朝6時に出勤し、パソコンのスイッチを入れた。
良い天気だ。
やけに甘いものが食べたくて冷蔵庫を開けた。朝食代わりに、東京の小川さんに戴いた、「巴里小川軒」のお菓子を出した。
魅力的な焼き菓子だ。
急いで食べると胃にもたれるので、
ゆっくりゆっくり噛み締めた。
美味しい。
もう一つレイズンウイッチが残っていた。
さっくりしているが、
カロリーも高い。
指で持つと脂が滲むので、
こちらもサクッと切りながら食べた。
これで目が覚めた。
小川軒と一言で片づけられない。
御茶ノ水の駅近くにもあり、
同じ系列の店かと思ったら、
全く別の店だった。
御茶ノ水の店はレストランなのに、
良く見たら店内のレジでレイズンウイッチを売っている。
こちらをまだ食べた事が無い。
同じ味だと思い込んでいたが、
両店の味は違うらしい。
その御茶ノ水の小川軒に、
デモ機のプロジェクターを置き忘れた。
中津川に戻ってから紛失に気が付き、
慌てて心当たりに電話を掛けた。
良かった。
見つかった。
親切に保管して戴いた。
ありがとうございました。
次回上京したら、
御茶ノ水小川軒で食事して、
お土産にまたレイズンウイッチを買おう。
小川軒にさほど詳しくないが、
昭和の時代を駆け抜けた、
関東の老舗である事に疑いは無い。
あの時代は、
トヨタとニッサンが逆転する前だった。
東京のシェアはニッサンが高く、
皇室の御料車もプリンスロイヤルだった。
JAFも存在したが、
今とは違って、
地域格差が凄かった。
その時代にニッサンがフラッグシップに、
ホワイトカラーを投入した。
ニッサン初代プレジデント。
マイナーチェンジで投入されたホワイト。
ビニールレザーのルーフトップがお洒落。
メンテナンスノートも存在する。
愛知県で登録された新車が、
縁あって岐阜に流れた。
最終型がこの年の秋に発表され、
オートマチックトランスミッションが内製化された。
その直前なので、
ボルグワーナーのATを搭載している。
アメリカンな変速フィールで、
とても愉快だ。
当時も今と変わらず、
1000km点検が無料で、
もう一回無料点検が受けられた。
但し3000kmと今より短い。
時代背景を感じる。
道路事情が良くなかった。
5000km点検から有料になり、
次の1万キロ点検も記録が残る。
けれども距離に関して今ほど敏感ではなく、
書き漏らしも散見される。
15000kmで点検した記録も残る。
はっきりと走行距離が記され、
昭和47年2月9日、
15202kmの記録が残っていた。
その後はパッタリと記録が止まる。
所有者に経済的な問題でも生じたのか、
このクルマは第三者の手に渡った。
懐かしいメーターだ。
真横一列のスピードメーターは、
当時の高級車の韻だった。
指針ではなく、
ラインの色を赤く変えるメーターもあった。
最近の20年間は車検を取るだけで、
ほぼ使用されていない。
けれども、
それ以降3000kmとはいくらなんでも信じられない。
答えは簡単だ。
10万キロを超えた時、
ゼロにリセットされた。
今でこそ10万キロなど大した距離では無いが、
当時はクルマの寿命に等しいイメージだった。
オドメーターは偶然だが、
そう感じるような、
コンディションの個体だな。
エンジンはV型8気筒OHVで、
排気量は4リッター。
ブーン・・・ユサユサと大型動物のように走る。
思わず連想した。
美味しくて食べ過ぎると、
胃にもたれるレイズンウイッチだ。
そんな甘い感覚を持っている。
とても重厚感のある美味しい味だ。
これは面白い。
綺麗にして本領を発揮させるか。
このナンバーだけでも価値はあるけれど、
県内にこれを維持する事の出来る人が、
他にいるだろうか。
ナンバー維持は難しいかな。
さあ点検だ。
しっかり掃除して元気良く走らせよう。
お楽しみに。