人気ブログランキング | 話題のタグを見る

うなぎパイ

うなぎパイ_f0076731_16554619.jpg
浜松の高橋さんに、
美味しいお土産を戴いた。

愛機は絶好調だ。
うなぎパイ_f0076731_16555312.jpg
美味いオイルを飲ませに来店された。

ありがとうございました。
1.5トンを切る軽い車体を、
自然吸気のスポーツエンジンで引っ張る。

確信犯的な希少車を愉しまれている。

クルマの重量には、
車両重量と車両総重量がある。

車両重量はいわゆる乾燥重量ではなく、
燃料満タンでスタンバイした状態の重さだ。

それに一人55kgと仮定して、
乗車定員が乗り込んだ状態を、
車両総重量という。

スバルは軽さが武器となり、
伝統的に高い走行性能を誇っている。

軽いクルマに乗り慣れると、
妙に気になることがある。
うなぎパイ_f0076731_17353068.jpg
前方にトレーラーが現れた。

本能的にハザードランプが点灯した。

何か変だ。

余りにも巨大なパワーショベルに見えた。
目の錯覚かとおもったが、
そうでもないらしい。

日立建機の誇る、
解体マシンだった。
うなぎパイ_f0076731_17353680.jpg
このザクシス350シリーズは、
ハイグレードタイプのマシンで、
運転質量はほぼ35トンだ。

そこから機種名が決ったのだろう。

運転質量とは、
クルマの車両総重量と同じ考え方で、
燃料入れ装備も整えたスタンバイ状態の重さだ。

ヒトは55kgではなく、
75kgで計算するらしい。

頑強なオトコ中心の世界だから、
そこはクルマと違って当たり前だ。

ハザードが付いた理由は、
重そうに見えたからだ。

それに対して、
縛り方が甘いように思えた。

キャタピラも左右にはみ出してるので、
ズルリとずれると怖そうだが、
摩擦は重量に比例するので、
ワイヤーで三か所留めれば大丈夫なんだろう。
うなぎパイ_f0076731_17354269.jpg
トラクターも輸入車で、
かなり高性能なんだろうな。

でも、
やっぱりちょっとおっかないね。

高橋さんのレガシィが、
約23台載っているのと同じ値だよ。

まさに鉄の塊だな。

まるで戦車のようだ。

戦車を平和的に展開すると、
優秀な建設重機になる。

今日はボーナスの日だった。

信条として、
渡す前に話を聞いてもらう。

それだけは、
一度も欠かした事は無い。

さっさと受け取って帰りたいだろうが、
そうはいかないのだ(笑)

眠くなる話はしたくない。
うなぎパイ_f0076731_21013484.jpg
ベトナムから帰ってから、
提出してもらった感想文を基に、
少し想いを吐露した。

バイクの多さに驚いた事、
スバルディラーの規模に驚いた事など、
様々な感想が色々な角度で記されていた。
うなぎパイ_f0076731_21013968.jpg
その中で、
「アメリカと戦争をした国」としての印象しかなかった。
という、
極めて率直な感想があった。

その上で、

「行ってみたら全く違っていて、
自分が如何にアメリカ寄りの考え方をしていたのかと思い知った」とあった。

そのことを自覚できただけでも、
それは大きな価値だった。

ベトナム戦争は日本が太平洋戦争で全面降伏し、
それ以降のインドシナで、
1955年から20年間も続いた戦いだ。

それが終わった1975年は、
昭和50年に当たり、
SUBARUにとって忘れられない年だった。

画期的なSEEC-Tの誕生だ。

スバルは環境技術で他社をリードし、
触媒無しで最新の排ガス規制を乗り切った。

そして乗用車型4WDも市民権を得始めた。
うなぎパイ_f0076731_21014505.jpg
バンとセダンに全輪駆動を用意し、
オンロードも高速で駆け抜ける画期的なクルマだった。

デビューから数年で、
都市部の大手ディーラーだけが、
販売力を背景にカタログに無い色を塗ると言う、
今では考えられないシステムを作った。

そう!
これこれ。
うなぎパイ_f0076731_21015101.jpg
喉から手の出るほど欲しかった、
真っ赤な4WDのバン。

岐阜県のような田舎では、
これを新車で売る事すらできなかった。

もちろん買う事も出来ないが、
アンテナの高い人は、
わざわざ名古屋まで行って、
余り物をおすそ分けしてもらい、
得意げに見せに来た。

腹が立ったが、
それが販売力の差なので仕方がない。

だから大阪にあった浪速スバルに赴き、
中古車を仕入れた。

何とか店頭に並ぶクルマを、
社長に無理を言って手に入れて、
大切に乗ったんだ。

そしたら数年後、
最初に売っていた時以上の価値が出た。

タコメーターが無いから、
グランダムのメーターを取り寄せ、
それを配線加工して装着した。

エイトスポークホイールを付けたり、
リヤシートの背もたれを、
内緒で少しだけ後傾させたり、
随分役に立つカスタマイジングを施した。

うなぎパイ_f0076731_21015688.jpg
こんな洒落た透視図が、
ショールームにデカデカと貼られていた。
まさに黎明期だが、
今とそれほど大きく変わらないと思わないか。
うなぎパイ_f0076731_21020251.jpg
これは当時最も尖がったレオーネバンの使い方だ。

いま、
そのままXVの戦略に当てはまる。

トレンドラインはスパイラル状に変化する。

そして熱狂的なスバリストが、
いつもカートピアに登場した。
うなぎパイ_f0076731_21020864.jpg
芥川さんはその常連だった。

初代のセダンのビッグマイナーモデルに乗っているから、
相当のスバリストだ。

この時代の東京には、
各地にこのような著名人がいた。

芥川龍之介の息子さんで、
優秀な音楽家だった。

この三人で仲良く登場し、
そのたびに新しいレオーネ4WDになっていた。

惜しい事に、
この10年後、
63歳の若さで亡くなられてしまった。

このような話を社員にすると、
大あくびが我慢できない大宮君も、
実に興味深そうに本を手に取った。

そりゃそうだろう。

大宮君はまだ生まれてないからね。

実は当時のSUBARUと、
40年隔てた今も、
SUBARUの戦略にさほど大きな差は無い。

これは大切な事だ。
それほど強いコアを持っていて、
ずっと育てる顧客が居た。

それも世界中に。

そんな話を、
もう少し続けよう。

名前
URL
削除用パスワード
by b-faction | 2019-07-08 22:00 | Comments(0)

毎日の活動やスバルについてご紹介します


by b-faction