
美味しいお土産を戴いた。

美味いオイルを飲ませに来店された。
愛機は絶好調だ。

ありがとうございました。
1.5トンを切る軽い車体を、
自然吸気のスポーツエンジンで引っ張る。
確信犯的な希少車を愉しまれている。
クルマの重量には、
車両重量と車両総重量がある。
車両重量はいわゆる乾燥重量ではなく、
燃料満タンでスタンバイした状態の重さだ。
それに一人55kgと仮定して、
乗車定員が乗り込んだ状態を、
車両総重量という。
スバルは軽さが武器となり、
伝統的に高い走行性能を誇っている。
軽いクルマに乗り慣れると、
妙に気になることがある。

前方にトレーラーが現れた。
本能的にハザードランプが点灯した。
何か変だ。
余りにも巨大なパワーショベルに見えた。
目の錯覚かとおもったが、
そうでもないらしい。
日立建機の誇る、
解体マシンだった。
このザクシス350シリーズは、

ハイグレードタイプのマシンで、
運転質量はほぼ35トンだ。
そこから機種名が決ったのだろう。
運転質量とは、
クルマの車両総重量と同じ考え方で、
燃料入れ装備も整えたスタンバイ状態の重さだ。
ヒトは55kgではなく、
75kgで計算するらしい。
頑強なオトコ中心の世界だから、
そこはクルマと違って当たり前だ。
ハザードが付いた理由は、
重そうに見えたからだ。
それに対して、
縛り方が甘いように思えた。
キャタピラも左右にはみ出してるので、
ズルリとずれると怖そうだが、
摩擦は重量に比例するので、
ワイヤーで三か所留めれば大丈夫なんだろう。

かなり高性能なんだろうな。
でも、
やっぱりちょっとおっかないね。
高橋さんのレガシィが、
約23台載っているのと同じ値だよ。
まさに鉄の塊だな。
まるで戦車のようだ。
戦車を平和的に展開すると、
優秀な建設重機になる。
今日はボーナスの日だった。
信条として、
渡す前に話を聞いてもらう。
それだけは、
一度も欠かした事は無い。
さっさと受け取って帰りたいだろうが、
そうはいかないのだ(笑)
眠くなる話はしたくない。

提出してもらった感想文を基に、
少し想いを吐露した。
バイクの多さに驚いた事、
スバルディラーの規模に驚いた事など、
様々な感想が色々な角度で記されていた。

「アメリカと戦争をした国」としての印象しかなかった。
という、
極めて率直な感想があった。
その上で、
「行ってみたら全く違っていて、
自分が如何にアメリカ寄りの考え方をしていたのかと思い知った」とあった。
そのことを自覚できただけでも、
それは大きな価値だった。
ベトナム戦争は日本が太平洋戦争で全面降伏し、
それ以降のインドシナで、
1955年から20年間も続いた戦いだ。
それが終わった1975年は、
昭和50年に当たり、
SUBARUにとって忘れられない年だった。
画期的なSEEC-Tの誕生だ。
スバルは環境技術で他社をリードし、
触媒無しで最新の排ガス規制を乗り切った。
そして乗用車型4WDも市民権を得始めた。

オンロードも高速で駆け抜ける画期的なクルマだった。
デビューから数年で、
都市部の大手ディーラーだけが、
販売力を背景にカタログに無い色を塗ると言う、
今では考えられないシステムを作った。
そう!
これこれ。

真っ赤な4WDのバン。
岐阜県のような田舎では、
これを新車で売る事すらできなかった。
もちろん買う事も出来ないが、
アンテナの高い人は、
わざわざ名古屋まで行って、
余り物をおすそ分けしてもらい、
得意げに見せに来た。
腹が立ったが、
それが販売力の差なので仕方がない。
だから大阪にあった浪速スバルに赴き、
中古車を仕入れた。
何とか店頭に並ぶクルマを、
社長に無理を言って手に入れて、
大切に乗ったんだ。
そしたら数年後、
最初に売っていた時以上の価値が出た。
タコメーターが無いから、
グランダムのメーターを取り寄せ、
それを配線加工して装着した。
エイトスポークホイールを付けたり、
リヤシートの背もたれを、
内緒で少しだけ後傾させたり、
随分役に立つカスタマイジングを施した。

ショールームにデカデカと貼られていた。
まさに黎明期だが、
今とそれほど大きく変わらないと思わないか。

いま、
そのままXVの戦略に当てはまる。
トレンドラインはスパイラル状に変化する。
そして熱狂的なスバリストが、
いつもカートピアに登場した。

初代のセダンのビッグマイナーモデルに乗っているから、
相当のスバリストだ。
この時代の東京には、
各地にこのような著名人がいた。
芥川龍之介の息子さんで、
優秀な音楽家だった。
この三人で仲良く登場し、
そのたびに新しいレオーネ4WDになっていた。
惜しい事に、
この10年後、
63歳の若さで亡くなられてしまった。
このような話を社員にすると、
大あくびが我慢できない大宮君も、
実に興味深そうに本を手に取った。
そりゃそうだろう。
大宮君はまだ生まれてないからね。
実は当時のSUBARUと、
40年隔てた今も、
SUBARUの戦略にさほど大きな差は無い。
これは大切な事だ。
それほど強いコアを持っていて、
ずっと育てる顧客が居た。
それも世界中に。
そんな話を、
もう少し続けよう。