早いもので、
開田高原訪問から、
一週間が過ぎようとしている。
木曽町三岳から、
御嶽山の水蒸気噴出を見た時の様子を振り返る。
この写真は大規模な水蒸気爆発が起きる前の、
毎年一度登っていた頃の様子だ。
中央の禿げた突端が剣ヶ峰で、
その右下に王滝頂上が見える。
右端が長野県西部地震で山体崩壊した場所で、
今でも深い傷跡を見せる。
中央のザックリえぐれた部分が地獄谷で、
以前から火山ガスの噴出が続き硫黄酸化物でおおわれている。
頂上から少しお鉢周りに下りこみ、
この地獄谷を覗き込むと、
何とも言えない恐怖心に襲われる。
そしてその底から、
キラキラと小川が流れだす様子が、
ハッキリと見て取れる。
そう。
木曽川の源流の一つだ。
木曽川に流れ込む数多くの支流から、
集まる水を支配した男がいる。
それが福澤桃介だ。
この時の木曽川も荒れ狂っていた。
遠くに見えるのが、
その男の名を取った桃介橋だ。
この上流に読書ダムがあり、
導水路によって下流にある読書発電所に水が送られる。
したがって普段はここを、
ほとんど水が流れていない。
木曽川を並走すると、
時折水が姿を消すのは、
このような理由からだ。
洪水の時だけダムを放流するので、
怒涛の如く押し寄せ、
普段とは全く違う景色を見せる。
この日は大桑村に向かう用事があった。
木曽川沿いを国道19号線が並走する。
川から立ち上るのは霧ではない。
霧なら白いが、
これは濁流が巻き起こす水煙だ。
だから濁流と同じ、
茶色く濁った色をしている。
豪流のエネルギーというものは、
かくの如く凄まじいものなのだ。
その先に山口ダムがある。
読書発電所で放水された水を、
再びこの場所でせき止める。
洪水の後は流木などで大変なありさまだ。
ダム湖の上流の奥に、かすかに発電所が見える。せき止められた水は、
左岸側の取水口から下流にあるダムに送られる。
この時は洪水吐が全開にされ、
物凄い勢いで水が川を下っていた。
このダムは比較的新しく、
昭和32年に完成した。
ダムの水は圧力トンネルで、
この山口発電所まで送られる。
長さは約三キロでサージタンクから、
水圧鉄管一本で発電機に水をたたきつける。
地盤がもろく崩落しやすい場所なので
上端のサージタンクから、
下に繋がる水圧鉄管まで、
厚いコンクリートでおおわれた要塞だ。
発電機は一基だが、
4万2,000キロワットの出力を誇る。
放水路も圧力トンネルで約二キロ下流まで放水される。
spec.Cが完成の域に達した。
最後にステップ周りの防錆を確認中だ。
先日このクルマの高速テストの際、
活性化させようと発電所に連れて行った。
それがこの賤母発電所だ。
木曽川水系で最も古い施設で、
当初は先に紹介した生田ダムのように、
堰を設けて取水するダムだった。
その堰が荒れ狂う川の影響で土砂が堆積し、
徐々に効率が悪くなった。
そこで山口ダムが完成すると、
導水路を改造し、
ダムから豊かな水を取り入れるようになった。
完成直後は3本の圧力鉄管で発電機を三基回したが、
その四年後に余剰能力を満たすために更に一基追加して、
最大出力1万6,300kwの能力を今現在も維持している。
まさに100年以上も働き続ける産業資産だ。
山口発電所や山口ダムの姿に比べ、
読書発電所や賤母発電所の姿に、
一種独特の風格を見る理由は、
このあたりの歴史的裏付けによるものだ。
spec.Cと訪れた時、
発電所の片隅に、
隠れるように建つ碑を見つけた。
非常に興味深いレリーフだが、
何と書いてあるのかわからなかった。
そこで写真に納めて持ち帰った。
その銘板を拡大すると、
工事にかかわった企業が記されていた。
水車はスウェーデン製、
発電機はアメリカ製だ。
そして二つの会社が、
仲良く肩を並べている。
まさか100年後に、
結局ババ抜きのババを掴むことになろうとは、
誰も想像だにしなかった。
芝浦製作所は、
東洋のエジソンと言われた、
田中久重によって興された後の東芝だ。
国立科学博物館には、
彼の作品である万年時計が、
今も誇らしげに展示されている。
機械遺産22番だ。
今も所有権は東芝にある。
その東芝は数々の発明を携えた、
日本を代表する輝く企業だったが、
ウエスチングハウスを買収してから傾き始めた。
ウエスチングハウスは原子力開発で、
抜きん出た実績を持っていた。
こちらもエジソンと同世代の発明家が興した企業で、
