時代とともにWRXが変わる
2019年 10月 03日
保管庫の中を整理した。
出てきた出てきた。
年に一度の記録だ。
始まって以来、
一回しか休んだことは無い。
それも岐阜スバルの落ち度で、
開催ギリギリになって日程を連絡してきたとき以外、
ほぼ皆勤を続けている。
その辺りの日程は、
隔年ごとに開かれる社員研修と重なる。
休んだ年は、
日程を聞かされた時、
既にオーストラリアに行くことになっていた。
いくらなんでも、
変更は無理だった。
その時期に式典が開かれるのが、
当たり前だから開けて置けとは言わないが、
「日程は開けておくのが当たり前だ!」と雰囲気が伝わってきた。
そんな上意下達に応じるつもりは十分ある。
が、
出来ない時もあるんだな。
スバルの体質と言うものは、
なかなか簡単に変わらない。
今でも岐阜スバルは、
年間のスケジュールを、
「休むこと」だけは熱心に決めるが、
パートナー企業に対する配慮はいささか緩い。
と言う訳で、
1997年の式典次第が見当たらないだけでなく、
何故か翌年の記録も無い。
この二年間は一種の過渡期であったとも言えよう。
SUBARUに記録が残っているはずだから、
一度見せてもらいたいと思っている。
黎明期から過渡期へ、
レガシィが世の中に出て、
その翌年は軽自動車の規格拡大があった。
積田さんや幸誠さんなど、
お馴染みの顔ぶれもあれば、
消えてしまった名前もある。
高島忠夫さんが居る。
コーディネーターまで務めさせた。
気合いの入れ方が半端じゃない。
実に当時はアカデミックだった。
懇親会では、
ビッグネームによるショータイムの後で、
この年は、
巡り合わせの良い年で、
会場の席が比較的前の方だった。
オークションにかけられたのは、
出たばかりの新規格車で、
前年のモーターショーに出品された、
DIASの特別仕様車まで含まれていた。
同じ席だった広和自動車の奥村社長は、
目ざとく1号車のREX660フェリアを格安で落札した。
REXなんぞは目もくれず、
DIASを虎視眈々と狙っていた。
結果的には奥村社長が一号車を落したので、
その後がややこしくなった。
運営側としては、
広い地域に分散させたい。
最初から忖度承知の落札なので、
セリも穏やかだった。
REXだからね。
DIASになると、
絶対にそうはいかない。
とうとう一対一の競り合いになった。
あの当時も元気が良かった。
なので、
なので、
相手が引き下がらないから、
意地でも引き下がらない。
東北方面の参加者が、
意地でも引き下がらない。
東北方面の参加者が、
コールを繰り返すので、
一気に10万円単位でせり上げた。
何しろ手競りだったからね。
当時はPOSシステムなどまだ一部の会場だけで、
SUBARUオークションも手競りの時代だ。
だから慣れていた。
すると、
ここで忖度が入り、
応札が打ち切られ、
他の応札者の手に渡った。
他の応札者の手に渡った。
残念で残念で、
落札できなかったDIAS特装車を眺めていたら、
初老の男性が近寄ってきて、
「親の金を粗末に扱うな。こんなもののどこにそんな価値がある」
と嘆いた。
140万円ぐらいだったかな。
そんな「価値」はありますよ、
と言うと・・・・。
「無い!」と吐き捨てるように去って行った。
そうかな。
まあ、
その直後も、
コンダクターが参加者から説教されたりして、
コンダクターが参加者から説教されたりして、
とても気の毒な事になった。
何となく、
参加者のレベルも今とは違っていたね。
恒例の柳沢純子さんとのカラオケショーもあったけれど、
まだその仲間に入れるほど、
年齢を重ねていなかった。
こうして振り返ると、
純子ちゃんは本当に頑張ってるよね。
毎年有難う。
こんなにフレンドリーな社長は居なかった。
吉永さんは凄い人だ。
国内営業で苦労を重ね、
アメリカで苦労を重ね、
スバルの本質を知り尽くしていたからね。
変化は森社長の頃に芽生えた。
二次会でフラダンスを踊ったとのうわさが、
会場を駆け抜けたからね。
とにもかくにも、
SUBARUにとって重要な式典であることに疑いは無い。
レオーネからレガシィに蛻変し、
その過渡期をどう乗り切ったか、
歴史は如実に物語っている。
この後で二度の大革命があった。
まず一度目は、
日産ディーゼルからやって来た、
河合社長が大号令をかけ、
リーダーシップを発揮した。
日産ディーゼルからやって来た、
河合社長が大号令をかけ、
リーダーシップを発揮した。
より心のこもった「もてなし」が、
その時から始まった。
それから田中社長の時代まで、
社長夫妻が参加者をもてなす、
