
風呂敷包みのお菓子は、
お江戸に端を発し、
日本中に点在する。
中でも中部地方で良く食べるのは、
桔梗屋の信玄餅だろう。
有名なのはもちろんの事、
美味しいしリーズナブルな価格も魅力だ。
こちらのお菓子は、
兵庫県美方郡香美町にお住いの、
井端さんから戴いたお年賀だ。
名前とは裏腹に、
とても繊細なお菓子だった。

蜜の味が優しいのだ。
餅の形や味は似ていても、
これほど印象が異なるとは、
最初見た時には想像だにしなかった。
この蜜は黒蜜ではなく、
地域特産の梨から作った「なしみつ」だ。
珍しいお菓子をありがとうございました。
良い食べ比べが出来ました。
加美町は兵庫県と言えども、
日本海に面した風光明媚な街だ。
山陰地方に位置するので、
鳥取の銘菓が入手しやすい。
大風呂敷は昭和48年に販売が始まり、
山陰地方の名物となった。
これを作る宝製菓は、
年間売上高48億円、
従業員280人を擁する大きな菓子メーカーだ。
近くの下呂にも工場があるようなので、
意外に飛騨の土産銘菓も宝製菓で作られているのかもしれない。
観光土産菓子を得意とする会社だ。
何事にも「得意分野」と言うものがある。
「お宝発掘の取材をさせて下さい」
今月の中ごろ一本の電話が入り、
朴訥な語り口で希望を述べられた。

車関連ではあるが、
少々スバルとは畑違いのようだ。
以前モノマガジンの取材を受けた。
あの時のように、
新たな視点で自社を見つめるチャンスだ。
きちんと時間通りに到着された。
まず簡単に施設の概要と、
これまでの成り立ちを説明した後で、
順番に館内を案内した。

お土産センターと言う名称に、
思わず笑みが漏れた。
ここで売る衣類一つとっても、
栄光のWRC絶頂期から、
最近のスーパーGTまでカテゴリーが豊富だ。
タンスの中が区分けされている様子を、
楽しそうにご覧になられた。

三名の
役割りが明確に分かれているので、かなり本格的な編集になるのだろう。
発売が待ち遠しい。
次に当社の歴史がひと目でわかる、
壁面パネルを紹介した。
そのままシアターに上がって戴くと、

やはり、
目の付け所が全く違う。
感心した。
床に使ったグラスファイバーのグレーチングを、
興味深そうに眺めている。
空間も取材の対象にするところが、
他の出版社とちょっと違っていた。
これが、
この会社の真骨頂だ。

その後ノスタルジックギャラリーと、
STIギャラリーをご覧になった。
70年代のクルマは、
姿も今と異なり面白い。
でも取材の対象として考えると、
若干物足りなさが残るように感じた。

このジャンルには、
ノスタルジックヒーローを出版する芸文社など、
古参の大御所がデンと構えている。
むしろ、
VIVIO T-topが刺さったらしい。

欲を言うと、
もう少し違う年代が見たいようだ。
最近の若者の傾向を想定し、
お宝を発掘していると見た。
ならば農機具置場はどうなのか。

ここも面白いらしい。
このあたりで、
取材の途中ではあったが、
望桜荘へご案内して、
ちょっとリラックスして戴いた。

こういう空間も刺さるようだ。
この人たちはクルマと空間のプロだな。
紹介しよう。
向かって右側から、
株式会社ネコパブリッシングの編集部員、
竹内耕太さん。
その左がライター兼イラストレーターの、
遠藤イヅルさん。
そして左端でカメラを持たれているのが、
ライターとカメラマンを兼務される、
夏目健司さんだ。
暫し歓談した後、
最後のお宝を紹介した。

