ハワイは人の心を豊かにする。スバルも人の心を豊かにしたかったので、ハワイへと誘った。
そこにスバルのドラえもんが現れた。
何でもポケットから取り出せるなかなかの人物だ。
スバルのレディ・ガガとも仲が良い。

「どこでもドア」は心の扉も開け放つ。
皆がリラックスして幸せになれる、
とてもステキな数日間だった。
ハワイの思い出に浸りながら、
その後に繰り広げられた年に一度の再会を振り返った。
ドラえもんは歌も上手く、
素敵な濃い時間が毎年楽しみだった。

隣に座っているのは、
アースがマグマ大使を呼ぶための笛を与えた少年だ。
すっかり大人になって面影が無いけど、
マグマ大使とモルの息子「ガム」は、
彼がモデルになっている。
悪党「ゴア」の繰り出した人間モドキや青血病は、
ゾッとするほど現在の世相を連想させる。
悪党はどの時代にも居るが、
正式な名になったのは鎌倉時代だろう。
ドラえもんが、
「もう一件行こう!」と元気よく叫べる、
とても素敵な時代だった。

そこには悪党が揃っていた。
幕府の思惑に沿わない地頭たちだが、
その荘園はなかなかのもので勢力地図を広げる勢いがある。
京都の外縁を固める地頭や、
今でこそ越後の国で名高いが、
その頃はまだ蝦夷地と言われる、
北国の地頭が居並ぶ。
蝦夷地ならば特に征夷大将軍には、
熱い信頼を受けねばなるまい。
京に近ければ、
勢力の増強に向け後ろ盾が不可欠だ。
鎌倉時代には元寇が繰り返され、
各地の御家人は疲弊し悪党が生まれた。
外圧は今も昔も変わらない。

天皇のひざ元の伊東家は、
北条家にとって邪魔な存在であった。
また蝦夷地の前川家にも勢力拡大の野望が膨らむ。
手を組むには絶好のチャンスだ。
元寇並みのジェネラルモータースの黄金期から、
リーマンショックで既存のスキームが破壊され、
まさにスバルにおける建武の新政が始まった。

「ここはひとつやっちゃいましょうか」
スバルの後醍醐天皇は楠木正成に、

「やっちゃえ」と言ったが、
悪党の日産のようにワルじゃないので、
こちらのストラテジーは穏やかだ。

スバルの楠木正成は大人物で、
後醍醐天皇前でも大胆に眠る。
ただし、
ちと酒癖が悪いらしく、
眠ったふりをしたのかもしれない。
酒癖の悪さは愛嬌だ。
やはり側に信頼すべき友の存在が不可欠だ。

加賀百万石と名だたる外様にも、
酒豪がいたけれど、
酒の力が精神力を妨いではならぬ。
この時代は酒癖が良いと嫌われ、
酒癖の悪い方が好まれた、
乱世の直前であった。
こういう時に楠木正成に替わる男が必要だ。
スキップを踏みながら、

スバルの新田義貞が現れた。
彼はストイックな男だ。
まず越後の悪党を味方につけ、
我を行く京都の地頭を探した。

歩道のモニュメントに足を載せ、
港の風来坊を気取る京の悪党を懐柔し、
着々と仲間に加えた。

コロコロした容姿を活かして、
レディ・ガガの心も解きほぐし、
彼女も巻き込んで鎌倉幕府を陥落させた。
その丸かった風貌は今や消え失せ、
建武の新政で功績を重ねた。

小島部長はストイックだ。
適切な運動は強靭な精神力の源だと、
彼の日ごろの節制が証明している。
見習わなければならない。

だから、
昨夜は泳ぎを欠かせなかった。
一週間のインターバルが、
ちょっと心配だったが、
ターゲットタイムを下回りほっとした。

体重は全くの横ばいで、
二か月前の12月25日と全く変わらない。
なので、
市川さんに戴いた、

"武蔵野うどん"をガッツリ食べた。
これは美味しい。
さいたま市西区の名店のだ。
全てセットされ鍋だけあれば極上の味を楽しめる。
ネギの甘みに肉の旨味が溜まらない。
冷たい強いコシのうどんを、
熱い汁に浸すと、
なんだかとっても幸せな味になる。
市川さん、
とても美味しくいただきました。
今朝は重量ラックの最終仕上げに取り組んだ。

