ケイマンって意外に高いんだね
2021年 09月 29日
平成10年頃だったかな。
photo:Yasuhiko Satoh
この喜びはスバリストにとって例えようのない素晴らしさだ。
そしてそのクルマで、
昔スバルがポルシェと蜜月だった時に、
岐阜スバルの社長だった加納さんは機嫌が悪かった。
ほぼ無理やりポルシェ販売を当時の河合社長から命ぜられた・・・、
と記憶している。
本社新築に合わせ、
ショールームの中に場違いなラウンジを作ったが、
「あそこに近づくとムカつく」と苦虫をかみ殺していた。
ユニークな社長だった。
その当時のメーカー部長代理が、
今をトキメク中村社長だから、
人生のカラクリは実に面白い。
あの時代は、
ちょっと色々な意味で特殊だった。
岐阜スバルは元々STIには全く興味を示さず、
特に大きく扱っていなかった。
そこで、
「当社がSTI岐阜東」を作るから協力してくれと、
企画書を作ってお願いに行った。
社長に頼むと、
加納社長は別にダメとは言わなかったけれど、
当時スバルから出向していた「某常務」が、
「それは当社も計画してるんだ」と首を横に降った。
ああそう!ケチ!!
別にやり方はいくらでもある。
お手並みを拝見しよう。
それで、
頭を切り替えて「オリジナルブランド」を創設した。
もともと水を無理に高いほうへ流さない性格なので、
ゼロベースで考え直したのが、
今の「B-faction」だ。
若き日の中村社長が、
何度も足を運んだ場所なので、
きっと彼もよく覚えているはずだ。
まあ、
変なこと言う人は必ず自爆する。
決して悪いヒトじゃなく、
おおらかな雰囲気の出向者だった。
岐阜で常務職を勤め上げ、
本社に戻り、
その後京都から金沢に栄転した。
その人は、後に大問題を起こした。
それも「電気自動車」を記者発表した当日だった。
いくら先進性があっても、
電気自動車のステラでは、
国内販売のカンフル剤にならないと、
軽視したのは明白だった。
ところで何故加納社長が、
ラウンジに行くたびにムカついたのか、
その理由をこの場所で書く訳にはいかない。
まあ、
解る人には解るだろう。
その当時は、
そんな縁もあって、
中津スバルでポルシェの試乗会を開催した。
ラインアップにボクスターが加わり、
ちょっとポルシェの敷居が下がった頃でもあった。
ボクスターと911二車種、
合計で3台の試乗車を準備し、
基本的にタクシーライドで2日間みっちり走った。
その時のボクスターの印象は、
全くつまらないクルマだった。
デビューした時は、
確か500万円台だったと記憶している。
そのオープンカーがクーペになった。
びっくりしたよ。
ステキなクルマになったね。
と同時に、
お値段にも驚いた。
勉強不足なせいもあるが、
やはり金額に応じたクルマになるんだね。
photo:Yasuhiko Satoh
掛け値なしで褒めたい。
そしてもっと感動的な事が、
その同じ土俵でSUBARUのピュアスポーツカーを楽しめる事だ。
この喜びはスバリストにとって例えようのない素晴らしさだ。
そして、
BMWがポルシェのお株を奪うような、
凄いクルマをどんどん出す。
レクチャーを受けられるようになった。
人生は面白い。
ニュルブルクリンクで走る理由は、
指標だけは常に正しく持ちたいからだ。
それでは、
また明日。
by b-faction
| 2021-09-29 22:00
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