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スバルはなぜ素晴らしいのか

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今日、
岐阜スバルの森島社長が来訪され、
2023年度の表彰を戴いた。
ステキなクリスタル楯がまた一つ増えた。


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ステキなお土産も添えられていた。

森島さん、
ありがとうございます。

この土日は忙しく、
あっという間に時間が過ぎた。

静岡市からレガシィオーナーの落合さんが来訪され、
愛機の車検を承った。
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ステキなお土産を戴いた。

ありがとうございます。
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みんなで楽しませて戴きます。

川口市からR2オーナーの下山さんが来訪され、
愛機の一か月点検を承った。

ステキなお土産を戴いた。
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あとから気付いたが、
よく見たら岡山名物だ。

岡山に出張されたのだろう。

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大手総合建設会社にお勤めなので、
世界中のユニークな情報をお持ちだ。
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早速楽しませて戴きました。

これは確かに、
陸斗が何でも言う事を聞きそうな美味しさだ。
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下山さん、
ありがとうございます。

もともと下山さんは埼玉スバルのVIPなので、
本来なら当社に来られることは無いのだが、
たまたま良縁に恵まれ当社のR2をお譲りした。

関東地方にお住まいなので、
中部地方よりスバルに対して熱が高いのは言うまでもない。

そんな下山さんが何気なく口にされたのが、
「スバルも一時はどうなる事かと思いましたが、やっと元気になりましたね」
と気遣うフレーズだった。

それはいつのことですか、
と尋ねたけれど、
漠然たるイメージのようだった。

それは無理もない。

スバル好きな人が、
本拠地の近くで見れば見るほど、
外野の騒音にも惑わされ誤解することが増えるから。

日本人は、
「人の不幸は蜜の味」に感じる所があり、
「正の話題」と同様に「負の話題」も好む。

最近は兵庫県知事が火だるまになってるけど、
しぶとく頑張って逃げ勝ちした方が良い。

ちょっと前までは、
ビッグモーターが血祭りに上がったけど、
会社をイトチュウに渡す代わりに、
息子は最後まで逃げ切った。

ある意味でいじめから逃れる最善策だ。

人世、
最後は笑って勝ち逃げ

そんな格言があるらしい。


スバルも過去にはいじめられることが多かったけれど、
下山さんが仰ったように、
「潰れるんじゃないか」などと思ったことは、
実は一度もないのです。

それは、
中身を人肌から感じるからだ。

つまり、
勝ち逃げするような奴が、
社長になれる土壌では無いのだ。


長きに渡り、
富士重工はプロパーの社長を排出できなかった。

大同団結と言って、
今の「むつらぼし」の原型が出来上がった時は、
日本興業銀行(興銀)出身の北社長が舵を取り、
「すばる」という車名を与えた。

好事魔多し。
その後、
北社長は急逝し
中島飛行機出身の吉田社長が舵を取ることになった。

興銀は後ろ盾として岸会長を送り込んだが、
この岸会長も62歳の若さで急逝された。

軍人堅気の吉田社長は、
戦後の労働争議などの荒波に揉まれ、
随分苦労された。
だが小型車発売の道筋をつけ、
その後を電電公社の副総裁に託した。

これが横田社長が生まれた源流だ。

スバルが長きに渡り、
電電公社の業務車両を、
受注するきっかけにもなったようだ。

当時は日本の自動車メーカーの草創期で、
スバルは生き残りをかけIMF構想を打ち立てたが、
イスズとミツビシとフジでは、
どうしてもミツビシと齟齬が生じる。

構想は破綻し、
暫くの間いすゞと協力関係を敷いた。

スバル1000&ベレットのアライアンスが産まれたけれど、
何がしたいのか意味不明で、
この時は長続きしなかった。

さすが「官製社長」らしい切り返しで、
国策企業だった日産自動車と業務提携を結んだ。

これが横田社長の大きな功績だった。

後ろ盾が付き、
工場の余剰生産力を日産からの受託生産で埋めることで、
生産業としての基盤が整い始めた。

スバル1000
スバル360
スバルサンバーの三本柱が完成し、
社長は興銀出身の大原さんにバトンタッチされた。

その頃はまだ小学校低学年だったが、
スバルのカタログを切り取る事が大好きで、
スバルの各車種を好き放題にノートに張って楽しんでした。

当時は社長と聞いても雲の上の上の存在で、
総理大臣並みに遠い世界の存在だった。

その大原社長を見たことも無ければ、
どんな人なのかも知る由は無かった。

社長のたすき人事が始まり、
しばらくの間、
日産と興銀出身の社長が交互に舵を取った。

その最初が佐々木定道社長だ。

昭和57年に、
初めてスバルの表彰式に参加した。

日産の業務提携の骨子に、
スバルにはリッターカーと軽自動車を担当する約定があったが、
野望を持ちスバル1000を生み出した会社が、
そんな事に素直に従う訳はない。

