祭りの後は、どっと気が抜ける。
分かってはいたが、疲れは相当深かった。
だけど、そんな余裕はなかった。
このプレジデントは、昭和の時代に、しばしばスバル1000と、クラッシックカーフェスティバルに参加した。
懐かしいクルマだ。久々に目の当たりにして、価値の高さを認識した。
まだ十分動くが、オーナーは手放すと決意した。
この時代のスバルなら、喜んで手元に残すが、日産では何の意味もない。
これはオークションに出すしか、他の方法は無いだろう。
買い手を探すにも、性能評価さえしていない。
まず掃除しなきゃ。
昨日は最後まで、慌ただしかった。
お昼前には、千葉からお客様がお見えになった。
きっと台風と停電で苦労されただろう。
時刻通り、村松さんが来訪された。
レガシィオーナーになっていただくと同時に、ドライブエクスペリエでレガシィの正しい乗り方を学ばれた。
免許を取得して間が無いと、運転の基本がとても円滑に浸透する。
とっておきの20Rを、心行くまで楽しんで欲しい。
お土産をありがとうございました。
風変わりなお品書きがある。
単なるリーフパイでは無さそうだ。
タイの姿焼きか。これも美味しそうだ。
お気遣いさせてすみません。
皆で美味しくいただきます。ありがとうございます。
お土産と言えば、22Bオーナーの皆さんから、数々のお品を頂戴した。
日本各地には、
本当に面白いものが沢山ある。
ステキな数々の逸品だ。
紹介したい。

三重県の名物は谷さんから。
可愛い伊勢うどんと、
梅酒のセットだ。
ありがとうございます。
神奈川のお土産は金子さんから。

凄味のある焼酎と、

エバンゲリオンのご当地らしく、

劇場公開予告のお菓子と、

箱根寄木文様の髪留め、

そしてアンチモニー製のアルシオーネと言う、
とても価値ある逸品を戴いた。
ありがとうございます。
呉から来訪された中さんから、

SUBARU COFFEE WORKSの、
海軍さんの珈琲を戴いた。
ありがとうございます。
神奈川の前田さんから、

オードリーのグレイシアを戴いた。

洋菓子のブーケと言われる、
とても美しいお菓子だ。
ありがとうございます。
京都の寺田さんから、

お茶の香りが漂う素敵なラスクと、
ランドグシャのコンビネーションを戴いた。
ありがとうございます。
埼玉の金子さんから、

名物の草加せんべいを戴いた。
ありがとうございます。
九州の首都とも言える博多から、
ありとあらゆる人気の土産が揃った、
児玉さんの目利きで、
色んなお菓子が集められた。
ありがとうございます。
駒ケ根の山本さんから、

美味しい葡萄を戴いた。

ズッシリと重い。
素晴らしい出来栄えだと持つだけで解る。
ありがとうございます。
三重の南地さんから、

伊勢のお菓子を戴いた。

ありがとうございます。
埼玉の松下さんから、

ステキな焼き菓子を戴いた。

久喜市が誇る手作りだ。
美味しそうな久喜クッキー、
ありがとうございます。
そして三重県の佐藤さんから、
ベビースターラーメンの詰め合わせを戴いた。
今朝の会議で参考にさせて戴いた。

感謝デイの企画会議を開き、
これは面白いねと話題になった。

あっさり味だ。

ありがとうございました。
そして、
三重県から来訪された、
もう一人の谷さんは、
佐藤さんの同僚だ。

安永餅を戴いた。

ありがとうございます。
早速みんなで分けました。
一年に一回の事なので、
口を酸っぱくして語り掛けた。
「インプレッサバカになるなよ」
GC8が最高だ、
その中で22Bこそが頂点を極める・・・
などと浮かれていては、
ホンモノじゃない。
やはり22Bを持つならば、
スバリストでいて欲しい。
最新のスバルが最良のSUBARUだ。
その上で、
過去のヒエラルキーを見直そう。
決して勘違いしてはいけない。
あの時代には同じような名前のクルマが、
ほぼ同時に3つ誕生した。
その中でトップに君臨するのは、
SVXしかありえない。

これこそが、
まるで持って生まれたようなSGP(スバルグローバルプラットフォーム)だ。
凄く気持ちが良い。
分かるはずだ。
根本的にクルマの持つ「格」の違いが。
彗星のように現れ、
5年で全ての役割を終えた。
とんでもない潜在能力を持っているが、
解き放つことなく消えた。
これが当時のエンジンバリエーションだ。

開発中のモノを含め、
見せる事が出来る物だけで、
これだけの数がある。
だから、
エンジン屋のスバルが、
秘かに何をやっていたのか、
そんな事は容易にわかるのだ。
車体骨格にも投資を続けた。

