
懐かしいな。
初めて愛機レオーネで北海道を流離った、
あの時の思い出がよみがえった。
確かまだ19歳だったな。

瑞浪の吉村さんに戴いた、

美味しい洋菓子は、

封を切ったらショッキングだった。

手作り感が凄い。
とても美味しくいただきました。
多治見には素敵なお店があるんですね。
ありがとうございます。
東京から柳さんが点検に来訪され、

ステキなお土産を戴いた。

おいしそうなどら焼きだ。

皆で戴きます。
ありがとうございます。
インプレッサハウスの掃除をしていたら、
移動した資料の中から、
覚えのないモノが現れた。

どんな内容だったのか、
全く思い出すことが出来ない。
それほど印象が薄かったのだろう。
高岡さんとは東京モーターショーでお目に掛かった事があり、
そのことは今でも鮮明に覚えてる。
水曜日に大鹿村で昼ご飯を食べた時、
本棚に古いモーターファンがあることに気が付いた。
おもむろにめくると、

SUBARU ff-1の姿があった。

質疑応答のコーナーだった。
思わず読んだら、
ここにも見覚えのある名前があった。

その当時はSUBARUの顔だった。

理論派で、
モータースポーツに対する知識も深かった。

これは、
今でもスバルの深層に息づいてる。
そんな気がするな。
お弟子さんが多いから、
ジャーナリストを掌の上で転がしたりね(笑)。
この二人には共著もある。
4WDとFFのドライビングテクニックだ。
もう一度読み直したい本だが、
お客様に貸したまま、
本人と共に帰らぬ本となった。
ふと、
雑写真を保管するケースを思い出した。
中には昭和の遺物が保管してある。
おお!

余った写真が年代ごとに出てきた。
面白いね。
これはむっちゃんの愛車に貼ろうとして、

血の雨wが降りそうで諦めたステッカーじゃないか。
こんなところにあったとは!
フィルム全盛期で、

今のように無駄打ちが出来ない時代だから、
おのずとシャッターチャンスに強くなった。

モーターショーでこのクルマを見た時、
「やられた!」と思ったけど、
宇宙戦艦ヤマトのデスラー総統と同じで、
昨日の敵は今日の友だな。
あの頃から勝ち目が無かった。
そんな頃、
4WDジャンボリーという、
オフロードヴィークルの祭典も人気だった。

何しろ中津川の山中で、
虻しかいないような場所に、
一瞬ではあるがこんな光景が現れた。

協賛した覚えはある。
その前年に、
ここで確か名古屋スバルの自動車部の面々と会ったのだ。
名古屋スバルとは関係ないが、

恐らく自動車部とは遠からず関係があったはずだ。
このクルマに乗ったスバル好きが、
チョクチョク当社を訪れるようになった。
なぜか女性名義のクルマで、
当時駆けだしだったプローバの社有車だとその人は言った。
このクルマは、
効くところによると、
モータースポーツ用に作られた、
正にコンプリートカーそのものだった。
こういう魑魅魍魎な世界とは一線を引くことが多いので、
その後STIが誕生する迄、
こうした事とは無縁になっていった。
逆に、
海外仕様と日本仕様の差に興味が向いた。
そうだ。
この写真だ。

アメリカに直接車を買い付けに行った。
スバルディーラーでは、
まだ誰も実行したことが無く注目を浴びた。
この男性を紹介され、
仲介役のジェフに助けてもらいながら、

ターボエンジン搭載車も輸入した。

当時のスバル車では珍しかった、
ブラも手に入れて持ち帰った。
懐かしいな。
動画の中でこの頃の思い出を補強してるので、
良かったら見て欲しい。
それでは、
また明日。