あらゆるものを移動し、
エンジンを整頓する準備を整えた。

事前に用意した角材を、
現場の状況に合わせ切断する。

かたや降ろしたエンジンを、
丁寧に清掃して余分な補器を外した。

全てスバル製のトランスミッションだ。

二階建て構造の縦置きと言う、
とても効率良いシステムを構築し、
FWDから容易にAWDを産み出せた。

末端を養生し重量ラックに載せる。
BRZのトランスミッションは、

実にコンパクトで軽い。

長さはさほど変わらぬが、
全高と重量はかなり違う。

BRZ用なら男独りで持てるが、

伝統的なTY75型トランスミッションは、
運ぶのに男手二人が必要だ。
TY75をガラスのミッションと呼ぶのは言いがかりだ。

それは300馬力で37kg・mが設計上限界だったからで、
普通の使い方で壊れることなどない。
22BからS201への出力特性の変遷が、
それを如実に物語る。
特にトルクは重要で、
瞬間的に37kg・m対応を作ったが、
すぐに36kg・mに落としたはずだ。
ガラスなのではなく、
後から設計出力以上の改造エンジンを組み合わせ、
容量を超えた仕事をさせ壊しただけの話だ。
この姿をみればよく解るはずだ。
量産品を超えた美しさが宿っている。
今でも細々と生産が続くのだから、
まだまだリメイクして、
もっともっとスバリストを喜ばせてくれ。
かたや、
更に研ぎ澄まされたのが、
BRZのトランスミッションだ。

TY75に比べ並行リンクまでアルミになっている。
200馬力で212N・mを目標値として、
丁寧に軽く作られたものである。
従ってそれ以上の出力と組み合わせるのは暴挙だ。

クルマの全てを見直さないと、
出力向上など出来ない。
それを守れば、
これほど頑強なパワートレーンは無い。
BRZの楽しさは、
高度なバランスの上に芸術的に成り立つ。
中古車で選ぶときは、
おかしな補器類で改造していないか、
是非ともよく見極めて欲しい。

これから新しいクルマが誕生し、
出力とトルクを上げれば、
当然おもしろいクルマになるはずだ。
ただし、
フルモデルチェンジでもし重くなると、
先輩のWRXが歩いた道を辿るはずだ。
それは違った喜びを与えるクルマに生まれ変わり、
新たな世界を切り開くだろう。
そして初代には初代にしかない美味しさを、
掛け替えのない魅力として誇るはずだ。
出力向上に対応して強度を高めるると、
軽くする要素より重くなる要素が増す。
楽しさと引き換えに、
失う魅力もあることが、
このトランスミッションから窺える。

さて、
この軽い4WD用のTY75は、
まだまだ捨てたもんじゃない。
もうしばらく現役で活躍して欲しいものだ。

ラックに戻しながら、
後輪へ出す部分を切り落とし、
また再びFFを復活させる、
それを夢から現実に引き戻したいと感じた。
軽量なスポーツカーならBRZで良い。
けれども多目的なスポーツを正しく売る力を、
STIが持ち始めた以上、
そこにFFマニュアルギヤボックスは欠かせない。

問題はステレオタイプだ。
丁寧に並べながら、
社員にこの思いが自然に植え着くよう願いを込めた。
スバルの南北朝時代には、
軽自動車の生産終焉があてはまる。

それ以前は軽自動車をフルモデルチェンジしたら、
次は小型車のフルモデルチェンジを交互に進めた。
大きな体力が無いから、
一つを新しくするだけで精いっぱいだった。
今ほど海外でブランド力も育っていない。
輸出依存度が少なく、
国内販売体制の確立が常に急務だった。
サンバーはともかく、
A系B系と呼ばれた今で言う登録車と、
K系R系と呼ばれた軽自動車は、
持明院統と大覚寺統が、
交互に天皇を譲位した両統迭立に似ていた。
重量ラックを整理中にSSTが現れた。

一つ一つ丁寧に拭きながら、
その違いをしっかりと目に焼き付けた。
エンジンスタンドは、
エンジンを降ろして整備する時必要な、
スバル純正の特殊工具だ。

少しずつ形状が違い、
時代に応じて作られ続けたことが分かる。
右端の一回り小さな特殊工具は、

軽自動車用のエンジンスタンドだが、
他の水平対向用に比べ明らかに重い。

純正部品同様に純正品番が打刻され、
スバルの正規品だとわかる仕組みだ。
軽自動車に対するホンキ度が凄かった。
ところが、
これほどしっかり作り込んでも、
当時そこを見ている顧客は極めて少なく、
戦況は徐々に苦しくなっていった。
鎌倉時代が元寇に苛まれたように、
1000万台くらぶをふくめた外圧の中で、
GMと提携し嵐の近づく海へ船出を決めた。
そこを天災のようなリーマンショックが襲ったが、
スバルは逆境をバネにして、
迫りくるハゲタカファウンドの魔手を切り落とした。
ワゴンRが出る前に、
その手のクルマをいくら提案しても、
鼻であしらうようなプライドの高さで、
軽自動車の実態を見抜けなかった「ツケ」は大きかった。
けれどそれから目を逸らし、
顧客はもちろん、
作り手売り手の末端まで、
ステレオタイプにすがって暮らす。

