梅雨の合間に掃除を終えた。
今度の週末から、
また全国のスバリストが集まる。
看板塔の基礎の周りを掃いていたら、
真っ黒な昆虫が飛び出した。
よく見たらコクワガタの雌だ。
捕まえて大宮君のお土産に渡した。
結構威勢よく挑発してくる。
こうした昆虫たちは、
環境の中で揉まれながら逞しく生きている。
サツキが咲き終わったので、
来年に備え剪定した。
山本部長はバリカンを使い全体を整える。
そのあと、
剪定ばさみを使って細かく刈り込む。
気持ち良く整っていく。
展示車の排気管に当たるので、
安全上も刈込みが必要だ。
しかし、
このわずかな世界に住む生き物が、
繁殖できる環境を残す必要もある。
土の持つパワーは凄い。
サツキは生命力が強い。
その脇では、
相変わらずドクダミが威勢よく増えている。
そこを放置せず整えて、
全体のバランスを均一にする。
土砂の流出を止めるために、
ここに玉竜を移植してつかう。
階段の横も綺麗に刈り込みが進んだ。
明日からさっぱりした階段を、
来場されたお客様が上り降りできる。
その先は、
先日短く伐採した翌桧の下だ。
ここにもドクダミが繁殖し、
生えてはいけないところから頭を出す。
綺麗に抜いて、
ユキヤナギとコデマリの枝も揃えた。
最後の仕事はエンジンブロワーによる清掃だ。
掃くことも大事だが、
ブロワーを使うと仕上がりが良い。
最後のロビンエンジン搭載機だ。
買っておいてよかった。
綺麗になった展示場に、
WRXをずらりと並べた。
初代から現行型までもれなく並び、
実に晴れ晴れしい気持ちになった。
そして先日から手をかけ続けた、
ステキな軽自動車の居場所を作った。
まず洗剤を使いブラッシングできれいに洗い、
ケルヒャーのエンジン洗浄機でコンクリートに付着した、
薄黒い藻類を剥ぎ飛ばす。
美しくなったらに、
室内をピカピカに清掃し、
ヘッドライトもつぶらになった、
オブシディアンブラックパールのR1と、
ベリールージュのとてもお洒落な、
5速マニュアルシフトのR2を飾った。
さて、
店づくりにも細かいしきたりがたくさんある。
だからクルマのメーカーには、
もっと厳しいしきたりがある。
その中から、
凄い製品が生まれる。
だが、
どんなものにでも潜在能力が潜んでいるわけではない。
また、
潜んでいたとしても、
それを引き出せるのか、
あるいは未完のまま終わらせるのか、
そこに差が生じる。
もっと踏み込めば、
スバルのような限りなく潜在能力持つ、
凄いクルマが作れないけど、
ブランドだけで生きながらえるメーカーも実在する。
やはりスバルが凄い理由は、
元々が兵器メーカーという出自にある。
兵器というと誤解を招くかもしれないが、
国民の命を守るために、
外敵と戦うためにある。
当時の最先端を行く、
兵器メーカーとして「ある種の底力」を育んだ。
「安全」の文字で「兵器」を隠そうとするが、
隠す必要はもはやない。
戦闘力オリエンテッドで作り上げた、
これまでの「しきたり」が、
凄い製品を生む原資だ。
そして、
そこに様々なキーパーソンがいる。
ここで、
名人と
天才と
仙人について語りたい。
例えば最近話題の将棋において、
若き名人が登場した。
凄い実力の持ち主で、
名人と言われている。
名人と天才と仙人を、
全く独断で語ろうと思うので、
「決めつける」ことに対して、
嫌悪感を持つ読者は、
これ以降立ち入り禁止にしたい。
嫌な思いをする前に、
違うブログを見た方が良い。
そして文章に書き切れない事を、
最後に動画で説明する。
特に「WRX STIでニュルを走ったら死ぬ」
のキーワードが、
全く理解できない古典的クルマファンには、
きっと不快なはずだから、
読んだり見たりしない方が良い。
他人事ではなく、
10年前まで同じ気持ちで走っていた。
その独りよがりな目を、
カッと開かせてくれたのが、
一人の名人だった。
モータージャーナリストの菰田潔さんと言えば、
同業者でさえプロフェッサーと頼りにする、
実に論理的な自動車評論家だ。
英語とドイツ語を自由に使い、
ドライビングインストラクターも務める。
BMW本社からの信頼も厚く、
日本モータージャーナリスト協会の現会長だ。
名人の隣に初めて座った時、
BMWのアルピナディーゼルが、
緻密な小型高性能スポーツカーのように、
アイスパッドのパイロンを自在に等状旋回した。
これにはたまげた。
ニュルブルクリンクで、
何とか10年間走り続けられるのも、
菰田名人のおかげと言って過言ではない。
菰田名人から終了証を6枚頂いた。
いつもお世話になり、
ありがとうございます。
このようにして、
クルマの運転を見直せと、
具体的なアドバイスを受けた。
それはある天才からだった。
クルマの開発にはとても大きな困難が立ちはだかる。
尋常な開発計画では無いとみると、
意外にも逃げ出す開発者も多い。
そんな中、
誰の目にも明らかに困難だと映ったのが、
二代目インプレッサの開発だった。
まず、
当初はインプレッサからフォレスターにバトンタッチの予定が、
WRCにおける好成績を理由に、
二代目の開発計画が突然生まれた。
