ヒトは忘れる動物だ。忘れた方が良いコトも多い。だが戒めは忘れない方が良い。
その時、とっておきの時計を身に着けていた。
なんの機会だったのか忘れたが、カシオとSUBARUがコラボした貴重な腕時計だ。
戒めのために大事にしている。
なぜか。
命に係わる出来事だった。
その時計が、
電池切れのままだったので、
時計屋に持って行った。
簡単に再生した。
40年前の時計が使えるのだから、
カシオという会社は大したもんだ。

傷だらけだが壊れなかった。
このラッタタッタも戒めのために持っている。
ヤマハのパッソーラで出かける途中、
コーナリングに失敗し左コーナーで転倒した。
バイクも小破で怪我も擦り傷で、
不幸中の幸いだったが、

九死に一生ともいえる出来事だった。
後ろに続いていた東京ガスのサンバーが、
急ブレーキをかけて止まったのだが、
バンパーの位置を見てゾッとした。
後頭部のすぐ後ろにあったからだ。
ご先祖様に心の中で手を合わせた。
無謀な運転の戒めにと、
大事に持ち続けたが、
ある時からプッツリ所在不明になった。
それがこのクルマのグローブボックスから見つかった。

学生時代から大切にしていたクルマで、
長い期間動かさずに保管していたが、
再び蘇らせるため色を塗り替えた。
その時に、
グローブボックスの中で眠っているのを見つけた。
すぐに電池を交換し、
動くのを確認したが、
そのまま使わずに保管していたら、
いつの間にか止まっていた。
電池の企画というのは息が長い。
そんなにしょっちゅう変わっては困るが、
変わらない代わりに消費して交換する必要が生じる。
交換の必要のない電池など、
ビジネスモデルとして成立しない。
だから再利用が永久にできる電池など、
本来なら生まれないはずだった。
最近は電池の性能がうんと良くなって、
ほぼ半永久ともいえる程充放電を繰り返せるものもある。
ただし、
中身の量が目視できない欠点があり、
長距離移動物体に積むことのハードルでもある。
SUBARU1300Gは、
今でも一番好きなクルマだ。
もう50年近く経つ車だが、
ガソリンさえあれば走れる。

燃料は目視できるし、
インフラも整い入手も容易だ。
ガソリン車の電池に相当するのは、
この燃料タンクに他ならない。

後部座席の下にすっぽりと収まり、
着脱も容易だ。

長期間放置したことで内部に錆が発生し、
全く動けなくなっていた。

外したタンクからは、

大量の異物が出たので掃除して回復させた。
1300Gの性能は、
当時ずば抜けて素晴らしかった。
あのエンジンフィールは、
過去から現在まで唯一であり、
他の機種には存在しない。

こちらの2ドアセダンは燃料タンクが良くても、
マフラーがだめになっていた。
それで全く初めから作り直した。
これは好評でSUBARUの資料館にある保管車用にも、
一本お譲りしたことがある。

シンプルなフロアを見れば見るほど、
航空機メーカーらしい合理設計だと言う事が良く解る。

排気管はサイドシルを通り、
全く干渉しない排気設計になっていた。
燃料タンクも重量配分を考えて装着され、

まっ平らなフロアと段差無く収まっている。
ああ、
なんてすばらしいんだ。
このクルマの前ではGC8さえ霞んでしまう。
このクルマがあったからこそ、
インプレッサの開発者たちは、、
自動車開発のモチベーションを維持できた。
技術力はどこにも負けていないと、
大いに胸を張れる車だったから。
それが後にトヨタとの提携にまで発展するとは、
この時は誰も夢想だにしなかっただろう。
高性能なガソリンエンジンに拘るスバルは、
方向性が違うのではないかと心配する向きもあろう。
正直な話、
そんなことはどうでもよい。
なぜならば「やるべき仕事」が違うからだ。
国の規制や経済動向はメーカーが考えることで、
そんなことで思案する暇があったら、
クルマの美味しさを味わい尽くし、
それを期待する人々に伝える事に時間を費やす。
ヒョウロンカでは無いので、
相対的にあれこれ批評するより、
SUBARUの事を極め尽くす。
正直なところ、
どの資源もエネルギーも足りない中で、
上手い使い分けが必要な事は自明だ。
バスや電車、
更に都会の宅配トラックなどのように、
決まった場所を行き来してインフラが整ってれば電気で良い。
もっと軽い高性能なクルマで、
気軽に安全に「速く」移動するとなると、
エレクトリックだけでは不十分だ。
燃料タンクは最悪掃除できるけど、
電池はそういうわけにいかない。
だから環境負荷も小さくないね。

