良いB4ができました
2020年 07月 29日

スパークリングワインを頂いた。

アスパラガスを包んだ、
蕗の葉の風呂敷も現れた。
同じころ、
サラダコスモの中田社長から小包が届いた。

チコリ村で蒸留された焼酎と、

三千桜が入っていた。
広島から北海道に渡り、
何十年も苦労して作り上げた酒と、

酒は正直だ。
飲めば全てわかる。
それぞれ茨の道を歩み、
これからも鍛え続けられるだろう。
頑張っていただきたい。
松原さんの造るワインには、


畑が最も重要だ。
その上で蔵が成り立つ。

二つを比べて飲んでも面白くないので、
それぞれの好敵手を探して味比べしよう。
北海道の大地には、
まだまだ限りないポテンシャルがあるな。
三千桜さんも頑張ってください。
中津川を後にして北海道の上川へ移転されるそうだ。
上川と聞いて、
層雲峡を連想したが、
間違っていたら申し訳ない。
高校2年生の時、
初めて一人旅で北海道を訪れた。
周遊券を一枚持っただけの、
とても簡単な旅行だった。
行き当たりばったりだが、
出会いは多く自信というものに目覚めた旅になった。
なぜ層雲峡に向かったのかは、
今同も良く解らないのだが、
何かのきっかけがあったのだろう。
到着したバスを大勢の客引きが待っていた。
確か女性が多かった。
二千円から三千円ぐらいの宿泊費を交渉すると、
「お客さん、相部屋ならいいよ」と言われた。
後に付いていくと、
真夏なのに肌寒くて驚いた。
宿にはストーブまであった。
あそこなら良い酒が採れるだろう。
農業技術はどんどん進み、
北海道でも酒米が沢山実るらしい。
当時は北海道で一番飲まれた酒がホワイトリカーだった。
デンと一升瓶を置いて、
茶碗であおってたりしたよな。
何で作ってるの?と聞いたら、
嘘か真か知らぬが「じゃがいも」と言われ、
妙に納得したのを覚えている。
北海道の人たちは凄く飲む、というのが、
それ以来ステレオタイプになったね。
それはさておき、
松原さんから届いたアスパラガスには、
「旬を過ぎたので細いけど味は良い」と書き添えられていた。
そこで蒸し煮にしたのが半分。
そして、
松原さんおすすめの食べ方を試した。
こいつは美味かった。

弁当に入っているのは、
アスパラガスのピクルスだ。

ありがとうございました。
スバルの送り出すクルマも、
土壌の良さを表している。
もう15年以上前のクルマなのに、
今でも最高の味がする。
その最たる例を熟成に熟成させ、
良いB4ができました。
百聞は一見に如かず。
ご覧あれ。
スバルの最高級のクルマの姿、
そして熟成されたその味を、
動画を通して噛締めてほしい。


連日のお邪魔です。6発B4 素晴らしい仕上がりですね。ブランドには伝統と格式を体現した、この様なクルマ(セダン!)が必要と思います。現在このポジションが欠番になっているのが悔やまれます。前向きに期待したいです。
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嵐が収まったら中村丸の逆襲が始まります。期待して待ちましょう。

季節外れの細いアスパラガス、大事に味わって頂けて嬉しいです。アスパラの細いやつは、ピクルスにとても相性がいいです。
「上川」とは、「飛騨」とか「木曽」とかと同じで、正確には支庁名、まぁ大ぐくりな地域名で、旭川市がその中心。社長の高校時代の思い出の層雲峡は「上川町」です。かなり近いですが・・・。そちらはジャンプ選手(高梨沙羅や長野オリンピックのヒーロー・原田)で有名ですね。それにしても高校生で周遊券(懐かしい。今の若い人は知りませんよね。青春18きっぷの元祖ですが)持って北海道とはうらやましい限りです。旅は若いに限ります。私が周遊券持って北海道に初上陸したのは18歳でした。
中津川の造り酒屋さんがやってくるのはすぐそばの「上川支庁の、東川町」。全国的には「写真甲子園」を開いて、大雪山の眺望の美しさをアピールしたり、とてもやり手の街ですのできっと美味しい日本酒を造ってくれるモノと思います。道民としては大いに期待しています。
「上川」とは、「飛騨」とか「木曽」とかと同じで、正確には支庁名、まぁ大ぐくりな地域名で、旭川市がその中心。社長の高校時代の思い出の層雲峡は「上川町」です。かなり近いですが・・・。そちらはジャンプ選手(高梨沙羅や長野オリンピックのヒーロー・原田)で有名ですね。それにしても高校生で周遊券(懐かしい。今の若い人は知りませんよね。青春18きっぷの元祖ですが)持って北海道とはうらやましい限りです。旅は若いに限ります。私が周遊券持って北海道に初上陸したのは18歳でした。
中津川の造り酒屋さんがやってくるのはすぐそばの「上川支庁の、東川町」。全国的には「写真甲子園」を開いて、大雪山の眺望の美しさをアピールしたり、とてもやり手の街ですのできっと美味しい日本酒を造ってくれるモノと思います。道民としては大いに期待しています。
松原さん、17歳の夏は忘れられない思い出でいっぱいです。暑い夏でした。東北本線の宇都宮以降が地獄だった覚えがあります。生まれて初めて立ったまま眠り、目覚めたら目の前に海が広がっていました。青森に朝ついたんですよ。急行で。経験しておいて良かったです。周遊券はたった1万円か1万8千円のどちらかでした。
by b-faction
| 2020-07-29 21:42
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Comments(4)