三相交流発電送電を確立させた会社だ。
その後、
原子力発電でも加圧水型原子炉では独占的立場になった。
ところが1980年代から、
事業内容が激変し始めた。
1995年に放送局のCBSを買収すると、
英国の企業に原子力事業を売り払った。
こうしてウエスティングハウスの商標だけ残すと、
自身は放送事業を中心とする企業と変わり、
社名もCBSコーポレーションと変えた。
こうして、
米国を代表する総合電機メーカーは、
自らの手で幕引きがなされた。
東芝は一旦英国の国有企業に売却された原子力部門を、
何が何でも自分のものにしたかったようだ。
英国の国営企業は、
自国で所有するにはリスクが高いと見たのだろう。
11億ドルで購入した原子力部門を、
東芝に54億ドルで売り抜けた。
そのあとはどうなったのか。
その国営企業も解体され存在しない。
最近ぐれた少女の動向が静かだけど、
化石燃料だけ責めるのは片手落ちだ。
かといって、
エネルギーは足りないばかりで余ることはない。
様々な発明があり、
それが人を豊かにする。
最近の情勢でぐれた少女のように、
まことしやかな理屈でうそを言い、
代わりに我田引水する行為が癪に障る。
ぐれた少女は二酸化炭素を悪く言うが、
本当に二酸化炭素は悪なのかという論拠で、
物事を見直す必要もある。
かわかつという厄介な男がいて、
水源の枯渇は悪なのだという論拠にのっとり、
我田引水を企てているように見えるが、
世間では本質的な問題をあまり気に留めていないようだ。
この有人走行型プロトタイプに乗り、
30年以上が過ぎた。
試乗後も宮崎実験線でテストを繰り返し、
のちに営業を視野とした実験に移る予定であったが、
不幸にも走行中の火災で全焼した。
その後、
後継機を大至急建造し宮崎での実験をすべて終えると、
将来営業泉として使用される場所で、
本格的な高速テストが繰り返され、
今では有料で乗車が可能になっている。
その人気は高く、
有料であっても抽選だからなかなか乗る機会に恵まれない。
全て日本の技術で開発し、
焦った米国が液体ヘリウムの輸出制限をかけようとした。
その時に、
出さないなら水から取り出すぞと切り返し、
米国相手に正面から立ち回った。
京谷さんが作った、
世界に誇るマグレブ型リニアモーターカーは、
もう間もなく開業できる運びとなっている。
賤母発電所で銘板を見た時、
はっと頭の中に光が走った。
大倉組の名前だ。
大倉組と言えば、
ホテルオークラの名が残る、
大倉喜八郎が興した財閥だ。
建設会社の大倉組の名前は消えたが、
大成建設というスーパーゼネコンの名を知らぬものはない。
大倉の名は無くとも、
彼らはもっと凄い名前を手に入れた。
大成建設の名の由来は、
大倉喜八郎の戒名、
大成院殿礼本超邁鶴翁大居士だ。
大倉喜八郎は鋭い先見の明を持っていた。
いつも訪れる山の向こうは、
彼が買い取った場所なのだ。
その山の向こう側は、
かつて東海パルプの持ち物だった。
大倉財閥の一角で、
湯川秀樹も在籍し、
特殊秘密兵器まで開発したほどの企業だ。
今は東海特種製紙と名を変えたが、
日本の根幹を担う企業である。
偽造を防ぐ紙を作るなんて、
そう誰にでも出来ることじゃない。
その会社が大井川の最上流部に、
一つのまとまりとして、
日本最大の社有林を持つ。
それを井川社有林と呼び、
静岡県ではありながら、
長野と山梨の県境に、
ブスリと突き刺さった格好になっている。
かわかつという男も、
その出自を見るとハーバード流交渉術が得意なのだろう。
井川社有林の存在を盾に、
新幹線の真上に通った空港に駅を作らせるのか。
静岡にこれ以上駅は必要なのか。
こんな我田引水は良くないな。
二酸化炭素同様に、
水源の話も複雑怪奇だ。
冒頭の御嶽山のように、
たわわな水を含む山体は、
恐ろしいほどもろい。
成層火山だからね。
それに比べたら、
付加体で出来上がった南アルプスは、
とても比べようにならぬほど複雑怪奇で頑強だ。
こういう機をチャンスと捉え、
我田引水を企むなど、
大倉喜八郎翁が見たら、
何と嘆くであろうか。
しかも大成建設は、
ボスポラス海峡横断鉄道トンネル建設に携わる、
世界に名をはせた超一流の土木会社だ。
そのルーツがこのような場所に土地を残した。
地図に残る仕事をする会社が、
今のありさまをどう見るのか。
静岡県民も目を覚ました方が良い。
歴史に残る大事業を、
我田引水で汚さないよう祈りたい。