とても良い空気が生まれた。
その時から始まった。
それから田中社長の時代まで、
社長夫妻が参加者をもてなす、
とても良い空気が生まれた。
招待される側も、
夫婦が対象となる重厚な集まりになった。
夫婦が対象となる重厚な集まりになった。
大幅な制度改革だ。
この選択眼が、
竹中元社長の指示による所かと思うと、
竹中元社長の指示による所かと思うと、
が、
それなりのビッグネームが、
祝賀会のショーの主役として招聘された。
グローバルでCIを統一し、
その強さが相変わらず今も際立つ。
そして、
この催しを縁の下で支える、
スバルの社員にも頭が下がる。
席順一つとっても、
不公平の無いよう毎年精緻に入れ換る。
岐阜はかなり長い間、
末席に甘んじてきたが、
今年は遂に土俵に近い「砂被り」へと舞い戻った。
そのチャンスを逃がさない、
広和自動車の歴代社長は格が違う。
広和自動車の歴代社長は格が違う。
オークション慣れした奥村社長は、
見事機先を制してREXを競り落とし、
岐阜らしさを強烈にアピールした。
その後を引き継いだ奥田社長が、
財津和夫を引寄せた。
なんと最前列で、
大音響の下、
延々と爆睡した。
そして肩を抱かせるという、
スペシャルパフォーマンスを見せた。
おみそれしました。
このような時代を駆け抜けた、
優秀なエンジンが間も無く使命を終える。
今回のファイナルエディションは、
まるでASUSのゲームコンピューターのような、
超絶な割安企画として発表される。
この商品企画によく似ている。
数が読めないと作るのに困るから、
数量限定商法で顧客の目を引く。
RA-Rをカタログモデルの100万円高で販売した。
もっと凄い、
次のSシリーズを期待したが、
顧客は肩透かしを食った。
その代わりカタログモデルに、
ファイナルエディションと名前を付け、
台数限定で販売する。
こうして最後に一花咲かせる。
抽選に外れても、
カタログモデルを、
カタログモデルを、
最終締め切りまで注文できる。
なので、
この機会にお客様に良く周知し、
買いそびれないようにしてもらう。
ただ、
Sシリーズや、
RA-Rとは異なりエンジン出力には変化が無い。
これをどのように捉えるかだ。
普通に作れるエンジンなのに、
出し惜しみしてきただけなのだ。
出し惜しみしてきただけなのだ。
最近は学芸会レベルのカスタマイジングで、
WRXの持つオリジナルの良さを、
ズタズタに切り裂くことが散見される。
ズタズタに切り裂くことが散見される。
その中から、
高校生の文化祭レベルから大学の学芸祭に相当する、
ハイレベルで安定したチューニングも生まれてきた。
その最も典型的なクルマが、
新井さんのところで作られたTC380だろう。
ガーンと軸トルクが出てるから、
購入した人は大満足だ。
これはターボを含めた吸排気系と、
エンジンのコンピューターチューニングで引き出された。
STIのワークスチューンとは、
少し立場が違うけど、
STIの出来ない事をディーラーと組んで実現させた功績は大きい。
と言う事は、
何もバランスドエンジンに拘らなくても、
充分良い物が作れる証になった。
出力をいじる事は、
メーカー保証が全く効かなくなるリスクを負う。
それでも、
出力をいじりたい顧客は多い。
シムスと組んで何度かGC8でチャレンジして、
遊びでやるにはコストもリスクも馬鹿にならないと悟った。
今回の抽選企画は、
「もしやるならオウンリスクです。
どうぞ勝手におやりなさい」と、
どうぞ勝手におやりなさい」と、
SUBARUが暗黙の了解で背中を押す。
それが目的だ。
それが目的だ。
微妙な言い回しだが、
誤解せずに受け取って欲しい。
今回のファイナルエディションは、
売る姿勢で良いものか。
1.689ユーロだった。
日本円で203円/Lに相当する。
借りたフォレスターを満タンにしたら、
31.95L入った。
支払総額が53.96ユーロと示されている。
当時の為替レートが120円位だったから、
6500円ほど支払った。
日本より燃料代は高い。
そこにGPFの装着や、
燃費改善などの高度な技術開発が絡む。
こんな場所で勝負するんだ。
30年前のエンジンが通用するほど、
欧州が甘い世界であるわけがない。
早く勝負できるクルマを増やし、
日独でもっと連携して、
高度な基幹性能を持たせよう。
抽選なんぞと言って浮かれている場合じゃない。
この十年で技術的空白を生んだ事実を振り返り、
by b-faction
| 2019-10-03 22:00
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