22Bの誕生
2007年 02月 17日
現在の自動車を取り巻く環境なら、
おそらく誕生しなかったであろう「不朽の名車」と言えよう。
平成10年の春のことである。
幸運にも富士重工の配慮でたった400台のベースになる車両が、
艤装ライン(現在ではトリムラインと呼ばれている)から最終検査を受けて、
外へ飛び出していくのに立ち会うことができた。

なぜ立ち会えたかというと、全国スバル販売店大会が、
スバル発祥の地の大田で初めて開催され、
式典の後、工場見学というプログラムが組まれていた。
そのとき
ソニックブルーのベース車両が、
混流ラインで大量生産される、レガシィやフォレスターに混じって、
次々と生み出されていった。
その瞬間に出会えたことは、
予定通りだったのか、それとも偶然なのか、
今では知る由も無いが、スバリストを自認する自分にとって、
生涯忘れることのできない場面だ。
ところで「ベースになる車両」といったのには訳がある。
22Bは富士重工やSTIだけで造られたのではないからだ。
富士重工のラインではいったんベース車のGC8クーペWRX typeRが生産される。
そしてナローボディのまま、ラッカースプレーで紫色に着色されたダミーホイールを装着し、
次の架装先である「某架装メーカー」に運ばれる。
そこはかつて日産のパイクカーを生産した有名な会社だ。
そこで左右のフェンダーを前後とも丁寧に取り外す。
リヤクォーターパネルはロウ付け溶接され、
フェンダーとバンパーを交換し、
ワイドボディに改修された。
ところで、ボディサイズだけでなく、エンジンの排気量まで変わっているのに
型式はGC8のまま。
少量生産だからだろう。
当時のクルマを取り巻く環境なら可能だったのだろうが。
また、当時は非常に強い555ブランドがあった。
それは当時スバルクレジットが5.55%の記念金利を設定したほど。
だから555台作りたかったに違いない、と僕は思う。
400台しか生産できなかったのは、
ボディ架装を引き受けた会社の事情だと聞いたことがあるが、
それは定かではない。
いずれにしろ現在のクルマを取り巻く社会環境を考えたら、
「22Bの再来」は「絶対二度とありえない」と容易に断言できる。

僕は当時、WRカーとしての22Bを必ず売らなければいけない理由の一つとして、
記念碑的役割をあげた。
WRCで日本車がメイクス3連覇という偉業を成し遂げた以上、
富士重工としてそれを売る義務があることと、
今後のブランド構築の上で最大のチャンスだと直感したからだ。
だから言うだけでなく、実際に発売されたときの「入れ物」を先に用意した。

その入れ物が「B-faction」なのだ。
ところで22BはいったいベースのWRXと何が違うのか。
まずエンジン。
低速トルクを出すため、
あえて当時輸出が主体の2.2リッターエンジンをドーピング。
STIがこのクルマのために、素晴らしいスポーツエンジンに仕立て上げた。
更にボディが大幅に違う。
実戦で活躍していたWRカーとほとんど変わらない。
特にリヤクオーターパネルとフロントフェンダーが大きく異なる。
ちなみに、当時の金額でフロントフェンダーは片側16万円。
リヤクオーターパネルが片側27万円だったのには驚いた。
前後のバンパーやスポイラーも異なっている。
そしてワイドトレッドに合わせ専用のBBSホイールを装着した。
ただし駆動系のディメンションはそのままなので、
運動性能がいまいちピリッとしていない。
まあ、これはしょうがないだろう。
とにかく売ることができなければ何もならないのだから。
発表前にすでに2台受注しており、自社分も含め何とか3台確保できたのは幸いだった。
一気に受注が舞い込み、発表からたった半日足らずで抽選に切り替わったからだ。
定期的にB-factionに赴きボディを磨きながら、大切に展示している。
上の画像は7年ぶりに展示角度を変更した時のもの。
少し声をかけただけで男性社員は直ぐ全員集まった。
みな嬉しそうだ。

福岡で22Bに乗っている翼パパと申します。
GCのWRカーの活躍を見て、スバルが好きになった自分は、まずバージョン6のクーペを購入し、続いて嫁さん用にBPレガシィのTW2.0Rを買うほどのスバリストになってしまいました。
そして一昨年、バージョン6手放し念願の22Bを所有することができました。
どんなに新しいSシリーズが発売されても、22Bだけは特別な存在ですね。今でも色褪せることのないデザイン、特別なエンジン、素晴らしいの一言です!
社長のおっしゃる通り、正に記念碑的な役割の、ストーリーを持った車です。こういう車はもう2度と出てこないと、私も思っています。
ですから、これから動かなくなるまで大切に乗っていこうと思っています。
中津スバルの展示車の22B、是非一度拝見してみたいです。

翼パパさんのブログもたまに覘かせて頂いています。
スバルのスポーツの歴史をたどっても22は別格です。
たとえば先日完売したRA-Rを頂点とすると、
過去にさかのぼり
S202、初代WRX STI RA、レガシィRS RA、
AB5型レオーネHT RX、
レオーネクーペRX、
1300G SS、FF1スポーツ、1000スポーツと
見事に繋がっていきます。
スバルはレガシィ・インプレッサで爆発的にファンを増やしましたが、
こういう歴史が22Bの誕生のバックボーンだと思います。
またそのあたりも思いついたら書かせて頂きます。
近くにいらっしゃったら是非遊びに来て下さい。

こちらのブログへは初めてアクセス致しました。
「ひろりん」でコメントさせて頂きますのでどうぞ宜しくお願いします。
B22の誕生秘話を興味深く読ませていただきました。
生産ラインで出会えたのは運命でしょうか?。
さて、私はサーキットで激走するインプレッサを17-18日に鈴鹿サーキットでのGT開幕戦で激写してきました。
http://8826.teacup.com/henatyoko/bbs?BD=9&CH=5
友達のHPの掲示板ですがこちらへ写真をアップしてありますので、宜しければ御覧下さい。
こちらの投稿名も「ひろりん」です。
週末はカメラを両手にあちこち出かけており、なかなかそちらに行く事が出来ません。
E/Gオイルもフィルターも交換時期を過ぎているのですが・・・。(汗)

コメント有難うございます。
レースの画像を撮るのはホントに難しいでしょうね。
この頃走行画像を撮る機会が多く、
迫力を出せなくていつも悩んでます。
時間作って是非ご来店下さい。
ニューフェイスも入社しましたよ。