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大ヒットした三代目フォレスターを振り返る

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息の長い商品だ。

いつも我慢して売り場をすり抜ける。

時々、
自分へのご褒美で、
バッカスか、
或いはラミーかと、
迷っては買い分ける。

まとめ買いは絶対にしない。

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危険すぎる。

ラミーやバッカスは、
「あるだけ全部食べる」危険性を伴い、
そんな脆弱な精神力を知るからこそ、
一箱だけに徹するのだ。

フォレスターもSUBARUらしく息が長い商品で、
しかも出すたびにヒットを重ねる基幹車種だ。
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その中でも、
この三代目は日本のみならず、
世界中で大ヒットした記念すべきクルマだ。

少し売り上げが落ちる二年目以降も、
グローバルで見ると一向に勢いが衰えず、
遂に一度もモデルチェンジしなかった。

過去には3年半でフルモデルチェンジせざるを得ず、
しかもその間に醜悪な顔になったR-2(R2ではないよ)があったけれど、
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SUBARUにそんな過去が本当にあったのかと、
疑ってしまうほどの大ヒットだった。

実は三代目フォレスターの、
総開発責任者は竹内明英さんだった。

ところが開発がほぼ終わり、
発表に何の問題も無いほど、
完成度を高めながらその責務から外れた。


これは彼の仕事に問題があったからではなく、
彼の力量を乞われ、
ある開発のリリーフに向かったのだった。

彼の作るクルマに「失敗」はあり得ない。
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その直前に発表された、
GH型インプレッサは、
彼が仕上げた作品となった。

もともとその「GH型」は、
1.5リットルのコンパクトハッチとして、
初期の構想が出来上がったと思われる。

その理由は、
当時ジャスティの後継機のような、
SUBARUのエントリーモデルを計画するにあたり、
国際的なトレンドが存在したからだ。

例えばホンダもフィットの1.5リットルを主軸に置いた事もあり、
SUBARUから見ると自社のソースが活かしやすい環境だった。

ところが、
それでは済まない事情があった。

ある意味で凄い時代だ。

今も高いハードルを越えようと、
SUBARUは苦労している。
けれども、
あの頃に比べると勢いが違う。

前年に短期間でステラを完成させ、
SI-DRIVEをレガシィに搭載した。

そしてインプレッサを世に送り、
フォレスターもモデルチェンジし、
エクシーガの開発もほぼ終わる頃だった。


矢継ぎ早の新車は、
SUBARUの世代交代の時期でもあった。

その次に控えるレガシィは、
完全に国際規格で計画されていたからだ。

激流の中で、
インプレッサの中に含まれていた、
WRXの開発チームを切り分けた。

そちらはWRCで勝てると同時に、
まるきり別のプレミアムスポーツ的な役割も担わせた、
一段上の開発に向かった。

それは当たり前だ。

当時、
開発真っ盛りのWRX STIは、
スバル初の300馬力オーバー、
しかもけち臭い事をせずギリギリの308馬力迄引っ張り上げた、
プレミアムスポーツだった。

そして、
コンパクトハッチを徹底的に焼き直すと同時に、
米国向けに4ドアセダンも開発に加えた。

その激動の中でも、
竹内明英は絶対に失敗しない。

まさにドクターXだったな。


続く・・・。

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by b-faction | 2020-02-11 22:02 | Comments(0)

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