「文金島田を結って乗れる」と頓珍漢なスピーチをして、
場内を沸かせるところは味があったけど、
日産支配下では大したクルマは作れなかった。

一度水平対向六気筒を創ろうとして「ばれて」しまって、
三鷹の地中に埋めさせられたりした、とも聞いている。

軽乗用車を拡幅したジャスティと、
バンパーだけ伸ばしたドミンゴでは、
全く格下の戦いしかできなかったが、
隙間商法は結構当たった。

晴れて5車種体制となり、
その時に中津スバルの正社員になると決めた。

昭和58年の秋だった。

そして、
たすき掛け人事で佐々木さんの下にいた、
興銀出身の田島敏弘さんが社長になると、
富士重工のポテンシャルが爆発する。


スバルの歴史的社長だ。

まだ社長と話が出来る様な年齢ではなく、
末席を汚す程度ではあったが、
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同じ空気を吸う事が可能になった。
正面の風格ある紳士が田島社長。
向かって右端は、
当時富士重工から出向された竹内社長。
そして最後列の左から二人目が、
岐阜スバル初のプロパー社長として活躍された、
当時の岐阜スバル加納常務だ。

田島社長はホンモノの大物で、
一流のバンカーとしてスバルを今の地位に引き上げる源流となったが、
この後は「いじめの対象」になってしまって、
本当にお気の毒だった。

僅か300億円程度の赤字を出したことで、
その責任を問われたのだ。

STIを作り、
SIAを作り、
葛生の実験センターを作ったことで、
世界に肩を並べる高性能なクルマ創りが可能になったのだ。

それだけの功績者をいじめたのだから、
日本人の本性には根暗な部分があるのだ。

レガシィが軌道に乗り始め、
初期の難問を克服すると、
スバルは謙虚に地方を回り、
小さな販売店の意見も真っ向から受けた。

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こうして平成3年に岐阜で行われた、
国内営業本部の開催したイキイキ対談で、
出した意見が目に留まったようだ。

当時は国内営業の要を吉田専務が良く見ていて、
このイキイキ対談にも同席された。

その時に「SVXはステーションワゴンから発売すべきだった」と述べたところ、

吉田専務が随分嬉しそうな顔をされたことを克明に覚えている。
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そして数か月後、
富士重工から案内状が届き、
商品懇談会に招かれた。

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正面に吉田専務の姿がある。

実はこの会議の参加者として、
岐阜スバルの可能常務が、
既に親しい販売店の社長を内定していたらしい。

それを押し切って、
参加者に抜擢したのは、
後列右奥の林田課長だったと、
随分後から聞くことになった。
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林田さんはネーミングのセンスが抜群だった。
当時の販売店制度「スコープ店」の名付け親だと記憶している。

後列の隣に渡辺さんの姿がある。
後に専務となり国内営業を引っ張り上げた功労者だ。

田島社長の後を受けて、
スバルの舵を獲ったのは日産出身の川合社長だ。

川合社長はスバルの問題点を生産現場から始まり、
小さな販売店の状況まで丁寧に調べた。

そしてスバルの持っていた「客軽視」の姿勢を、
ことごとく潰していった。

その姿勢は素晴らしく、
年間に一度ある記念式典のスタイルも一変した。
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「誰がお客様かよく考えろ」

生産側からしたら販売店もお客様だ。

川合社長が夫人同伴で始めた改革の一つは、
優秀な販売に貢献したお店を、
夫婦で招待すると言う英断だった。

川合社長はたすき掛けを踏襲せず、
腹心の部下に社長の座を譲った。
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その田中社長も素晴らしい人物で、
川合社長の創った道筋を守りながら、
実に素早い決断と行動力でスバルを導いた。

偶然とはいえず、
何かの糸で繋がっていたようだった。
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この年の晩夏に、
家族で訪れたフィンランドで田中社長に会う事が出来た。

田中社長はSTIの存在価値を十分認め、
そのクルマ創りにプレミアムカーの将来をゆだねた。

GMとのアライアンスを実現し、
スバルに多額の開発資金をもたらした。

最も凄いのはたすき掛け人事を踏襲せず、
25人抜きで若い取締役を社長に据えた。

史上二人目のプロパー社長の誕生であり、
その流れは今も途切れていない。

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ぺター優勝に立ち会った当社のお得意さまとは、
今も懇意にお付き合いが続いている。