90kg軽量化しただけで、
物凄いパフォーマンスを発揮する。
このクルマをレーシーに仕上げたら、
さぞかし素晴らしくなっただろう。
その次がRXRだ。
軽自動車と言えども、
高いボディ剛性を誇り、
REXコンプレックスを拭い去った。

後にも先にも、
カタログ上のデータを、
実馬力のエンジン性能が上回る、
そんなスバル車は他にない。
出来てしまったものは仕方がない。
これはそういうクルマなんだ。
軽自動車でありながら、
サファリラリーでクラス優勝した。
マクレーに乗らせたら、
狂ったように速かった。

それで理想のクルマを作った。
FFでDOHCでスーパーチャージャーで、
屋根が取れてオープンになる。
インプレッサでは実現しなかった。
軽自動車でやれたのに、
何故だろうか。

当時はまだ、
軽自動車に、
間違った方向ではあったが、
プレミアム性を求めていた。
その上、
誕生した1993年は、
いくつもの話題が重なり合った年だった。
2月12日にECVT生産50万代を達成し、
7月15日に富士重工業誕生40周年を迎えた。
8月8日は念願のWRC優勝を決めレガシィは世界の頂点に立った。
更に9月9日にはレガシィツーリングワゴンが、
ソルトレイクに於いて世界最速ワゴン記録を達成した。
それに比べ、
26年後の今はどうだ。
アメリカで大躍進が続く。
もう何年も前年の販売実績を下回っていない。
だから、
アメリカ重視になるのは仕方がない。
話を戻そう。
T-topは何故生まれたか。
40周年の目玉だった。
レックス以来のオープンカーをやろうと、
担当した開発者が執念を見せた。
サブロクのコンバーチブルを超えなきゃ、
何処に執念があるのかと笑われてしまう。
だから、
予算を呼び寄せたのだろう。
ところがどうだ。
軽自動車で実現した事が、
大衆車では許されなかった。
インプレッサには、
まだそのような「格」が育まれていなかった。

これじゃあ、
何処にも品格が無い。
なので、
結果は「絵に描いた餅」に終わった。
実は、
直列四気筒のDOHCスーパーチャージャーだけが凄い理由は、
インプレッサの出自に隠れている。
もともとインプレッサは、
手抜きの発想から生まれている。
当初の物凄いインプレッサは、
直列四気筒横置きで、
バカっ速いハッチバックとして計画された。
いわゆる軽自動車と小型車を繋ぐ、
中間車種構想というモノだ。
スバル1000から成長し、
2リッターを搭載する計画が進む中、
どうしてもコンパクトな登録車が必要だった。
レガシィとは全く違うシャシーを、
水平対向コンプレックスから解き放たれたエンジニアたちが、
まるでクルマを貪るように開発した。
それがインプレッサの原点だった。
「俺たちが直四をやれば、
他社が逆立ちしても勝てない物が作れる」
水平対向エンジンで、
他にない特性を磨き続けた結果、
知らず知らずのうちに高い技術を蓄えた。
今でもスバルの技術者は、
同じような本音だろう。
俺たちにもし直四を作らせたら、
性能面で圧倒する発動機が作れるぞ、とね。
急激な円高が進み、
SIAの立ち上がりを控え、
SUBARUにもう一つ別のプラットフォームを作る余裕はなかった。
その結果、
レガシィを流用しコンパクトなセダンを作った。
予算が限られているので、
スポーツワゴンの存在を隠して、
役員会の審議を受けた。
こっそり後からスポーツワゴンを、
企画に潜り込ませたのは、
かの竹中元社長の見事な策略だった。
なので、
手抜きで企画しても大成功し、
その後のWRXの活躍が、
スバルを新たな時代に引っ張り上げた。
運とはこういうモノだ。
リトナの存在が、
WRカー規定に合致し、
WRC三連覇に繋がった。
そこでピータースティーブンスの力を借りて、
22Bがこの世に生まれた。
このように、
スバルの中には隠れた歴史が積もっている。
軽自動車をあまり高く評価しないが、
直列四気筒エンジンの、
成し得なかった夢を、
RXRは僅かながら果たしている。
だから、
隠れたプライオリティは、
まさに表題のようになる。
という訳で、
「インプレッサバカに、
決してならないように気をつけて、
孫子の代まで22Bを大切にしよう」と、
メンバー全員にお願いした。
きっと分かってくれるだろう。
これまで、
中津スバルで残した結果、
それらがまさしく証明だ。
オレンジのSVX、
そしてRXRのT-topを作った。
DOHCのスーパーチャージャーに、
5速マニュアルの前輪駆動に、
オープンルーフを組み合わせた。
更にWRXの20Bを誕生させた。
どれもオリジナルの良さを、
更に引き出した加工品だ。
面白いぞ!
さて、
クルマ以外に、
もう一つの大切なテーマがある。
それは、
ドライビングスキルだ。
死ぬ間際まで元気に運転したい。
だから、
自分のドライブスキルを見直した。
スバルはラリーにこだわるあまり、
間違ったドライブイメージを、
スバリスト達に植え付けてしまった。
スムーズドライブが、
クルマを最も速く走らせ、
しかも気持ちが良い。
なのに、
角のあるドライビングに気付かず、
決してクレバーな運転ではないスバリストが目立つ。
横を向けることが「是」だと、
誤った方向にスバリストを導いた責任は大きい。
だから、
せめてここに来る人達は、
常に自分の運転を正しく修正して欲しい。
もう一つは、
世の中に散見される、
煽られる側と煽る側双方にある問題を、
客観的立場で正しく認識せよ、
という事だ。
先ほどの動画を見て、
もし反射的に、
「スピードを出し過ぎる」と、
ヒステリックな反応が出たら、
ちょっとそれは要注意だ。
この動画には、
危ない運転をするドライバーは皆無で、
追い越し車線に出たトラックも、
マナー違反をしていない。
だが、
土日となると様子は一変する。
前に車が居ないのに、
まるで道を開けようとしないドライバー、
平気で居座る観光バスが目立つ。
急に車線変更する大型トラックも、
とても困った存在だ。
居座るワンボックスカーは、
概ね道を譲ってくれない。
譲ってほしいと合図しても、
絶対に譲らない。
中にはわざとブレーキを踏む人が居る。
もちろん、
こんな外道は放置したらイケナイ。
コイツは言語道断で、
かばうつもりは全く無い。

