気配が見えない。
だから、
STIも度肝を抜くクルマを作れない。
この悪循環から早く脱して欲しい。
開発の人たちと話す機会はめったにない。
ところがマーケティングや営業だと、
その立場の社員と意見を交わす機会は多い。
良く感じる事は「やれない理由を探す」ことだ。
環境規制
燃費規制
人が足りない
どうも違うんじゃないかな。
久し振りに開発の大御所と出会った。
壇上から「スバルは世界一ぶつからないクルマを作ります」
そう言い放つと、
こぶしを握り締めた。
いや~~、本当にあの時は感動したね。
馬渕さんからは責任感がオーラのように立ち上る。
今のSUBARUは、
13年前迄に道筋を付けた事の上に成り立つと思われる。
当時のSUBARU技術本部の要職を、
長年務められたのが馬渕さんだった。
SUBARUはプレミアムカー路線を突き進み、
「スバルらしさ」を卓越した性能で追い求めていた時代だ。
FRD-1と呼ばれる中期計画に沿って、
プロジェクトがどんどん進められた。
アイサイト然り、
リニアトロニック然りだ。
第三世代エンジン開発も、
その当時に確立した内容だ。
企業の存在は、
技術力によって成り立つ。
継続は力だ。
彼等はその当時、
SUBARUの「独創」と「先進性」を徹底的に追求していた。
その上で、
馬渕さんの持論には「モノづくりの原点」が明確に表れていた。
口ではなくカラダで作る。
モノを良く見て実践を繰り返す。
デジタル開発に傾注する事に警鐘を鳴らし、
頭でっかちになるなと部下を引っ張った。
ここには開発の魂が蠢いていた。
ところが一気に情勢が変わった。
リーマンショックになり、
その当時の社長は「今は走りに拘るな!」と厳命した。
そして技術本部のトップが交代した。
するとカラダで進めるモノ作りから、
口先で進めるモノづくりに変貌していった。
馬渕さんとトップが入れ替わった途端、
次の責任者は森社長の封印を都合よく使い続けた。
スバルらしさの追及は絵に描いた餅のような、
実体を伴わないプレゼンテーションに変わった。
例を上げると、
低価格化の実現という、
最も手っ取り早い方向に舵を切った。
プレミアムからバリューへと路線変更し、
一旦は時流に乗った。
ところが技術開発に金をかけるより、
「気持ち良い走り」だの、
「安心だと考える信頼」だの、
耳障りの良い事を言うだけになった。
「お客様のため」ときれいごとを言う割に、
強烈な個性や卓越した走行性能を全て封印し、
利益を出せる企業へ傾注した。
その結果、
原価低減を優先し、
技術開発の抑制も進め、
結果的に「穀潰し」に繋がった。
原価ばかりに気を取られ、
「単純化」や「絞り込み」など、
机上の空論に時間を割いた。
2009年当時はリーマンショックの直前で、
誰もが危機意識を持ったのは当然だが、
その部分しか見ようとしなかった。
それ以降SUBARUの独創性は、
現在に至るまで、
FDR-1の産物をキャリーオーバーした。
もっと踏み込めば、
今の繁栄の種は馬渕さんの時代に仕込まれたものだ。
その後の無策が如何に罪なのか、
現状を見れば容易に分かる。
そのツケが回って来た。
これで分かったはずだ。
「笑顔を作る会社」と嘯いたのが、
どれだけ「負の延長線」上にあったのか。
だが安心した。
今年のオートサロンで、
SUBARUの復活が見えた。
吉永さんは勿論、
馬渕さんとも御目に掛かれた。
彼等が健在なら、
全く心配はない。
ビジネスはビジネスで大事だ。
ここにセンスが無いと会社が傾く。
だが、
SUBARUの独創性はTOYOTAをも撃破し、
世界に燦然と輝くはずだ。
その種は「技術本部のある群馬」で燻蒸される。
嬉しくなった。
この後が楽しみだ。
また技術力オリエンティッドに戻るだろう。
製造現場も改善されるはずだ。
吉永会長と中村社長のコンビは強烈だ。
何しろラインを停めたからね。
意地悪な意見も新聞で見受けられたが、
実際には全く違う。
これは躓きではなく大胆な一歩だ。
「ラインを止めることは恥じ」とも言える文化を、
年頭から見直した。
エールを送りたい。
ややもすれば、
「市場対応」で乗り切れたかもしれない。
そんな手法は、
これから一切認めないと言う、
確固たる意志の表れだ。
ほとんどのスバリストは、
それを理解し共感するだろう。
何が出てくるのか。
期待している。
特に技術本部の底力に期待している。
熱い血潮を活かし、
更に頑張って欲しい。
これで1月を締めくくる。
by b-faction
| 2019-01-31 22:00
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