それに加え当時は22Bなど、
高性能かつプレミアムな別次元のクルマを誕生させた背景があり、
それらのクルマを開発した経験のないスバルにとって未知の荒野が広がっていた。
勢いというものは、
何よりも優るのだ。
しかし勢いだけで、
いつまでも良いクルマを作ることはできない。
そこに天才の存在があり、
インプレッサの将来を決めた。
スバルやSTIが本気で取り組む開発と、
そのあたりのショップやサードパーティのパーツ開発では、
実現しうるレベルそのものが全く違う。
アフターメーカーの商品が問題なのは、
オカルトパーツに近い思い込み、
あるいはまた、
何かを捨て一点突出を試みる、
危険さと裏腹な関係を持つからだ。
いずれにしても、
二代目インプレッサは、
その当時かつてないほど、
巨大な開発計画だった。
ナローボディのセダンは、
社有車需要に欠かせず切り離せない。
そのセグメントで重要さを増した、
スポーツワゴンを失敗させるわけにいかない。
当時最も大きな分母を持っていたからだ。
そこに加え、WRCで勝つためのベース車も必要だ。
半端なクルマでは、
当時の苦しい状況下で、
続けて勝ち進むことはできない。
もっと厄介なことに、
21世紀を迎え、
新しい衝突安全基準に合致することが求められた。
トランスミッションにも課題が多く、
ガラスのミッションと揶揄された5速を、
遥かに凌駕する高剛性6速の開発が命題だった。
そのすべてを、
同時に取りまとめた天才がいた。
通称「インプレッサの父」
伊藤健さんは、
STIに移籍後もその才能をいかんなく発揮し、
S203
S204
S402
tuned byシリーズ
WRX STI spec.c type RA-Rと、
今の基礎になる仕事を全てやってのけた。
その天才のもとに、
S402の開発の頃から、
「仙人」と呼ばれる人物が現れた。
仙人には、
凡人には無い特異な何かが生まれつき備わっている。
天才も天性の優れた才能なのだが、
仙人とは違う。
それは変幻自在な神通力が、
あるのかないのかによるのだ。
一昨年、
ニュルブルクリンクで8枚目の終了証をもらった。
その時の指導者は、
現行M5の開発責任者だった。
彼がその立場にあると知ったのは、
日本へ帰国してからだった。
この時幸運だったのは、
運転する時以外、
インストラクターの助手席座るよう指示されたことだ。
理由は単純だった。
レクチャーを受ける6人中、
5人をドイツ人が占めていた。
従って、
ドイツ語でレクチャーしたいと言われた。
その上で、
「君は僕の隣に乗ってくれれば、
必要に応じて英語で解説する」
こんな幸運に恵まれるのは、
グリーンヘルの魔物たちに、
招かれているからなのか。
彼の隣に座り運転スキルを学んだ。
学者肌の落ち着いた男で、
一緒に食事をしている間も、
次から次へと、
仕事に関わるメールが携帯電話に届いた。
多くの人から信頼される、
天才肌の男だった。
彼は自分のドライブスキルを「クラシック」だといった。
その本意はいまだに半分謎だが、
少しだけ読み取れたのは、
「君はアウアーを知っているか」
というキーワードだった。
「彼は凄い。もう70歳を過ぎたのに完璧なドライブスキルを持つ」
そのアウアーさんの隣にも、
数度座ることを許されたが、
まさに「仙人」の技を見せつけられた。
基礎に忠実で正確無比。
そして常人ではなし得ない、
素晴らしい操舵技術と、
抜群の荷重移動能力を発揮した。
スバルの天才伊藤健は、
わずかな限定車でもニュルブルクリンクにおける開発に拘った。
幸運なことに、
当時のスバル技術開発本部には、
執念の男がいた。
向かって左が技術本部を引っ張った、
現相談役の馬渕さんだ。
上っ面のお膳立てではなく、
本気で凄いクルマとは何かを体張って開発した。
今や穏やかな様子だが、
当時の容貌はまさに「切れる男」だ。
そしてその時の、
STIにおけるトップガンが、
仙人辰己というわけだ。
なので歴代のSシリーズの中でも、
S402はちょっと他と違う世界感を持つ。
S402をニュルで開発中に起きたエピソードを綴って終わる。
助手席に天才伊藤を乗せた、
仙人辰己の操るS402と、
4人乗車の名人菰田が操るM3がコース上に居合わせた。
軽いバトルを楽しんだそうだ。
天才伊藤曰く、
「S402で結構互角に走れたのは収穫だった」
名人菰田曰く
「速かったけどカーレンハードで抜かせてもらいました」
カーレンハードは、
ニュルのほぼ真ん中8kmあたりの下りにある、
レイトエイペックスの難しいコーナーだ。
ニュルで開発してスバルは平成の時代を生き延びた。
そうした匠の技で作られるパーツが、
一つ一つの輝きとなってちりばめられる。
また再び、
スバルがNBRで本気に仕込む息吹を感じる。
次期レヴォーグは、
STIが可変ダンパーを持つからだ。
スバルにとってエレクトロニューマチック以来の挑戦だから、
単なるリメイクではなく、
捲土重来を目指したはずだ。
その証拠が、
再び辰己をトップガンとして引っ張り出したところにある。
期待しよう。
それでは動画をご覧いただきたい。