フォレスターX-Edition(Premium特別仕様車)の走破性を堪能
2020年 05月 03日

昨日草刈りをした後、
中仙道わきの花壇が気になったので、
夕暮れが迫る頃観察に行った。

シバザクラも元気だし、

この真下には、
弥生時代以降の居住遺跡が何層にも重なっている。
竪穴式住居の遺跡まで発掘された。
人が住みたくなる場所だが、
災害に何度も襲われた場所なのだ。
運動不足なので歩きたくなり、
観察ついでに会社の周りを歩いた。
典型的な河岸段丘だ。
水田が広がり田植えの準備も整っている。

綺麗に畔が整っていた。

水路に沿って川に下る。
農道のポルシェが、

芸術的な草刈りには、
やはりそれなりの機材が必要だ。
斜面用の草刈り機だろうか。
サンバーよりそっちが気になった。

すっかり綺麗に護岸工事が終わった。

堰堤やこうした游砂工が必要不可欠だと、
最新の土木工事が物語る。
ここで振り返ると、

たったこれだけの距離で、
かなりの高低差があると認識できる。
すぐ先にJR中央線の踏切があり、
水田が広がるが、
最も低い場所なので太古の昔は河原だったのだろう。

小高い山の向こうにリニアモーターカーの車両基地が出来る。
深い谷だったのだろう。
或いは断層崖かもしれない。
歴史の中で数々の災害が起きたはずだが、
この場所だけはここ数百年は難を逃れている。


中津スバルの看板が見える。
中央線が左右を横切るのも見える。

最も低い場所だと良く解る写真だ。
やはり大昔は河原だったのだ。

六地蔵川が流れている。

物凄い種類の川魚が住んでいた。
今はそんな跡形もない。
それより黄色い矢印の看板が中津スバルで、

恐らく土砂崩れの形跡だ。

その土砂が出た場所は緑の矢印だろう。
こんなことが、
何千年かのサイクルで起きるのだ。
踏切を渡って会社に戻る。
中津川方面が左で、


まだ単線で、

複線作業が進んでいた。
テストでデゴイチが来ては引き返す。
その様子を楽しく眺めた記憶がある。

歴史上はじめてのことだな。
踏切の左に、
初めて自動車のために作った整備工場が残っている。

残っているのは嬉しい。
ここが住処でもあった。


穴の中に入って度胸を試した。
悪ガキが沢山居て賑やかな場所だった。

その中心地だったが、
国道が新しく出来て徐々に静かになっていった。
この低い場所から、
かなりの高低差を感じながらしばらく歩く。
すると、

ここも異常に高いので土石流の痕跡だ。
正面を見ると、
如実にわかる。

千年以上前に右の山側から、
左に向って土砂が流れ込んだ。

当時の痕跡を残すが、

もっとはっきりとした痕跡が見える。

その延長線は、

正に大量の土砂が山から流れ出した形になっている。


しかし僅かな差で、
目の前に小高い山がせり出している。

六地蔵川は比較的太い河川だ。

災害と言うものは忘れた頃にやって来る。
旧国道、
即ち昭和39年に掛けられた橋が、
急に水路を細めているので、
どういうことか識者ならすぐわかるだろう。

馬車を通すのが大変だったと聞いた。
下流側は人家ではなく畑だった。
ところが、
土石流危険地域に指定されているのに、
住宅開発が許された。

山側との圧倒的な近さがわかる。
コビッド19のおかげで、
クルマの通行量が少ない。


どえらい事が起きたのだと、
今でも容易に想像がつく。
ここは正に野性とのインターフェイスだ。

ある意味でエネルギーを感じて、
人が住む原動力になるのかもしれない。

敢て自然なまま残すのは、
太古から繋がる命の息吹を感じるからだ。
ここからはフォレスターの出番だ。

なぜか突然上りたくなった。
理由はかわら版用に写真を撮るためだが、

何十年も前にキノコ採りで入った事があるだけで、
ここまでクルマで入るのは、
今回がはじめてだ。
それくらい危ない所なので、
獣の被害も含め真似しないで欲しい。




ほぼ同じものがごろごろしてる。
そして風化してひびが入り、
脆く崩れる様子が見て取れる。
スイッチバックできる場所が現れた。
ここで引き返す。
是非見て欲しい。
ヒルディセントモードがとても役立った。

無事戻れた。
明日もお楽しみに。
by b-faction
| 2020-05-03 21:03
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