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トヨタとホンダを本気で比べる

S660まで生産を止めると聞いた。
軽トラ生産撤退で、
スバルそっくりの手法を取ったが10年遅かった。
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今日は凄い虹が出た。

これは吉兆だろう。
フルコンプリートで二重の虹は久しぶりだ。

中津川には昔からよく虹が現れる。

十年以上前、
レガシィが五代目になり軽自動車撤退と聞いた。
その時、
小躍りした人間は少なかったが、
実は嬉しくてドキドキしていた。

何しろ同業者だけでなく、
ヒョウロンカさえスバルの将来を危惧していた頃だ。

それに対して、
トヨタと組んだ先見の明を褒め称えたのだから、
随分嫌な奴に見えた事だろう。

それも、
未だにトヨタと組んだと揶揄する人が居るほど、
スバルの周りには、
トヨタとダイハツに対してアレルギーを持つ人が多い。

さて、
振り返ろうじゃないか。
実際にはどうだったのかな。

その後のスバルはご存知の通り、
足枷が外れたことで、
製品の魅力だけでなくブランド力まで高まった。

クロスオーバーで先頭を突っ走るだけでなく、
日本のスバルファンのために、
レヴォーグを全力でフルチェンジした。

その当時、
もう一つ予言したことも的を得たようだ。

ある経営コンサルタントが見学に来られ、
ホンダが好調だと言われたので、
そうとも言えないと釘を刺した。




身を大きく乗り出して「何故だ」という。

1.軽トラックを大枚掛けてフルモデルチェンジした事
2.いまだにパーソナルジェット機の開発を止めない事
3.本来の目的に使えないロボット開発を自画自賛する事

組織の体質なので治せないところに危機感を持った。

今日、
軽自動車のスポーツカーが終わると聞き、
ハイトな軽自動車が日本で一番売れている喜びの陰に、
言いようのない悲壮感を感じた。

その事から八千代工業を思い出した。

スバルで言う桐生工業のような存在だ。
最近スバラーの間で「桐生」はブランドになった。

何しろ「EJ20の聖地」となって、
ファイナルエディションを送り出したからね。

どんな様子かと調べたら、
埼玉県に本社を持つホンダ系のサプライヤーとして、
健康な経営を続けている。

但しどこの会社も同じだが、
リーマンショックで受けた傷も大きかったようだ。


スバルもあの災難で新工場の建設を見送った。
それが幸か不幸か見方はいくつかあるけれど、
危険だったかもしれない投資を避けることはできた。

スバルは桐生にサンバーを委託生産しており、
ホンダの八千代と良く似た関係だ。

ホンダはリーマンショックの前に、
八千代をTOBで連結子会社に収めた。

その後、
ホンダの工場に隣接した新工場を造ろうとして、
結果的に躓いてしまった。

ホンダにはさほど興味は無いが、
S660を八千代で作ると聞いた時、
何がどうなっているのか不思議だった。

それを思い出し、
S660生産終了を紐解くと、
なるほどなと納得できた。

既にソフトランディングの道筋ができていた。
3年前に八千代の自動車組み立て部門はホンダに吸収され、
「ホンダオートボディー株式会社」として子会社化されていた。

ある意味で金銭的な補償を兼ねた、
一つの落としどころだったのだろう。


まあ、
200万円以上出して「税金が高いから軽を買う」と言う顧客がある以上、
ビジネスにはその時々の潮流があり、
それに乗り遅れてはならないだろう。

RVブームの時に、
400万円以上出してパジェロを買う人たちが大勢いたけど、
似たようなもので、
やっぱり今のいびつな軽自動車の売れ方は、
まさしく「ブーム」そのものなんだろう。

ただ300万円を超すS660ファイナルに、
それ相応の価値を見出せない。

見出す人が少ないから止めるのだろうが・・・・。

さて、
そんなホンダに対してトヨタはどうなのか。

トヨタがホンダを見る目には、
どのような鋭さが潜んでいるのだろうか。

創業者の豊田佐吉には、
研究と創造の精神があった。
その骨子は以下に要約される。

「社会国家に貢献するため、
発明に生涯を捧げ、
全くこの世に無い事柄を案出して完成させる」

豊田自動織機製作所は1926年の創立で、
その後、
英国プラット社からG型織機の特許を譲渡された。
続いて内燃機の研究を開始し、
自動車部が発足して定款が変更された。

