飛行機野郎
2026年 02月 26日

この世界には飛行機野郎の執念が渦巻く。
スバルはP-1からK111へと舵を切り、
軌道に乗った時点で稼ぐ糧を創造した。
なので、
このSUBARUの成長の礎を、
いつか晴れ舞台にと執念を持って臨んだ。
既に二代目サンバーは、
「ケ」の世界の象徴として望桜荘で活躍中だ。
だから初代には同じ土俵では無く、
全く違う世界観を持って登場させると決めていた。

中津川昴倶楽部にステージを用意した。

改めて年代順に並べ替えた。
新たなキャラクターのステージは、
これまでと違う考古学的観点で演出するつもりだ。

出来る方法を考えろ。

ネガティブな要素を払拭させる。
こうして管内各所に散逸していた、
初代サンバーの構成パーツを手分けして一か所に集めた。

発掘していく中で、
社員それぞれに、
ビジュアルな方向性を定める必要があった。

思案していて頭に浮かんだのが、
過去に海外研修で訪問した、
インディアナポリス・モーター・スピードウエイの博物館だ。

思わず目が釘付けとなった。
この写真をスタッフルームのホワイトボードに貼り、
こんなイメージにして意向を思いを一つにした。
もちろんコピーする気など無い。
今用意することができる最善の解を、
出来るだけお金を掛けずに地道にやろうと・・・。

東京から田中さんが来訪され、
お嬢さんの愛機を商談させて戴いた。


これは懐かしい素朴な味だ。

とてもお腹にも優しく、
睡眠不足のカラダにとって、
とても効果的なお菓子だった。
田中さん、
とても美味しく戴きました。
ありがとうございます。
同じ日の午後、
下呂市の古谷さんが愛機の整備で来訪された。

ステキなお土産を戴いた。



楽しませて戴きました。

初代サンバーをサブロク以上に重視する理由は、
強烈な「生きるための糧」を意識させるからだ。
スバルは戦闘機や爆撃機だけを作っていたわけではない。
連絡機や輸送機も開発する、
日本一の航空機会社だった。
そのプライドある企業が、
一気に分断され解体され、
ことごとく息の根を止められかけた。
それを執念で乗り切り、
自動車製造の端緒を掴んだ。
それがP-1の誕生だった。
しかし金が無い。
財閥解体の中でも特に米国が恐れた企業故、
徹底的につぶされかけたが、
鍋鎌まで作って飢えを凌いだ。
そして当時の技術水準を凌駕した乗用車が誕生したが、
それを作るための工場や設備に投資することができなかった。
逆に投資で来ていたら、
今もこの世にあったかは不透明だ。
大同団結に参加しなかった富士精密は、
ステークホルダーがその価値を知り手放さなかった。
しかし派手な自動車づくりを進めた結果、
キャッシュフローに乏しい企業体質が災いし、
日産自動車に吸収されてしまった。
スバルはP-1を潔く諦めた。
日本興業銀行が、
工場新設に必要な金を、
一切貸してくれなかった。
そこで産業用のエンジン(後のロビンエンジン)に目を付け、
金を掛けずに目的を達成する最良の解を導き出した。
それがサブロクの誕生なのだ。
サブロクは大成功したが、
その先は不透明だった。
何しろ安いとはいえ、
まだまだ庶民にとって高根の花だ。
そこでスバルは次の戦略を商用車に向けた。
その時あったアセットを最大限に活用し、
当時のレベルでは考えられない商用車を創り出した。
最近も似たようなことをやってるよね。
スバルパフォーマンスBも、
正にそんな出自なのだ。
だから、
生き残るために軽自動車は必要だった。
そして多大な貢献をもたらしたサブロクやサンバーに、
とても深い愛情を覚えるのだ。
但しそれがかえって成長の足かせにもなった。
他車とは全く違う出自を持つスバルは、
軽自動車を足掛かりにすることは正しかったが、
いつまでもそこに甘んじている会社ではない。

それは正にスバルのステージを意味する。
スバルが極めるべきクルマは、
軽の枠の外にあると言う「解」だ。

スバルが残した大いなる文化遺産、
軽の枠に納めた、
世界に通用する乗用車。

あくまでも私見だが、
R1/R2の開発者たちは、
これを軽自動車だと考えて創造していない。
彼等は「小さなレガシィ」を作る執念を持っていた。
素晴らしい歴史的遺産に乾杯しよう。
それでは、
また明日。
by b-faction
| 2026-02-26 22:00
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