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ポール・デルヴォー

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シカゴ美術館
2015年4月14日
忘れられない日となった。

ポール・デルヴォーは1897年9月23日生まれ
1994年7月20日にその生涯を閉じた。

ベルギー・リエージュ州生まれの画家。
画題は「森の目覚め」

シュールだった。
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キノコの様に女が生えて、
セミの様に樹木に女がへばりつく。

酒池肉林を連想させる穏やかな絵画だった。

もともと日本は源氏物語の作者が描いたように、
実に自由奔放な男女関係を基本とした社会構造が出来上がっていた。

だが、
良いか悪いかは別にして、
第二次大戦後の占領下からその後の社会基盤の再構築の中で、
戦勝国の意図で文化を塗り替えられてきたことは事実だ。

江戸時代に混浴など良く合った風景だろう。
現代の日本ではほぼ皆無だ。

けれども同じ同盟国であったドイツは、
今でも当たり前に混浴が存在し、
サウナの中は神聖な場所なので、
男女の区別のないサウナ室の中で、
一切何も身に付けないのが常識なのだ。

ドイツは米国にとって親戚に近いが、
有色人種である日本は明らかに他人なのだ。

原爆投下の有無も、
そうした背景があるのかもしれない。

異国情緒を楽しみながら、
近世日本の変革や、
現代日本の姿など、
様々な客観性を持った情報が頭の中を巡り巡った。

シカゴ美術館でポールの絵画を目にしたとき、
何かとっても穏やかだけど、
背筋が凍るほど怖くなったんだ。

こんな空気が国内のスバルや、
STIなどから臭い始めたんだ。



世界観は違えども、
穏やかでいい感じだなぁ・・・なんてとても思えない。


世界観は違えども、
スバルは着実に「スバルの文化」を米国に植え付けて来た。
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スバル・いすゞ・オートモーティブが発足し、
初代レガシィが米国で生産されるようになった。

この決断を下した田島元社長は、
スバルにとって後にも先にも無い救世主だろう。

その後いすゞが乗用車生産から撤退したことで、
スバルは単独の生産基地として持つことになった。

幸いにもいすゞとインディアナの頭文字が同一なので、
耳慣れたSIAの文字は失わず、
いすゞの抜けた穴をトヨタのカムリで埋めながら、
スバルは虎視眈々と脱皮する時を待っていた。

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もうこの当時は群馬のサプライヤーを代表する、
東亜工業もこの地に生産拠点を持っていた。

隣の州にホンダの工場があるので、
ホンダのサプライヤーも米国に進出していた。

岐阜県の企業「丸順」もそのひとつであったが、
ホンダの業績が以前ほどの勢いを失い、
丸順が撤退する際に東亜工業が現地工場を譲り受けた事もあり、
SIAの生産能力は年を追うごとに強くなっていった。

このグラフを見ると良く解るが、
いすゞが抜けた後のスバルは決して業況が悪くは無かった。
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但し四代目レガシィでは米国の世界観に迎合せず、
成長速度が鈍化した。
トヨタがいすゞの抜けた穴を補うので、
工場の稼働率は順調に成長を遂げている。

けれども、
この状態ではトヨタに生命線を握られることになるので、
思い切った意識改革がスバルに求められていた。

そこからが面白い。

トヨタが窮地を救ってくれたのは、
彼等にも能力増強の限界があり、
スバルの工場をうまく使ったわけだが、
カムリの生産は大きく伸びているわけではなく、
セダン型車系の限界がもうすぐそこまで迫っていた。

そして注目の2011年、
上記の棒グラフが一気に伸びる。

長年横ばいだった生産実績が急に上向いたのだ。

五代目レガシィの大成功がSIAをガラリと変えた。

そこからスバルのV字型復活が始まり、
今もその勢いは続いている。
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能力増強。
日本ではかなり難しいが、
米国の広大な大地には、
まだまだそれを可能とする余裕がある。
この余裕がある事で、
SOAの販売戦略は日本と全く違う形をとる。

まず、
スバルブランド自体の価値が高い。

訪れた時は六代目にバトンタッチした時だった。


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国内仕様とのあまりの差に驚いた。

物凄くゴージャスなんだ。
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テストコースで試乗させて戴いたが、
クルマの世界観がまるで異なる。

だから、
STIのブランド意識も全く違う。

バッチチューンをことごとく避け、
安易にSTIの名前を使わない。

軽トラにWRブルーを塗る等という暴挙は、
黄色いサルのやる事だと思ったに違いないだろう。

こうしてスバルは米国で理想的なスバルらしさを構築した。

オシアニアがそれに続き、
今ではベトナムなどアジア圏でも同じ戦略を元にしている。

生ぬるいブランド戦略でSTIを腑抜けにするのは、
親であるスバルも悪いけど、
それに甘んじてぬるま湯で満足するようになった、
STIそのものもずいぶん腑抜けなのだ。

ポール・デルヴォーの絵画を見ると、
今の国内のスバルブランドに対する考え方、
STIのつまらない使い方、
それが匂ってくるようで怖い。

昨日のブログの画像が、
一部今日のブログと入れ替わっておりました。
大変失礼いたしました。

動画を撮影してから、
しっかり洗って、
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翌朝しっかり磨いて、

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しっかり掃除して展示した。

このクルマはアメリカにおけるスバルの立ち位置を、
大きく向上させた立役者だ。


皆の努力の結晶、
五代目レガシィアウトバックの艶姿。
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トランプ効果が出始めた。
アメリカの安全基準を満たしたクルマは、
追加試験をしなくても日本への輸入が可能になる。

能力を増強し、
面白い米国製スバルを沢山日本に迎えられる日が来るとイイね。

明日もお楽しみに。

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by b-faction | 2026-02-22 22:00 | Comments(0)

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