そして試作工場と製鋼所を設立し、
あのG1型トラックを発表する。

トヨタ自動車工業の創立は1937年だ。

そして豊田喜一郎が社長を引き継ぐ。

実はその3年前に、
創業者である佐吉の思いを理念にまとめた、
豊田綱領が以下のように定められた。
一、上下一致、至誠業務に服し産業報国の実を挙ぐべし
一、研究と創造に心を致し常に時流に先んずべし
一、華美を戒め質実剛健たるべし
一、温情友愛の精神を発揮し家庭的美風を作興すべし
一、神仏を尊崇し報恩感謝の生活を為すべし

1934年にトヨタの道筋が明確に整った。

それではその時のスバルの前身である中島飛行機は、
いったい何を作っていたのか。

その前年の1933年6月に、
2列14気筒の独創的な大出力発動機の開発に着手し、
世界最小の1000馬力オーバーを目指した。

その発動機は「栄」と命名され、
零戦はもとより月光や隼など、
名だたる航空機に搭載され3万基以上を生産した。

1934年(昭和9年)の発動機生産数は420基に達した。

そしてスバルに動力性能開発を忘れるなという理由は、
その頃の離陸上昇馬力の驚くべき変遷があるからだ。

本気でやるとどれくらい凄いか歴史が物語る。
「栄」の前に自主開発した「寿」の離昇馬力は710馬力だ。
そして栄の場合は940馬力から始まり、
ファイナルエディションの「栄ハ115」は1150馬力を発揮した。
それに続く歴史的エンジン「誉」は2500馬力まで達した。

このような体質を持つ企業だから、
土壇場になると驚くべき力を発揮する。

さてトヨタに話を戻そう。

創業者の想いは1934年の豊田綱領により、
今もトヨタとトヨタグループの指針として、
大きな役割を果たしている。

その後、
トヨタ基本理念(1992年・97年)
トヨタ行動指針(1998年)
トヨタウェイ(2001年)とアキュムレートした。

更にトヨタグローバルビジョンが生まれ、
笑顔のために期待を超えて、
もっといいクルマ、
いい町・いい社会を求めた、
持続的成長が続いている。

そしてその根には、
安定した経営基盤と、
トヨタ共通の価値観が張り巡らされ、
最近ではトヨタイムズとして、
社長を前面に出した新たなパブリシティが始まった。

このように戦後のスタートでは、
翼をもぎ取られ地上に降りたスバルと、
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既にクルマを売る土壌を持つトヨタとの、
決定的な差がひろがり「良いもの」さえ作れば、
必ず売れる構造が全くゼロになったのだ。

なのでスバルのことをトヨタは全く気にしていなかった。

ところが章男社長が生まれ、
スバルとのアライアンスを密かに検討する中で、
STIの存在を知りコンプリートカーを味わって、
その実力に度肝を抜かれたのだ。

当時のトヨタ側のスタッフが言った。
「運よくS204を試験用に購入することが出来たので、
どんなクルマか試したところ本当にびっくりした」

その性能に驚愕した彼らは、
スバルとの協業を積極的に進めた。

トヨタほど長期戦略を綿密に立てる会社は見当たらない。

そのトヨタがなぜ、
そんな凄いスバルをノーマークにしていたのか。

それは創業者の理念の有無だ。
残念ながら中島知久平の理念が伝わらなかった。

スバル=中島飛行機の方程式は、
スバル自身が兵器メーカーを恥ずべきことと軽んじ、
表に出さないる風潮から伝わりようがなかった。

だから知らなくても不思議ではない。

出自が中島飛行機であることは知っていたが、
中島知久平が何者かを知る由は無かった。

従ってトヨタがマークしたのは、
まずホンダだ。
本田宗一郎と藤沢武夫という二人の強力な創始者により、
第二次大戦後に創設され2輪と4輪共に急成長した。
次にマツダだ。
自動車会社として何度も危機に直面し銀行や外資を受け入れた。
しかし東洋工業を創設した松田家の想いが強く現れた、
発展的な開発形態を持つ自動車メーカーで、
製造や開発においても業界のリード的役割を果たした。
最後にスズキだ。
創業者が起こした織機会社が原動機付き自転車や軽4輪自動車を開発し、
普通自動車も含め世界をターゲットに成長を続けた。
鈴木道雄から鈴木俊三そして鈴木修へと、
その精神や思想は確実に引き継がれている。

他に興味がないわけでは無かった。
各社の創業形態も徹底的に分析した。

いすゞ自動車は1894年石川島から自動車部門へ分離し、
1910年東京瓦斯電工業となり、
1941年ヂーゼル工業からいすゞ自動車に。

スズキ
1909年鈴木商店から1930年代後半に、
織機製造の将来性に不安を感じ自動車部門へ進出。

ダイハツ工業
1907年の発動機製造からダイハツが始まった。

自らを分析し、
他社と同じようにトヨタ自動車を、
豊田自動織機製作所⇒トヨタ自動車工業⇒トヨタ自動車
と羅列した。

日産自動車
快進社自動車工場からダット自動車となりダットサンへ。
戸畑鋳物から日本産業になり日産自動車へ。
立川航空機は中島の一部だったが後のプリンス自動車となり吸収。