中津スバルにも蔓延している。
これがその証左だ。
確かに重要な文化財だが、
水平対向エンジンと並ぶほどの地位では無い。

初代サンバーのエンジン復元作業は、
リコールや納車整備が繁忙になり停止した。
それが当たり前のように、
水平対向エンジンラックに並んでいた。
冷却ファンのカバーが、
オイルと土で練り固まったままだった。

この酷い有様だけは改善し、
もう少し誇らしげに並べたい。
ブレーキの分解整備で用いる、
スプレー式の有機溶剤で何十年も前の汚れを溶かした。

まだまだ途中だが、
これなら台を汚さずに並べられる。

吸排気系とシリンダーを一旦床に並べた。
空冷エンジンの面白さが目の前に広がる。
シリンダーブロックとクラッチハウジングを
綺麗に拭いて一か所にまとめた。

水平対向エンジンの専用ラックは清掃され、
そこに手入れの終わったミッションとエンジンが綺麗に並んだ。
続いて反対側にあるエンジンラックの整理が始まった。

まず一通り並べた後、
各エンジンの干渉を防ぐように隙間を調整した。

これを見て、
「意思が通じた」と嬉しくなった。
一切何も残さぬように床を片付けた後、

洗剤を使って汚れを洗い流した。
水を飛ばさぬよう丁寧に濯ぎ、

エンジンから落ちた汚れを取り除いた。
神聖な場に相応しい澄んだ空気に満ちて来た。

エンジンの間や鉄骨とのクリアランスも調整され、
ガタつかないように木片が置かれた。

問題はこの後だ。
100mmの落差や振れに耐えるための、
固定方法を実現させるには何が必要なのか。
これには再検証が必要だ。

決めたことを正確に実現し、
より細やかな作業へと結びつける。
本来の出自に相応しい仕事は、

こちらなのか。
それとも、
こちらなのか。

社員の心が嬉しかった。
SUBARU初の量産型エンジンを、
スバル最後の最小排気量自動車エンジンの左に置いた。
文化財として誇らしく思えど、
いつまでも固執すべき対象ではない。
倍の気筒数に増えても、
ヒコーキ屋らしい傾斜エンジンに拘った。
だが結果的に3気筒連合に全面敗北した。

そこから戦国時代に突入したが、
軽自動車という局地戦で敗退しただけで、
世界戦略上は好戦している。
スバルの軽自動車用直列4気筒は、
スバルらしいと言えばらしいのであるが、
一部の使い手と作りての、
自画自賛や自己満足の域を出ていない。
これが軽自動車だから良かったけれど、
もしプラザ合意という外圧が無く、
インプレッサを自己満足の直四で作ったら、
SUBARUは滅亡したか、
あるいは日産に飲み込まれたかもしれない。
それが水平対向に特化することで、
大きな変革を産み続けた。
左側の勝者を巻き込むストラテジーは、

並みの頭脳と行動力では構築できない。
失うのではなく計算して這い上がる。

這い上がって息をした者の勝ちだ。
いくら競争に勝っても、
エネルギーが潰えて溺れてはお終いだし、
同じ負けるにしても「負け方」がある。

その「良い負け方」が何かを、
社員はエンジンに触れながら学んだはずだ。

いずれ役立つ文化遺産も、
その時のために残す。
残すべき出自は、

何だろうか。
世界に通用するモノづくりを、
実現させるストラテジーと、

日本の顧客にスバルらしさを鼓舞するストラテジーを、
並行して見る必要がある。

鎌倉幕府が滅んだような、
ストラテジーに欠けた防御を、

「天を味方につけた」と勘違いせず、
真のスバルらしさはどこにあるのかと問う。
すると、
やはり解はこのように導き出される。

動力性能を磨いて、
卓越した基幹性能を誇るクルマを作り続ける。

SUBARUのストラテジーに期待しよう。

大丈夫だ。
安心してよい。
なぜなら頭脳明晰な将軍が、
大海原に明確な羅針盤を持っているからだ。
期待しよう。
中村丸に・・・・・。