
こうして見ると、
南方発電所にも歴史的傷がありそうだ。
この位置から見ると、
水圧鉄管が一本撤去されている。
これには気が付かなかった。
二週連続でフォレスターに乗り、
何故か発電所に引き付けられた。
必ず美しい樹木が植えられているからだろう。

昨日も紅葉の美しさに惹かれこの場所を訪れた。

すると何か遺構のようなものが目に留まった。
直感した。
この何か奇妙な建造物は、
何かを訴えかけている。

恐らく1000年くらいもつような、
レリーフが取り付けられていたはずだ。

佐治儀助
聞きなれない名だ。
冒頭の南方発電所には、
福澤桃介の銅像が立っている。
だがそれはかなりの年月が経ってから、
記念のために建立されている。
こちらも桃介が関わったはずだが、
余り表立って名が出ない。

記念碑には名古屋電灯の役員として、
木曽水域における電源開発に大きな功績を残したとある。
大正六年七月に74歳で亡くなっている。
まさに中島知久平が大艦巨砲主義に疑問を呈し、
たった一人で飛行機研究所を立ち上げた頃と時代が重なる。
彼は一体何物なのだろう。

フォレスターの横を水圧鉄管が走り、
高速高圧の水が発電機めがけて下り落ちている。

鉄の家畜にとって、
何とも痛快な場所なのだ。
坂を下った時、
以前来た時には気が付かなかった施設を見つけた。
遠目に見ると蒸気機関車が展示されているようだ。

何かとてつもないオーラを感じた。

それもそのはずで、
猛り狂う氾濫時に、
ダムから水を抜く設備の一部だった。
洪水吐が開いた時の、
水の迸る様子は、
自然に対する人類の英知が、
まさに勝利を納めた証拠の如くだ。

何のために、
何故ここにあるのか全く分からないが、
鉄の持つ独特の香ばしさを嗅ぎ取った。
実に居心地が良い。
発電所に下ると、

直前に居た場所が水圧鉄管の上に見える。
フォレスターに向かって左方向に、

この場所に十四代続く旧家があり、
偶然そこの当主に話を聞けた。
やはり銅像があったらしい。
彼はその銅像を福澤桃介だと思い込んでいた。
違うと言うのも野暮なので、
周辺の遺構の意味を聞いた。

背後の基礎は、
建設時にケーブルを引っ張っていたのだと聞いた。
吊り橋もあったと当主は言った。

確かに僅かすぐ先に遺構があった。
佐治儀助は遊郭の主だった。
名古屋にあった大須旭廓を営みながら、
名古屋電灯の役員を務めていた。
名古屋電灯は明治維新後の士族が興した、
まるで殿様商売の電力会社だった。
電気料金を下げる交渉をしても突っぱねられ、
当時の意識高き人物たちは、
独自で電灯を取り付けるために愛知電灯を興した。
結果、愛知電灯は大須旭廓の収益を営業の中心に置くこととなり、
佐治は1894年の愛知電灯創立総会で取締役に選出された。
だが名古屋電灯の電気料金引き下げに至るなど、
当時の既得権益者にとって面白くない事が多かったのだろう。
競合会社として放置できず1896年に名古屋電灯へ吸収合併された。
但し単なる吸収ではなく、
合併条件に役員追加が含まれ、
その結果佐治が取締役に選出された。
福澤桃介が大株主として名古屋電灯に乗り込んできたのは、
その数年後で権力を桃介に譲ったのちも後も、
名古屋電灯取締役を辞任せず、
木曽川水利権の獲得に尽力した。
そしてこの発電所の建設にも多大な貢献をして無くなっている。、
名古屋電灯取締役在任のままこの発電所の完成を目前に病死した。
後に名古屋電灯はこの発電所を木曽電気製鉄として分社化し、
後の大同電力に繋がっている。
大同電力は現在の大同特殊鋼に繋がっている。
遊郭の親爺と侮れぬ、
大人物だったのだ。
無残な記念碑だが、
それがかえって凄味を見せる。
後から付け足した記念碑とは、
明らかに一線を画していた。
スバルも創立から100年が過ぎた。
中島知久平を尊ぶどころか隠避し、
社名を毛唐の文字に変え、
大いなる天罰を受けた。
しかし、
もともと覇道を目指す会社だけあり、
着実に蓄えた戦闘力開発主義を発露させた。
この新型発動機は大いなる野望を持つはずだ。
スバルとトヨタの合作は、
トレジアから始まった。
その時、
エンジンに触れる事はなかった。
ところがBRZは違った。
全く新しいエンジンを一足先に譲った。
そしてトヨタも体面を保つため、
全く新しい燃焼理論を一足先に譲った。
今度はそれが無い代わりに、
パワーアップを果たした。
積年の課題が一つ解消し、
これはズバリと読みが当たった。
気分爽快で、
今日のニュースを受け取った。

何と言ってもこの連合軍の象徴は、
実に出来の良いスポーツカーだ。

トヨタがこのスポーツカーの次に、
BMWと手を組んでスープラを復活させた。
その発表直後の評判は、

少しだけ年上の先輩有識者たちから、
そのスタイルに対して強烈な悪評を受けていた。
それを横目で見ながら、
良いと思うけどな。どうせアメリカ人が主な対象だから、あなたたち爺さんの目線では理解できないのだよ・・・、等とタカを括っていた。
アイアンマンみたいでカッコいいじゃない・・、とも言った。
それが今度はこちらに投げ返された。
リヤスタイルはともかく、フロントセクションのデザインは、BMWを元にスープラをリデザインした匂いと同じだ。スバルがトヨタと同じ苦労をしたのか。
立場はちょっと微妙だけどね。

元々BRZの次期車について、
スバルからもデザインコンペが持ち掛けられ、
二代目のデザインとして提案されたと聞いている。
だがそれは、
トヨタデザインを前に粉々に砕け散った。
その答えがここにある。

トヨタに先駆けてスバルがアンベールした背景には、
新型車の枯渇という重大な問題が横たわっているからだろう。

このデザインを自己流で評価すると、
同窓会に出た後の気分だ。

本来、
同窓会という後ろ向きな集まりはさほど興味が無く、
余程強引に誘われないと参加しない。
一番繁忙期に開かれることも、
足が遠のく理由だ。

時々参加して感じることは、
あの大好きだった可愛いあの娘が、
どうしてこんなことになったのか、
と言う事なんだ。

その随分豹変したなと思う時は、
おおよそ二通りに分かれている。
あの娘はこんなに美人だったのか・・・と驚く場合と、
一体何があったんだ、こんな風になっちゃって・・・と驚く場合の二つだ。
想定内は記憶に残らない。

新しいBRZがどちらなのか。
ホンモノを同窓会で見ないと判断できない。
スバルのリデザイン技術は、
ほとんど神がかり的なので、
実物を見るのが今から楽しみだ。
それと基本的にブスが好きなので、
一般的な好みとはちょっと判断の趣が違う事も、
予め承知しておいてほしい。
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