日立も原発で行き止まりに突き当たった。
電気の余る夢のような社会は来ない。
そもそも30年以上も前に、
東芝の原子力発電に見切りを付け、
SUBARU研究所の研究職員募集を見て、
入社したヒトが作った作品が、
今のアイサイトの原型だ。
原子力ベースのエネルギーに、
SUBARUは元々ソリが合わないのだ。
昔から変わらぬ美味しいものが好きだ。

こんなに美味しいわらび餅は、
なかなか食べられるものではない。

瑞々しさは天下一品だ。
岐阜市の誇る美味しいお菓子を持って、

名知さんがスーパーロイヤル車検で来訪された。
なるべく中津川の食材でもてなそうと、

旬を感じる素材を厳選した。

中津川の「いくち」は美味い。
今年は良いものが山に沢山出ているようで、
さっそく産直売り場に並んでいた。

トマトとモッツァレラチーズをスターターに、
ビールで軽く乾杯した。

中津川を代表する豆腐も美味い。

中島豆腐店の美味しい逸品もワンプレートに加えた。

勿論地元の逸品「飛騨牛」を使った。

中津川には卵を生産する大きな会社もある。
昨日のブログで紹介した、
望桜荘とSABの隣にある敷地には、

使い始めた頃に中古車を並べ、
軽トラックの未使用車の展示場所でもあった。

樹木の様子が今とまるで違っていて、
アッという間に感じる13年が、
実はかなりの年月の蓄積だとわかる。
コビッド19で働き方が根本から変わると、
「浮足立てる」ような物言いもあれば、
本当かどうか良く解らない「感染者」の数値報告が、
毎日繰り返し壊れたテープレコーダーのように繰り返される。
電気のシステムを変えるために、
一旦整った敷地を掘り返した。

土石流の痕跡が良く解る。
こんな石がゴロゴロ出るのだから、
この辺りがいかに危なかったのか、
まさに事実が証明している。
荒れたものを落ち着かせるには、
それ相応の時間が必要だ。
その上で、
真実が何かも良く見極めよう。
行き過ぎたことは戻ろうとする。
昔に戻れと言う訳じゃなくて、
振り子が降り過ぎて180度近くまで行ったとき、
最初はゆっくりと、
そして徐々に加速がついて凄い勢いで反対側に振り切れるまで向かう。
そんな最中なんだろう。

一旦荒れてしまうと、
元に戻すのは大変だ。
このスバル1000も9年前に中津スバルに来て、

徐々に美しさを取り戻しつつあるが、

このような作業を進めれれる環境ではなくなった。
凄い勢いで逆向きに振れ始めたのは、
日本人が気が付かないだけで随分前からだ。
コビッド19は一過性の流行り病ではなく、
こうした振り子の軌跡の上にある避けられない事象だ。

まだまだ道半ばだが、
張り切って続けよう。
一昨日の日曜日、
石渡さんの愛機を80kmテストした。
しっかり安全確認し、
納車式に備えている。
昨夜は手塚さんのフォレスターを、
同じコースでテストして、
最終的な高速安全性を確認した。
テストしてから、
思いっきり泳いだ。

また腕時計を忘れたが、
壁時計で代用すると、
午後10時を過ぎてスタートしたので、
間違いなく29分台の前半だ。
左手に抵抗が少なく、
思いがけぬ速さを感じた。
こうして意欲を保ち、
健康も保ち続けるために、
ヒトには戒めが大切だ。
その戒めをどのような形で持つのかによって、
人生には様々な喜びが生まれる。
今日は神戸の赤西さんのクルマを高速道路で確かめた。

大切な愛機を預かる以上、
お客様の使用感を事前確認すると同時に、
お客様の手では引き出せない領域までクルマを持ち上げる。
無理をさせるのではなく、
喜ばせる走りを与えるのだ。

トリップメーターをリセットするのと同時に、

赤西さんの愛機の気持ちになるよう、
脳みそもリセットする。
最高のクルマに際立てた。
あるじの喜ぶ顔が楽しみだ。