日野自動車
いすゞと同じヂーゼル工業を前身とし、
軍需工場の日野重工業から日野自動車になる。

富士重工業
中島航空機から富士重工業

本田技研工業
本田技術研究所からホンダへ

マツダ
1920年東洋コルクから東洋工業を経てマツダへ。
創業者の跡を継いだ2代目の松田恒次社長が、
その後のマツダの歴史や社風を大きく決めた。

こうしてみると、
トヨタとホンダの違いが如実に判る。
また、
他との差異も如実に解る。

ホンダには、
戦前からのバックボーンがゼロだ。

さて、
上記の分析結果から思うに、
トヨタがスバルを創業した者の理念を理解したのは、
アライアンスを組んでから、
かなり後だと推定される。

後年になり、
彼らはサブロクよりも、
サンバーに興味を持った。

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欠かすことのできないキーパーソンが、
スバルの将来を決めた百瀬晋六だと知った。

そこでトヨタは彼の言葉を探った。

・まずいと感じたらすぐ直すのが本当の技術者だ
・上に立つものは手をよごせ
・出来ねーということはやる気がねーからだ

これらをスバルの開発力に重ね合わせると同時に、
彼の出自が航空機でスバルの自動車開発の源だと知った。
彼が技術者としてモノコック構造のバスを作り、
当時の業界を震撼させた軽自動車を作った。

そしてスバル1000の設計・開発に関与したことが、
スバルの大きな力の源だと悟った。

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特にスバル1000は日本のクルマの中でも、
特に歴史的な開発だと言える。

また彼等はサブロクよりも、
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11年の歳月をかけてフルモデルチェンジした、
R-2のモノコック構造に注目した。

3年ほど先にデビューした、
スバル1000の知見を取り入れ、
当時の軽自動車の中で、
非常に優れた構造を持っていたからだ。
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そしてスバル1000では、
この技術を筆頭と見たようだ。
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世界初尽くしだった。
等速ジョイントの開発は世界的な発明であったが、
スバルは特許を取らなかった。
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水平対向エンジンも、
全くゼロから作り上げ、
縦置きミッション迄含めたドライブトレーンは、
信じられないほどの独創性を有していた。

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更にそこに留まらず、
全輪駆動に発展させたパイオニア精神が、
1917年から続く社風の中にあるのだと思い知ったのだ。

数年前、
豊田章男社長が自らスバルの葛生研究実験センターを訪れ、
歴代のスバルを徹底的に知る機会が設けられた。
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こうして両社はお互いをもう一度リスペクトしあうことで、
中村社長の下で新たな時代に舵を切った。

それが数年前の株の持ち合いを強化し、
お互いの信頼関係を高める事だった。

誤解する社員が生まれないよう、
章男社長自らが直接SUBARUを訪問して語るほどだった。
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こうしてトヨタはスバルの真実をより深く知り、

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次の世代へ向けてもう一段大きなストライドで歩み始めた。

BRZがフルモデルチェンジできる真相は、
そんなところに隠れている。

スバラー達よ、
大いに刮目せよ。

アライアンスを組んではみたものの、
決して全てが順風満帆ではなかった。

けれども結果的に、
その両社は新たなステップに踏み出した。

トヨタはスバルのどこを見ていたのか。

しっかり掘り下げてみた。

新型BRZが次の結晶として現れ、
コクピットに座る日が間もなく来る。

これからを期待しよう。

Commented by 篠田 at 2021-03-14 10:29 x
こんにちは篠田です。
ff1の絵を見ると反射的に等速ジョイント!と反応しますね。
往年のスバルファン延髄のブログ、楽しみにお待ちしております。
Commented by 群馬県 飯塚 at 2021-03-14 10:48 x
素晴らしいスバル看板と虹の写真!
懐かしい資料の数々、大変勉強になりました。ありがとうございます。
本当のメカミニマム。温故知新、仕事にも生かしていきたいと思います。
Commented by b-faction at 2021-03-14 20:14
篠田さん、ありがとうございます。
Commented by b-faction at 2021-03-15 12:56
飯塚さん、こんばんは。早くアメリカの施設を見せて頂きたいです。御社はまさにホワイトナイトですね。
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by b-faction | 2021-03-13 22:00 | Comments(4)

毎日の活動やスバルについてご紹介します


by b-faction