篠田 桃紅(しのだ とうこう)
本名は篠田 満洲子さんとおっしゃる、
スーパーウーマンだ。
1913年〈大正2年〉3月28日生まれなので、
SUBARUの100周年など軽く蹴散らす大先輩だ。
日本の美術家であり、
エッセイストである。
現在106歳だが、
まだ現役で活躍されている。
この素晴らしい女史の描いた、
一枚のリトグラフがSVXのイメージだった。
リトグラフの題は「道」
水墨画のような構図の中に、
三本の赤い枝のようなラインが印象的だ。
その色こそ、
まさにクリムソンマイカそのものだった。
水墨画のような、
シルバーメタリックとグレーメタリックのツートンカラーが、
SVXデビュー時のイメージカラーだった。
ところが当時、
なぜかクリムソンマイカが実際の主役だった。
そのリトグラフが与えた影響なのか。
彼女はスバルの様にアメリカでは抜群の評価を得ていたが、
日本でその名を知る人は少なかった。
その女性画家の作品を、
クルマよりも先に大胆にカタログに添えた。
このセンスは、
今振り返っても超絶に優れている。
クルマも凄いが、
色に対するデザイナーのこだわりも相当なものだ。
デビュー時のボディカラーは全部で6色あり、
もっともよく売れたのが前述したクリムソンマイカだ。
ツートンカラーはシルバーメタリックだけ。
ダークグレーメタリック、
ブラックマイカ、
レッドマイカ、
それにトップグレードのバージョンL専用の、
ホワイトマイカの6色だった。
トップグレードのホワイトマイカも少ない方だが、
このレッドマイカには敵わないだろう。
自然の中でも映える。
当時見向きもされなかったからこそ、
今見ると新鮮に映るのだろう。
リヤビューが、
これまた素晴らしいんだ。
トランク開けると意外に広い。
運転席側のシートを前に倒し、
後席のバックレスト右側の、
ヘッドレストの下を押す。
すると簡単にトランクスルーになり、
履き替えたタイヤが4本詰める設計だ。
コックピットはスバルらしく、
今座ってもぜんぜん違和感がない。
当時の安全設計も、
ゼロ次を重視していたのだ。
当時もカタログにはっきりと書いている。
SUBARU SAFETY
SUBARUは安全を基本に、
クルマの走る歓びを創造します。
その基本はまず、
アクシデントを未然に回避する「アクティブセイフティ」
次に、
発生時のダメージを最小限に抑える「パッシブセイフティ」
この二つがSVXの基本だと、
カタログにはっきりと書いてある。
SVXから、
今のSUBARUにキチンと繋がり、
この先の10年まで指標が定められている。
何て素晴らしいんだと、
改めて感激するね。
はっきりと衝突試験の写真が添えられ、
丁寧な衝突解析図までカタログに載せた。
そして当時可能にした9つの安全を明示した。
1.SRSエアバッグ(運転席)
2.ハイマウントストップランプ
3.サイドドアビーム
4.後席三点式ELRシートベルト
5.ATシフトロックシステム
6.シートベルト未装着警報ランプ(運転席)
7.室内難燃化対策
8.ロールオーバーバルブ(転倒時の燃料漏れ防止機構)
9.ドアスイッチ内蔵式強化型ドアラッチ
中には「なんだこんなものか」と思う人もあるだろうが、
当時の環境で安全にプライオリティを与えている事は、
特筆に値するだろう。
そして発動機を見て欲しい。
堂々としたアルミの鋳物が、
エンジンルームで脈打っている。
このクルマで、
あの赤い橋を渡って、
その先にある場所でインプレッションを語った。
視線を左に移すと、
リニアモーターカーの工事が本格的に始まり、
カンカンカンカンと槌を打つ音がコダマしている。
大規模な立坑の工事だ。
リニアが開通して東京が近くなる。
これは嬉しい。
日帰りも可能だ。
急ぎの用事があれば、
恵比寿まであっという間に行ける。
でも、
きっと可能な限りクルマで走るだろうな。(笑)
愉しいからね。
運転していて、
ちょっとウキウキしてきたのは、
これから将来を担う青年たちが、
もしこれに乗ったらどう感じるのか?
走行距離はジャスト100km。
きっと「欲しい」と思うに違いない。
そう感じた。
愉しくないこともみえる
最近山肌を覆い始めた電池だね。
工事中の山肌に、
デカい電池が現れた。
最近心配なんだ。
これって、
本当に大丈夫なのかな。
すぐ下に住んでると怖くないか。
だって、
排水路を作らず、
作りっぱなしの施設も多い。
大雨が降ると、
水が浸透せず溢れ始めるんだ。
ちゃんと考えて作ってるのかな。
これは、
単なる素朴な疑問。