盗難車に乗り、
横からガンで撃つなんて、
余りにも危険極まりない。
実は恵那管内でモデルガンによる損傷と思われる、
運転席ガラスの破損事故が発生した。
丁度1年前の事だ。
夕闇が辺りを包んだ頃、
走行車線を走行していたG4の、
運転席ガラスがいきなり割れた。
運転していたのは女性だ。
それを知っていてやったのか、
それとも単なる愉快犯なのかは分からない。
すぐ警察に届け出て、
調査に協力した。
同類の事件が無いか調べて連絡するように頼んだが、
恵那署からは何の返事も無かった。
今回の事件も、
最終的にその隣にある瑞浪署が絡んでいる。
人の意見を素直に聞かない、
そんな警察では駄目だよね。
実際に起きたから、
もう舐めてかかれない。
そして、
良く見て欲しいのは、
この部分だ。
マスコミは上手く情報を切り貼りして、
事件の正当性をコントロールする。
でもこの新聞社は正直に書いている。

良く通る道を、
「普通」に走っていただけ。
この表記は「普通」が本当に普通なのか、
誰も何も証明していない。
もし、
追い抜く対象が前方に居ないのに、
走り易いという理由だけで、
追い越し車線を走っていたのなら、
煽られた側も猛省する必要があるだろう。
もう一度言う。
コイツをかばうつもりは全く無い。
だが、
このように「スピード」がすべて悪だと決めつけ、
まるで自分が保安官気取りで、
追い越し車線を塞ぐのなら、

絶対に良くない行為だと自覚して欲しい。
パッシングをする事は、
前方を走るクルマに自分の存在を知らせる事だ。
それを短絡的に煽りだと受け取るような、
嫌な風潮にはして欲しくないね。

今年も良い会が運営できた。
博多から毎年参加される、
主宰の児玉さん、
幹事役の山本さん、
メンバーの皆さん、
ありがとうございました。
結局軸を正すためには、
正しく体を動かすに限る。

9月になって、
まだ一度もプールに行ってなかった。
先月泳いでから、
既に3週間近く過ぎた。
カラダが疲れていても、
精神に張りがあるなら泳ぐべきだ。
そう自分を奮い立たた。
プレジデントを引き上げて、
会社に置いてから、
真っ直ぐプールに向かった。
カラダのキレが悪い。
無理しちゃいけない。
正しく泳ごう。
500m泳ぎ切った。
記録はどうか。

やったぜ。
前回より数秒ではあるが、
16分17秒27と、
前回の記録を下回った。
そして入浴しサウナレスで体重を計ると、
64.8kgと僅かながら減少した。
怒涛の宴会で大量に飲み食いしたが、
カラダのベンチマークを維持してる。
よーし、
ここからまた全開だ。
引き続き、
次のブログをお楽しみに。