
先日の22Bオーナーズミーティングで、
松下さんに戴いたクッキーを食べた。

久喜クッキーという、
冗談めいた名前のお菓子だが、
味はすこぶる堅実だ。
懐かしく、
美味しい味がする。
香ばしい思い出がよみがえった。
忘れられない愛機だ。

当時仕入れを一手に担当していた、
当社の社長である父が、
このクルマを大阪で入手した。
垂涎のクルマだった。
展示場に並んでいる赤いバンが欲しくてたまらなかったが、
仕入れたばかりのクルマを、
そう簡単に手に入れることはできない。
このクルマが死ぬほど欲しかったが、
東京にはもっと珍しいクルマがあった。

ある時、
多摩川沿い辺りを走っていたら、
川べりに掘っ立て小屋のような建物があり、
そこにSUBARUの中古車が沢山並んでいた。
もうその当時から学生の癖に、
中津スバルの名刺だけは与えられていたので、
思い切ってその店に飛び込み、
「岐阜にある中津スバルと言いますが売ってください!」と頼んだ。
ブルーのエステートバンは国内にあったが、
イエローグリーンのエステートバンは、
カリフォルニアでしかお目に掛かれない時代だ。
何でこんなのが売られているのだろう。
今とは時代が違って、
力のあるディーラーは顧客を事前に集め、
まとめて輸出仕様の色を発注する事が出来た。
田舎者なので驚いて、
買って帰ろうとしたが甘かった。
チラリと一瞥され、
ダメだと言われた。
虎の子の一台だから、
同業者には売れないってことだ。
仕方が無いので、
学校などそっちのけで中津スバルでアルバイトした。
給料はいらないから、
このクルマをくれと頼んで、
学業よりバイトに励んだ。
東京と中津川をしょっちゅう行ったり来たりで、
単位を落さない程度に学校へ行き、
後はクルマを売ることに熱中した。
中古車の黎明期だから、
面白いように売れたね。
役に立ったのだろう。
文句言わずにクルマをくれた。
大事に大事に手入れして、
本当に色々な所を走り回った。

スキーにも良く行った。
親友の堀君とこの時も一緒だった。
このクルマを欲しいと頼まれ、
お客様にお譲りして、
次に手に入れたのがスバル1300Gだった。
そのクルマと、
スバル1000と、
堀家で所有していたプレジデントを連ね、
富士スピードウエィで開かれる、
クラッシクカーフェスティバルに参加した。

今も動態保存されるスバル1000も、
父が大阪から連れ帰った。
何度か売ろうとするのを、
勿体ないからと説得して今に至っている。
いつもノスタルジックヒーローを、
手の届く場所に置いている。
この号にスバル1000の特集があり、
書店で買ったのはかなり前の事だ
今日、
思いがけない来客があった。

芸文社ノスタルジックヒーローの編集長、
栗澤浩司さんが、
中津スバルに来訪された。

「一度寄らせて戴きたいと思ってました」
とても光栄です。
以前高山さんにもお立ち寄り戴いたので、
それ以来の来訪になる。
望桜荘を見て戴き、

S・A・Bにご案内した。
SVXには申し訳ないが、
一台外に出てもらって、

しばしの間、
ここをプレジデントの休息場所に充てる。
最近では、
もう一つのクルマ雑誌、
「ハチマルヒーロー」もよく読まれているそうだ。

ハチマルも充分ノスタルジックだ。
ここにいるクルマは、
そこからキュウマルにかけての文化遺産だが、
SVXもハチマルの一部として暖かく扱っているという。
栗澤編集長は、
ハチマルミーティングも主宰されている。
その予定を公表すると、
あっと言う間に500台の参加枠が埋まるほどの、
人気を誇るというのだ。
嬉しくなってきた。
そう!
その時代のヒーローは、
何と言ってもアルシオーネなんだ。
後はエステートバン4WDくらいしか、
ハチマルの時代のスバルで、
これはと思い浮かぶクルマが無い。

実に有意義な時間を過ごせた。
この時代の香ばしいクルマたちを、
一度所有すると病みつきになる。
その取り付かれた男の姿を見れば、
アルシオーネやSVXが、
どれほど美味しいのか解ってもらえるだろう。
さあ、
明日は久しぶりにWRXの出番だ。
どう扱おうか。
楽しみにして欲しい。