何となく取材陣の目の色が変わってきた。
1980年代のクルマにスポットを当てる。

長い歴史を誇る、
老舗自動車雑誌の「Tipo」は、
主に輸入車を紹介する。
そこから派生した「J’s Tipo」は、
最近の紙媒体からネット媒体に移行する影響を受け、
10年ほど休刊しているという。
そんな中、
強い雑誌が生き残ることも事実だ。
スバルマガジンなど恒例で、
紙で得る情報を好む人たちも多い。
出版業界も浮沈が激しく、
生き残りを掛け再編が進んだ。
ネコパブリッシングも例外では無く、
TUTAYAの傘下に入った。
こうして、
相変わらず旺盛な出版事業を展開している。
その一つが「Tipo」なのだが、
「ガレージライフ」も息の長いムック本だ。
最近では急速に力を付けたASEAN圏内で、
ガレージライフが良く売れるという。
また、
新たな自動車生活雑誌として、
「世田谷ベース」は痛快なヒット作だ。
なので、
取材する視点が、
他の媒体と微妙に違っていた。
とても愉しく時間を共にできたので、
午前中が一気に過ぎ去った。
やっぱり、
顔を見てると解るね。

実は彼等に最も刺さったのは、
アルシオーネよりもMGBかな。
これもド・ストライクの旧車だろう。
これを持ってる理由は明快で、
SUBARUはFRスポーツなど天地が逆になっても、
絶対に作る事は無いと思っていた。
ところがTOYOTAに頼まれ、
持てる力を余すところなく発揮し、
世界に胸を張れるFRスポーツカーを作ってしまった。
となると、
面白いもので、
結局MGBは当社な教材に変わった。
スバルがブリティッシュスポーツから、
学ぶべきところも多い。
「濡れてもいいなら送るよ」と、
女性に最高のセリフが吐ける、
そんなクルマを作って欲しいのだ。
東京で暮らしていた昭和56年、
電車の宙づり広告で最高のセリフを見た。
それはず~~~と頭から離れない。
いつかSUBARUもオープンカーを・・・、
そう願っていたらT-topが誕生した。
でもスバルの辞書にオープンカーと言う文字が無い。
やれる方法を考えず、
やらない理由をならべたてた
企画倒れを執念でブレイクスルーした人こそ、

あの竹中恭二さんだ。
スバル30周年の企画として、
何としても実現させようと、
その構想を高田工業に持ち込んだ。
そして、
企画、
デザイン、
設計生産まで全て高田工業が引き受け、
奇跡的な実現を果たした。
生産開始1993年5月、
生産終了1994年2月。
僅か9か月の間に3500台が生産され、
全てオーナーの手に渡った。
その中の一台を、
強烈にしたのが、
このお宝「RX-R Type-T」だ。

ビストロ顔の、
5速マニュアルDOHC4気筒だ。
実現させたくても、
市販化は無理だった。
それ、
もう一度本気でやらないか。

22Bを組み立てたのも高田工業だ。
やる気になれば、
BRZのオープンカーなんて簡単に実現できる。
大風呂敷を拡げよう。
台数限定で作ってくれたら、
けっこう売れるんじゃないだろうか。
最新のテクノロジーで設計されたBRZは、
軽さを極限まで追求し、
素晴らしく面白いクルマになった。
下取りの6速オートマを徹底的に分解し、

洗えるものは全て洗って乾かした。
シートは全て取り外し、
スチームクリーナーで念入り清掃除菌。

新車の時に近い品質を取り戻す。

シートとサイドシルの間は、
一番汚れが溜まりやすい。
床に直付けされたシートを外し、
徹底的に掃除した。
プロしかできない精度の高い清掃を目指す。

センターコンソールから、
インパネまで徹底的に汚れを落とし、

セレクタレバーの周囲に溜まったホコリも、
柔らかな布と綿棒を使い丁寧に仕上げた。

助手席側も抜かりが無い。
エアコンのブロワーファンも見逃さない。

狭い空間だからこそ、
より丁寧な仕事で品質向上を目指す。
次のお客様を想像し、
良いクルマに仕立て直す。

何しろ前オーナーの愛情が、
有り余るほど注がれ、
STIパーツもふんだんに組み込まれている。
前のオーナーも、
「是非可愛がっていただる良いお客様に」と、
可愛い愛機の行く先を祈っていた。
出来上がったBRZえ岐阜まで出張し、
その完成度を確認する。
今日は岐阜スバルの沼社長が、
本年の姿勢方針を熱く語るため、
岐阜のホテルで待っている。
そこに向って出撃だ。
さあ、
また忙しくなるな。