サンバーでリニアシティ中津川を駆け抜ける
2024年 05月 21日
現在の世の中になっていると、
どれほどの人が正確に想像しただろう。
と言うより、
偶然にも全く同じサンバートラックの上物が揃った。 「サンバーの生産を終了する」
花壇の際立つ展示場兼駐車場に整えた。
この風景だけ見ると、
しかし、
遠くにトンネルの口が開き、
中央のトンネルの左の四角い構造物が、
一世一代の大仕事を任された、
微力ながら貢献させて戴いた。
まだサンバーはスバルの中で作られていた。
桐生工業の受託生産から、
スバルの工場生産に移管されたと言うべきか。
翌年に2008年に、
当時の森社長から発表された後、
様々な反論が日本中で沸き起こった。
その時から、
「それは正論」と胸を張って、
新たなSUBARUの道づくりの一役を担った。
その年は三代目のWRXが発表され、
絶好機を迎えるはずだったが、
リーマンショックがその計画を破壊した。
その2008年に望桜荘が完成し、
サンバー記念館の役割を担わせた。
当時の様子が懐かしい。
Before
After
徐々にスバルにも当社にも変化が現れ、
今ではSUBARUは立派なグローバルブランドに育ち、
安全と安心を世界中に発信する会社となった。
何年もの間、
防草シートを張ってこのスペースの使い方を検討し、
何事も本気でやれば成就する。
10日前
この花壇も元気になった。
伸びたシバザクラを刈ったが、
その隙を狙って雑草がはびこる。
これはどんな世界にも言えることで、
油断すれば力の強いものが勝つ。
10日後の5月19日
社員駐車場の草を刈り、
花壇の雑草も取り除いた。
Before
After
徐々に大胆にやらなきゃならない事と、
小まめに毎日続ける事の両輪を回すコツがある。
ちょっと思う事があり、
久しぶりに坂本郵便局を覗いた。
前回局長と懇談したのは相当前で、
当時はまだどうなるか分からないと言っていたが、
当然のことながら駅舎が出来れば真っ先に移転だ。
この時まで全く知らなかったが、
既に新しい立派な郵便局が出来上がっていた。
局の駐車場から駅の予定地が丸見えだ。
二年前からほとんど変わっていない。
視線を右に移しても、
人家が立ち退いた後の空き地が存在するだけだ。
そこから右に視線を移すと、
全く違う光景が現れた。
道路と線路を区画する構造物が出来上がってる。
この辺りは一変するね。
ここから見て、
ようやくリニア岐阜県駅の構造が理解できた。
中央新幹線中津川車両基地へのガイドウエイだ。
このトンネルを出たマグレブは、
真っ直ぐ駅へ向かってやってくる。
そして名古屋に向かって走り去り、
営業を終えると名古屋から戻って、
トンネル左のガイドウエイを上って、
中津川車両基地に格納される。
一番右端の下から指す矢印にあるのが、
今度新しくできた郵便局だろう。
うっすらと赤い線に郵便局らしき文字が見える。
今日来訪されたのは、
中津川市リニア都市政策部
区画整理課
課長の林宣彦さんだ。
中津川市役所のホープだ。
中津川市の歴史に、
大きな一ページを残す仕事に、
誠心誠意努められている。
当社もリニア計画には、
誕生した昭和40年代から深い興味を持ち、
実現に向け夢を持ち続けて来た。
せめてもの気持ちで、
業務車両の入札で特別価格で応札し、
リニア推進室に関わる人が、
快適に仕事ができるよう、
当時最新のインプレッサを納入した。
静岡県知事の悪意に満ちた妨害や、
様々な困難が降りかかる毎日だが、
難産は成功への道程ともいえる。
困難を逆手に取ろうじゃないか。
素晴らしい日本の未来に、
リニアモーターカー「マグレブ」は不可欠だ。
by b-faction
| 2024-05-21 22:00
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