向かって右側の魚住ご夫妻には、
先月レイバックを納車したばかりだ。

左の宮下さんも、
いつも元気に来訪される。

竹中さんは話の通じる社長だった。

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そして森さんが後を引き継ぎ、
森さんが「当社のHOPE」と期待した、
吉永社長の誕生に繋がる。

それにしても、
リーマンショック、
東日本大震災と日本の根幹を揺るがす事件が連発したにもかかわらず、
今では信じられないような愚策が大手を振る時代に入っていた。

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MMTなど、
今ではめったに聞かぬ言葉となったが、
浮かれた世界で生まれつつあったのが「勝ち逃げ」の理論だ。

実に卑怯極まりないが、
こうしたことが、
卑怯では無いように見えてくるので怖い。

スバルの社長はその点が違う。

常に会社の将来を見据え、
正しい買いを導こうと努力する。
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2019年の記念式典でお目に掛かかれたのが最後になったけど、
きっと元気でお過ごしのことだろう。

この年は節目の年で、
この後強烈なパンデミックが襲ってくる。

スバルは世界の危機的状況を、
抜群のコンビネーションで乗り切った。
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吉永さんから中村さんに社長が引き継がれた年を、
生涯決して忘れることは無いだろう。

この五年間を後悔なく生きて来た。

時間が止まってしまい、
こうした会談の席は再開のめどが立っていない。

けれど戦友たちは各所で、
その有り余る力量を発揮してる。
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向かって左の石川さんは、
今広島スバルの社長として手腕を発揮され、
右の重野さんは今年からSTIの部長に就任された。

新潟の雄、
前川社長にもこれ以来お目に掛かれていないが、
きっとお元気で活躍されているだろう。
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京都の雄、
伊東さんも最近連絡が無いが、
きっとお元気に違いない。
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スバルの販売店には、
こうした何代も続く老舗も多く、
その肌感覚がスバルの良さを広く顧客に浸透させている。

この時に盗み撮りされた写真がある。
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元気そうに見えるが、
実はかなり弱っていた。

左側から腸が表に出ると言う、
とても厄介な症状だった。

いわゆるヘルニア。


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無意識で押さえているが、
実はこの翌月にニュルブルクリンクを走る予定になっていた。

なので、
この直後、
思い切って手術した。

まさかパンデミックが来るとは思いもよらず、
この時に思い切らなければ、
今も引きずっていたかもしれない。

そして、
ウイルス禍の中で、
2021年に新たな相棒を迎えた。

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その時は工房の奥で見習い中だったが、
宮下さんと初交流した。
2019年の11月16日だった。
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まだ力が弱かったので、
及び腰ながらリードを保って、
陸斗の社会性を高めて戴いた。

いつも、
「ダー」と元気な陸斗は、
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あっという間に大きくなった。

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この時は抱きかかえることが出来たが、
お正月を迎えた途端、
それが不可能になった。

急激な成長と共に、
クルマと家畜の整合性を、
より深く意識するようになった。

今日の動画は、
少し角度が違うけど、
是非ご覧になって戴きたい。

自動車家畜論を、
割とすんなり受け入れてもらえる気がする。


一気に書き上げたので、
誤字脱字、
また文脈の不整合もあるだろう。

そこは一つ甘受して欲しい。

陸斗が待ってる。

早く帰ろう。
それでは、
また明日。

Commented by 湖西のコバヤシ at 2024-09-10 01:13 x
代田社長様
今回のブログは「大作」ですね!
興味深く拝見しました。ありがとうございました!
Commented by 阿部 at 2024-09-10 12:55 x
代田社長様こんにちは。


今日のブログの写真に写っている昔の代田さんの姿や、色褪せた写真一枚一枚全てがまるで長編映画のようで、読み応えの有るブログでした。


バイキングコンタクト8のレポも楽しみに待っております。
Commented by b-faction at 2024-09-10 18:09
コバヤシさん、ありがとうございます。
Commented by b-faction at 2024-09-10 18:10
阿部さん、ありがとうございます。
Commented by Mt.Yoko at 2024-09-11 21:29 x
社長様
世田谷の横山と申します。大変貴重なお話とお写真、ありがとうございました。自分が生まれた時には家の車庫にはスバル1000があり、以降ずっとスバルの歴史を見てきました。スバルの歴史を正しく語って下さるのは代田社長だけだと思っています。
Commented by b-faction at 2024-09-12 07:02
横山さん、おはようございます。ありがとうございます。以前にも、コメント戴いた記憶があります。今後ともよろしくお願い致します。
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by b-faction | 2024-09-09 22:00 | Comments(6)

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